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2020年11月29日日曜日

 

太平洋戦争関連地図Pacific War related map


太平洋戦争Pacific War

太平洋戦争Pacific War第二次世界大戦World War II の局面の一つで、日本Imperial JapanドイツNazi Germanyなど枢軸国Axis powersと、連合国United Nations(主にイギリス帝国British Empireアメリカ合衆国United StatesオランダNetherlandsなど)の戦争における日対米局面を連合国United Nations側から見た呼称である。

日本Imperial Japan側の名称は1941年(昭和16年)1212日に東条内閣Tojo Cabinet閣議Cabinet meeting大東亜戦争Greater East Asia Warと決定し、支那事変China Incidentも含めるとされた。

日本軍Imperial Japanese Forcesイギリス領マレー半島British Malaya攻撃attackにより始まり、その後アメリカ西海岸West Coast of the USAアラスカAlaskaからタヒチTahitiオーストラリアAustraliaを含む太平洋Pacific Oceanのほぼ全域whole areaから、東南アジアSoutheast Asia全域、インド洋Indian OceanアフリカAfrica沿岸Coastまでを舞台に、枢軸国Axis powers連合国United Nationsとが戦闘battleを行ったほか、日本Imperial JapanBritish EmpireUSANetherlands開戦opening of warを機に蒋介石Chiang Kai-shek中華民国Republic of China政府Government日本Imperial Japanに対して正式に宣戦布告Declaration of warし、日中戦争Second Sino-Japanese War支那事変China Incident)も包括する戦争Warとなった。


マレー作戦Malayan campaign

最初に、日本陸軍Imperial Japanese Armyが日本時間1941年(昭和16年)128日未明にイギリス領マレー半島British Malaya東北端northeastern edgeコタバルKota Bharuに接近、日本時間午前215分(現地時間午前130分)に上陸し、海岸線coastline英印軍British Indian Armed Forcesと交戦し、イギリス政府British Governmentに対する宣戦布告Declaration of war前の奇襲Surprise attackによって太平洋戦争Pacific War戦端outbreak of warが開かれた。


特殊潜航艇Midget submarine甲標的(こうひょうてき)Target 'A'

駆逐艦ウォードUS Destroyer Ward


ウォード号事件Ward Incident

First engagement of neutral United States in World War II before the attack on Pearl Harbor

1941年(昭和16年)127日(日本時間1941年(昭和16年)128日)に行われた日本海軍航空隊Imperial Japanese Navy Air Service真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor前に、アメリカ領海US territorial sea内で日本海軍Imperial Japanese Navy所属の特殊潜航艇Midget submarine甲標的(こうひょうてき)Target 'A'アメリカ海軍US Navy所属のウィックス級駆逐艦Wickes-class destroyers駆逐艦ウォードUS Destroyer Ward」に攻撃、撃沈された事件。


南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/Force

空母赤城Aircraft carrier Akagi

空母加賀(かが)Aircraft carrier Kaga

空母蒼龍(そうりゅう)Aircraft carrier Soryu

空母飛龍(ひりゅう)Aircraft carrier Hiryu

空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku

空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikaku

戦艦比叡(ひえい)Battleship Hiei

戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishima

重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Tone

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

軽巡洋艦阿武隈(あぶくま)Light cruiser Abukuma


真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor


真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor

太平洋戦争Pacific Warにおいて日本海軍Imperial Japanese Navyが、アメリカ合衆国USAハワイ準州Territory of Hawaiiオアフ島Oahu真珠湾Pearl Harborにあったアメリカ海軍US Navy太平洋艦隊Pacific Fleetアメリカ軍基地US military baseに対する奇襲攻撃Surprise attack真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor)が、日本時間Japan time 1941年(昭和16年)128日午前130分(ハワイ時間Hawaii time 127日午前7時)に発進して、日本時間午前319分(ハワイ時間午前749分)から攻撃が開始された。

当時の日本Imperial Japan側呼称は布哇海戦(はわい・かいせん)である。

大東亜戦争Greater East Asia Warにおける南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaignの一環として、イギリスBritish Empireに対するマレー作戦Malayan campaignに次いで実施された。

戦闘battleの結果、アメリカ太平洋艦隊US Pacific Fleet戦艦部隊Battleship unitは戦闘能力を一時的に完全に喪失し、開戦opening of war初頭にアメリカ軍艦隊US Fleetに大打撃を与えて、側面から南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaignを援護するという作戦目的を達成した。


空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi


ニイタカヤマノボレ

1941年(昭和16年)1117日、連合艦隊司令長官Commander-in-Chief of the Combined Fleet山本五十六(やまもと・いそろく)海軍大将Admiral佐伯湾(さいき・わん)(大分県佐伯市)にあった空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiを訪れ、機動部隊Mobile Unit/Force将兵を激励するとともに、「この作戦の成否は、その後のわがすべての作戦の運命を決する」とハワイ作戦Hawaii campaignの重要性を強調している。

1941年(昭和16年)1122日、第一航空艦隊First Air Fleet司令長官Commander-in-Chiefである南雲忠一(なぐも・ちゅういち)中将指揮下の旗艦flagship赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiおよび加賀(かが)・蒼龍(そうりゅう)・飛龍(ひりゅう)・翔鶴(しょうかく)・瑞鶴(ずいかく)を基幹とする日本海軍Imperial Japanese Navy空母Aircraft carrier機動部隊Mobile Unit/Force択捉島(えとろふ・とう)Iturup Island単冠湾(ひとかっぷ・わん)Hitokappu Bayに集結。

11268時、南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/ForceハワイHawaiiへ向けて単冠湾(ひとかっぷ・わん)Hitokappu Bayを出港した。

 

1221730分、大本営Imperial General Headquartersより機動部隊Mobile Unit/Forceに対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」の電文Telegram発信sendされた。

ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領Imperial Japanese territoryであった台湾Taiwanの山の名(現・玉山)で当時の日本Imperial Japanの最高峰(3952m)、一二〇八(ひとふたまるはち)とは128日のことで、「128日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意の暗号文coded message


九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft


九七式艦上攻撃機

Type 97 Carrier Attack Aircraft

日本海軍Imperial Japanese Navy

制式採用Introduction 1937年(昭和12年)(皇紀2597年)

三座艦上攻撃機Three-Seat Carrier-borne Attack Aircraft

最高速度Top speed 377.8km/h

乗員Crew 3crew of three

操縦士Pilot

航法士navigator爆撃手bombardier偵察員observer

無線士radio operator機銃手gunner

九七式艦上攻撃機(きゅうななしき・かんじょう・こうげきき)Type 97 Carrier Attack Aircraftは、日本海軍Imperial Japanese Navy艦上攻撃機Carrier-borne Attack Aircraft

競争試作Competitive trialされた2機種が両方とも採用adoptionされたため、この名を持つ飛行機Aircraftには全く設計の異なる中島製B5N)と三菱製B5M)の2種類が存在するが、通常は中島製B5N)を指す。

略称Abbreviation九七式艦攻または九七艦攻

アメリカUSA側のコードネームCode nameは、中島製一号/三号ケイトKate三菱製二号メイベルMabel


九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft


1935年(昭和10年)に日本海軍Imperial Japanese Navy中島飛行機Nakajima Aircraft Company三菱重工業Mitsubishi Heavy Industries十試艦上攻撃機としての競争試作Prototypeを命じ、1937年(昭和12年)に中島案を九七式一号艦上攻撃機、三菱案を九七式二号艦上攻撃機として、共に採用した。

競争試作Competitive trialであるにもかかわらずどちらも採用adoptionされた理由は、両者の間に決定的な性能差がなかったためである。

日本海軍Imperial Japanese Navyとしては、初のfirst全金属製all-metal低翼単葉機low-wing monoplaneであり、一号型は国産単発機Single-engine plane初のfirst引込脚retracting gearを採用。

それまでの九六式艦上攻撃機Type 96 Carrier Attack Bomberに比べ、最高速度Top speedは約100km/hも向上した。

制式採用Formal adoption後間もなく日中戦争Second Sino-Japanese Warに投入された。

真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborでは九七式三号艦上攻撃機143機が出撃し、雷撃隊Torpedo bombersアメリカ海軍太平洋艦隊United States Pacific Fleet戦艦Battleship 4隻を含む6隻の艦艇Naval vessel雷撃Torpedo attack魚雷Torpedo 36発を命中(米側資料では23本)させている。

なお淵田美津雄(ふちだ・みつお)Mitsuo Fuchida海軍中佐Navy Commanderが放った

トラ・トラ・トラTora! Tora! Tora!

ワレ奇襲ニ成功セリcomplete surprise had been achieved

はこの機体Aircraftから打電wireされた。


(とら)Tiger


九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber


九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber

日本海軍Imperial Japanese Navy

制式採用Introduction 1939年(昭和14年)(皇紀2599年)

複座艦上爆撃機Two-Seat Carrier Bomber

最高速度Top speed 381.5 km/h

乗員Crew 2

九九式艦上爆撃機(きゅうきゅうしき・かんじょう・ばくげきき)Type 99 Carrier Bomberは、1936年(昭和11年)「十一試艦上爆撃機Experimental 11-Shi Carrier Bomber」として試作Prototypeが始まり、愛知航空機(あいち・こうくうき)Aichi Kokukiが受注・生産を行い、太平洋戦争Pacific War初期に活躍した、日本海軍Imperial Japanese Navy艦上急降下爆撃機Carrier-borne dive bomber

略称Abbreviation九九式艦爆、もしくは九九艦爆

記号はD3A

アメリカUSAコードネームCode nameヴァルVal

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomberは、零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraftと共に、太平洋戦争Pacific War前期の日本海軍Imperial Japanese Navyの快進撃を支え、真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborセイロン沖海戦Indian Ocean raidなどで高い急降下爆撃Dive bombing命中率を示した。

続いて、九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber南方攻略作戦Southern campaignに投入される。

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomberはこの後も戦場に投入され続け、戦歴は珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaミッドウェー海戦Battle of Midwayソロモン海戦Battle of the Solomon Sea南太平洋海戦Battle of the South Pacificマリアナ沖海戦Battle of the Philippine Seaフィリピン島決戦Battle of the Philippines沖縄決戦Battle of Okinawaに至る。


零戦二一型(ぜろせん・にー・いち・がた)Zero fighter Model 21

零戦二一型(ぜろせん・にー・いち・がた)Zero fighter Model 21

零戦二一型(ぜろせん・にー・いち・がた)Zero fighter Model 21


零戦二一型Zero fighter Model 21

栄一二型Sakae 12星型エンジンRadial engineを搭載。

零戦二一型(ぜろせん・にー・いち・がた)Zero fighter Model 21零戦一一型Zero fighter Model 11を基に空母Aircraft Carrierへの搭載Onboardを前提として本格的に量産された型である。

零戦一一型Zero fighter Model 11翼幅Wingspan 12m空母Aircraft Carrierのエレベーター寸法を考慮して決められていたが、実際に運用してみると不都合が多く、翼端Wing tip50cmずつ折り畳める機能が追加された他、零戦一一型Zero fighter Model 11では省略されていた着艦フックArresting hook無線帰投方位測定器といった艦上機Carrier-based Aircraft用装備も追加された。

真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborを始めとする太平洋戦争Pacific Warの緒戦に実戦投入され、その長大な航続距離very long range卓越した運動性能excellent maneuverability20mm機関砲20mm Autocannon 2挺の大火力はアメリカ軍US Armed Forcesに衝撃を与え、当時の日本軍Imperial Japanese Forcesの快進撃と相まって多くの零戦Zero fighter伝説Legendを生み出すこととなった。

開戦直前に起きた下川事件の対策として主翼強度を増す設計変更が行われた結果、採用当初には509.3km/hだった最高速度Top speed533.4km/hにまで向上している。

生産数は三菱製740機、1944年(昭和19年)春まで生産された中島製ライセンス生産Licensed production)が2,821機であった。


空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi


空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1927年(昭和2年)

天城型巡洋戦艦Amagi-class battlecruiser 2番艦2nd vessel

全長Length 260.67m

排水量Displacement 42,000metric tons

最大速力Top speed 31.5knots58.3km/h

乗員数Complement 1,630

搭載機数Aircraft carried 66

艦上機Carrier-based aircraft 66

1941年(昭和16年)127保有機Owned aircraft

零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 21

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 18

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 27

 

赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiは、日本海軍Imperial Japanese Navy航空母艦Aircraft carrier

軍艦赤城(あかぎ)Warship Akagiは、天城型巡洋戦艦Amagi-class battlecruiser2番艦2nd vesselとして起工された未成艦still under construction vessel空母Aircraft carrier改造convertされたもの。

呉海軍工廠Kure Naval Arsenal建造Construction

三段式three flight decks空母Aircraft carrierとして完成したが、後に一段全通式single enlarged flight deck空母Aircraft carrierに改装された。

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦Battle of Midway沈没Sunkした。

赤城(あかぎ)の艦名vessel nameは群馬県前橋市の赤城山(あかぎやま)Mount Akagiにちなんで命名された。

同型艦Same type vessel天城(あまぎ)Battlecruiser Amagi同様、巡洋戦艦Battlecruiserの命名基準に則りMountainから名前が取られ、その名前のまま空母Aircraft carrierに改装された。


空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi


1941年(昭和16年)4月、第一航空艦隊First Air Fleet(長官は南雲忠一(なぐも・ちゅういち)中将)が編制され、赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi加賀(かが)Aircraft carrier Kagaおよび駆逐艦Destroyer 2隻とともに第一航空戦隊First Air Divisionとして編入された。

第一航空艦隊First Air Fleetは編制とともに真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborの準備を進めた。

1941年(昭和16年)1126日に単冠湾(ひとかっぷ・わん)Hitokappu Bayを出港し、南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/Force旗艦flagshipとして一路ハワイHawaii真珠湾Pearl Harborへと向かった。

1941年(昭和16年)12月、真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborに参加。

赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiからは、第一次攻撃隊第一波として、九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 27機、零戦Zero fighter 9機が出撃。

第一次攻撃隊第二波として、九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 18機、零戦Zero fighter 9機が出撃。

128日午前130分、淵田美津雄(ふちだ・みつお)中佐率いる第一次攻撃隊第一波は赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiから発進した。

日本軍Imperial Japanese Forces航空隊Air Corps奇襲surprise attackにより、アメリカ軍太平洋艦隊US Pacific Fleetは潰滅した。

赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi日本Imperial Japanへの帰路につき、1224日、日本本土Japanese mainlandに到着した。

 

1942年(昭和17年)1月下旬ラバウルRabaulを攻撃し(ラバウルの戦いBattle of Rabaul)、2月中旬のオーストラリアAustraliaの港湾都市ダーウィンDarwin空襲Airstrikeダーウィン空襲Bombing of Darwin)、35チラチャップChilachap攻撃(バタビア沖海戦Battle of Sunda Strait)と南太平洋South Pacificを転戦する。

1942年(昭和17年)326日、セレベス島Celebesを出港し、インド洋Indian Oceanへ進出する。

1942年(昭和17年)4月、セイロン沖海戦Indian Ocean raidでは、他の空母Aircraft carrierとともにイギリス海軍Royal Navy重巡洋艦ドーセットシャーHeavy cruiser Dorsetshire空母ハーミーズAircraft carrier Hermesを撃沈するなど破竹の進撃を続けた。


空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

ミッドウェー海戦Battle of Midway


1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayに参加。

日本時間65日午前130分、日本軍南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/Forceミッドウェー島Midway Atollアメリカ軍US Armed Forces基地に攻撃部隊Attack unitを発進させた。

赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiからは零戦Zero fighter 9機、九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomberの稼働全18機が発進した。

航空機格納庫Aircraft hangarでは、魚雷torpedoを搭載した九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft米軍US Armed Forces機動部隊Mobile Unit/Force出現に備えて待機している。

65日午後1155分、空母飛龍(ひりゅう)Aircraft carrier Hiryuの喪失により勝敗が決したことを悟った山本五十六(やまもと・いそろく)司令長官Commander-in-Chiefは、ミッドウェーMidway攻略中止を各部隊に命じる。

日本時間65日午後1150分、山本司令長官は、かつて艦長Captainをつとめていた赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiの処分を命令した。

66日午前2時、駆逐艦嵐(あらし)Destroyer Arashi野分(のわき)Destroyer Nowaki萩風(はぎかぜ)Destroyer Hagikaze舞風(まいかぜ)Destroyer Maikaze赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagiの右舷に対し魚雷Torpedo1本を発射した。

4本の魚雷Torpedoのうち2ないし3本が命中。

1942年(昭和17年)66日午前210分、赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi沈没Sunkした。


空母加賀(かが)Aircraft carrier Kaga

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1928年(昭和3年)

加賀型戦艦Kaga-class battleship

全長Length 247.65m

排水量Displacement 38,813metric tons

最大速力Top speed 28 knots52 km/h

乗員数Complement 1,708

搭載機数Aircraft carried 75

艦上機Carrier-based aircraft 75

1941年(昭和16年)127保有機Owned aircraft

零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 21

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 27

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 27

空母加賀(かが)Aircraft carrier Kagaは、日本海軍Imperial Japanese Navy航空母艦Aircraft carrier

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦Battle of Midway沈没Sunk


空母蒼龍(そうりゅう)Aircraft carrier Soryu

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1937年(昭和12年)

日本初Japan's first本格的空母Full-scale aircraft carrier

全長Length 227.5m

排水量Displacement 19,100metric tons

最大速力Top speed 34knots63 km/h

乗員数Complement 1,100

搭載機数Aircraft carried 57

艦上機Carrier-based aircraft 57

1941年(昭和16年)127保有機Owned aircraft

零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 21

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 18

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 18

空母蒼龍(そうりゅう)Aircraft carrier Soryuは、日本海軍Imperial Japanese Navy航空母艦Aircraft carrier

第二航空戦隊Second Carrier Division所属艦Affiliated ship

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦Battle of Midway沈没Sunk


空母飛龍(ひりゅう)Aircraft carrier Hiryu

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1939年(昭和14年)

蒼龍Aircraft carrier Soryu同型艦 Same type shipとして計画project建造Construction

全長Length 227.4m

排水量Displacement 20,570metric tons

最大速力Top speed 34knots63 km/h

乗員数Complement 1,100

搭載機数Aircraft carried 57

艦上機Carrier-based aircraft 57

1941年(昭和16年)127保有機Owned aircraft

零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 21

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 18

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 18

空母飛龍(ひりゅう)Aircraft carrier Hiryuは、日本海軍Imperial Japanese Navy航空母艦Aircraft carrier

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦Battle of Midway沈没Sunk


空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1941年(昭和16年)

翔鶴型航空母艦Shokaku-class aircraft carrier1番艦First ship

全長Length 257.5m

排水量Displacement 26,087metric tons

最大速力Top speed 34.2kn63.3 km/h

乗員数Complement 1,660

搭載機数Aircraft carried 72

艦上機Carrier-based aircraft 72

1941年(昭和16年)127保有機Owned aircraft

零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 18

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 27

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 27

空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokakuは、日本海軍Imperial Japanese Navy航空母艦Aircraft carrier

翔鶴型航空母艦Shokaku-class aircraft carrier1番艦First shipとして、太平洋戦争Pacific Warで活躍した。

1944年(昭和19年)619日、マリアナ沖海戦Battle of the Philippine Sea沈没Sunk


空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikaku

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1941年(昭和16年)

翔鶴型航空母艦Shokaku-class aircraft carrier2番艦Second ship

全長Length 257.5m

排水量Displacement 26,087metric tons

最大速力Top speed 34.2kn63.3 km/h

乗員数Complement 1,660

搭載機数Aircraft carried 72

艦上機Carrier-based aircraft 72

1941年(昭和16年)127保有機Owned aircraft

零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 18

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 27

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 27

空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikakuは、日本海軍Imperial Japanese Navy航空母艦Aircraft carrier

翔鶴型航空母艦Shokaku-class aircraft carrier2番艦Second ship

太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)末期の1944年(昭和19年)1025日にレイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf沈没Sunk


戦艦比叡(ひえい)Battleship Hiei

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1914年(大正3年)84

金剛型戦艦Kongo-class battleship 2番艦Second ship

全長Length 222m

排水量Displacement 37,187metric tons

最大速力Top speed 30knots56km/h

乗員数Complement 1,360

戦艦比叡(ひえい)Battleship Hieiは、日本海軍Imperial Japanese Navy巡洋戦艦Battlecruiser、後に戦艦Battleship練習戦艦となる。

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea後に自沈Sunk


戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishima

日本海軍Imperial Japanese Navy

就役In service 1915年(大正4年)419

金剛型戦艦Kongo-class battleship4番艦Fourth ship

全長Length 222m

排水量Displacement 37,187metric tons

最大速力Top speed 30knots56km/h

乗員数Complement 1,360

戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishimaは、日本海軍Imperial Japanese Navy軍艦Warship

建造Construction時は巡洋戦艦Battlecruiser

後に戦艦Battleshipに艦種が変更された。

金剛型戦艦Kongo-class battleship4番艦Fourth ship

1942年(昭和17年)1115日に第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaに於いて沈没Sunk


重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Tone

日本海軍Imperial Japanese Navy

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers 1番艦Lead ship

就役In service 1938年(昭和13年)1120

全長Length 201.6m

排水量Displacement 11,213metric tons

最大速力Top speed 35knots65km/h

乗員数Complement 874

搭載機数Aircraft carried 6 (カタパルト22 catapults

零式水上偵察機Type Zero Reconnaissance Seaplane

九五式水上偵察機Type 95 Reconnaissance Seaplane


零式水上偵察機Type Zero Reconnaissance Seaplane

三座単葉水上偵察機Three-Seat Monoplane reconnaissance seaplane

1940年(昭和15年)(皇紀2600年)制式採用


九五式水上偵察機Type 95 Reconnaissance Seaplane

複座複葉水上偵察機Two-Seat Biplane reconnaissance seaplane

1935年(昭和10年)(皇紀2595年)制式採用


重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Toneは、日本海軍Imperial Japanese Navy重巡洋艦Heavy cruiser

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers1番艦Lead ship

1945年(昭和20年)728日、米艦載機US Carrier-based aircraftの攻撃で大破着底(呉軍港空襲Attacks on Kure and the Inland Sea)、戦後解体。

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers

1番艦Lead ship重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Tone

2番艦Second ship重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma


重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma

日本海軍Imperial Japanese Navy

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers 2番艦Second ship

就役In service 1939年(昭和14年)520

全長Length 201.6m

排水量Displacement 11,213metric tons

最大速力Top speed 35knots65km/h

乗員数Complement 874

搭載機数Aircraft carried 6 (カタパルト22 catapults

零式水上偵察機Type Zero Reconnaissance Seaplane

九五式水上偵察機Type 95 Reconnaissance Seaplane


重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma


重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikumaは、日本海軍Imperial Japanese Navyが最後に建造Constructionした重巡洋艦Heavy cruiser

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers2番艦Second ship

その艦名ship nameは、筑摩川(ちくまがわ)(千曲川(ちくまがわ)、信濃川(しなのがわ)の上流部)に因んで命名された。

筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborミッドウェー海戦Battle of Midwayなど太平洋戦争Pacific Warの重要な戦闘に参加し、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf沈没Sunkした。

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers 2隻(利根(とね)、筑摩(ちくま))はいずれも三菱造船長崎造船所Mitsubishi's Nagasaki shipyardsにて建造Constructionされた。

当初は15.5cm三連装砲塔15.5cm Triple gun turretを搭載予定であった。

軍縮条約脱退により20.3cm連装砲塔20.3cm Twin gun turret 4基を前甲板に集中させた航空巡洋艦Aircraft cruiserとなったが、書類上は軽巡洋艦Light cruiserである。

1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfでは、アメリカ護衛空母ガンビア・ベイEscort carrier Gambier Bay撃沈To sinkに貢献したものの、追撃作戦中に米艦載機US Carrier-based aircraft雷撃torpedo attackを受けてサマール島沖off Samar沈没Sunkした。

護衛空母ナトマ・ベイEscort carrier Natoma Bayから発進したTBFアヴェンジャーGrumman TBF Avengerによる雷撃torpedo attackである。


軽巡洋艦阿武隈Light cruiser Abukuma

日本海軍Imperial Japanese Navy

長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers6番艦Sixth ship

就役In service 1925年(大正14年)526

全長Length 162.1m

排水量Displacement 5,659metric tons

最大速力Top speed 36knots67km/h

乗員数Complement 450

搭載機数Aircraft carried 1 (カタパルト11 catapults

軽巡洋艦阿武隈(あぶくま)Light cruiser Abukumaは、日本海軍Imperial Japanese Navy軽巡洋艦Light cruiser

長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers6番艦Sixth shipである。

1944年(昭和19年)1026日にレイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf沈没Sunk


真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor

アメリカ海軍US Navy

太平洋艦隊Pacific Fleet

司令長官commander-in-chief

ハズバンド・キンメルHusband E. Kimmel大将Admiral


戦艦アリゾナBattleship Arizona

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

ペンシルベニア級戦艦Pennsylvania-class battleships2番艦Second ship

185.3m 29,626t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor沈没Sunk


戦艦オクラホマBattleship Oklahoma

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

ネバダ級戦艦Nevada-class battleships2番艦Second ship

178m 27,900t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor沈没Sunk


戦艦ユタBattleship Utah

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

フロリダ級戦艦Florida-class battleships2番艦Second ship

159.0m 22,175t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor沈没Sunk


戦艦ウェスト・バージニアBattleship West Virginia

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

コロラド級戦艦Colorado-class battleships4番艦Fourth ship

190m 33,218t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor沈没Sunk

修理と近代化改装は1944年(昭和19年)7月に完了


戦艦カリフォルニアBattleship California

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

テネシー級戦艦Tennessee-class battleships2番艦Second ship

190.35m 32,818t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor沈没Sunk

修理と近代化改装は1944年(昭和19年)1月に完了


機雷敷設艦オグララMinelayer Oglala

アメリカ海軍US Navy機雷敷設艦Minelayer

117.75m 3,806t

機雷敷設艦(きらい・ふせつかん)Minelayer機雷Naval mineを海中に敷設するための海軍艦艇naval vesselである。

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor沈没Sunk

引き揚げられた後、ドック艦に改修され1944年(昭和19年)2月に再就役


戦艦ネバダBattleship Nevada

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

ネバダ級戦艦Nevada-class battleshipsネームシップName ship

178m 27,900t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、日本軍の第二次攻撃隊の急降下爆撃隊23機が発見、大型艦を真珠湾Pearl Harborの狭い水路に沈め、軍港の水路を塞ぐことを狙って戦艦ネバダBattleship Nevadaに集中攻撃を加えた。

6発の250kg爆弾の命中と2発の至近弾で艦は大きく損傷し脱出は不可能となったため、ホスピタル・ポイントhospital point(避難用浅瀬)に自ら座礁し沈没を回避した。

1942年(昭和17年)2月に引き上げられ、1942年(昭和17年)12月に一旦修理完了し艦隊復帰したが、1943年(昭和18年)に再度ドック入りし近代化改修を受けている。


駆逐艦ショーDestroyer Shaw

アメリカ海軍US Navy駆逐艦Destroyer

マハン級駆逐艦Mahan class Destroyers1隻。

104.04m 1,500t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、艦体の損傷は壊滅的であったが、ドック内におり沈没は免れたため、大修理と近代化改装が施され、1942年(昭和17年)6月に艦隊復帰した。


駆逐艦ダウンズDestroyer Downes

アメリカ海軍US Navy駆逐艦Destroyer

カッシン級駆逐艦Cassin-class destroyers1隻。

93.10m 1,020t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

修復は困難と思われ、一旦除籍されたが、その後船体の残存部分を本土のピュージェット・サウンド海軍造船所Puget Sound Naval Shipyardに持ち込んで新造並みの補修を行い、1943年(昭和18年)11月再度就役。


駆逐艦カッシンDestroyer Cassin

アメリカ海軍US Navy駆逐艦Destroyer

カッシン級駆逐艦Cassin-class destroyers1隻。

93.10m 1,020t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

駆逐艦カッシンDestroyer Cassinも一旦は除籍されたが、駆逐艦ダウンズDestroyer Downesと同様に大補修により1944年(昭和19年)2月再就役。


工作艦ヴェスタルRepair ship Vestal

アメリカ海軍US Navy工作艦Repair ship

141.96m 12,585t

工作艦(こうさくかん)Repair shipとは、旋盤や溶接機、クレーンなどの各種工作機械Machine toolを装備し、艦船の補修・整備などを行う艦船のこと。

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

応急修理終了後、自艦と他の艦の修理を並行し、1942年(昭和17年)2月に修理完了。


戦艦テネシーBattleship Tennessee

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

テネシー級戦艦Tennessee-class battleshipsネームシップName ship

190.35m 32,818t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

損傷は軽微だったので、1942年(昭和17年)8月には修理完了して一旦艦隊復帰したが、1943年(昭和18年)に再度ドック入りし近代化改修を受けている。


戦艦メリーランドBattleship Maryland

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

コロラド級戦艦Colorado-class battleships2番艦Second ship

190m 33,218t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

しかし損傷は軽微であったため、横で転覆した戦艦オクラホマBattleship Oklahomaの救出活動を行い、多くの生存者を救出した。

1942年(昭和17年)6月一線に復帰。


戦艦ペンシルベニアBattleship Pennsylvania

アメリカ海軍US Navy戦艦Battleship

ペンシルベニア級戦艦Pennsylvania-class battleshipsネームシップName ship

185.3m 29,626t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

修理の際に戦艦オクラホマBattleship Oklahoma戦艦アリゾナBattleship Arizonaから取り外した主砲を搭載し、1942年(昭和17年)4月から8月まで訓練と巡察をした。


軽巡洋艦ローリーLight cruiser Raleigh

アメリカ海軍US Navy軽巡洋艦Light cruiser

オマハ級軽巡洋艦Omaha class Light cruiser1隻。

169.4m 7,163t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

艦の損傷は大きかったが戦死者は出なかった。

1942年(昭和17年)7月艦隊に復帰。


軽巡洋艦ヘレナLight cruiser Helena

アメリカ海軍US Navy軽巡洋艦Light cruiser

セントルイス級軽巡洋艦St. Louis class Light cruiser2番艦Second ship

185.5m 9,924t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

損害は大きかったが沈没には至らず。

1942年(昭和17年)9月艦隊に復帰。


軽巡洋艦ホノルルLight cruiser Honolulu

アメリカ海軍US Navy軽巡洋艦Light cruiser

ブルックリン級軽巡洋艦Brooklyn class Light cruiser1隻。

185.5m 9,924t

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

海軍工廠岸壁に停泊していたが、急降下爆撃機の投下した250kg爆弾が岸壁の突提に着弾し爆発。

その衝撃で鋼板接合部のリベットが弛緩し浸水、一時的に第2主砲塔への通電ができなくなった。


駆逐艦母艦ドビンDestroyer tender Dobbin

アメリカ海軍US Navy駆逐艦母艦Destroyer tender

147.47m 12,650t

駆逐艦母艦Destroyer tenderは、駆逐艦Destroyerなどの小型艦艇に対する消耗品などの補給や駆逐艦乗員の休息設備を提供するものである。

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

至近弾のうち一発が艦尾の真下で爆発。

断片と衝撃で無線室が破損し死傷者が生じた。


水上機母艦カーティスSeaplane tender Curtiss

アメリカ海軍のカーティス級水上機母艦Curtiss-class seaplane tender1番艦First ship

160.73m 8,810t

水上機母艦(すいじょうき・ぼかん)Seaplane tenderは、水上機Seaplaneを搭載し、カタパルトcatapultを使用して発進、あるいは水上に降ろして発進させ、着水した水上機Seaplaneを吊り上げて格納する機能を持つ軍艦Warship

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、損傷。

第二次攻撃隊の急降下爆撃機Dive bombing Bomberによる250kg爆弾が1発命中。

水上機格納庫Seaplane hangarが破壊された。

また、対空砲火で損傷した空母蒼龍(そうりゅう)Aircraft carrier Soryu艦上爆撃隊Carrier bomber corpsの丸山賢治三飛曹と桑原秀安二飛曹の搭乗機が体当たりを行い、クレーンとアンテナを破壊した。


B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress

B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress


B-17フライング・フォートレス

Boeing B-17 Flying Fortress

アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces

運用開始Introduction 1938年(昭和13年)

空冷Air-cooled四発Four-engine大型戦略爆撃機Heavy Strategic Bomber

最高速度Top speed 426 km/h

乗員Crew 10

操縦士Pilot

副操縦士co-pilot

航法士navigator

爆撃手bombardier機首銃手nose gunner

機関士flight engineer上部砲塔銃手top turret gunner

無線士radio operator

側面銃手waist gunners2

回転銃座銃手ball turret gunner

尾部銃手tail gunner

 B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortressは、アメリカ合衆国USAボーイング社Boeing Company開発Developmentした大型戦略爆撃機Heavy Strategic Bomber

愛称Nicknameの「フライング・フォートレスFlying Fortress」は、「飛行要塞空飛ぶ要塞」の意。

 第二次世界大戦World War II開戦opening of war後、アメリカ陸軍US Army主力爆撃機Main Bomberとして活躍し、主にイギリスBritish Empireを基地とした対ドイツNazi Germanyへの昼間爆撃Daytime Airstrikeに従事した。

護衛戦闘機Escort fighter航続距離Cruising rangeが充分でなかった1943年(昭和18年)頃まではドイツNazi Germany迎撃戦闘機Interceptor aircraftフォッケウルフ Fw190 Focke-Wulf Fw 190などにより多数の損害が出ていた。

おもに都市への夜間爆撃Night Airstrikeを担当したイギリス空軍Royal Air Forceアブロ・ランカスターAvro Lancaster爆撃機Bomber以上に、ドイツNazi Germanyの継戦能力を削ぐ立役者となった。


B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress


1941年(昭和16年)128日に日本海軍Imperial Japanese Navyによって行われた真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborにおいては、ヒッカム飛行場におかれていたB-17フライング・フォートレス機が日本軍Imperial Japanese Forcesの攻撃隊により地上撃破された。

1942年(昭和17年)219日には蘭印作戦Dutch East Indies campaignにおいて、一式戦闘機「隼」Type 1 Fighter Hayabusaは、B-17Eバタビア沖海戦Battle of Sunda Straitにて交戦した。

1942年(昭和17年)5月から194310月にかけて行われたアリューシャン方面の戦いAleutian Islands campaignでは、B-17フライング・フォートレスが、アリューシャン列島Aleutian Islandsアッツ島Attu Islandキスカ島Kiskaに上陸した日本軍Imperial Japanese Forcesや、それを援護する日本軍Imperial Japanese Forcesの艦船に対する空襲Airstrikeを数度に渡り行っている。

また、南東方面ではポートモレスビーPort Moresbyを主たる基地として出撃し、ラバウルRabaulブインBuin等の日本軍Imperial Japanese Forces根拠地に対する爆撃Airstrikeのほか、オーストラリアAustralia国内の基地を拠点に洋上哨戒にも活動した。

ガダルカナル島攻防戦Battle of Guadalcanalにおいて、零戦Zero fighterと交戦した。

航続距離Cruising rangeに優れるB-24リベレーターConsolidated B-24 Liberatorが揃ってくると、1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)にかけて、航続距離Cruising rangeに難のあB-17は姿を消した。

B-17B-29スーパーフォートレスBoeing B-29 SuperfortressB-24リベレーターによる日本本土空襲Air Raid of Japanese mainlandの支援を行った。


B-18ボロDouglas B-18 Bolo

アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corpsで運用された爆撃機Bomber

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、撃破・損傷。


A-20ハボックDouglas A-20 Havoc

アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forcesで運用された双発Twin-engine攻撃機Attack aircraft

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、撃破・損傷。


P-36ホークCurtiss-Wright P-36 Hawk

1930年(昭和5年)代後半にアメリカ陸軍航空隊US Army Air Corpsなどで運用されたレシプロ戦闘機Reciprocating engine fighter aircraft

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、撃破・損傷。


P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk

P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk

P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk


P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk

アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces

運用開始Introduction 1939年(昭和14年)

液冷戦闘機Liquid-cooled Fighter aircraft

最高速度Top speed 582.6km/h

P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawkは、アメリカ合衆国USAカーチス・ライト社Curtiss-Wright Corporation開発Developmentアメリカ陸軍航空軍US Army Air Forcesで運用された戦闘機Fighter aircraft

性能的には平凡な機体であったが実用性が高く常に量産体制が整っていたこともあり、連合国United Nationsが劣勢であった第二次世界大戦World War II初期に重要な使命を担い、各国軍で広く運用されドイツ軍German Armed Forces日本軍Imperial Japanese Forcesと戦った。

愛称Nicknameは三種類あるが、イギリス空軍Royal Air Forceで使用されたものの逆輸入である。

アメリカUSAでの愛称Nicknameは、AからCまでは「トマホークTomahawk(インディアンが用いた斧)」、DEは「キティホークKittyhawk(ライト兄弟が初飛行に成功した場所)」、F以降は「ウォーホークWarhawk(アメリカで「タカ派」を指すスラング)」であるが、イギリスBritish EmpireではF以降もキティホークKittyhawkと呼ばれた。

1940年(昭和15年)代の第二次世界大戦World War II真っ只中、北アフリカ戦線North African campaignビルマ戦線Burma Campaignではイギリス空軍Royal Air Forceが、東部戦線Eastern Frontではソ連空軍Soviet Air Forceが、太平洋戦線Pacific Ocean theaterではアメリカ陸軍航空隊US Army Air Forcesオーストラリア空軍Australian Air Forceが使用して縦横無尽の活躍を見せたP-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk


P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk


1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、撃破・損傷。

太平洋戦争Pacific War初期、軽快な日本軍機Imperial Japanese Military aircraftに圧倒された印象の強いカーチスP-40 Curtiss P-40だが、中低高度での飛行性能は必ずしも低いわけではなかった。

確かに第二次世界大戦World War II後半に登場し、枢軸軍Axis forces戦闘機Fighter aircraftを圧倒した最新鋭戦闘機Newest Fighter aircraftほどの性能は持たなかったものの、世代差を考えれば当たり前の話で、むしろそれら最新鋭戦闘機Newest Fighter aircraft登場前は、事実上主力戦闘機Main Fighter aircraftのひとつとして迎撃Interception制空戦闘Air superiority fighter battle戦闘爆撃機Fighter Bomberとして連合軍戦線Allied Frontを支えた。

そんな活躍ができた理由は、頑丈で急降下での離脱など荒っぽい戦闘飛行Battle flightによく耐え、防弾装備Bulletproofingを施せるだけのエンジンパワーEngine powerを持つので生残率が高く、大火力Large Armament爆弾Bombを搭載するなど幅広い任務に適応するだけの柔軟性を持っていたからである。

そして何より、『手に入るエンジンEngine武装Armamentを使ってすぐに大量生産mass productionが可能な完成度と量産性を持ち、整備もしやすい』ことが、性能面で尖ったところは無くてもカーチスP-40 Curtiss P-40が広く大量に使われた理由でもあった。

アメリカUSAで大量に生産されたカーチスP-40 Curtiss P-40は世界各国で戦闘機Fighter aircraft不足に悩む戦闘機Fighter aircraft隊に配備され、日本Imperial JapanドイツNazi GermanyイタリアItalyを中心とした枢軸国Axis powers航空攻撃Air attackに対して勇敢に立ち向かい、決してひけをとらなかったのである。


F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat

F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat

F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat


F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat

アメリカ海軍US Navy

運用開始Introduction 1940年(昭和15年)12

艦上戦闘機Carrier-based Fighter

最高速度 512km/h

F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcatは、アメリカ合衆国USAグラマン社Grumman Aerospace Corporation開発Developmentし、第二次世界大戦World War II中に使用された艦上戦闘機Carrier-based Fighterである。

愛称の「ワイルドキャットWildcat」は山猫・野良猫の意味であるが、スラングでは意地悪女という意味も持つ。

グラマン社GrummanではF4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat以降、艦上戦闘機Carrier-based Fighterに『○○キャット』という愛称Nicknameを採用している。

グラマン社Grummanだけではなくゼネラルモーターズ社General Motors Companyでも「FMワイルドキャットFM Wildcat」として製造された。

生産機数自体はゼネラルモーターズ社General Motors製の機体の方が多い。

また、英海軍Royal Navy航空隊Air unitでも「マートレットMartlet(イワツバメの意)」として運用された。

操縦経験のあるエリック・ブラウンEric Brownは、第二次世界大戦World War II初期に使用された戦闘機Fighter aircraftとしては最優秀の一つと評価している。


山猫Wildcat


アメリカ海軍US Navy1936年(昭和11年)の新型New model艦上戦闘機Carrier-based Fighter開発Developmentを、ブルースター社Brewsterセバスキー社Severskyとともにグラマン社Grummanにも競争試作Prototypeを指示した。

本機の最初の設計案は複葉機BiplaneXF4F-1)であったが、それでは他の案に劣っていたことから単葉機MonoplaneXF4F-2)として再設計され選定試験に応じた。

結果採用されたのはブルースター社Brewsterの提案したF2AバッファローBrewster F2A Buffaloであり、F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcatは落選した。

しかしアメリカ海軍US NavyF4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcatにも興味を持ち、開発Developmentを続行させた。

第二次世界大戦World War II開戦opening of warアメリカ海軍US Navy主力艦上戦闘機Main Carrier-based Fighterとして日本海軍Imperial Japanese Navy零戦Zero fighterと戦った。

防御力よりも運動性能を重視した零戦Zero fighterとは対照的に、「グラマン鉄工所Grumman Ironworks」と呼ばれる強固な構造と生産性を重視したグラマン社Grummanの設計思想を体現した機体であり、後継機SuccessorF6FヘルキャットGrumman F6F Hellcatが配備される第二次世界大戦World War II中盤まで主力艦上戦闘機Main Carrier-based Fighterとして使用された。

太平洋戦争Pacific War初期において、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaミッドウェー海戦Battle of Midwayなどに参加した。

1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborで、日本軍機動部隊Imperial Japanese Mobile Unit/Force発見のために空母エンタープライズAircraft carrier Enterpriseより発艦したF4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcatが燃料補給のためにフォード基地に着陸しようとしたところ、日本軍機Imperial Japanese Military aircraftと誤認した兵士らから集中砲撃を浴びて4機が撃墜され3名のパイロットが戦死している。
































































































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