戦艦ロドニーBattleship Rodney
戦艦ロドニーBattleship Rodney
戦艦ロドニーBattleship Rodney
戦艦ロドニーBattleship Rodney
戦艦ロドニーBattleship Rodney
戦艦ロドニーBattleship Rodney
イギリス海軍Royal Navy
ネルソン級戦艦Nelson-class battleships 2番艦Second
ship
就役In service 1927年(昭和2年)11月10日
全長Length 216.5m
排水量Displacement 36,000metric tons
最大速力Top speed 23.8knots(44.1km/h)
乗員数Complement 1,640
搭載機数Aircraft carried 1 (カタパルト1基 1 catapults)
スーパーマリン・ウォーラスSupermarine Walrus
水陸両用偵察機amphibious reconnaissance aircraft
スーパーマリン・ウォーラスSupermarine Walrus
水陸両用偵察機amphibious reconnaissance aircraft
戦艦ロドニーBattleship Rodneyは、イギリス海軍Royal Navyの戦艦Battleship。
ネルソン級戦艦Nelson-class battleshipsの2番艦Second ship。
艦名ship nameはジョージ・ブリッジス・ロドニーGeorge Brydges
Rodney提督Admiralに因む。
ネルソン級戦艦Nelson-class battleships
1番艦Lead ship戦艦ネルソンBattleship Nelson
2番艦Second ship戦艦ロドニーBattleship Rodney
ネルソン級戦艦Nelson-class battleshipsは1922年(大正11年)のワシントン海軍軍縮条約Washington Naval
Treaty下で建造Constructionされた。
軍縮条約の既定により、排水量Displacementは35,000トンまで制限されていた。
また主砲main gunsの最大口径Maximum diameterも16インチ(40㎝)に制限された。
3基threeの3連装Triple 16インチ砲塔turretsは全て艦前方に配置されplaced forward、副砲Secondary gunは艦後部に配置されている。
魚雷発射管Torpedo tubeは艦首Bowにある。
ヴァイタル・パートは集中化したmaximum armour was limited to vital areasものの、その代償に低速力に悩まされるvessel's speed was reducedこととなった。
このようなデザインは非常に斬新的で、列強各国Great power
countriesの注目を集めた。
1936年(昭和11年)以降に新世代new generationの戦艦Battleshipが就役Commissionedするまでの海軍休日Naval Holidayにおいて、40㎝砲を搭載したネルソン級2隻(ネルソンBattleship Nelson、ロドニーBattleship Rodney)、長門型2隻(長門Battleship Nagato、陸奥Battleship Mutsu)、コロラド級3隻(コロラドBattleship Colorado、メリーランドBattleship Maryland、ウェストバージニアBattleship West Virginia)、合計7隻の超弩級戦艦Super Dreadnoughtsは世界七大戦艦Big Seven
Battleshipと謳われた。
その中でも、最新latestの戦艦ネルソンBattleship Nelson、戦艦ロドニーBattleship Rodneyは最強戦艦the most powerful battleshipsと見做されていた。
就役後After commissioningは第二次世界大戦World War IIが勃発する1939年(昭和14年)9月まで本国艦隊British Home Fleet及び太平洋艦隊British Pacific
Fleetで活動する。
1931年(昭和6年)には乗員Crewが戦艦ネルソンBattleship Nelsonの乗員Crewと共にインバーゴードン反乱Invergordon Mutiny(大英帝国大西洋艦隊の水兵たちのストライキ)に参加した。
1940年(昭和15年)9月13日、ドイツ軍Nazi Germany's Armed Forcesによるイギリス侵攻Operation Sea Lionに備えて戦艦ロドニーBattleship Rodneyはスカパ・フローScapa Flow(スコットランド)からロスサイスRosyth(スコットランド)に移動した。
1941年(昭和16年)1月には戦艦シャルンホルストBattleship Scharnhorstおよび戦艦グナイゼナウBattleship
Gneisenauの追撃戦hunt for and pursuitに参加するが、戦果は上げられなかった。
北大西洋North Atlanticで船団Convoy護衛escort中の3月16日にロドニーBattleship Rodneyはベルリン作戦Operation Berlin中のシャルンホルスト級戦艦Scharnhorst-class battleship 2隻と遭遇するが、ドイツ艦Nazi German Battleshipは方向を変えて離脱したため戦闘は起こらなかった。
1941年(昭和16年)5月24日、ロドニーBattleship Rodneyはドイツ戦艦Nazi German
BattleshipビスマルクBattleship Bismarck追撃戦hunt for and pursuitへの参加を命じられる。
戦艦ビスマルクBattleship Bismarckは前日のデンマーク海峡海戦Battle of the
Denmark Straitで巡洋戦艦フッドBattlecruiser Hoodを撃沈して、戦艦プリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince of Walesを撃破して撤退に追い込んでいた。
5月26日、戦艦ロドニーBattleship Rodneyは戦艦キング・ジョージ5世Battleship
King George Vと合流する。
5月27日の朝、戦艦ロドニーBattleship Rodney、戦艦キング・ジョージ5世Battleship
King George V、重巡洋艦ノーフォークHeavy cruiser
Norfolk、重巡洋艦ドーセットシャーHeavy cruiser
Dorsetshireは戦艦ビスマルクBattleship Bismarckと遭遇する。
戦艦ビスマルクBattleship Bismarckは英国艦隊British Fleetとの砲戦序盤において戦艦ロドニーBattleship Rodneyの砲撃Bombardmentにより前部2基の主砲が1弾によって沈黙、さらに重巡洋艦ノーフォークHeavy cruiser Norfolkが放った1弾によって前部射撃指揮所を直撃されて射撃指揮ができなくなった。
英国艦隊British Fleetは戦艦ビスマルクBattleship Bismarckの装備を次々と吹き飛ばし続けた。
火達磨の戦艦ビスマルクBattleship Bismarckに直撃弾は続き、1番砲塔が完全に破壊されてその破片が2番砲塔を破壊、戦艦ロドニーBattleship Rodneyの16インチ砲弾が2番砲塔(ブルーノ)に再度命中し、砲塔後部を吹き飛ばした。
復讐の念にかられた英国艦隊British Fleetはこの後も砲撃Bombardmentを続行し、最後は重巡洋艦ドーセットシャーHeavy cruiser
Dorsetshireによる魚雷攻撃によって戦艦ビスマルクBattleship Bismarckを撃沈した。
その後、戦艦ロドニーBattleship Rodneyは燃料切れにより戦場を離脱した。
1942年(昭和17年)11月、戦艦ロドニーBattleship Rodneyは、トーチ作戦Operation Torchに参加した。
続いてシチリア島上陸作戦Allied invasion of
Sicily(ハスキー作戦Operation Husky)、サレルノSalerno上陸の支援を行う。
1944年(昭和19年)6月にはノルマンディ上陸作戦Normandy landingsに参加、カーンCaenとオルダニー島Alderneyへの攻撃を行った。
9月にはムルマンスクMurmanskへの船団Convoy護衛escort任務に従事した。
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George V
キング・ジョージ5世Battleship King George V
イギリス海軍Royal Navy
キング・ジョージ5世級戦艦King George V class
battleships 1番艦lead
ship
就役In service 1940年(昭和15年)12月11日
全長Length 227.2m
排水量Displacement 36,772metric tons
最大速力Top speed 28.0knots(51.9km/h)
乗員数Complement 1,314~1,631
キング・ジョージ5世級戦艦King George V class
battleships
1番艦Lead shipキング・ジョージ5世Battleship
King George V
2番艦Second shipプリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince
of Wales
3番艦Third shipデューク・オブ・ヨークBattleship Duke of
York
4番艦Fourth shipアンソンBattleship Anson
5番艦Fifth shipハウBattleship Howe
キング・ジョージ5世Battleship King George V(~ザ・フィフス) は、イギリス海軍Royal Navyの戦艦Battleship。
キング・ジョージ5世級戦艦King George V class
battleshipsのネームシップName ship。
ニューカッスル・アポン・タインNewcastle upon Tyneに所在したヴィッカース・アームストロングVickers-Armstrongs
Limitedのウォーカー造船所Walker Naval Yardで建造Constructionされた。
イギリス海軍Royal Navyでは、国王Kingが新たに即位Enthronementした直後に完成した戦艦Battleshipに新国王New kingの名を冠するTo bear the name慣例があった。
戦艦キング・ジョージ5世Battleship King George Vの計画時にジョージ6世George
VIが即位Enthronementしたので、慣例によれば戦艦キング・ジョージVI世Battleship
King George VIと命名されるはずであったが、新国王New kingの希望により父王Fatherの名前が冠された。
このため本艦は戦艦キング・ジョージ5世Battleship
King George Vの2代目である。
慣例通りに命名された先代戦艦Predecessor
battleshipキング・ジョージ5世Battleship King George Vは、1912年(明治45年)完成の超弩級戦艦Super Dreadnoughts(23,000t、34.3cm砲10門)。
2本煙突two funnel。
主砲塔Main gun turretは前部に2基(4連装quadruple turret+連装twin turret)、後部に1基(4連装quadruple
turret)備えた特徴的な配置であり、本級以外に他に例は無い。
元来は4連装砲塔quadruple turret 3基を搭載予定であったが、防御力に問題があったために、装甲防御を増やした分の重量を減らすため、1基を連装twin turretで妥協した結果である。
結果として防御力に非常に重点をおいた艦となった。
1940年(昭和15年)12月11日就役Commissioned。
イギリス本国艦隊British Home Fleetの旗艦flagshipとなった。
1941年(昭和16年)、キング・ジョージ5世Battleship King George Vはジョン・トーヴィーJohn Tovey本国艦隊British
Home Fleet司令長官Commander-in-Chiefが坐乗going on boardしてビスマルクBattleship Bismarck追撃戦hunt for and
pursuit(デンマーク海峡海戦Battle of the
Denmark Strait)に参加、ブレストBrest沖で雷撃機Torpedo bomberフェアリー・ソードフィッシュFairey Swordfishの雷撃Torpedo attackにより行動不能となっていたドイツ海軍Nazi Germany's Navyの戦艦ビスマルクBattleship BismarckをロドニーBattleship Rodneyと協力して砲撃Bombardmentした。
両艦の砲撃Bombardmentにより戦闘力の無くなったビスマルクBattleship Bismarckはその後巡洋艦Cruiser、駆逐艦Destroyerから多数の魚雷Torpedoを受けて沈没sinkingした。
1942年(昭和17年)5月1日、ムルマンスクMurmanskへ向かうPQ15船団Convoy PQ 15の護衛escort中に駆逐艦パンジャビDestroyer Punjabiと追突collision with、駆逐艦パンジャビDestroyer Punjabiは大破沈没sankしキング・ジョージ5世Battleship King George Vも損傷した。
1943年(昭和18年)、シチリア島上陸作戦Allied invasion of Sicily(ハスキー作戦Operation Husky)に参加する。
1944年(昭和19年)、イギリス太平洋艦隊British Pacific Fleetに配属され、日本の降伏Surrender of Japan(1945年(昭和20年))まで太平洋Pacific Oceanで活躍した。
1945年(昭和20年)7月18日、日立Hitachiの日立製作所Hitachi Works Corporationの工場Factoryに対し艦砲射撃Naval gunfire supportを行った。
7月29日~30日、浜松Hamamatsuの日本楽器Japanese musical
instrument(ヤマハYamaha Corporation)の工場Factoryを砲撃Bombardmentした。
大戦終了後は数年の運用の後退役、除籍されスクラップにされた。
戦艦プリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince of Wales
キング・ジョージ5世級戦艦King George V class
battleshipsの2番艦Second ship。
1941年(昭和16年)12月10日のマレー沖海戦Naval Battle of Malayaで、日本海軍Imperial Japanese
Navy陸上攻撃機Land-based Attack Aircraftの襲撃を受けて沈没した。
巡洋戦艦フッドBattlecruiser Hood
高速戦艦ヴァンガードFast battleship Vanguard
巡洋戦艦フッドBattlecruiser Hoodの沈没sinking
デンマーク海峡海戦Battle of the Denmark Strait
フェアリー・ソードフィッシュFairey Swordfish
三座Three-Seat複葉Biplaneの雷撃機Torpedo bomber
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
戦艦ビスマルクBattleship Bismarckの沈没sinking
デンマーク海峡海戦Battle of the Denmark Strait
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
ドイツ海軍Nazi Germany's Navy
ビスマルク級戦艦Bismarck-class battleships 1番艦lead ship
就役In service 1940年(昭和15年)8月24日
全長Length 250.5m
排水量Displacement 41,700metric tons
最大速力Top speed 30.01knots(55.58km/h)
乗員数Complement 103 士官officers 1,962 下士官兵enlisted men
搭載機数Aircraft carried 4 (カタパルト1基 1 catapults)
アラドAr196水上偵察機Arado Ar 196 Reconnaissance
floatplane
アラドAr196水上偵察機Arado Ar 196
Reconnaissance floatplane
戦艦ビスマルクBattleship Bismarckの搭載機Onboard Aircraft
ビスマルク級戦艦Bismarck-class battleships
1番艦lead ship戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
2番艦Second ship戦艦ティルピッツBattleship Tirpitz
戦艦ビスマルクBattleship Bismarckは、第二次世界大戦World War II中のドイツ海軍Nazi Germany's Navyの戦艦Battleshipで、ビスマルク級戦艦Bismarck-class battleshipsのネームシップName shipである。
艦名ship nameは、ドイツ統一Unification of
Germanyの立役者で、鉄血Blood and Iron宰相Chancellorの異名nicknameを持つオットー・フォン・ビスマルクOtto von Bismarckにちなんで付けられた。
デンマーク海峡海戦Battle of the Denmark Strait
ライン演習作戦Operation Exercise Rhine
イギリスの補給線を断つライン演習作戦
1941年(昭和16年)5月18日~
戦艦ビスマルクBattleship Bismarck
重巡洋艦プリンツ・オイゲンHeavy cruiser Prinz Eugen
巡洋戦艦フッドBattlecruiser Hood
戦艦プリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince of Wales
航空母艦ヴィクトリアスAircraft carrier Victorious
デンマーク海峡海戦Battle of the Denmark Strait
1941年(昭和16年)5月24日
巡洋戦艦フッドBattlecruiser Hoodは撃沈Sink
戦艦キング・ジョージ5世Battleship
King George Vはジョン・トーヴィーJohn Tovey本国艦隊British
Home Fleet司令長官Commander-in-Chiefが坐乗してビスマルクBattleship Bismarck追撃戦hunt
for and pursuit(デンマーク海峡海戦Battle of the
Denmark Strait)に参加、ブレストBrest沖で雷撃機Torpedo bomberフェアリー・ソードフィッシュFairey Swordfishの雷撃Torpedo attackにより行動不能となっていたドイツ海軍Nazi Germany's Navyの戦艦ビスマルクBattleship Bismarckを戦艦ロドニーBattleship Rodneyと協力して砲撃Bombardmentした。
両艦の砲撃により戦闘力の無くなった戦艦ビスマルクBattleship Bismarckはその後巡洋艦Cruiser、駆逐艦Destroyerから多数の魚雷Torpedoを受けて沈没sinkingした。
重巡洋艦プリンツ・オイゲンHeavy cruiser Prinz Eugen
航空母艦ヴィクトリアスAircraft carrier Victorious