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2020年12月31日木曜日

 


南方作戦Southern campaign

1941年(昭和16年)128日に日本陸軍Imperial Japanese ArmyタイThailand国境近くの英領マレー半島British MalayaコタバルKota Bharuと、中立国Neutral countryだったタイThailand南部のパタニPattani KingdomソンクラSongkhlaへの陸軍部隊Army troops上陸landingマレー作戦Malayan campaign)と、同128日行われた日本海軍Imperial Japanese NavyによるハワイHawaii真珠湾Pearl Harborアメリカ海軍太平洋艦隊United States Pacific Fleetに対する真珠湾攻撃Attack on Pearl HarborフィリピンPhilippinesへの攻撃開始(フィリピンの戦いBattle of the Philippines19411942年)、イギリス領British territoryである香港Hong Kongへの攻撃開始(香港の戦いBattle of Hong Kong)、1941年(昭和16年)1210日のイギリス海軍Royal Navy東洋艦隊Eastern Fleetに対するマレー沖海戦Naval Battle of Malayaなどの連合国軍Allied forcesに対する戦いBattleで、日本軍Imperial Japanese Forces大勝利overwhelming victoryを収めた。


九五式軽戦車Type 95 light tank 日本陸軍Imperial Japanese Army

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。


マレー作戦Malayan campaign

マレー作戦馬来作戦Malayan campaignは、1941年(昭和16年)128日に太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)で日本軍Imperial Japanese Forcesが実施した南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaign内のイギリス領マレーBritish Malaya方面の作戦。

南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaign陸海軍中央協定で定められた作戦名称はE作戦

マレー作戦Malayan campaign太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)において全ての他の作戦operationsに先行して攻撃Attackを開始した。

シンガポール島攻略Battle of Singapore最終目標final goalsにしており、1942年(昭和17年)215日にそれを達成した。


九七式中戦車チハ Type 97 Chi Ha medium tank 陸軍Army

九七式中戦車チハ Type 97 Chi Ha medium tank 陸軍Army

1942年(昭和17年)28日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加。


1941年(昭和16年)6月よりマレー半島Malay Peninsula攻略に向けた訓練を行っていた日本軍Imperial Japanese Forcesによる、太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)における最初の攻撃Attackとなった。

日本時間1941年(昭和16年)128日午前130分、25Twenty-Fifth Armyイギリス領マレーBritish Malayaの北端(コタバルKota Bharu)に奇襲上陸Surprise landingした。


重巡洋艦鳥海(ちょうかい)Heavy cruiser Chokai

高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisers4番艦Fourth ship

1942年(昭和17年)28日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加。


イギリス海軍Royal Navy戦艦プリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince of Wales巡洋戦艦レパルスBattlecruiser Repulse上陸部隊Landing unitを撃滅すべくシンガポールSingaporeを出撃したが、マレー沖海戦Naval Battle of Malaya日本軍Imperial Japanese Forces航空攻撃Air strikeにより両戦艦Both battleships撃沈attack and sink

25Twenty-Fifth Armyマレー半島Malay Peninsula西側をシンガポールSingaporeを目指して快進撃powerful attackを続け、1942年(昭和17年)131日にマレー半島Malay Peninsula最南端Southernmostジョホール・バルJohor Bahru突入storm intoした。


百式司令部偵察機Type 100 Command Reconnaissance Aircraft 陸軍Army

百式司令部偵察機Type 100 Command Reconnaissance Aircraft 陸軍Army

百式司令部偵察機Type 100 Command Reconnaissance Aircraft 陸軍Army

1942年(昭和17年)28日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加。


シンガポールの戦いBattle of Singapore

25Twenty-Fifth Army1942年(昭和17年)28日にジョホール海峡Straits of Johor渡河Crossingシンガポール島Singapore Island上陸Landingした。

211日にはブキッ・ティマBukit Timah高地に突入するが、イギリス軍British Armed Forces砲火gunfireを受け動けなくなった。

215日、攻撃中止cease-fireもやむなしと考えられていたとき、イギリス軍British Armed Forces降伏Surrenderの使者が到着した。

水源が破壊され給水が停止したことが抗戦resistanceを断念した理由であった。

イギリス軍British Armed Forces10万人が捕虜prisonerとなった。


一式戦闘機 I Type 1 Fighter Hayabusa Model 1

一式戦闘機 I Type 1 Fighter Hayabusa Model 1

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。


ホーカー・ハリケーンHawker Hurricane イギリス空軍Royal Air Force

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。


F2AバッファローBrewster F2A Buffalo アメリカ海軍US Navy

F2AバッファローBrewster F2A Buffalo アメリカ海軍US Navy

F2AバッファローBrewster F2A Buffalo アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。


ロッキード・ハドソンLockheed Hudson 米陸軍航空軍US Army Air Forces

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。


エンプレス・オブ・エイジアEmpress of Asia

イギリスBritish Empire軍隊輸送船Troopship

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeで、日本陸軍機Imperial Japanese Armyによる攻撃を受けて撃沈attack and sinkされる。


ブリストル・ブレニムBristol Blenheim イギリス空軍Royal Air Force

1942年(昭和17年)28日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。



香港の戦いBattle of Hong Kong

1941年(昭和16年)129日、23Twenty-Third Armyによるイギリス領香港British Hong Kongへの攻撃Attackが開始された。

準備不足のイギリス軍British Armed Forcesは城門貯水池の防衛線を簡単に突破され、1211日には九龍半島Kowloon Peninsulaから撤退Withdrawalした。

23Twenty-Third Army香港島Hong Kong Islandへの上陸作戦Landing operation1218日夜から1219日未明にかけて行われた。

香港島Hong Kong Island内では激戦Fierce battleとなったが、イギリス軍British Armed Forcesは給水を断たれ1225日に降伏Surrenderした。


九八式軽爆撃機Type 98 Light Bomber 日本陸軍Imperial Japanese Army

1941年(昭和16年)129日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。


九七式戦闘機Type 97 Fighter 日本陸軍Imperial Japanese Army

九七式戦闘機Type 97 Fighter 日本陸軍Imperial Japanese Army

1941年(昭和16年)129日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。


九七式司令部偵察機Type 97 Command Reconnaissance aircraft 陸軍Army

1941年(昭和16年)129日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。


軽巡洋艦五十鈴(いすず)Light cruiser Isuzu

長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers

1941年(昭和16年)129日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。


ヴィッカース・ヴィルデビーストVickers Vildebeest イギリス海軍Royal Navy

1941年(昭和16年)129日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。


スーパーマリン・ウォーラスSupermarine Walrus イギリス海軍Royal Navy

1941年(昭和16年)129日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。



フィリピンの戦いBattle of the Philippines

フィリピンの戦いBattle of the Philippines1941年~1942年)

1941年(昭和16年)128日の太平洋戦争Pacific War勃発とともに日本軍Imperial Japanese ForcesフィリピンPhilippines連合国軍Allied forces戦闘Battleを開始、1942年(昭和17年)69日までに孤立した部隊を除き連合国軍Allied forcesの全部隊が降伏Surrenderして戦闘Battleは終了した。


重巡洋艦摩耶(まや)Heavy cruiser Maya

高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisers3番艦Third ship


1941年(昭和16年)128日午後、日本軍Imperial Japanese Forcesアメリカ領フィリピンUS Philippinesクラーク空軍基地Clark Air Base空襲Airstrikeした。

14Fourteenth Area Army主力は1941年(昭和16年)1222日にルソン島Luzon上陸Landingし、1942年(昭和17年)12日には首都マニラManila占領occupationした。

しかし、アメリカ極東陸軍U.S. Army Forces Far Eastダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur司令官Commanderバターン半島Bataan Peninsulaに立てこもる作戦operationを取り粘り強く抵抗した。

45日間でフィリピンPhilippines主要部を占領occupationするという日本軍Imperial Japanese Forcesの予定は大幅に狂わされ、コレヒドール島Corregidor攻略captureまでに150日もかかるという結果になった。


軽巡洋艦長良(ながら)Light cruiser Nagara

長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers1番艦Lead ship


1220日、ダバオDavao攻略部隊は大きな抵抗を受けることなく上陸Landingに成功し、ダバオDavao市を占領occupationした。

1942年(昭和17年)12日、マニラManila占領occupation

その後、バターンBataanコレヒドールCorregidor攻略capture

1942年(昭和17年)5月下旬、ビザヤVisayasミンダナオ島Mindanao方面の米軍US Armed Forces武装解除Disarmamentし、日本Imperial Japanへの組織的抵抗は終了した。

また、この頃の日本軍Imperial Japanese ForcesアメリカUnited States植民地ColonyであったフィリピンPhilippinesまで制圧gain controlしたことで、太平洋Pacific Ocean方面の連合国軍総司令官Allied Commander-Generalであったダグラス・マッカーサーDouglas MacArthurは多くのアメリカ兵American soldierフィリピンPhilippinesに残したままオーストラリアAustraliaに逃亡した。



ダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur

私はアメリカ大統領President Rooseveltから、日本Imperial Japanの戦線を突破してコレヒドールCorregidorからオーストラリアAustraliaに行けと命じられた。

その目的は、私の了解するところでは、日本Imperial Japanに対するアメリカUSAの攻勢を準備することで、その最大の目的はフィリピンPhilippinesの救援にある。

私はやってきたが、必ずや私は戻るだろう。

I came through and I shall return.


九六式四号艦上戦闘機Type 96 Carrier-based Fighter Model 4 海軍Navy

九六式四号艦上戦闘機Type 96 Carrier-based Fighter Model 4 海軍Navy


零戦二一型Zero fighter Model 21 日本海軍Imperial Japanese Navy

零戦二一型Zero fighter Model 21 日本海軍Imperial Japanese Navy


九八式陸上偵察機Type 98 Reconnaissance Aircraft 海軍Navy


九六式陸上攻撃機Type 96 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy

九六式陸上攻撃機Type 96 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy


一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy

一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy


二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese Navy

二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese Navy

二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese Navy

二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese Navy


B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress

B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress

アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces


P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk 米陸軍航空軍US Army Air Forces

P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk 米陸軍航空軍US Army Air Forces


セバスキーP-35 Seversky P-35 アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps


P-26ピーシューターBoeing P-26 Peashooter

アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps


B-18ボロDouglas B-18 Bolo アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps


A-20ハボックDouglas A-20 Havoc アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps


マーティンB-10 Martin B-10 アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces



グアムの戦いBattle of Guam

アメリカ領グアム島US Guamへは1941年(昭和16年)1210日未明に南海支隊55師団55th Division)と海軍陸戦隊Navy Land Forcesとが上陸landingした。

アメリカUSA日本Imperial Japan勢力圏Sphere of influenceに取り囲まれたグアム島Guam防衛defenseを当初から半ばあきらめていた。

守備隊Garrisonは同日中に降伏Surrenderした。


敷設艦津軽(つがる)Minelayer Tsugaru


駆逐艦夕月(ゆうづき)Destroyer Yuzuki

睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers


ウェーク島の戦いBattle of Wake Island

アメリカ領ウェーク島US Wake Island中部太平洋Central Pacificにおけるアメリカ軍US Armed Forces重要拠点Important baseのひとつであった。

1941年(昭和16年)1211日、日本軍Imperial Japanese Forces攻略部隊invasion forcesウェーク島Wake Island砲撃Bombardmentを開始したが、反撃Counterattackにより逆に駆逐艦疾風Destroyer Hayate駆逐艦如月Destroyer Kisaragi撃沈attack and sinkされ、上陸作戦Landing operationは中止となった。

1941年(昭和16年)1221日、ハワイHawaiiから帰投中の機動部隊Mobile Unit/Forceの一部を加えて攻撃attackが再開され、アメリカ海兵隊United States Marine Corpsは激しく抵抗したものの1223日に降伏Surrenderした。


F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat アメリカ海軍US Navy

F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat アメリカ海軍US Navy


駆逐艦疾風(はやて)Destroyer Hayate

神風型駆逐艦Kamikaze-class destroyers


駆逐艦如月(きさらぎ)Destroyer Kisaragi

睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers


空母蒼龍(そうりゅう)Aircraft carrier Soryu


空母飛龍(ひりゅう)Aircraft carrier Hiryu



蘭印作戦Dutch East Indies campaign

開戦後、戦況が予想以上に有利に進展したため、南方軍Southern Expeditionary Armyジャワ作戦Java campaignの開始日程を1ヶ月繰り上げた。

1942年(昭和17年)111日、16Sixteenth Army坂口支隊56th DivisionボルネオBorneo上陸landing、同日、日本海軍Imperial Japanese Navy空挺部隊airborne troopsセレベス島CelebesメナドManadoに降下し蘭印(オランダ領東インド)作戦Dutch East Indies campaignが開始された。

16Sixteenth Army1942年(昭和17年)125日にバリクパパンBalikpapan131日にアンボンAmbon214日にパレンバンPalembangと順次攻略captureしていった。

連合軍Allied forces艦隊Fleetスラバヤ沖海戦Battle of the Java Seaバタビア沖海戦Battle of Sunda Strait潰滅devastationさせられ、16Sixteenth Army1942年(昭和17年)31日に最終目標final goalジャワ島Java上陸landingした。

ジャワ島Java連合軍Allied forces1942年(昭和17年)39日に降伏Surrenderし、予想外の早さで蘭印作戦Dutch East Indies campaignは終了した。



バリクパパン沖海戦Battle of Balikpapan

1942年(昭和17年)124日未明にボルネオ島Borneo南部バリクパパンBalikpapanで発生。


重巡洋艦足柄(あしがら)Heavy cruiser Ashigara

妙高型重巡洋艦Myoko-class Heavy cruiser


駆逐艦山風(やまかぜ)Destroyer Yamakaze

白露型駆逐艦Shiratsuyu-class destroyer


パレンバン空挺作戦Palembang Airborne operation

1942年(昭和17年)214


パレンバン空挺作戦Palembang Airborne operation


百式輸送機Type 100 Transport aircraft 日本陸軍Imperial Japanese Army


ロ式輸送機 ロッキードL14スーパーエレクトラLockheed L14 Super Electra

日本陸軍Imperial Japanese Army


九七式重爆撃機 The Type 97 Heavy Bomber 陸軍Army


バリ島沖海戦Battle of Badung Strait

1942年(昭和17年)219日~20


駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashio

朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers1番艦Lead ship


駆逐艦大潮(おおしお)Destroyer Oshio

朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers2番艦Second ship


駆逐艦満潮(みちしお)Destroyer Michishio

朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers 3番艦Third ship


駆逐艦荒潮(あらしお)Destroyer Arashio

朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers 4番艦Fourth ship


バタビア沖海戦Battle of Sunda Strait

1942年(昭和17年)228日~31


軽巡洋艦名取(なとり)Light cruiser Natori

長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers3番艦Third ship


軽巡洋艦由良(ゆら)Light cruiser Yura

長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers4番艦Fourth ship


重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami

重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami

重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami

重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami

最上型重巡洋艦Mogami-class heavy cruisers 1番艦lead ship

誤射Friendly fireにより揚陸艦神州丸(しんしゅうまる)以下複数の友軍船Friendly warship撃沈attack and sinkしてしまった。


揚陸艦神州丸(しんしゅうまる)Landing ship Shinshu Maru

重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami誤射Friendly fireにより沈没sunk


重巡洋艦ヒューストンHeavy cruiser Houston アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)228日~31日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Strait沈没sunk


軽巡洋艦パースLight cruiser Perth オーストラリア海軍Royal Australian Navy

1942年(昭和17年)228日~31日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Strait沈没sunk


駆逐艦エヴェルトセンDestroyer Evertsen

オランダ海軍Royal Netherlands Navy

1942年(昭和17年)228日~31日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Strait日本海軍Imperial Japanese Navy駆逐艦Destroyerの攻撃を受け、セグク島に座礁した。



ビルマの戦いBurma campaign

15Fifteenth Army1941年(昭和16年)128日以降タイThailand国内に順次進駐advanceし、タイThailandビルマBurma国境Borderに集結した。

1942年(昭和17年)118日、15Fifteenth Army33師団33rd Division55師団55th Divisionをもって国境Borderを越えイギリス領ビルマBritish Burma進攻advanceし、38日にラングーンRangoonへ入城した。

さらに18師団18th Division56師団56th Divisionの増援を加えて1942年(昭和17年)4月上旬から北部ビルマNorthern Burmaへの進撃attackを開始、イギリス軍British Armed forces中国軍Chinese Armed forcesを退却させて1942年(昭和17年)5月下旬までにビルマBurma全土whole country制圧overwhelmした。


九九式双発軽爆撃機Type 99 Twin-engined Light Bomber 陸軍Army


二式戦闘機鍾馗 Type 2 Fighter Shoki (Demon) 陸軍Army

二式戦闘機鍾馗 Type 2 Fighter Shoki (Demon) 陸軍Army


九九式軍偵察機Type 99 Army Reconnaissance Plane 陸軍Army

九九式軍偵察機Type 99 Army Reconnaissance Plane 陸軍Army



ラバウルの戦い1942 Battle of Rabaul 1942

南海支隊55師団55th Division)は次いで1942年(昭和17年)123日にオーストラリア委任統治領Australian mandatory territoryニューブリテン島New BritainラバウルRabaul上陸landingした。

ラバウルRabaulは、トラック島Truk Island日本海軍Imperial Japanese Navy基地base防衛defenseし、アメリカUSAオーストラリアAustraliaとの連絡contact妨害Interfereする上での重要拠点Important baseであった。

守備隊Garrisonオーストラリア軍Australian Armed forces26日までに降伏Surrenderした。


九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 海軍Navy

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 海軍Navy


太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)中、1942年(昭和17年)の1月から2月にかけてオーストラリア委任統治領ニューギニアAustralian Territory of New Guinea(現パプアニューギニアPapua New Guineaビスマルク諸島Bismarck Archipelagoニューブリテン島island of New Britainで行われた戦いBattle

日本Imperial Japanでは「R作戦Operation R」の一環として知られており、隣のニューアイルランド島New Ireland islandでの戦いBattleもこの戦闘の一部とされる。

ラバウルの港the port of Rabaul占領occupationした後、日本軍Imperial Japanese Forcesはこのportを大規模な基地baseとし、また航空基地Air baseを整備した。

日本軍Imperial Japanese ForcesラバウルRabaul拠点Baseニューギニア本島New Guinea進出Advanceし、更にはポートモレスビーPort Moresbyオーストラリア大陸The continent of Australiaを目指した。


九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 海軍Navy

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 海軍Navy


ラバウル空襲Air attacks on Rabaul

1942年(昭和17年)14日、トラック島Truk Island基地baseとする第四艦隊所属の第二十四航空戦隊の九六式陸上攻撃機16機が、夜間には九七式飛行艇9機が初めてラバウルRabaul飛行場Airfield爆撃Bombingした。

1942年(昭和17年)16日、7日、16日にも爆撃Bombingを行った。

ラバウルRabaul攻略captureは主として、日本陸軍Imperial Japanese Army南海支隊southern sea Detachmentによって実施されたが、日本海軍Imperial Japanese Navy南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/Forceは臨時に南洋部隊South Sea troopsの指揮下に入り、この作戦operationに協力するように命じられていた。


九七式大型飛行艇Type 97 Large Flying Boat 海軍Navy


1942年(昭和17年)120ニューアイルランド島New Ireland island北東海面に進出した空母Aircraft carrier 4隻(第一航空戦隊〈赤城(あかぎ)、加賀(かが)〉、第五航空戦隊〈瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく)〉)から、赤城(あかぎ)飛行隊長淵田美津雄(ふちだ・みつお)海軍中佐Navy Commander総指揮官supreme commanderとする108機がラバウルRabaulを攻撃し、飛行場Airfield海岸砲台Coastal battery爆撃Bombingしたほか、敵戦闘機Fighter aircraft 5機の撃墜破Shoot downを報告し、九七式艦上攻撃機1機が被撃墜Shoot downされた。

121日、一航艦の第一航空戦隊52機はカビエンKavieng空襲Air attackし、第五航空戦隊の46機はラエLaeサラモアSalamauaマダンMadangなどを攻撃Attack


空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi

1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midway沈没Sunk


122日、第一航空戦隊の46機が再びラバウル空襲Air attacks on Rabaulを実施した。

123日には零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomberの計48機で日本陸軍Imperial Japanese Army上陸部隊Landing unitを支援し、日本Imperial JapanラバウルRabaul攻略captureに成功したが、その直後から頻繁に敵機Enemy aircraftが同地に対する空襲Air attack輸送船Transport ship地上部隊Ground troopsに行い、陸海軍Army and Navyを悩ませた。


空母加賀(かが)Aircraft carrier Kaga

1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midway沈没Sunk


アメリカ軍US Armed Forces空母Aircraft carrier機動部隊Mobile Unit/Forceによるマーシャル諸島Marshall Islandsなどへの散発的な空襲Airstrikeを行っていたが、日本軍Imperial Japanese ForcesラバウルRabaul進攻Advanceを察知し、空母レキシントンAircraft carrier Lexington基幹Coreとする機動部隊Mobile Unit/Forceを派遣し、一撃離脱Hit-and-runに限定した空襲Air attackを計画した。

しかし1942年(昭和17年)220日に日本軍Imperial Japanese Forcesに発見され、ラバウルRabaul基地baseより発進した一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft攻撃Attackを受けたことから、作戦継続を断念して引き返した(ニューギニア沖海戦Action off Bougainville)。


ダーウィン空襲Bombing of Darwin

ダーウィン空襲Bombing of Darwin


PBYカタリナConsolidated PBY Catalina アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)219日、ダーウィン空襲Bombing of Darwinで撃墜される。


ダーウィン空襲Bombing of Darwin

1942年(昭和17年)219日、オーストラリアAustralia史上で最大規模の他国勢力foreign powersによる攻撃Attackが行われた。

後にダーウィン空襲Bombing of Darwin、別名ダーウィンの戦いThe Battle of Darwinとして知られる。

219日、計242機の日本軍機Imperial Japanese Aircraft2回に分けてダーウィン湾Darwin Bay市街地Urban area艦船shipそして市街地付近に建設された2つの飛行場Airfield攻撃Attackした。

攻撃Attack第二次世界大戦World War II中に日本軍Imperial Japanese ForcesティモールTimorジャワ島Java侵攻invasion阻止obstructしようとする連合国軍Allied forcesダーウィンDarwin飛行場Airfield基地baseとするのを妨害Interferenceする目的で行われた。


C-47スカイトレインDouglas C-47 Skytrain 米陸軍航空隊US Army Air Corps

1942年(昭和17年)219日、ダーウィン空襲Bombing of Darwin機銃掃射Strafingを受ける。


ダーウィンDarwin攻撃offenseの規模に比べると防備Defenseが軽く、日本軍Imperial Japanese Forcesはほとんど損害lossを被らずに連合国United Nationsに重大な被害damageを与えた。

ダーウィンDarwin都市部Urban area空襲Airstrikeにより被害damageを受け、非戦闘員Non-combatantの死者も多数出た。

攻撃Attackの直後に、ダーウィンDarwin非軍属市民Non-civilian employeeの半分以上が完全に街を離れた。

この時に日本軍Imperial Japanese Forcesが行った2回の空襲Airstrikeは、1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)にかけて100回以上日本がオーストラリア軍Australian Armed forcesに対して行った空襲Airstrikeのうち、一番早く、かつ大規模に行われたものであった。


駆逐艦ピアリーDestroyer Peary アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)219日、ダーウィン空襲Bombing of Darwin沈没Sunk


珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea


珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea

大東亜戦争Greater East Asia War太平洋戦争Pacific War)中の1942年(昭和17年)5月上旬、MO作戦Operation Mo中に日本海軍Imperial Japanese Navy連合国軍Allied forcesアメリカ合衆国USAオーストラリアAustralia)の間で発生した戦闘Battle

ポートモレスビーPort Moresby攻略captureを目指して珊瑚海Coral Seaに進出する日本軍Imperial Japanese Forcesの計画を知った連合国軍Allied forcesが先に進出し、空母機Carrier-based aircraft日本Imperial Japan攻略部隊invasion forces空襲Air attackしたため、日本海軍Imperial Japanese Navy空母aircraft carrier機動部隊Mobile Unit/Force敵空母Enemy aircraft carrierを捕捉しようとして発生した。


駆逐艦菊月(きくづき)Destroyer Kikuzuki

睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers

1942年(昭和17年)57日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea沈没Sunk


1942年(昭和17年)58日の戦闘Battleでは、米空母US aircraft carrier 2隻(レキシントンLexingtonヨークタウンYorktown)と日本海軍Imperial Japanese Navy空母aircraft carrier 2隻(瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく))がattackを交わした。

この海戦Naval Battleは対抗する両艦隊Both fleetsが互いに相手のshipを視界内に入れずに行われた、歴史上最初の海戦Naval Battleとなった。


空母祥鳳(しょうほう)Aircraft carrier Shoho 軽空母Light aircraft carrier

1942年(昭和17年)57日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea沈没Sunk


この海戦Naval battle大型Large空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonを失ったアメリカ軍US Armed Forcesに対し、日本軍Imperial Japanese Forces小型Light空母祥鳳Aircraft carrier Shohoを失い、翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku損傷damageした。

この結果、海路Sea routeからのポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track campaignを断念した日本軍Imperial Japanese Forces陸路Land routeからの作戦に切り替えたものの、山脈越えの難行軍hard marchにより補給が途絶えてポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track campaignは失敗する。


空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku

1942年(昭和17年)57日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea損傷damage


連合軍Allied forces損害loss空母aircraft carrier 1隻に対し、日本軍Imperial Japanese Forces損害loss軽空母Light Aircraft carrier 1隻と戦術的には日本海軍Imperial Japanese Navy勝利victoryに終わったが、日本Imperial Japanese機動部隊Mobile Unit/Force艦載機Carrier-based aircraft操縦士Pilotを多数消耗し、日本海軍Imperial Japanese Navyはこの後の作戦続行が不可能としてポートモレスビーPort Moresby攻略captureを断念した。


駆逐艦シムスDestroyer Sims アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)57日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea沈没Sunk


さらに日本海軍Imperial Japanese Navyはこの海戦Naval Battle損傷damageした空母aircraft carrierを後のミッドウェー海戦Battle of Midway復帰Returnさせることが出来なかったのに対し、連合軍Allied forces空母aircraft carrierミッドウェー海戦Battle of Midway復帰Returnさせることが出来たので、この空母aircraft carrier戦線復帰Return to the frontミッドウェー海戦Battle of Midwayにおける勝利victoryを左右した。


空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktown アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)57日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea損傷damage


空母レキシントンAircraft carrier Lexington

空母レキシントンAircraft carrier Lexington

空母レキシントンAircraft carrier Lexington

空母レキシントンAircraft carrier Lexington

空母レキシントンAircraft carrier Lexington


空母レキシントンAircraft carrier Lexington

レキシントンCV-2 Aircraft carrier Lexington CV-2

アメリカ海軍US Navy

レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriers 1番艦Lead ship

就役In service 1927年(昭和2年)1214

全長Length 270.66m

排水量Displacement 36,000metric tons

最大速力Top speed 33.25knots61.6km/h

乗員数Complement 2,791

搭載機数Aircraft carried 78

空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonは、アメリカ海軍US Navy航空母艦Aircraft carrier

レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriersネームシップName ship

艦名ship nameは、アメリカ独立戦争American War of Independence時のレキシントン・コンコードの戦いBattles of Lexington and Concordに由来する。

空母の女王Qeen of the Flat-tops」、「レディ・レックスLady Lex」、「グレイ・レディGray Lady」の愛称Nicknameで呼ばれた。



1941年(昭和16年)128日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor時、空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonミッドウェー島Midway Islands航空機fighter aircraft輸送ferryingする任務についていた。

以降の太平洋戦争Pacific Warでは、まずハワイHawaii周辺の哨戒や作戦に従事する。

1942年(昭和17年)2月よりウィルソン・ブラウンWilson Brown提督Admiralが指揮する11任務部隊Task Force 11の中核として南太平洋South Pacific珊瑚海Coral Seaで活動し、2月下旬のニューギニア沖海戦Action off Bougainvilleに参加、ラバウル航空隊Rabaul Air Corpsと交戦する。

つづいて17任務部隊Task Force 17空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownと共にラエ・サラモアへの空襲Invasion of Salamaua–Laeを実施した(東部ニューギニアの戦いNew Guinea Campaign)。

1942年(昭和17年)5月上旬、日本軍Imperial Japanese Forcesポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track campaignMO作戦Operation Mo)を阻止するため、フランク・J・フレッチャーFrank Jack Fletcher提督Admiral17任務部隊Task Force 17ヨークタウンYorktownほか)とオーブリー・フィッチAubrey Fitch提督Admiral11任務部隊Task Force 11レキシントンLexingtonほか)は珊瑚海Coral Seaに進出する(珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea)。



57日、空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktown空母レキシントンAircraft carrier Lexington攻撃隊attack forces軽空母祥鳳(しょうほう)Light aircraft carrier Shoho撃沈attack and sinkした。

58日、MO作戦Operation Mo機動部隊Mobile Unit/Force第五航空戦隊Fifth Carrier Division空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikaku空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku艦上機Carrier-borne aircraftによる空襲Airstrikeを受け、空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktown爆弾bomb 1発が命中、空母レキシントンAircraft carrier Lexington爆弾bomb 2発と魚雷torpedo 2本が命中する。

空母レキシントンAircraft carrier Lexington応急修理Emergency repairに努めたが、気化燃料が爆発して大火災conflagrationとなり、駆逐艦フェルプスDestroyer Phelpsにより雷撃torpedo attack処分された。

レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriers

1番艦Lead ship 空母レキシントンAircraft carrier Lexington

2番艦Second ship 空母サラトガAircraft carrier Saratoga


駆逐艦フェルプスDestroyer Phelps アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)57日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで、空母レキシントンAircraft carrier Lexington雷撃torpedo attack処分した。


SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy

SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy


SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless

1942年(昭和17年)5月、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaアメリカ海軍US Navyは初めてSBDドーントレスDouglas SBD Dauntlessを使用した。

SBD-3は、共同で運用された雷撃機Torpedo bomber TBDデヴァステイターDouglas TBD Devastatorの性能が貧弱で、日本艦隊Imperial Japanese Fleetに有効な打撃を与えられない中、空母祥鳳Aircraft carrier Shoho撃沈attack and sinkし、空母翔鶴Aircraft carrier Shokaku中破half damageさせた。


TBDデヴァステイターDouglas TBD Devastator アメリカ海軍US Navy





























































































































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