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2021年9月30日木曜日

 1 日本の戦車 Japanese Tank

小松崎茂(こまつざき・しげる) 1959年(昭和34年)(67歳)~

戦艦大和(やまと) Battleship Yamato

宇宙戦艦ヤマト Space Battleship Yamato 松本零士(まつもと・れいじ)

1974年(昭和49年)

宇宙戦艦ヤマト Space Battleship Yamato 松本零士(まつもと・れいじ)

1974年(昭和49年)

北の界王 ドラゴンボール 鳥山明(とりやま・あきら) 1984年(昭和59年)

鬼滅の刃(きめつの・やいば) Demon Slayer 2016年(平成28年)~2020年(令和2年) 吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)

たま Tama she-cat

ぴょん Pyon she-cat

子猫物語(こねこ・ものがたり) 畑正憲(はた・まさのり) 1986年(昭和61年)

八九式中戦車 Type 89 medium tank 11.9t 日本陸軍Imperial Japanese Army

八九式中戦車 Type 89 medium tank

1929年(昭和4年)(皇紀2589年)制式採用

1928年(昭和3年)に開発Development採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Army中戦車medium tank11.9t)。

日本初first in Japan国産domestic production制式戦車Formal tankとして開発Development量産Mass productionされた。

八九式中戦車Type 89 medium tank1931年(昭和6年)の満州事変Manchurian Incident初陣one’s first battleを経験した。

1932年(昭和7年)に勃発した第一次上海事変First Shanghai incidentでは、八九式中戦車Type 89 medium tank 5輛が配備deploymentされた。

1933年(昭和8年)に発動された熱河作戦(ねっかさくせん)に於ける承徳(しょうとく)攻略戦Battleで、八九式中戦車Type 89 medium tankは悪路に起因する足回りの故障が多発し、活躍の主役はより高速な九二式重装甲車Type 92 Heavy Armoured Carに奪われた。

八九式中戦車 Type 89 medium tank 11.9t 日本陸軍Imperial Japanese Army

BT戦車(ベーテー・せんしゃ) BT tank ソ連軍Soviet Army

BT-5戦車 BT-7戦車 BT-2戦車 BT-5A戦車

1939年(昭和14年)のノモンハン事件Nomonhan Incidentにおいては、九五式軽戦車Type 95 light tankと少数の九七式中戦車Type 97 medium tankとともに中戦車medium tank主力main forceとして投入された。

この戦いBattleでは、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank対戦車戦闘Anti-tank combatにおける攻撃・防御両面Both attack and defense能力不足Insufficient ability露見Exposedした。

太平洋戦争Pacific War開戦時には、九五式軽戦車Type 95 light tank九七式中戦車Type 97 medium tankへの更新updateが進んでいたが、南方作戦Southern Operationフィリピン攻略戦Philippines campaignにおいて少数の八九式中戦車Type 89 medium tankが投入された。

また、末期のルソン島防衛戦Battle of Luzonの際には、戦車tank不足のため、既に引退retireしていた八九式中戦車Type 89 medium tankまでもかき集められ戦闘Battle参加Participationしている。

1945年(昭和20年)、沖縄戦Battle of Okinawa八九式中戦車Type 89 medium tank参加Participation

九二式重装甲車 Type 92 Heavy Armoured Car

日本Imperial Japan開発Developmentされ、1932年(昭和7年)(皇紀2592年)に正式採用された装甲車Armored Car 3.5t)である。

装甲車Armored Car”の制式名称official nameだが、実質的には豆戦車Tankette 軽戦車Light tankよりも更に小型の戦車tank)であり、戦車tankの区分では騎兵戦車Cavalry tankとも分類classificationされる車種で、騎兵部隊Cavalry unit戦車部隊Tank unitで使用された。

九二式重装甲車 Type 92 Heavy Armoured Car 3.5t) 日本陸軍Japanese Army

1931年(昭和6年)の満州事変Manchurian Incidentに参加。

1933年(昭和8年)に発動された熱河作戦(ねっか・さくせん)Operation Nekkaに参加。

1939年(昭和14年)のノモンハン事件Nomonhan Incidentに参加。

その後、新型New model九四式軽装甲車Type 94 Light armored car九七式軽装甲車Type 97 Light armored carへと更新updateされていったため、太平洋戦争Pacific War時は中国方面Chinese areaなどの第二線での使用が中心となった。

九四式軽装甲車 Type 94 Light armored car

1932年(昭和7年)に日本陸軍Imperial Japanese Army牽引車Tractorとして開発Developmentした装甲車Armored Car 3.45t)。

日中戦争Second Sino-Japanese War実戦actual warfareに投入され、いわゆる豆戦車Tanketteとして歩兵直協Infantry direct cooperationの役割も果たした。

前述のように九四式軽装甲車Type 94 Light armored carは主に日中戦争Second Sino-Japanese Warにおいて活躍した。

九四式軽装甲車Type 94 Light armored car生産production1940年(昭和15年)をもって終了したが、不要になったわけではなく、九七式軽装甲車Type 97 Light armored car配備deploymentされるまでの繋ぎ、あるいは後方の治安部隊Security forces警備車輌Security vehicleなどとして使われ続け、師団Division捜索連隊Reconnaissance regimentsなどに配備Deployedされた。

武漢作戦Battle of Wuhanにおける九四式軽装甲車Type 94 Light armored car

機甲戦力armored forcesの不足していた日本軍Imperial Japanese Forcesでは貴重な車輌であり、海軍陸戦隊Imperial Japanese Navy Land Forcesにも供与されている。

クェゼリンの戦いBattle of Kwajalein撃破destroyされ、M4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanの背中に乗せられた九四式軽装甲車Type 94 Light armored car

上陸用舟艇Landing craft

太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)後期のレイテ島の戦いBattle of Leyte1944年(昭和19年)1020日~)では、アメリカ軍US Armed Forces上陸用舟艇Landing craftに対し、偶然浜辺を走っていた2輌の九四式軽装甲車Type 94 Light armored car銃撃Shootingを加えた記録が残っている。

太平洋戦争Pacific War最末期の1945年(昭和20年)においても、沖縄戦Battle of Okinawaに参加した写真があり、本土決戦Mainland decisive battle用の戦力fighting powerとしても依然存在していた。

九五式重戦車 Type 95 Heavy Tank

多砲塔戦車 multi-turreted tank

日本陸軍Imperial Japanese Army1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に制式化した重戦車Heavy tank 26.0t)である。

九五式軽戦車 Type 95 light tank

1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に日本Imperial Japan開発Development採用Introductionされた軽戦車Light tank 6.7t)。

日本戦車Japanese Tankとしては最多の2,378輛が生産productionされ、九七式中戦車Type 97 medium tankとともに第二次世界大戦World War II活躍activeし、日本軍Imperial Japanese Forcesの代表的な軽戦車Light tankとして知られている。

T-26軽戦車T-26 Light tank ソ連軍Soviet Army

BT戦車(ベーテー・せんしゃ) BT tank ソ連軍Soviet Army

BT-5戦車 BT-7戦車 BT-2戦車 BT-5A戦車

BT-5戦車 BT-5 tank ソ連軍Soviet Army

初めて九五式軽戦車Type 95 light tankが本格的に投入throw inされたノモンハン事件Nomonhan Incident1939年(昭和14年)5月~9月)では、3輌一組のフォーメーションを組んだ上で、ソ連軍Soviet Armed forcesT-26軽戦車T-26 Light tankBT-5戦車BT-5 tank戦闘Battleし、撃破Defeatに成功した事例も存在する。

日本Imperial Japan友好関係Friendly relationsにあったタイThailandにも40輌から50輌が輸出され、太平洋戦争Pacific Warの開戦前に仏領インドシナFrench Indochinaとの間に起こった国境紛争Border dispute活躍activeした。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart 12.9 metric tons 米陸軍US Army

太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War緒戦Beginning battleである一連の南方作戦Southern Operationの内、フィリピン攻略戦Philippines campaignにおいてM3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuart遭遇Encounterした事例Case example1941年(昭和16年)1222日)では、九五式軽戦車Type 95 light tankM3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuart小隊5両を撃退Repelすることに成功したものの、ビルマ攻略戦Burma Campaignにてイギリス・インド軍British Indian Armed ForcesM3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuart遭遇Encounterした事例Case example1942年(昭和17年)35日)では、九五式軽戦車Type 95 light tankが次々と命中弾hitをあたえたにも関わらず、全て跳ね返bounce offされた。

M2軽戦車 M2 Light Tank 11.6t アメリカ陸軍US Army

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartフランス戦Battle of France戦訓combat lessonからM2軽戦車M2 Light Tankを元に開発Developmentされ、九五式軽戦車Type 95 light tankの約2倍の重量weightがあった(12.7t八九式中戦車 Type 89 medium tankよりも重い)。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart戦車砲Tank gun対戦車砲Anti-tank gunの中では最も高性能であり、有効射程内のどの距離でも九五式軽戦車Type 95 light tank装甲Armorを正面から貫通penetrateできる性能を持っていた。

九五式軽戦車Type 95 light tankは、最終的にはM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart体当りsuicide attackまでして応戦fight backする羽目に陥った。

九五式軽戦車 Type 95 light tank マレー作戦Malayan campaign

一方でエンジンの故障は少なく長距離走破Long-distance runningにもよく耐え、特にマレー作戦Malayan campaign1941年(昭和16年)128日~1942年(昭和17年)215日)においては九七式中戦車Type 97 medium tankとともに電撃戦Lightning warを行い活躍activeした。

中にはマレー半島Malay Peninsulaからスマトラ島Sumatraへ転戦し、2,000km以上の走行travelingに耐えた車輛もあった。

太平洋戦争Pacific War後半の防御主体の作戦operationsにおいても、後継車両Successor vehicleの不足と貴重な機甲戦力armored forcesのため、タラワの戦いBattle of Tarawa1943年(昭和18年)1121日~1123日)、ペリリューの戦いBattle of Peleliuサイパンの戦いBattle of Saipan硫黄島の戦いBattle of Iwo Jima沖縄戦Battle of Okinawa占守島の戦い(しゅむしゅとう・の・たたかい)Battle of Shumshu(千島列島東端)など終戦に至るまで様々な戦線battlefrontへと投入された。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman アメリカ陸軍US Army

タラワの戦いBattle of Tarawa1943年(昭和18年)1121日~1123日)においては九五式軽戦車Type 95 light tank及び九四式三十七粍(みり)Type 94 37 mm anti-tank gunによってアメリカ海兵隊US Marine CorpsM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman撃破Defeatした可能性possibilityのある事例Case exampleが存在する。

この他にも、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman撃破Defeatした事例Case exampleが存在し、ペリリューの戦いBattle of Peleliuでは、上陸してきたM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanと交戦し、九五式軽戦車Type 95 light tankの放った砲弾が、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの砲塔と車体の間に食い込み、砲塔の旋回を不能にして撃破Defeatした。

フィリピンPhilippinesへの帰還Returnを果たしたマッカーサー元帥Marshal MacArthur1944年(昭和19年)1020日)

フィリピンの戦いBattle of the Philippinesでは、ルソン島LuzonバギオBaguio付近の峠で九五式軽戦車Type 95 light tankM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman至近距離Close range遭遇Encounterし、驚いたM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの乗員が運転を誤り谷に転落Fall into the valleyした。

これは撃破Defeatというより交通事故Traffic accidentである。

硫黄島Iwo Jimaには九五式軽戦車Type 95 light tank 12両と九七式中戦車Type 97 medium tank(新砲塔)11両が配備deploymentされていたが、移動ないし固定トーチカPillboxとして待伏攻撃Ambush attackに使われることになった。

ラビの戦い Battle of Rabi

ラビRabi近くの日本の九五式軽戦車Type 95 light tank、泥の中にはまり込みbogged in the mud放棄abandonedされている

A Japanese Type 95 Ha-Go tank near Rabi, bogged in the mud and abandoned

ラビの戦い Battle of Rabi

占守島(しゅむしゅとう)Shumshu(千島列島東端)には九五式軽戦車Type 95 light tank 25両、九七式中戦車Type 97 medium tank(新砲塔)39両を擁する精鋭部隊elite forceが展開しており、ソ連軍Soviet Armed forcesを後退させている。

また、九五式軽戦車Type 95 light tank海軍陸戦隊Imperial Japanese Navy Land Forcesでも使用されており、1942年(昭和17年)8月~9月に行われたニューギニア戦線New Guinea Campaignラビの戦いBattle of Rabiでは呉第五特別陸戦隊戦車隊が九五式軽戦車Type 95 light tank 2両を装備Equipmentしている。

九七式軽装甲車Type 97 Light armored car

1937年(昭和12年)に開発Development採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Army装甲車armored car 4.7t)。

九七式中戦車 Type 97 medium tank

日本陸軍Imperial Japanese Army

1937年(昭和12年)(皇紀2597年)制式採用

全長Length 5.55m

重量Mass 14.8metric tons

最大速度Maximum speed 38km/h

乗員数Crew 4

九七式中戦車Type 97 medium tankは、1937年(昭和12年)に開発Development採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Army主力中戦車Main Medium tankである。

1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて総計2,123輌が生産productionされ、九五式軽戦車Type 95 light tankとともに第二次世界大戦World War IIにおける日本軍Imperial Japanese Forces主力戦車Main battle tankとして使用された。

九七式中戦車 Type 97 medium tank 14.8metric tons 日本陸軍Japanese Army

ノモンハン事件 Nomonhan Incident

ノモンハン事件 Nomonhan Incident

1939年(昭和14年)5月のノモンハン事件Nomonhan Incidentでは、日本建軍the creation of the Japanese army以来初めてとなる、大規模な戦車戦力Tank strength投入throw intoされた。

八九式中戦車Type 89 medium tank九七式中戦車Type 97 medium tank九四式軽装甲車Type 94 Light armored car九七式軽装甲車Type 97 Light armored car九五式軽戦車Type 95 light tank投入throw intoされた。

BT-2戦車 BT-2 tank ソ連軍Soviet Army

ノモンハン事件Nomonhan Incident投入throw intoされたソ連軍Soviet Armed forces戦車tankは、速度は速いが装甲armorが薄いBT-7BT-5といった戦車tank主力main forceであり、両軍のなかでもっとも重装甲Heavy armor戦車tankは最大装甲厚25 mm九七式中戦車Type 97 medium tankであった。

BT-5戦車 BT-5 tank ソ連軍Soviet Army

しかし、実際に交戦してみると、日本軍Imperial Japanese Forces側の予想以上にソ連軍Soviet Armed forces戦車tankの性能がよくて、ソ連軍Soviet Armed forces戦車砲Tank gunの射程が長く、また遠距離から日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank砲塔Gun Turret装甲板Armor plateを易々と貫通Penetrationすることに衝撃を受けている。

BT-7戦車 BT-7 tank ソ連軍Soviet Army

その後も戦闘Battleによって日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank消耗consumptionは続き、1939年(昭和14年)79日には戦車tank完全喪失Complete loss29輌に達したことを知った関東軍Kwantung Armyが、このままでは虎の子treasure戦車部隊Tank unit壊滅annihilationすると懸念し、戦車部隊Tank unitの引き揚げを命じた。

九七式中戦車Type 97 medium tankは、1942年(昭和17年)28日からの、マレー作戦Malayan campaign参加Participation

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart アメリカ陸軍US Army

太平洋戦争Pacific Warの開戦初期において、フィリピンPhilippinesビルマBurma方面には米英軍U.S. and British ArmyM3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuart合計220両以上が配備deploymentされていた。

M3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuartカタログcatalog上の総合性能では九七式中戦車Type 97 medium tankを含む日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankを優越するものであったが、日本軍Imperial Japanese Forces攻勢offensiveによりこれらのM3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuartの大半を失うことになった。

サイパンの戦い Battle of Saipan

1944年(昭和19年)615サイパンの戦いBattle of Saipanではサイパン島Saipan配置disposeされていた九七式中戦車Type 97 medium tank九五式軽戦車Type 95 light tank上陸landingしてきたアメリカ軍海兵隊US Marine Corpsを攻撃。

アムタンク AMTANKS

まだM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman揚陸unloading未済で、装甲Armorの薄いアムトラックAmtrak戦車砲Tank gunを搭載したアムタンクAMTANKSとの戦車戦Tank battleとなったがこれを撃破Defeatして、海兵隊Marine Corps幕僚staffが搭乗していたアムトラックAmtrak撃破Defeatアメリカ海兵隊US Marine Corpsの連隊指揮所まで突入する活躍を見せたが、艦砲射撃naval bombardmentも含めたアメリカ軍US Armed Forces反撃Counterattack全滅annihilationしている。

タンクデサント Tank desant (戦車跨乗)(せんしゃ・こじょう)

1944年(昭和19年)616日夜には、九七式中戦車Type 97 medium tank九五式軽戦車Type 95 light tankタンクデサントTank desant戦車跨乗)で夜襲Night attackをかけた。

M3 75mm対戦車自走砲 75 mm Gun Motor Carriage M3 アメリカUSA

アメリカ軍海兵隊US Marine Corpsにとっては、開戦以来、初めて受ける大規模な日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankからの攻撃となったが、この時点ではM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanと大量のM3 37mm37 mm gun M3新兵器New weaponバズーカBazooka対戦車砲Anti-tank gunを搭載したM3 75mm対戦車自走砲75 mm Gun Motor Carriage M3揚陸unloading済みであり、十分に態勢を整えていた。

バズーカ Bazooka

日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankアメリカ軍US Armed Forcesが築いていた陣地Positionに突入したが、そこで待ち受けていたのが海兵隊員Marines装備Equipmentしていた新兵器New weaponバズーカBazookaであった。

装甲Armorの薄い日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankバズーカBazookaが命中すると、ほぼ同時に装甲Armorを貫通して内部で炸裂し擱座(かくざ)stallする戦車tankが続出した。

M3 37mm37 mm gun M3も威力を発揮して次々と日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank撃破Defeatされていった。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman アメリカ陸軍US Army

空には無数の照明弾Flareが打ち上げられ白昼broad daylightのような明るさの中で、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman戦場battlefieldに到着して、九七式中戦車Type 97 medium tankとの戦車戦Tank battleが行われたが、砲撃artillery bombardmentの練度は日本軍Imperial Japanese Forcesが勝り次々と命中弾Hitを与えるが、全てM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの厚い装甲Armorにはね返されるのに対し、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman砲弾shellは易々と九七式中戦車Type 97 medium tank九五式軽戦車Type 95 light tank撃破Defeatしていった。

ビルマ戦線 Burma Campaign

ビルマ戦線Burma Campaignでは、九七式中戦車Type 97 medium tankが、エジョウ集落の周辺で待ち伏せambushを行い、現れたアメリカ軍US Armed Forces戦車部隊Tank unitに対し約400mの至近距離Close rangeにて、側面を晒したM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman撃破Defeatした。

ルソン島 Luzon

ルソン島の戦い Battle of Luzon

フィリピン戦Battle of the Philippinesルソン島の戦いBattle of Luzon1945年(昭和20年)16日~815日)においては、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankリンガエン湾Lingayen Gulf上陸landingしてきたアメリカ軍US Armed Forces迎撃Interceptionし、太平洋戦争Pacific War最大の戦車戦Tank battleが戦われている。

九七式中戦車Type 97 medium tank九五式軽戦車Type 95 light tank戦車砲Tank gunM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanに命中しても、まるでボールのように跳ね返され、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankが一方的に撃破Defeatされることが多く、日本軍Imperial Japanese Forces戦車兵Tank soldierはそのようなM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを「動く要塞Moving fortress」と称して恐れたが。

九七式中戦車Type 97 medium tankがしばしばM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman待ち伏せ攻撃Ambush attack撃破Defeatしている。

刺突爆雷(しとつ・ばくらい) Lunge mine

ルソン島の戦いBattle of Luzon末期の1945年(昭和20年)412日、わずかに残っていた九七式中戦車Type 97 medium tank 1輌と九五式軽戦車Type 95 light tank 1輌の車体前部に、先端に20kgの爆薬を装着した長さ1mの突出し棒を取付け敵戦車Enemy tankに体当たりする特攻Special attackを敢行した(刺突爆雷(しとつ・ばくらい) Lunge mine)。

砲塔Gun Turret トーチカPillbox

硫黄島の戦いBattle of Iwo Jimaでは同島に九七式中戦車Type 97 medium tank 11輌と九五式軽戦車Type 95 light tank 12輌を装備Equipmentする戦車隊Tank corps配備deploymentされていたが、移動トーチカMobile pillboxないし固定トーチカFixed pillboxとして待伏攻撃Ambush attackに使われることになった。

移動トーチカMobile pillboxとしては事前に構築した複数の戦車壕Tank pitに車体をダグインさせ運用し、固定トーチカFixed pillboxとしては車体を地面に埋没させるか砲塔Gun Turretのみに分解し、ともに上空や地上からわからないよう巧みに隠蔽・擬装し丸万集落周辺で防御陣地を構築して米軍US Armed Forcesと激戦を交えた。

沖縄戦 Battle of Okinawa

沖縄戦Battle of Okinawaでは、九七式中戦車Type 97 medium tank14実戦actual warfare投入throw inされた。

1945年(昭和20年)54日の日本軍Imperial Japanese Forces総攻撃All-out attackの際に出撃したが、砲弾幕Cannonball curtainに前進を阻まれ大損害を受けたのちに後退し、残った6輌の戦車tankの車体を埋め、トーチカPillboxとしてアメリカ軍US Armed Forcesを迎え撃った。

占守島の戦い(しゅむしゅとう・の・たたかい) Battle of Shumshu (千島列島東端)

最末期の占守島の戦い(しゅむしゅとう・の・たたかい)Battle of Shumshu(千島列島東端)では、同島に展開した九七式中戦車Type 97 medium tank 39輌、九五式軽戦車Type 95 light tank 25輌を装備Equipmentする精鋭部隊elite corpsたる戦車隊Tank corpsが、上陸landingしたソ連軍Soviet Armed forces交戦Engagement

一式砲戦車 Type 1 Gun tank

一式自走砲 Type 1 Self-propelled artillery

1941年(昭和16年)(皇紀2601年)制式採用 14.7t

一式自走砲Type 1 Self-propelled artilleryは、第二次世界大戦World War II時の日本陸軍Imperial Japanese Army自走砲Self-propelled artilleryである。

第二次世界大戦World War II後期になると対戦車自走砲Anti-tank self-propelled gunとして使用されることになり、砲戦車Gun tank代用Substituteとしても配備deploymentされる場合もあった。

一般的には一式砲戦車Type 1 Gun tankと呼ばれるが、これは一式自走砲 Type 1 Self-propelled artillery開発Development段階に於いて機甲兵Armored soldierが使用する砲戦車Gun tankとして運用する構想の名残であるとされ、正式的には「一式自走砲Type 1 Self-propelled artillery」であり、あくまで砲兵artilleryが掌握する装備Equipmentであった。

ルソン島の戦い Battle of Luzon

1945年(昭和20年)18日、アメリカ軍US Armed ForcesフィリピンPhilippinesルソン島Luzonリンガエン湾Lingayen Gulf上陸landingした。

一式砲戦車Type 1 Gun tankは、この上陸landingしてきた米軍US Armed Forces迎撃Interceptionした。

二式砲戦車 Type 2 Gun tank

1942年(昭和17年)(皇紀2602年)制式採用 16.1t

二式砲戦車Type 2 Gun tankは、第二次世界大戦World War II時の日本陸軍Imperial Japanese Army砲戦車Gun tank

戦車連隊Tank regimentにおいて、中戦車Medium tank火力Firepower支援supportを目的に開発Developmentされた。

砲戦車Gun tankとは、二式砲戦車Type 2 Gun tankのような大口径砲heavy caliber gun旋回砲塔Swivel gun turret式に搭載した中戦車Medium tankのことであったが、一時自走砲Self-propelled artilleryを改造して砲戦車Gun tank代用品Substituteにする構想により、二式砲戦車Type 2 Gun tankの興味が失われていったことで、砲戦車Gun tank自走砲Self-propelled artilleryと同一兵器であるかのような誤った情報が広まったとされる。

三式中戦車 Type 3 Medium Tank

1943年(昭和18年)(皇紀2603年)制式採用 19t

三式中戦車Type 3 Medium Tankは、第二次世界大戦World War II後期に登場した日本陸軍Imperial Japanese Army中戦車Medium tank

三式中戦車Type 3 Medium Tank戦争中during the war戦闘combatを見なかった。

The Chi-Nu did not see combat during the war.

連合国の侵攻Allied invasion見越してin anticipation全ての生産部隊All produced units日本国Japanese Homeland防衛defenseのために保持retainedされた。

All produced units were retained for the defense of the Japanese Homeland in anticipation of an Allied invasion.

四式軽戦車 Type 4 Light tank

四式軽戦車Type 4 Light tankとは、1944年(昭和19年)(皇紀2604年)に開発Developmentされた日本陸軍Imperial Japanese Army軽戦車Light tank 8.4t)。

試作車輌Prototype vehicleが製作された他、本土決戦Decisive last battle at Japan proper用に少数が配備されたのみで実戦Actual battleには参加していない。

四式中戦車 Type 4 Medium tank

四式中戦車Type 4 Medium tankは、1944年(昭和19年)(皇紀2604年)に開発Developmentされた日本陸軍Imperial Japanese Army中戦車Medium tank 30t)。

四式中戦車Type 4 Medium tank戦争中during the war戦闘combatを見なかった。

三八式野砲 Type 38 75 mm field gun

三八式野砲(さんはち・しき・やほう) Type 38 75 mm field gunは、1905年(明治38年)に開発Development採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Army野砲(やほう) Field gun

シベリア出兵 Siberian intervention

シベリア出兵Siberian interventionを描いた戦争画Military art

左下で射撃中が三八式野砲Type 38 75 mm field gun

改造三八式野砲 Improved Type 38 75 mm field gun

改造三八式野砲(かいぞう・さんはち・しき・やほう) Improved Type 38 75 mm field gunは、三八式野砲(さんはち・しき・やほう) Type 38 75 mm field gun改良型Improved typeである。

九〇式野砲 Type 90 75 mm field gun

九〇式野砲(きゅうまる・しき・やほう) Type 90 75 mm field gunは、1930年(昭和5年)(皇紀2590年)に開発Development採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Army野砲(やほう) Field gun

第二次世界大戦World War IIでは改造三八式野砲Improved Type 38 75 mm field gun九五式野砲Type 95 75 mm field gunとともに日本陸軍Imperial Japanese Army主力野砲Main field gunとして運用された。

機動九〇式野砲 Mobile Type 90 field gun 日本陸軍Imperial Japanese Army

機動九〇式野砲 Mobile Type 90 field gun

九〇式野砲(きゅうまる・しき・やほう) Type 90 75 mm field gun機械化牽引Mechanized tractionを目的とした派生型Variants

九五式野砲 Type 95 75 mm field gun

九五式野砲(きゅうご・しき・やほう) Type 95 75 mm field gunは、1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に開発Development採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Army野砲Field gun

第二次世界大戦World War IIでは改造三八式野砲Improved Type 38 75 mm field gun機動九〇式野砲Mobile Type 90 field gunとともに日本陸軍Imperial Japanese Army主力野砲Main field gunとして運用された。

概観 general view

概観 general view

61式戦車 Type 61 tank

61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ) Type 61 tank 35t

日本の陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceが運用していた戦後Postwar1世代First generation戦車tank分類Classificationされる戦後初の国産戦車new Japanese tanksである。

第二次世界大戦World War II後、初めて開発Developmentされた国産戦車new Japanese tanksであり、1世代First generation主力戦車Main battle tank分類Classificationされる。

開発Development生産Productionは三菱日本重工業(1964年(昭和39年)から三菱重工業Mitsubishi Heavy Industries)が担当し、それまで供与されていたアメリカ製戦車American style tankとの共用、もしくは置き換えにより全国の部隊military unit配備deploymentされた。

1955年(昭和30年)に開発Developmentが開始され、1961年(昭和36年)4月に制式採用official adoptionされた。

採用adoptionされた西暦Common Eraの下二桁の年をとり、61式戦車Type 61 tankと命名された。

主砲Main gunに「6152口径90mmライフル砲」として制式化された52口径90mmライフル砲を装備し、鉄道輸送Rail transportを考慮して当時の国鉄Japanese National Railways貨車Freight Carに搭載できるよう車体が小型化されている。

1974年(昭和49年)に74式戦車(ななよんしき・せんしゃ)Type 74 tank採用adoptionされるまで560輌が生産productionされ、2000年(平成12年)に全車が退役した。

M41軽戦車ウォーカー・ブルドッグ Light Tank M41 Walker Bulldog

主砲Main gun先端部のハンマーヘッド型Hammer head typeT字型T-shapedマズルブレーキMuzzle brake砲口制退器)や後部へ張り出した砲塔Gun Turret履帯Continuous trackのたるみを支える3個の上部転輪Upper wheelなど、全体的な印象はアメリカUSAM41ウォーカー・ブルドッグM41 Walker Bulldog軽戦車Light tankに近い。

また、ヘッドライトHeadlightは左右フェンダーfenderの先端上方に、排気管Exhaust pipeは左右フェンダーfenderの後部上方に取り付けられているが、こうしたレイアウトは同時代の西側各国の戦車tankにはほとんど見られない外見的特徴である。

74式戦車 Type 74 tank

74式戦車(ななよん・しき・せんしゃ) Type 74 tank 38t

1974年(昭和49年)

陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ)Type 61 tank後継Successorとして開発Development配備deploymentされた国産二代目Second Japanese tanks主力戦車Main battle tankである。

部隊内での愛称Nicknameは「ナナヨン」。

2.5世代Second intermediate generation主力戦車main battle tank分類Classificationされる戦車tank

三菱重工業Mitsubishi Heavy Industries開発Developmentを担当した。

後継Successor車輌として3世代Third generation​主力戦車Main battle tankである90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ)Type 90 tank開発Development生産Productionされたが、こちらは北部方面隊JGSDF Northern Army以外では富士教導団JGSDF Fuji School (Combined Training) Brigadeなど教育部隊Training Unitにしか配備deploymentされていないため、全国的に配備deploymentされた74式戦車Type 74 tankが数の上では主力Mainであった。

それでも年40輌程度の早さで退役が進んでおり、74式戦車Type 74 tankの更新をも考慮した10式戦車(ひとまる・しき・せんしゃ)Type 10 tank採用adoptionや、同じ口径の砲をもつ16式機動戦闘車(ひとろく・しき・きどう・せんとうしゃ)Type 16 mobile combat vehicle採用adoptionなど代替がすすんでいる。

90式戦車 Type 90 tank

90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ) Type 90 tank 50.2t

1990年(平成2年)

第二次世界大戦World War II後に日本国内Japanese domestic開発Development生産Productionされた主力戦車Main battle tankとしては61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ)Type 61 tank74式戦車(ななよん・しき・せんしゃ)Type 74 tankに続く三代目Third generationにあたり、3世代Third generation主力戦車Main battle tank分類Classificationされる。

製造Manufacturingは、車体Body砲塔Gun Turret三菱重工業Mitsubishi Heavy Industries120mm滑腔砲Rheinmetall Rh-120日本製鋼所Japan Steel Worksが担当し、1990年(平成2年)度から2009年(平成21年)度までに61式戦車Type 61 tankの全てと74式戦車Type 74 tankの一部を更新するために341輌が調達された。

価格は1輌あたり約8億円である。

10式戦車 Type 10 tank

10式戦車(ひとまる・しき・せんしゃ) Type 10 tank 44t

2010年(平成22年)

日本の主力戦車Japanese Main battle tank

陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceが運用する国産戦車Japanese tankとしては4代目となり、3.5世代Third intermediate generation next generation主力戦車Main battle tank分類Classificationされる。

10式戦車Type 10 tank陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ)Type 61 tank74式戦車(ななよん・しき・せんしゃ)Type 74 tank90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ)Type 90 tankに次ぐ4代目Fourth generationとなる最新latest国産主力戦車Japanese Main battle tankである。

10式戦車Type 10 tank開発Development防衛省Ministry of Defense技術研究本部Technical Research and Development Institute試作Trial production生産Production三菱重工業Mitsubishi Heavy Industriesが担当した。

87式自走高射機関砲

Type 87 self-propelled anti-aircraft gun

87式自走高射機関砲 Type 87 self-propelled anti-aircraft gun 38t

陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force 1987年(昭和62年)

自走式対空砲self-propelled anti-aircraft gun コスト15億円超

89式装甲戦闘車 Type 89 armored combat vehicle

89式装甲戦闘車 Type 89 armored combat vehicle 26.5t

陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force 1989年(平成元年)

歩兵戦闘車 IFV Infantry Fighting Vehicle コスト6億~7億円弱

16式機動戦闘車 Type 16 mobile combat vehicle

16式機動戦闘車(ひとろくしき・きどう・せんとうしゃ)Type 16 mobile combat vehicleは、防衛省Ministry of Defense開発Developmentした装輪装甲車wheeled armored vehicle

略称abbreviation16MCVMCVキドセン

16式機動戦闘車Type 16 mobile combat vehicleは、開発事業名「機動戦闘車mobile combat vehicle」として2007年(平成19年)度に開発Developmentが開始され、2016年(平成28年)度の防衛予算Defense budgetから調達が開始された装輪装甲車wheeled armored vehicleであり、積極的に戦闘combatに参加させる点から「戦闘車combat vehicle」に分類Classificationされている。

試作Trial production生産Production三菱重工業Mitsubishi Heavy Industriesが担当する。

軽装甲機動車 LAV Light Armoured Vehicle

軽装甲機動車 LAV Light Armoured Vehicleは、陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force航空自衛隊Japan Air Self-Defense Force配備dispositionされている装輪装甲車wheeled armored vehicleである。

製造Manufacturing小松製作所Komatsu Limited

防衛省Ministry of Defenseは、略称abbreviationLAV Light Armoured Vehicle)、愛称Nicknameを「ライトアーマー」としており、保有する部隊Unit内では略称abbreviationをもとに「ラヴ」とも呼ばれている。

普通科Infantryなどの隊員Memberの防御力Defense powerと移動力moving forceを向上させるのが目的の装甲車Armored Carであり、性能や想定する任務は、歩兵機動車Infantry mobility vehicle IMV)に類する。

部隊Unitでは、汎用車General-purpose carである1/2tトラックType 73 Light Truck(通称ジープJeep)の代わりとしても使用されている。

コマツ・ブルドーザーG40 Komatsu G40 Bulldozer

コマツ・ブルドーザーG40 小松1型均土機) 1943年(昭和18年)

60式装甲車 Type 60 Armoured Personnel Carrier

1960年(昭和35年)~2006年(平成18年)

第二次世界大戦World War II後に開発Developmentされた日本初first in Japan装甲人員輸送車Armored Personnel Carrierである。

陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceで運用され、雲仙普賢岳(うんぜん・ふげん・だけ)での災害派遣disaster relief mission1991年(平成3年))やPKO派遣PKO dispatchに使用された。

重装輪回収車 Heavy Wheeled Recovery Vehicle

2002年(平成14年)

陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force装輪装甲車wheeled armored vehicle回収Recovery及び整備repair支援をするために導入Introductionした車両である。

高機動車 High Mobility Vehicle

高機動車(こうきどうしゃ)High Mobility Vehicleは、陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force装備equipmentしている人員輸送用車両Personnel Carrierである。

アメリカ軍US Armed Forcesハンヴィー HMMWV Humvee)を捩(もじ)り「ジャンビー」や「ジャパニーズハマー」と呼ばれた時期もある。

ハンヴィー HMMWV Humvee

高機動多用途装輪車両 High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle

アメリカ軍US Armed Forces向けにAMゼネラルAM General製造Manufacturingした汎用General purpose四輪駆動車Four-wheel drive vehicleM998、及びその発展型軍用車両Military vehicle総称Generic term

ジープJeep四輪駆動車Four-wheel drive vehicle更新用車両Vehicle for renewalとして1985年(昭和60年)から配備dispositionが始まった。







































































































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