南方作戦Southern campaign
1941年(昭和16年)12月8日に日本陸軍Imperial Japanese ArmyがタイThailand国境近くの英領マレー半島British MalayaのコタバルKota Bharuと、中立国Neutral countryだったタイThailand南部のパタニPattani KingdomとソンクラSongkhlaへの陸軍部隊Army troopsの上陸landing(マレー作戦Malayan campaign)と、同12月8日行われた日本海軍Imperial Japanese NavyによるハワイHawaii・真珠湾Pearl Harborのアメリカ海軍太平洋艦隊United States Pacific Fleetに対する真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor、フィリピンPhilippinesへの攻撃開始(フィリピンの戦いBattle of the Philippines(1941~1942年)、イギリス領British territoryである香港Hong Kongへの攻撃開始(香港の戦いBattle of Hong Kong)、1941年(昭和16年)12月10日のイギリス海軍Royal Navy東洋艦隊Eastern Fleetに対するマレー沖海戦Naval Battle of Malayaなどの連合国軍Allied forcesに対する戦いBattleで、日本軍Imperial Japanese Forcesは大勝利overwhelming victoryを収めた。
九五式軽戦車Type 95 light tank 日本陸軍Imperial Japanese
Army
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。
マレー作戦Malayan campaign
マレー作戦(馬来作戦)Malayan campaignは、1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia
War)で日本軍Imperial Japanese Forcesが実施した南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaign内のイギリス領マレーBritish Malaya方面の作戦。
南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaign陸海軍中央協定で定められた作戦名称はE作戦。
マレー作戦Malayan campaignは太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia War)において全ての他の作戦operationsに先行して攻撃Attackを開始した。
シンガポール島攻略Battle of Singaporeを最終目標final goalsにしており、1942年(昭和17年)2月15日にそれを達成した。
九七式中戦車チハ Type 97 Chi Ha
medium tank 陸軍Army
九七式中戦車チハ Type 97 Chi Ha
medium tank 陸軍Army
1942年(昭和17年)2月8日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加。
1941年(昭和16年)6月よりマレー半島Malay Peninsula攻略に向けた訓練を行っていた日本軍Imperial Japanese Forcesによる、太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia War)における最初の攻撃Attackとなった。
日本時間1941年(昭和16年)12月8日午前1時30分、第25軍Twenty-Fifth Armyはイギリス領マレーBritish Malayaの北端(コタバルKota Bharu)に奇襲上陸Surprise landingした。
重巡洋艦鳥海(ちょうかい)Heavy cruiser Chokai
高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisersの4番艦Fourth ship
1942年(昭和17年)2月8日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加。
イギリス海軍Royal Navyの戦艦プリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince
of Walesと巡洋戦艦レパルスBattlecruiser
Repulseは上陸部隊Landing unitを撃滅すべくシンガポールSingaporeを出撃したが、マレー沖海戦Naval Battle of Malayaで日本軍Imperial Japanese Forcesは航空攻撃Air strikeにより両戦艦Both battleshipsを撃沈attack and sink。
第25軍Twenty-Fifth Armyはマレー半島Malay Peninsula西側をシンガポールSingaporeを目指して快進撃powerful attackを続け、1942年(昭和17年)1月31日にマレー半島Malay Peninsula最南端Southernmostのジョホール・バルJohor Bahruに突入storm
intoした。
百式司令部偵察機Type 100 Command Reconnaissance Aircraft 陸軍Army
百式司令部偵察機Type 100 Command Reconnaissance Aircraft 陸軍Army
百式司令部偵察機Type 100 Command Reconnaissance Aircraft 陸軍Army
1942年(昭和17年)2月8日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加。
シンガポールの戦いBattle of Singapore
第25軍Twenty-Fifth Armyは1942年(昭和17年)2月8日にジョホール海峡Straits of Johorを渡河Crossingしシンガポール島Singapore Islandへ上陸Landingした。
2月11日にはブキッ・ティマBukit Timah高地に突入するが、イギリス軍British Armed Forcesの砲火gunfireを受け動けなくなった。
2月15日、攻撃中止cease-fireもやむなしと考えられていたとき、イギリス軍British Armed
Forcesの降伏Surrenderの使者が到着した。
水源が破壊され給水が停止したことが抗戦resistanceを断念した理由であった。
イギリス軍British Armed Forcesは10万人が捕虜prisonerとなった。
一式戦闘機 隼I型 Type 1 Fighter Hayabusa Model 1
一式戦闘機 隼I型 Type 1 Fighter Hayabusa Model 1
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。
ホーカー・ハリケーンHawker Hurricane イギリス空軍Royal Air Force
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。
F2AバッファローBrewster F2A Buffalo アメリカ海軍US Navy
F2AバッファローBrewster F2A Buffalo アメリカ海軍US Navy
F2AバッファローBrewster F2A Buffalo アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。
ロッキード・ハドソンLockheed Hudson 米陸軍航空軍US Army Air Forces
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。
エンプレス・オブ・エイジアEmpress of Asia
イギリスBritish Empireの軍隊輸送船Troopship
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeで、日本陸軍機Imperial Japanese
Armyによる攻撃を受けて撃沈attack and sinkされる。
ブリストル・ブレニムBristol Blenheim イギリス空軍Royal Air Force
1942年(昭和17年)2月8日からの、シンガポールの戦いBattle of Singaporeに参加。
香港の戦いBattle of Hong Kong
1941年(昭和16年)12月9日、第23軍Twenty-Third Armyによるイギリス領香港British Hong Kongへの攻撃Attackが開始された。
準備不足のイギリス軍British Armed
Forcesは城門貯水池の防衛線を簡単に突破され、12月11日には九龍半島Kowloon Peninsulaから撤退Withdrawalした。
第23軍Twenty-Third Armyの香港島Hong Kong Islandへの上陸作戦Landing operationは12月18日夜から12月19日未明にかけて行われた。
香港島Hong Kong Island内では激戦Fierce battleとなったが、イギリス軍British Armed Forcesは給水を断たれ12月25日に降伏Surrenderした。
九八式軽爆撃機Type 98 Light Bomber 日本陸軍Imperial
Japanese Army
1941年(昭和16年)12月9日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。
九七式戦闘機Type 97 Fighter 日本陸軍Imperial
Japanese Army
九七式戦闘機Type 97 Fighter 日本陸軍Imperial
Japanese Army
1941年(昭和16年)12月9日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。
九七式司令部偵察機Type 97 Command Reconnaissance aircraft 陸軍Army
1941年(昭和16年)12月9日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。
軽巡洋艦五十鈴(いすず)Light cruiser Isuzu
長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisers
1941年(昭和16年)12月9日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。
ヴィッカース・ヴィルデビーストVickers Vildebeest イギリス海軍Royal Navy
1941年(昭和16年)12月9日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。
スーパーマリン・ウォーラスSupermarine Walrus イギリス海軍Royal Navy
1941年(昭和16年)12月9日からの、香港の戦いBattle of Hong Kongに参加。
フィリピンの戦いBattle of the Philippines
フィリピンの戦いBattle of the Philippines(1941年~1942年)
1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争Pacific War勃発とともに日本軍Imperial Japanese ForcesはフィリピンPhilippinesの連合国軍Allied forcesと戦闘Battleを開始、1942年(昭和17年)6月9日までに孤立した部隊を除き連合国軍Allied forcesの全部隊が降伏Surrenderして戦闘Battleは終了した。
重巡洋艦摩耶(まや)Heavy cruiser Maya
高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisersの3番艦Third ship
1941年(昭和16年)12月8日午後、日本軍Imperial Japanese Forcesはアメリカ領フィリピンUS Philippinesのクラーク空軍基地Clark Air Baseを空襲Airstrikeした。
第14軍Fourteenth Area Army主力は1941年(昭和16年)12月22日にルソン島Luzonに上陸Landingし、1942年(昭和17年)1月2日には首都マニラManilaを占領occupationした。
しかし、アメリカ極東陸軍U.S. Army Forces
Far Eastのダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur司令官Commanderはバターン半島Bataan Peninsulaに立てこもる作戦operationを取り粘り強く抵抗した。
45日間でフィリピンPhilippines主要部を占領occupationするという日本軍Imperial Japanese Forcesの予定は大幅に狂わされ、コレヒドール島Corregidorの攻略captureまでに150日もかかるという結果になった。
軽巡洋艦長良(ながら)Light cruiser Nagara
長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisersの1番艦Lead ship。
12月20日、ダバオDavao攻略部隊は大きな抵抗を受けることなく上陸Landingに成功し、ダバオDavao市を占領occupationした。
1942年(昭和17年)1月2日、マニラManilaを占領occupation。
その後、バターンBataan、コレヒドールCorregidorを攻略capture。
1942年(昭和17年)5月下旬、ビザヤVisayas、ミンダナオ島Mindanao方面の米軍US Armed Forcesが武装解除Disarmamentし、日本Imperial Japanへの組織的抵抗は終了した。
また、この頃の日本軍Imperial Japanese ForcesがアメリカUnited Statesの植民地ColonyであったフィリピンPhilippinesまで制圧gain controlしたことで、太平洋Pacific Ocean方面の連合国軍総司令官Allied
Commander-Generalであったダグラス・マッカーサーDouglas MacArthurは多くのアメリカ兵American soldierをフィリピンPhilippinesに残したままオーストラリアAustraliaに逃亡した。
ダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur
私はアメリカ大統領President Rooseveltから、日本Imperial Japanの戦線を突破してコレヒドールCorregidorからオーストラリアAustraliaに行けと命じられた。
その目的は、私の了解するところでは、日本Imperial Japanに対するアメリカUSAの攻勢を準備することで、その最大の目的はフィリピンPhilippinesの救援にある。
私はやってきたが、必ずや私は戻るだろう。
I came
through and I shall return.
九六式四号艦上戦闘機Type 96 Carrier-based Fighter Model 4 海軍Navy
九六式四号艦上戦闘機Type 96 Carrier-based Fighter Model 4 海軍Navy
零戦二一型Zero fighter Model 21 日本海軍Imperial Japanese
Navy
零戦二一型Zero fighter Model 21 日本海軍Imperial Japanese
Navy
九八式陸上偵察機Type 98 Reconnaissance Aircraft 海軍Navy
九六式陸上攻撃機Type 96 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy
九六式陸上攻撃機Type 96 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy
一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy
一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy
二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese
Navy
二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese
Navy
二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese
Navy
二式飛行艇Type 2 Flying Boat 日本海軍Imperial Japanese
Navy
B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress
B-17フライング・フォートレスBoeing B-17 Flying Fortress
アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces
P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk 米陸軍航空軍US Army Air Forces
P-40ウォーホークCurtiss P-40 Warhawk 米陸軍航空軍US Army Air Forces
セバスキーP-35 Seversky P-35 アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps
P-26ピーシューターBoeing P-26 Peashooter
アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps
B-18ボロDouglas B-18 Bolo アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps
A-20ハボックDouglas A-20 Havoc アメリカ陸軍航空隊US Army Air Corps
マーティンB-10 Martin B-10 アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces
グアムの戦いBattle of Guam
アメリカ領グアム島US Guamへは1941年(昭和16年)12月10日未明に南海支隊(第55師団55th
Division)と海軍陸戦隊Navy Land Forcesとが上陸landingした。
アメリカUSAは日本Imperial Japanの勢力圏Sphere of influenceに取り囲まれたグアム島Guamの防衛defenseを当初から半ばあきらめていた。
守備隊Garrisonは同日中に降伏Surrenderした。
敷設艦津軽(つがる)Minelayer Tsugaru
駆逐艦夕月(ゆうづき)Destroyer Yuzuki
睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers
ウェーク島の戦いBattle of Wake Island
アメリカ領ウェーク島US Wake Islandは中部太平洋Central Pacificにおけるアメリカ軍US Armed Forcesの重要拠点Important baseのひとつであった。
1941年(昭和16年)12月11日、日本軍Imperial Japanese Forcesの攻略部隊invasion forcesはウェーク島Wake Islandへ砲撃Bombardmentを開始したが、反撃Counterattackにより逆に駆逐艦疾風Destroyer Hayateと駆逐艦如月Destroyer Kisaragiが撃沈attack and sinkされ、上陸作戦Landing operationは中止となった。
1941年(昭和16年)12月21日、ハワイHawaiiから帰投中の機動部隊Mobile Unit/Forceの一部を加えて攻撃attackが再開され、アメリカ海兵隊United States
Marine Corpsは激しく抵抗したものの12月23日に降伏Surrenderした。
F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat アメリカ海軍US Navy
F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat アメリカ海軍US Navy
駆逐艦疾風(はやて)Destroyer Hayate
神風型駆逐艦Kamikaze-class destroyers
駆逐艦如月(きさらぎ)Destroyer Kisaragi
睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers
空母蒼龍(そうりゅう)Aircraft carrier Soryu
空母飛龍(ひりゅう)Aircraft carrier Hiryu
蘭印作戦Dutch East Indies campaign
開戦後、戦況が予想以上に有利に進展したため、南方軍Southern
Expeditionary Armyはジャワ作戦Java campaignの開始日程を1ヶ月繰り上げた。
1942年(昭和17年)1月11日、第16軍Sixteenth Army坂口支隊56th DivisionはボルネオBorneoに上陸landing、同日、日本海軍Imperial Japanese
Navyの空挺部隊airborne troopsがセレベス島CelebesメナドManadoに降下し蘭印(オランダ領東インド)作戦Dutch East Indies campaignが開始された。
第16軍Sixteenth Armyは1942年(昭和17年)1月25日にバリクパパンBalikpapan、1月31日にアンボンAmbon、2月14日にパレンバンPalembangと順次攻略captureしていった。
連合軍Allied forcesの艦隊Fleetはスラバヤ沖海戦Battle of the Java Seaとバタビア沖海戦Battle of Sunda
Straitで潰滅devastationさせられ、第16軍Sixteenth
Armyは1942年(昭和17年)3月1日に最終目標final goalのジャワ島Javaに上陸landingした。
ジャワ島Javaの連合軍Allied forcesは1942年(昭和17年)3月9日に降伏Surrenderし、予想外の早さで蘭印作戦Dutch East Indies
campaignは終了した。
バリクパパン沖海戦Battle of Balikpapan
1942年(昭和17年)1月24日未明にボルネオ島Borneo南部バリクパパンBalikpapanで発生。
重巡洋艦足柄(あしがら)Heavy cruiser Ashigara
妙高型重巡洋艦Myoko-class Heavy cruiser
駆逐艦山風(やまかぜ)Destroyer Yamakaze
白露型駆逐艦Shiratsuyu-class destroyer
パレンバン空挺作戦Palembang Airborne operation
1942年(昭和17年)2月14日
パレンバン空挺作戦Palembang Airborne operation
百式輸送機Type 100 Transport aircraft 日本陸軍Imperial
Japanese Army
ロ式輸送機 ロッキードL14スーパーエレクトラLockheed L14 Super Electra
日本陸軍Imperial Japanese Army
九七式重爆撃機 The Type 97 Heavy Bomber 陸軍Army
バリ島沖海戦Battle of Badung Strait
1942年(昭和17年)2月19日~20日
駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyersの1番艦Lead ship
駆逐艦大潮(おおしお)Destroyer Oshio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyersの2番艦Second ship
駆逐艦満潮(みちしお)Destroyer Michishio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers 3番艦Third
ship
駆逐艦荒潮(あらしお)Destroyer Arashio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers 4番艦Fourth
ship
バタビア沖海戦Battle of Sunda Strait
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日
軽巡洋艦名取(なとり)Light cruiser Natori
長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisersの3番艦Third ship
軽巡洋艦由良(ゆら)Light cruiser Yura
長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisersの4番艦Fourth ship
重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami
重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami
重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami
重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogami
最上型重巡洋艦Mogami-class heavy cruisers 1番艦lead
ship
誤射Friendly fireにより揚陸艦神州丸(しんしゅうまる)以下複数の友軍船Friendly warshipを撃沈attack and sinkしてしまった。
揚陸艦神州丸(しんしゅうまる)Landing ship Shinshu Maru
重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogamiの誤射Friendly fireにより沈没sunk。
重巡洋艦ヒューストンHeavy cruiser Houston アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Straitで沈没sunk。
軽巡洋艦パースLight cruiser Perth オーストラリア海軍Royal Australian
Navy
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Straitで沈没sunk。
駆逐艦エヴェルトセンDestroyer Evertsen
オランダ海軍Royal Netherlands Navy
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Straitで日本海軍Imperial Japanese
Navyの駆逐艦Destroyerの攻撃を受け、セグク島に座礁した。
ビルマの戦いBurma campaign
第15軍Fifteenth Armyは1941年(昭和16年)12月8日以降タイThailand国内に順次進駐advanceし、タイThailand・ビルマBurma国境Borderに集結した。
1942年(昭和17年)1月18日、第15軍Fifteenth Armyは第33師団33rd
Divisionと第55師団55th Divisionをもって国境Borderを越えイギリス領ビルマBritish Burmaへ進攻advanceし、3月8日にラングーンRangoonへ入城した。
さらに第18師団18th Divisionと第56師団56th
Divisionの増援を加えて1942年(昭和17年)4月上旬から北部ビルマNorthern Burmaへの進撃attackを開始、イギリス軍British Armed forcesと中国軍Chinese Armed
forcesを退却させて1942年(昭和17年)5月下旬までにビルマBurma全土whole countryを制圧overwhelmした。
九九式双発軽爆撃機Type 99 Twin-engined Light Bomber 陸軍Army
二式戦闘機「鍾馗」 Type 2 Fighter Shoki (Demon) 陸軍Army
二式戦闘機「鍾馗」 Type 2 Fighter Shoki (Demon) 陸軍Army
九九式軍偵察機Type 99 Army Reconnaissance Plane 陸軍Army
九九式軍偵察機Type 99 Army Reconnaissance Plane 陸軍Army
ラバウルの戦い1942年 Battle
of Rabaul 1942
南海支隊(第55師団55th
Division)は次いで1942年(昭和17年)1月23日にオーストラリア委任統治領Australian mandatory territoryのニューブリテン島New BritainラバウルRabaulに上陸landingした。
ラバウルRabaulは、トラック島Truk Islandの日本海軍Imperial Japanese Navy基地baseを防衛defenseし、アメリカUSAとオーストラリアAustraliaとの連絡contactを妨害Interfereする上での重要拠点Important baseであった。
守備隊Garrisonのオーストラリア軍Australian Armed forcesは2月6日までに降伏Surrenderした。
九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 海軍Navy
九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft 海軍Navy
太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia
War)中、1942年(昭和17年)の1月から2月にかけてオーストラリア委任統治領ニューギニアAustralian Territory of New Guinea(現パプアニューギニアPapua New Guinea、ビスマルク諸島Bismarck
Archipelago)ニューブリテン島island of New
Britainで行われた戦いBattle。
日本Imperial Japanでは「R作戦Operation R」の一環として知られており、隣のニューアイルランド島New Ireland islandでの戦いBattleもこの戦闘の一部とされる。
ラバウルの港the port of Rabaulを占領occupationした後、日本軍Imperial Japanese Forcesはこの港portを大規模な基地baseとし、また航空基地Air baseを整備した。
日本軍Imperial Japanese ForcesはラバウルRabaulを拠点Baseにニューギニア本島New Guineaに進出Advanceし、更にはポートモレスビーPort Moresbyやオーストラリア大陸The continent of Australiaを目指した。
九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 海軍Navy
九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber 海軍Navy
ラバウル空襲Air attacks on Rabaul
1942年(昭和17年)1月4日、トラック島Truk Islandを基地baseとする第四艦隊所属の第二十四航空戦隊の九六式陸上攻撃機16機が、夜間には九七式飛行艇9機が初めてラバウルRabaulの飛行場Airfieldを爆撃Bombingした。
1942年(昭和17年)1月6日、7日、16日にも爆撃Bombingを行った。
ラバウルRabaulの攻略captureは主として、日本陸軍Imperial Japanese
Armyの南海支隊southern sea Detachmentによって実施されたが、日本海軍Imperial Japanese
Navyの南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/Forceは臨時に南洋部隊South Sea troopsの指揮下に入り、この作戦operationに協力するように命じられていた。
九七式大型飛行艇Type 97 Large Flying Boat 海軍Navy
1942年(昭和17年)1月20日ニューアイルランド島New Ireland island北東海面に進出した空母Aircraft carrier 4隻(第一航空戦隊〈赤城(あかぎ)、加賀(かが)〉、第五航空戦隊〈瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく)〉)から、赤城(あかぎ)飛行隊長淵田美津雄(ふちだ・みつお)海軍中佐Navy Commanderを総指揮官supreme commanderとする108機がラバウルRabaulを攻撃し、飛行場Airfield、海岸砲台Coastal batteryを爆撃Bombingしたほか、敵戦闘機Fighter aircraft 5機の撃墜破Shoot downを報告し、九七式艦上攻撃機1機が被撃墜Shoot downされた。
1月21日、一航艦の第一航空戦隊52機はカビエンKaviengを空襲Air attackし、第五航空戦隊の46機はラエLae、サラモアSalamaua、マダンMadangなどを攻撃Attack。
空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi
空母赤城(あかぎ)Aircraft carrier Akagi
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayで沈没Sunk。
1月22日、第一航空戦隊の46機が再びラバウル空襲Air attacks on Rabaulを実施した。
1月23日には零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter、九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier
Bomberの計48機で日本陸軍Imperial Japanese Armyの上陸部隊Landing unitを支援し、日本Imperial JapanはラバウルRabaulの攻略captureに成功したが、その直後から頻繁に敵機Enemy aircraftが同地に対する空襲Air attackを輸送船Transport shipや地上部隊Ground troopsに行い、陸海軍Army and Navyを悩ませた。
空母加賀(かが)Aircraft carrier Kaga
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayで沈没Sunk。
アメリカ軍US Armed Forcesは空母Aircraft carrier機動部隊Mobile
Unit/Forceによるマーシャル諸島Marshall Islandsなどへの散発的な空襲Airstrikeを行っていたが、日本軍Imperial Japanese ForcesのラバウルRabaul進攻Advanceを察知し、空母レキシントンAircraft carrier
Lexingtonを基幹Coreとする機動部隊Mobile Unit/Forceを派遣し、一撃離脱Hit-and-runに限定した空襲Air attackを計画した。
しかし1942年(昭和17年)2月20日に日本軍Imperial Japanese Forcesに発見され、ラバウルRabaul基地baseより発進した一式陸上攻撃機Type 1 Land-based
Attack Aircraftに攻撃Attackを受けたことから、作戦継続を断念して引き返した(ニューギニア沖海戦Action off
Bougainville)。
ダーウィン空襲Bombing of Darwin
ダーウィン空襲Bombing of Darwin
PBYカタリナConsolidated PBY Catalina アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)2月19日、ダーウィン空襲Bombing of Darwinで撃墜される。
ダーウィン空襲Bombing of Darwin
1942年(昭和17年)2月19日、オーストラリアAustralia史上で最大規模の他国勢力foreign powersによる攻撃Attackが行われた。
後にダーウィン空襲Bombing of Darwin、別名ダーウィンの戦いThe Battle of Darwinとして知られる。
同2月19日、計242機の日本軍機Imperial Japanese Aircraftが2回に分けてダーウィン湾Darwin Bayの市街地Urban area、艦船shipそして市街地付近に建設された2つの飛行場Airfieldを攻撃Attackした。
攻撃Attackは第二次世界大戦World War II中に日本軍Imperial Japanese ForcesのティモールTimor、ジャワ島Java侵攻invasionを阻止obstructしようとする連合国軍Allied forcesがダーウィンDarwinの飛行場Airfieldを基地baseとするのを妨害Interferenceする目的で行われた。
C-47スカイトレインDouglas C-47 Skytrain 米陸軍航空隊US Army Air Corps
1942年(昭和17年)2月19日、ダーウィン空襲Bombing of Darwinで機銃掃射Strafingを受ける。
ダーウィンDarwinは攻撃offenseの規模に比べると防備Defenseが軽く、日本軍Imperial Japanese Forcesはほとんど損害lossを被らずに連合国United Nationsに重大な被害damageを与えた。
ダーウィンDarwinの都市部Urban areaも空襲Airstrikeにより被害damageを受け、非戦闘員Non-combatantの死者も多数出た。
攻撃Attackの直後に、ダーウィンDarwinの非軍属市民Non-civilian employeeの半分以上が完全に街を離れた。
この時に日本軍Imperial Japanese Forcesが行った2回の空襲Airstrikeは、1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)にかけて100回以上日本がオーストラリア軍Australian Armed
forcesに対して行った空襲Airstrikeのうち、一番早く、かつ大規模に行われたものであった。
駆逐艦ピアリーDestroyer Peary アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)2月19日、ダーウィン空襲Bombing of Darwinで沈没Sunk。
珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea
珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea
大東亜戦争Greater East Asia War(太平洋戦争Pacific War)中の1942年(昭和17年)5月上旬、MO作戦Operation
Mo中に日本海軍Imperial Japanese Navyと連合国軍Allied forces(アメリカ合衆国USA・オーストラリアAustralia)の間で発生した戦闘Battle。
ポートモレスビーPort Moresby攻略captureを目指して珊瑚海Coral Seaに進出する日本軍Imperial Japanese Forcesの計画を知った連合国軍Allied forcesが先に進出し、空母機Carrier-based
aircraftで日本Imperial Japanの攻略部隊invasion forcesを空襲Air attackしたため、日本海軍Imperial Japanese
Navyが空母aircraft carrier機動部隊Mobile Unit/Forceで敵空母Enemy aircraft carrierを捕捉しようとして発生した。
駆逐艦菊月(きくづき)Destroyer Kikuzuki
睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
1942年(昭和17年)5月8日の戦闘Battleでは、米空母US aircraft carrier 2隻(レキシントンLexington、ヨークタウンYorktown)と日本海軍Imperial Japanese Navyの空母aircraft carrier 2隻(瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく))がattackを交わした。
この海戦Naval Battleは対抗する両艦隊Both fleetsが互いに相手の艦shipを視界内に入れずに行われた、歴史上最初の海戦Naval Battleとなった。
空母祥鳳(しょうほう)Aircraft carrier Shoho 軽空母Light aircraft
carrier
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
この海戦Naval battleで大型Large空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonを失ったアメリカ軍US Armed Forcesに対し、日本軍Imperial Japanese Forcesも小型Light空母祥鳳Aircraft carrier Shohoを失い、翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier
Shokakuも損傷damageした。
この結果、海路Sea routeからのポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track
campaignを断念した日本軍Imperial Japanese Forcesは陸路Land routeからの作戦に切り替えたものの、山脈越えの難行軍hard marchにより補給が途絶えてポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track
campaignは失敗する。
空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで損傷damage。
連合軍Allied forcesの損害lossは空母aircraft carrier 1隻に対し、日本軍Imperial Japanese Forcesの損害lossは軽空母Light Aircraft carrier 1隻と戦術的には日本海軍Imperial Japanese
Navyの勝利victoryに終わったが、日本Imperial Japanese機動部隊Mobile Unit/Forceも艦載機Carrier-based
aircraftや操縦士Pilotを多数消耗し、日本海軍Imperial Japanese
Navyはこの後の作戦続行が不可能としてポートモレスビーPort Moresby攻略captureを断念した。
駆逐艦シムスDestroyer Sims アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
さらに日本海軍Imperial Japanese Navyはこの海戦Naval Battleで損傷damageした空母aircraft carrierを後のミッドウェー海戦Battle of Midwayで復帰Returnさせることが出来なかったのに対し、連合軍Allied forcesは空母aircraft carrierをミッドウェー海戦Battle of Midwayに復帰Returnさせることが出来たので、この空母aircraft carrierの戦線復帰Return to the frontはミッドウェー海戦Battle of Midwayにおける勝利victoryを左右した。
空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktown アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで損傷damage。
空母レキシントンAircraft carrier Lexington
空母レキシントンAircraft carrier Lexington
空母レキシントンAircraft carrier Lexington
空母レキシントンAircraft carrier Lexington
空母レキシントンAircraft carrier Lexington
空母レキシントンAircraft carrier Lexington
レキシントンCV-2 Aircraft carrier Lexington CV-2
アメリカ海軍US Navy
レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriers 1番艦Lead
ship
就役In service 1927年(昭和2年)12月14日
全長Length 270.66m
排水量Displacement 36,000metric tons
最大速力Top speed 33.25knots(61.6km/h)
乗員数Complement 2,791
搭載機数Aircraft carried 78
空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonは、アメリカ海軍US Navyの航空母艦Aircraft carrier。
レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriersのネームシップName ship。
艦名ship nameは、アメリカ独立戦争American War of
Independence時のレキシントン・コンコードの戦いBattles of
Lexington and Concordに由来する。
「空母の女王Qeen of the Flat-tops」、「レディ・レックスLady Lex」、「グレイ・レディGray Lady」の愛称Nicknameで呼ばれた。
1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor時、空母レキシントンAircraft carrier
Lexingtonはミッドウェー島Midway Islandsに航空機fighter aircraftを輸送ferryingする任務についていた。
以降の太平洋戦争Pacific Warでは、まずハワイHawaii周辺の哨戒や作戦に従事する。
1942年(昭和17年)2月よりウィルソン・ブラウンWilson Brown提督Admiralが指揮する第11任務部隊Task Force 11の中核として南太平洋South Pacificや珊瑚海Coral Seaで活動し、2月下旬のニューギニア沖海戦Action off Bougainvilleに参加、ラバウル航空隊Rabaul Air Corpsと交戦する。
つづいて第17任務部隊Task Force 17の空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownと共にラエ・サラモアへの空襲Invasion of
Salamaua–Laeを実施した(東部ニューギニアの戦いNew Guinea Campaign)。
1942年(昭和17年)5月上旬、日本軍Imperial Japanese Forcesのポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track campaign(MO作戦Operation Mo)を阻止するため、フランク・J・フレッチャーFrank Jack Fletcher提督Admiralの第17任務部隊Task Force 17(ヨークタウンYorktownほか)とオーブリー・フィッチAubrey Fitch提督Admiralの第11任務部隊Task Force 11(レキシントンLexingtonほか)は珊瑚海Coral Seaに進出する(珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea)。
5月7日、空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownと空母レキシントンAircraft carrier
Lexington攻撃隊attack forcesは軽空母祥鳳(しょうほう)Light aircraft
carrier Shohoを撃沈attack and sinkした。
翌5月8日、MO作戦Operation
Mo機動部隊Mobile
Unit/Forceの第五航空戦隊Fifth Carrier Division(空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier
Zuikaku、空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier
Shokaku)艦上機Carrier-borne aircraftによる空襲Airstrikeを受け、空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownに爆弾bomb 1発が命中、空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonに爆弾bomb 2発と魚雷torpedo 2本が命中する。
空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonは応急修理Emergency repairに努めたが、気化燃料が爆発して大火災conflagrationとなり、駆逐艦フェルプスDestroyer Phelpsにより雷撃torpedo attack処分された。
レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriers
1番艦Lead ship 空母レキシントンAircraft carrier
Lexington
2番艦Second ship 空母サラトガAircraft carrier
Saratoga
駆逐艦フェルプスDestroyer Phelps アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで、空母レキシントンAircraft carrier
Lexingtonを雷撃torpedo attack処分した。
SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy
SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy
SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless
1942年(昭和17年)5月、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaでアメリカ海軍US Navyは初めてSBDドーントレスDouglas SBD Dauntlessを使用した。
SBD-3は、共同で運用された雷撃機Torpedo bomber TBDデヴァステイターDouglas TBD
Devastatorの性能が貧弱で、日本艦隊Imperial Japanese
Fleetに有効な打撃を与えられない中、空母祥鳳Aircraft carrier Shohoを撃沈attack and sinkし、空母翔鶴Aircraft carrier Shokakuを中破half damageさせた。
TBDデヴァステイターDouglas TBD Devastator アメリカ海軍US Navy