2節 アメリカの戦車 US Tank
フューリー Fury 2014年(平成26年)
エリニュス Erinys (フューリー Fury)
復讐の女神Goddess of revenge
クロノスCronusが父father・ウラノスUranusの男根genitaliaを断ち切ったcastratedとき、大地earth・ガイアGaeaの上に滴った血drops of bloodから生まれたbornと言われ、暗く原初的primitive、地母神Earth Mother
Goddess的な神格Deityである。
概観 general view
概観 general view
M1戦闘車 M1 Combat Car 8.52t
M1戦闘車 M1 Combat Car M1軽戦車 Light Tank, M1 8.52t
アメリカ陸軍US Army 1937年(昭和12年)~1943年(昭和18年)
M2軽戦車 M2 Light Tank 11.6t
1935年(昭和10年)に開発Developmentされたアメリカ陸軍US Armyの軽戦車Light tank。
アメリカ陸軍US Armyに配備deploymentされたM2軽戦車M2 Light Tankは、大半Mostlyが訓練trainingに使用usedされた。
少数のM2軽戦車M2 Light Tankだけが、太平洋戦争Pacific War中にガダルカナル島の戦いBattle
of Guadalcanalで海兵隊Marine Corpsにより実戦Actual battle使用され、その後も1942年(昭和17年)中は太平洋戦線Pacific Warの一部に配備deploymentされた。
M2中戦車 M2 medium tank 18.7t
1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)
アメリカ陸軍US Armyの歩兵部隊Infantry unit用戦車tankで、アメリカ陸軍US Army初の量産Mass productionされた制式中戦車Medium tankである。
フランス戦Battle of Franceなどの戦訓combat lessonによりこのM2中戦車 M2 medium tankが時代遅れobsoleteであることがすぐに明らかになり、主に訓練用for training
purposesとして用いられた。
M3軽戦車スチュアート
Light Tank M3 Stuart 12.9t
M3スチュアート M3 Stuart M3軽戦車 Light Tank M3
アメリカ陸軍United States Army 1941年(昭和16年)~1944年(昭和19年)
12.9 metric tons
Crew 4 (commander, gunner,
driver, assistant driver)
M2軽戦車M2 Light Tankの後継戦車Successor。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart
フランスを侵攻invasion of FranceするI号戦車Type I TankとII号戦車Type II Tank
フランス戦Battle of France(ナチス・ドイツのフランス侵攻Nazi
German invasion of France)での戦訓combat lessonから、なお一段と強力な戦車Powerful tankが必要necessaryであると考えられ、1940年(昭和15年)7月にはM2軽戦車M2 Light Tankを土台baseとした新型軽戦車New model Light Tankの開発Developmentが始まっている。
この新型軽戦車New model Light TankはM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartとして完成Completeし、1941年(昭和16年)3月にM2軽戦車M2 Light Tankの生産productionは打ち切られたCensored。
イギリス軍British Armed
ForcesはM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartを北アフリカでの戦いNorth African campaignに投入throw inし、その信頼性の高さHigh reliabilityから親しみを込めてWith
friendliness 「ハニーHoney」という愛称Nicknameで呼ばれた。
十字軍作戦 Operation Crusader
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartが北アフリカNorth africaに到着した直後には十字軍作戦Operation Crusaderが発動され、本車も1ヶ連隊(約150輌)が参加した。
ここではM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartは巡航戦車Cruiser tank代わりとして活用utilizedされたが、火力Firepower・装甲Armorともに不足Lackしており多くの損害damageを出した。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartは信頼性が高くHigh reliability、機動力に優れたExcellent mobility軽戦車Light tankではあったが、車体が小さくより大きな砲Big Artilleryが搭載できなかったこと、および履帯幅Track widthが狭く接地圧pressure of ground contactが高いこと、航続距離Cruising distanceが短いこと等の欠点Disadvantageがあった。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman
このため北アフリカNorth africaでの戦闘任務Combat missionは、新たに供給supplyされたM4中戦車シャーマンMedium
Tank M4 Shermanにより取って代わられreplaced、M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartは偵察任務Reconnaissance
missionにまわされるようになった。
この後、チュニジアTunisiaで戦ったアメリカ軍US Armed ForcesのM3A1軽戦車スチュアートもドイツ戦車German tankに挑んで大損害heavy damageを出し、この階級classの軽戦車Light tankがドイツ軍German Armed Forces相手に戦車戦tank warfareや歩兵支援Infantry supportを行うことの限界を露呈exposed the limitsしてしまった。
M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart
更に1942年(昭和17年)中期以降は、新型New modelのM5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuartが配備deploymentされ始め、次第に押し出される形でIn the form of being pushed out gradually 1943年(昭和18年)にはアメリカ軍US Armed Forcesの第一線装備first line of equipmentから外されたRemoved。
自由フランス軍Free French Armed
Forcesや自由ポーランド軍Free Polish Armed Forces、ビルマBurma方面areaのイギリス軍British Armed
ForcesなどではM3A3軽戦車が使われ続けていたが、ヨーロッパEuropeのイギリス連邦軍British Commonwealth Armed ForcesではM3A3軽戦車の砲塔Gun Turretを撤去removeし、弾薬運搬車Ammunition carrierや砲牽引車Artillery tractorに改造Remodelingされたものも多い。
スチュアート・レッキStuart
recce 偵察車scout car
またイタリア戦線Italian frontのイギリス軍British Armed ForcesではやはりM3A3軽戦車の砲塔Gun Turretを撤去remove、武装armamentを機銃のみMachine gun onlyとして軽量化lighteningし機動力を増加Increased mobilityさせた、スチュアート・レッキStuart recce偵察車scout carに改造Remodelingされている。
一方の太平洋戦争Pacific Warでは開戦時At the beginning of the warにフィリピンPhilippinesに第192戦車大隊Tank battalion(M3軽戦車54輌)、第194戦車大隊Tank battalion(M3軽戦車53輌)が配備されていた。
九五式軽戦車 Type 95 light tank
この中において1941年(昭和16年)12月22日に日本軍Imperial Japanese Forcesがルソン島Luzonに上陸landingした際、これを迎撃Interceptionに出たM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart 15輌は戦車第4連隊第2中隊第1小隊所属の九五式軽戦車Type 95 light tankと戦闘battleを行っている。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartの正面装甲Front armorは九五式軽戦車Type 95 light tankの37 mm 砲37 mm tank gunを全て跳ね返したが、被弾炎上、履帯切断、敵小隊長車による体当たり等により5輌が行動不能Incapacitatedとなり撃退Repelされた。
なおこれが日米初First in
Japan and the United Statesの戦車戦tank
warfareであるとされる。
バターン半島攻略戦 Battle of Bataan
その後空襲Air raidなどにより損害が増えつつあった両戦車大隊Tank battalionはバターンBataanに後退して再び戦車部隊Tank unitとして再編成、1942年(昭和17年)4月8日まで歩兵部隊Infantry unitと共にバターン半島Bataan Peninsulaの死守し、第一次バターン半島攻略戦First Battle of Bataanでは日本軍Imperial Japanese Forcesの攻略captureを食い止めた。
九七式中戦車Type 97 medium tank
続いて第二次バターン半島攻略戦Second Battle of Bataanにおいて、戦車第7連隊 臨時松岡中隊所属の一式四十七粍戦車砲を搭載した九七式中戦車Type 97
medium tank改と交戦しており、松岡中隊側の戦闘詳報によれば航空支援との共同で3輌のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartを撃破Defeat、臨時松岡中隊側には損害無しと表記されてある。
結果としてはフィリピンPhilippines方面では制空権Air superiority、制海権Command of the Seaを奪われ、第二線Second line、第三線Third lineの防衛線Defense lineが突破Breakthroughされたこともあり両大隊Both battalionsは残存車輛Remaining vehicleを全て破壊destructionした上で降伏Surrenderした。
ビルマの戦い Burma campaign
また、1942年(昭和17年)2月にビルマBurma(当時)のラングーンRangoonをめぐる戦いBattleではイギリスBritish第7機甲旅団隷下王立第2戦車連隊所属のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart(総数約115輌、又は150輌)が歩兵infantryの火力支援Fire supportなどで活躍activeした。
その中で華々しい活躍はラングーンRangoonの北東80 km に位置するペグーPegu付近では十数輌のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartが戦車第2連隊軽戦車中隊所属の九五式軽戦車Type 95 light tank 4輌を1,500 mの距離から撃破Defeatしている。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart
一方、同じくビルマの戦いBurma campaignの1942年(昭和17年)4月27~28日の戦闘Battleでは戦車第1連隊の九七式中戦車Type 97 medium tankと交戦Engagementするが、榴弾High Explosiveによる遠距離からの集中攻撃を受けて5輌のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartが撃破Defeatされている。
なお日本軍Imperial Japanese Forces側の損害は九七式中戦車Type 97
medium tank 1輌が被弾貫通により走行装置が破損、乗員死傷無しと戦闘詳報に記載されている。
ビルマの戦い Burma campaign
ただし第7機甲旅団7th Armoured Brigadeの活躍をもってしても日本軍Imperial Japanese Forcesの進撃を食い止めることはできず、1942年(昭和17年)5月には第7機甲旅団7th Armoured Brigadeは戦車tankを破壊し、チドウィン川Chindwin Riverを越えてラングーンRangoonから脱出し同市は日本軍Imperial Japanese Forcesの手に落ちている。
ガダルカナル島GuadalcanalのM2A4軽戦車M2A4 Light Tank、続いてM3スチュアートM3 Stuartと別のM2A4軽戦車M2A4 Light Tank
An M2A4 on Guadalcanal, followed by an
M3 Stuart and another M2A4
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartはその後もガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalやニューギニアの戦いNew Guinea Campaignなどで活躍activeしたが、ここでも新型New modelのM5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuartやより強力なM4中戦車シャーマンMedium
Tank M4 Shermanが配備deploymentされるようになると次第に前線から引き上げられGradually
pulled up from the front line、予備兵器Reserve weaponとなった。
なお予備ReserveとなったM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartの有効活用策Effective utilization measuresとして火炎放射器Flamethrowerを搭載loadした火炎放射戦車Flame
tank 「サタンSatan」が作られ、マリアナ諸島をめぐる戦いMariana and Palau Islands campaignで実戦に投入Put into actual
battleされた。
M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart
M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart 15t
アメリカ合衆国USAで開発され、第二次世界大戦World
War II中連合国軍Allied forcesが使用した軽戦車Light tank(15t)で、M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartの改良型improved versionである。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartと同じ、スチュアートStuartのニックネームnicknameで呼ばれていた。
イギリス軍British Armed
Forcesでは特に、スチュアートVI Stuart VIとして、M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartと区別された。
M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee 26.0t
アメリカ陸軍United States Army 1941年(昭和16年)~1942年(昭和17年)
26.0 metric tons Crew 6~7
第二次世界大戦World War IIに際してアメリカ合衆国United
States of Americaで開発Development・製造Manufacturingされた戦車Tankである。
グラントGrantおよびリーLeeという愛称nicknameでも知られるが、この2つの愛称nicknameはいずれもイギリスBritish Empireでのもので、イギリス軍British Armed Forces向けの仕様で生産されたものを南北戦争American Civil War時の北軍Union army将軍Generalユリシーズ・S・グラントUlysses S. Grantの名をとってグラント将軍General Grant、アメリカ陸軍United States Army 向けの仕様のままでイギリス軍British Armed Forcesに引き渡されたものを南軍Confederate armyの将軍Generalロバート・E・リーRobert E. Leeの名をとってリー将軍General Leeと命名したものである。
M2中戦車M2 Medium Tankの後継戦車Successor。
M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee
クルセイダー巡航戦車 Cruiser tank Crusader
M3中戦車リーMedium Tank M3 Leeはまずは北アフリカNorth africaの砂漠Desertでイギリス軍British Armed
Forcesの巡航戦車Cruiser tankとして活躍activeした。
従来Conventionalのイギリス製Made in Britain巡航戦車Cruiser tankが装備Equipmentした2ポンド砲2 pounder gunや6ポンド砲6 pounder gunは当初、砲弾shellが徹甲弾Armor-piercing
ammunitionしか準備されておらず、榴弾High Explosiveが配備deploymentされていないという深刻な問題serious problemを抱えていた。
強力な榴弾High Explosiveを発射でき、かつ対戦車戦闘Anti-tank combatでも有効な75 mm 砲75 mm Tank gunを装備EquipmentしたM3中戦車リー Medium Tank M3 Leeは大変よろこばれた。
同時期に導入introductionされていたクルセイダー巡航戦車 Cruiser tank Crusaderよりも機械的信頼性Mechanical
reliabilityが高かった。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman
1942年(昭和17年)も半ばになるとあらゆる面で優れたM4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanがイギリス軍British Armed
Forcesに配備deploymentされるようになったが、M3中戦車リーMedium Tank M3 Leeは1943年(昭和18年)5月にドイツ軍German Armed Forcesが北アフリカNorth africaから撤退Withdrawalするまで対戦車戦闘Anti-tank combatに用いられた。
その後、M3中戦車リーMedium Tank M3 Leeはオーストラリア軍Australian
Armed forcesに回され、太平洋の戦場Pacific battlefieldで使用された。
その後もイギリス軍British Armed Forcesに残った車輛vehicleはビルマ戦線Burma Campaignでの反攻Counterattackに投入throw inされ、まともな対戦車火器Anti-tank firearmsを持たない日本軍Imperial Japanese Forces相手に多大な威力を発揮したDemonstrated great
power to。
IV号戦車 Type IV Tank
タイガーI型戦車 Tiger I tank VI号戦車(ろくごう・せんしゃ) Type VI Tank
アメリカ軍US Armed Forcesはトーチ作戦Operation Torchやその後のチュニジアの戦いBattle
of TunisiaでM3中戦車リーMedium Tank M3 Leeを用いていたが、実戦経験practical
experienceの不足Lack ofもあり、ドイツアフリカ軍団German
African CorpsのIV号戦車Type IV TankやティーガーI重戦車Tiger I Heavy tankの前に大きな損害Great damageを出してしまった。
中戦車Medium Tankとして実戦Actual battle投入throw inされたのはシチリア島上陸作戦Sicilian
Campaignやイタリア戦Italian campaign初期の頃までで、M4中戦車シャーマンMedium
Tank M4 Shermanが戦列化するとともにその価値Valueは失われてlostいった。
M31戦車回収車 M31 Tank Recovery Vehicle
M33装軌式牽引車 M33 Prime Mover
その後は訓練用for trainingに用いられたり、M3中戦車リーMedium Tank M3 LeeをベースbaseにM31戦車回収車M31 Tank Recovery
VehicleやM33装軌式牽引車M33 Prime Mover等に改造Remodelingされ戦争終結End of warまで使用された。
サハラ戦車隊 Sahara 1943年(昭和18年) M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee
サハラ Sahara 1995年(平成7年) M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee
M4中戦車シャーマン
Medium Tank M4 Sherman
アメリカ陸軍United States Army
1942年(昭和17年)~1945年(昭和20年)
30.3 metric tons Crew 5
車長commander
砲手gunner
装填手loader
操縦手driver
副操縦手兼機銃手assistant
driver/bow gunner
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは、第二次世界大戦World War II時にアメリカ合衆国United States of Americaで開発Development・製造Manufacturingされた中戦車Medium tank(30トン級)で、通称aliasはシャーマンSherman。
高い機動力High mobilityと火力Firepowerを誇るアメリカUSAの代表的な戦車Tankである。
第二次世界大戦World War IIが勃発outbreakした1939年(昭和14年)、アメリカ陸軍US Armyは戦車Tank保有数Number of
possessionsが少なく、唯一の中戦車Medium tankであるM2中戦車M2 Medium Tankも時代遅れobsoleteで、陸上戦力Land forceには不安anxietyがあった。
これは、アメリカUSAがヨーロッパEuropeから大西洋Atlantic Oceanを隔てていた事や、当初は中立的な立場Neutral position(孤立主義Isolationism)を採っていた事にも起因するが、ナチス・ドイツNazi Germanyにより欧州Europeの連合国United Nationsが次々と陥落fallし、さらに東南アジアSoutheast Asiaに進出Advanceした日本Imperial Japanとの関係悪化Deterioration of relationshipなどから、1940年(昭和15年)頃には連合各国United Nationsへの武器貸与法(レンドリース法)Lend-Lease Actsを適用した支援supportやアメリカUSA自身の参戦Participationに備えて、全周旋回砲塔fully traversing central turretに大型砲Large cannonを搭載した戦車Tankが必要necessaryと認識recognitionされた。
M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee
しかし、当時のアメリカUSAでは大直径Large diameterの砲塔リングTurret ringを量産Mass productionできる体制Systemがなかったことから、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが開発Developmentされるまでの繋ぎとして車体に75mm砲main 75 mm gunを搭載するM3中戦車リーMedium Tank M3 Lee(25トン級)が先行生産Pre-productionされた。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが最初に戦闘battleに投入throw inされたのは、北アフリカ戦線North African campaignのエル・アラメインの戦いBattle of El Alameinであった。
アメリカ軍US Armed Forcesの機甲師団Armored divisionを投入throw inしようという計画もあったが、補給の問題Supply problemsもあってレンドリースLend-Leaseという形式でイギリス軍British Armed
Forcesに送られたものであった。
III号戦車 Type III Tank
エル・アラメインEl
Alameinに送られたM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは初期型のM4A1、M4A2であったが、50mm 60口径砲搭載のIII号戦車Type III Tankが主力のドイツアフリカ軍団German Africa CorpsにはM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは難敵powerful enemyであり、ドイツ軍German Armed Forces戦車tankは一方的に撃破Defeatされた。
特にM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが猛威を振るったのが75mmの榴弾High Explosiveによる88mm砲German 88 mm
anti-aircraft and anti-tank artillery gunへの攻撃であり、今までのイギリス軍British Armed
Forces戦車tankにはなかった破壊力destructive powerで、次々と88mm砲German 88 mm anti-aircraft and anti-tank artillery gunを撃破Defeatしたことがドイツ軍German Armed Forcesの致命的な痛手fatal
blowとなり、イギリス軍British Armed Forcesの勝利victoryに大きく貢献contributionした。
タイガーI型戦車 Tiger I tank VI号戦車(ろくごう・せんしゃ) Type VI Tank
しかし、その後のカセリーヌ峠の戦いBattle of Kasserine PassでタイガーI型戦車Tiger I tankと戦ったアメリカ軍US Armed ForcesのM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは、アメリカ軍US Armed Forces戦車兵Tank soldierが戦車戦tank warfareに不慣れなunaccustomedこともあって苦戦hard fightし、アメリカ軍US Armed ForcesはM3中戦車リー Medium
Tank M3 LeeとM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartも含めて183輌の戦車tankを失っている。
アメリカ軍US Armed ForcesはタイガーI型戦車Tiger I tankの脅威threatを知ると共に、ソ連Soviet UnionからV号戦車パンサーType V Tank Pantherの情報を仕入れていたが、どちらの戦車tankも接触頻度Contact frequencyが稀であったので、少数が配備deploymentされる重戦車Heavy tankであると誤った認識misrecognitionをして、既に決定していた76.2mm砲76.2mm tank gunを搭載する以上の対策をとることはなかった。
シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly(蛍)
一方で、イギリス軍British Armed ForcesはM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの対戦車能力anti-tank capability向上Improvedのため、アメリカ軍US Armed Forcesの76.2mm砲76.2mm tank gunよりは強力な17ポンド(76.2mm)対戦車砲Anti-tank gunを搭載したシャーマン・ファイアフライSherman Firefly(蛍)の開発Developmentを行っている。
アメリカ軍US Armed Forcesの分析とは異なり、ノルマンディー上陸作戦Normandy
landingsからのフランスでの戦いLiberation of Parisで、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanとパンサー戦車Panther tankやタイガーI型戦車Tiger I tankとの交戦頻度Engagement frequencyは高く、75mm砲main 75 mm gun搭載型はおろか76.2mm砲76.2mm tank gun搭載型も非力さPowerlessが明らかになった。
パンサー戦車 Panther tank
実際に戦われた戦闘距離Combat distanceであればパンサー戦車Panther tankのM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanに対する優位性Superiorityは殆どなく、印象とは異なり、パンサー戦車Panther tankが一方的に撃破Defeatされる例an instanceも存在した。
ノルマンディーの戦いBattle
of Normandyにおけるサン・マンヴュー・ノレの攻防戦Battle of Saint-Manvieu Noreでは、進撃してきた第12SS装甲師団のパンサー戦車Panther tank 12輛を、第2カナダ機甲旅団の9輛のM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman(一部がシャーマン・ファイアフライSherman Firefly)が迎撃Interceptionし、一方的にパンサー戦車Panther tank 7輛を撃破Defeatして撃退Repelしている。
M18ヘルキャット自走砲 M18 Hellcat Gun Motor Carriage
M18駆逐戦車 M18 Hellcat Tank destroyer
アラクールの戦いBattle of Arracourtにおいては、アメリカ軍US Armed Forces第4機甲師団がドイツ軍German Armed Forces第5装甲軍に大損害を与えて勝利したが、なかでもクレイトン・エイブラムスCreighton
Abrams中佐Lieutenant Colonel率いる第37戦車大隊は多数のパンサー戦車Panther tankを撃破Defeatしており、1944年(昭和19年)9月19日の戦闘Battleでは、巧みに地形を利用したM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanによって、待ち伏せ攻撃Ambush attackや追撃Pursuitで11輌ものパンサー戦車Panther
tankを撃破Defeat、また戦闘指揮所Combat Information
Centerを攻撃してきた14輌のパンサー戦車Panther
tankをM18ヘルキャットM18 Hellcat駆逐戦車Tank destroyerの小隊が迎え撃ち、一方的に8輌を撃破Defeatし撃退Repelしている。
アラクールの戦いBattle of Arracourtで第37戦車大隊は合計55輌のタイガー戦車Tiger
tankとパンサー戦車Panther tankを撃破Defeatしている。
バルジの戦い Battle of the Bulge
車両単体Vehicle aloneの性能specならM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを凌駕Surpassしたパンサー戦車Panther tankだが、高価expensiveで構造structureが複雑過ぎtoo complicatedのうえ、ドイツ国内Within Germanyの工業能力Industrial
capability低下Decreasedによる品質低下Quality
deteriorationで、戦場battlefieldでカタログ仕様Catalog specs通りの働きWork according to the catalog specificationsができなかった。
パンサー戦車 Panther tank
また低いLow稼働率rate of operationも致命的fatalで、バルジの戦いBattle of the Bulgeでは415輌のパンサー戦車Panther tankが投入Throw inされたが、2週間で180輌が撃破Defeatされ、残り235輌もまともに稼働Operationしていたのは45%の約100輌だった。
一方でM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは同時期にあらゆる原因で320輌喪失lossしたが、1,085輌が前線battlefrontにあり、うち980輌が稼働Operationし、パンサー戦車Panther
tankとの差は歴然であった。
結局は、正面からの撃ち合いShoot from
the frontではパンサー戦車Panther tankに分があったが、生産性Productivity、整備性Maintainability、耐久力Enduranceなどすべてを比較すると、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの方が優れていたexcellentという評価evaluationもある。
フューリー Fury 2014年(平成26年)
M4A3E8シャーマン M4A3E8 Sherman イージーエイト “Easy Eight”
フューリー Fury 2014年(平成26年)
M4A3E8シャーマン M4A3E8 Sherman イージーエイト “Easy Eight”
フューリー Fury 2014年(平成26年)
九七式中戦車 Type 97 medium tank 日本陸軍Imperial Japanese Army
北アフリカNorth africaおよびヨーロッパEuropeに加えて太平洋戦争Pacific Warにも投入Throw inされた。
戦車戦力Tank strengthが弱いweak日本軍Imperial Japanese ForcesにとってM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは非常な難敵powerful enemyで、サイパンの戦いBattle of Saipan、グアムの戦いBattle of Guam、ペリリューの戦いBattle of PeleliuなどでM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanと日本軍Imperial Japanese Forcesの九七式中戦車Type 97 medium tankや九五式軽戦車Type 95 light tankとの戦車戦tank warfareが戦われたが、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankの九七式五糎(せんち)七戦車砲Type 97 57 mm tank
gunや九八式三十七粍(みり)戦車砲Type 98 37 mm tank
gunはM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanに命中してもまるでボールのように跳ね返されたBounced offということで、日本軍Imperial
Japanese Forcesの戦車tankが一方的に撃破Defeatされることが多かった。
九五式軽戦車 Type 95 light tank 日本陸軍Imperial Japanese Army
日本軍Imperial Japanese Forcesの戦車兵Tank soldierはそのようなM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを「動く要塞Moving fortress」と称して恐れた。
それでも、戦車第2師団が戦ったルソン島の戦いBattle
of Luzonにおいては、重見支隊(支隊長:重見伊三雄少将。戦車第3旅団基幹の戦車約60両他)がリンガエン湾Lingayen Gulfに上陸landingしてきたアメリカ軍US Armed Forcesを迎撃Interceptionし、太平洋戦争Pacific War最大の戦車戦tank warfareが戦われた。
九七式中戦車改Type 97 medium tankに搭載された一式四十七粍(みり)戦車砲は、500ヤード(約457.2m)で67mmの装甲Armor、1,000ヤード(約914.4m)で55mmの装甲Armorを貫通Penetrationしたので、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの側面や後面の装甲Armorであれば、かなりの遠距離からでも貫通Penetration可能であり、戦車戦tank warfareで撃破DefeatされるM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanも少なくはなく、アメリカ軍US Armed Forcesは九七式中戦車Type 97 medium tank新砲塔型New turret typeを「もっとも効果的な日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank」と評して警戒した。
車体Bodyを地面に埋めた、即席の対戦車トーチカAnti-tank
Pillbox
戦車戦tank warfareでの不利disadvantageを痛感feel keenlyした日本軍Imperial Japanese Forcesは、その後の硫黄島の戦いBattle of Iwo Jimaや沖縄戦Battle of Okinawaでは、戦車tankの車体Bodyを地面に埋めてbury in
the ground、即席のinstant対戦車トーチカAnti-tank Pillboxとして使用するようになった。
そこで日本軍Imperial Japanese ForcesのM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman対策measuresは、待ち伏せambushによる速射砲Quick-firing gunと地雷Landminesと歩兵infantryによる肉弾攻撃Flesh bomb attackとなっていった。
沖縄戦 Battle of Okinawa
沖縄戦Battle of OkinawaではM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを主力main forceとするアメリカ陸軍US Armyの戦車隊Tank corpsが221輌撃破Defeatされたが、そのうち111輌が速射砲Quick-firing gunや野戦重砲heavy field artilleryなどの砲撃Bombardmentによる損害damageであった。
また沖縄戦Battle of Okinawaにおいては、日本軍Imperial Japanese Forcesは段ボールcardboard大の木箱wooden boxに爆薬explosiveを詰め込んだ急造爆雷run up Depth chargeを多数準備した。
日本兵Japanese soldierはこの急造爆雷run up Depth chargeをアメリカ軍US Armed Forces戦車TankのキャタピラCaterpillarに向けて投げつけるか、もしくは爆雷Depth chargeをもったまま体当たり攻撃Flesh bomb attackをかけた。
嘉数の戦い(かかず・の・たたかい) Battle of Kakazu
この特攻Special Attack戦術tacticsは効果があり、激戦Fierce battleとなった嘉数の戦い(かかず・の・たたかい)Battle of Kakazuでは、この歩兵infantryによる体当たり攻撃Flesh bomb attackで1日に6輌のM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが撃破Defeatされた。
M18ヘルキャット自走砲
M18 Hellcat Gun Motor Carriage 17.7t
M18駆逐戦車 M18 Hellcat Tank destroyer
M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriageは、第二次世界大戦World War II中に生産production・使用useされたアメリカ合衆国USAの対戦車自走砲Anti-tank Self-propelled gun (戦車駆逐車Tank destroyer)(17.7t)である。
非公式の愛称Nicknameは"ヘルキャットHellcat "(性悪女の意)。
アメリカ陸軍US Armyにおいて対戦車戦闘Anti-tank combatを行う戦車駆逐大隊Tank
Destroyer Battalionの装備Equipmentとして、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 ShermanのシャーシChassisを流用diversionし、3インチ(76.2mm)砲3-inch
gun M5を搭載したM10自走砲M10 Gun Motor
Carriageとはまた別に、より軽装甲Light armorで高速な一撃離脱戦法Hit-and-run tactics向きな車輌Vehicleの開発Developmentが進められていた。
第二次世界大戦World War IIではヨーロッパ戦線Operation
Europeに投入Throw
inされた。
M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriageの実戦参加Participation in actual battleは、1944年(昭和19年)1月のイタリアItalyのアンツィオ上陸作戦Battle of Anzio以降である。
M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriageは、ドイツ軍German Armed Forcesが軽戦車Light tankを改造Remodelingして作ったような、即席instantの対戦車自走砲Anti-tank Self-propelled gunとは比較にならないIncomparableほど完成度が高くHigh
degree of perfection、機動性も優れていたmobility was also excellent。
パンサー戦車 Panther tank
開発Developmentの構想conceptである機動性mobilityを活かした一撃離脱戦法Hit-and-run
tacticsで、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanには難敵powerful enemyであった重装甲Heavy armorのタイガー重戦車Tiger Heavy tankやパンサー中戦車Panther Medium tankの比較的装甲armorが薄い側面や後面に回り込んで撃破Defeatしている。
アメリカ軍US Armed Forces第4機甲師団がドイツ軍German Armed Forces第5装甲軍を撃破Defeatしたアラクールの戦いBattle
of Arracourtにおいて、1944年(昭和19年)9月19日の戦闘Battleでは、戦闘指揮所Combat command postを攻撃attackしてきた14輌のパンサー中戦車Panther
Medium tankをM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriageの小隊が迎え撃ち、一方的に8輌を撃破Defeatして撃退Repelしている。
数日間にM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriageは39輌のドイツ軍German Armed Forces戦車tankを撃破Defeatしたが、損失lossは7輌であった。
タイガーI型戦車 Tiger I tank VI号戦車(ろくごう・せんしゃ) Type VI Tank
続くバルジの戦いBattle of the Bulgeにおいては、バストーニュの戦いSiege of Bastogneで第705駆逐戦車大隊が活躍、得意の一撃離脱戦法Hit-and-run
tacticsでドイツ軍German Armed Forces戦車隊Tank corpsを翻弄、タイガー重戦車Tiger Heavy tankを含む39輌の戦車tank、その他多数の車両Vehicleを撃破Defeatして、バストーニュBastogneの防衛defenseに大いに貢献し、バルジの戦いBattle of the Bulgeが終わったのちは、敵戦車Enemy tankとの交戦Engagementも減り、主にトーチカPillboxなどの敵陣地Enemy baseへの砲撃任務Bombardment missionをこなしながらドイツGermany国内深くに進攻し、大量の捕虜Prisoner of warを獲得している。
終戦までにM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriageはヨーロッパ戦線Operation Europeにて216輌を失ったが、損失以上のドイツ軍German Armed Forces戦車tankを撃破Defeatし、全体的なキルレシオkill-ratioは2.3:1となっている。
ルソン島の戦いBattle of Luzon
第25歩兵師団25th Infantry
Divisionの部隊troopsが日本軍Japanese forcesと激しい戦闘fierce combatを繰り広げているバギオ近郊near Baguioのバレテ峠Balete Passの端で、米軍の分隊長squad leaderが、日本軍の陣地Japanese
positionだろうと思われる所を指さすpoints out。1945年(昭和20年)3月23日。
A squad leader points out a suspected Japanese
position at the edge of Balete Pass, near Baguio, where troops of the 25th
Infantry Division are in fierce combat with Japanese forces. 23 March 1945.
1944年(昭和19年)のフィリピン戦Battle of the Philippinesや翌1945年(昭和20年)の沖縄戦Battle of Okinawaなどの太平洋戦線Pacific Warでも実戦参加しているが、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankに対しては過剰な攻撃力Offensive power、小口径砲にも簡単に撃破Defeatされる防御力Defense powerはアンバランスUnbalanceであり、ほとんど支援砲撃用の自走砲Self-propelled gunとして使われた。
しかし、太平洋戦争Pacific War最大の戦車戦tank warfareが行われたルソン島の戦いBattle of LuzonにおいてはM18ヘルキャット自走砲M18
Hellcat Gun Motor Carriageと日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankの交戦記録もある。
九七式中戦車Type 97 medium tank
クラーク基地 Clark Air Base
1945年(昭和20年)1月29日に、クラーク基地Clark Air Baseに進攻してきたアメリカ軍US Armed Forces戦車隊Tank corpsに対して、戦車第2師団2nd Tank Division所属の岩下市平大尉率いる6輌の九七式中戦車 Type 97 medium tankが反撃、まず、九七式中戦車 Type 97 medium tankは遭遇したM7自走砲プリーストM7
Self-propelled artillery Priestを撃破Defeat、そこにM18ヘルキャット自走砲M18
Hellcat Gun Motor Carriageの駆逐戦車隊Tank destroyer corpsが駆け付け、1輌のM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriageが撃破Defeatされたが、4輌の九七式中戦車 Type 97 medium tankを撃破Defeatして撃退Repelした。
その後、M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun
Motor Carriage隊は日本軍Imperial Japanese Forcesの迫撃砲Mortarの砲撃Bombardmentでさらに1輌撃破Defeatされている。
M24軽戦車チャーフィー Light Tank M24 Chaffee
アメリカ陸軍United States Army
1944年(昭和19年)~1953年(昭和28年)
18.37 metric tons Crew 5
車長commander
砲手gunner
装填手loader
操縦手driver
副操縦手兼通信手assistant
driver/ radio operator
M24軽戦車チャーフィー Light Tank M24 Chaffeeは、第二次世界大戦World War IIにおいてアメリカ合衆国United States of Americaが使用した軽戦車Light Tankである。
愛称nicknameはアメリカ軍US Armed Forces戦車Tank開発Developmentのパイオニアpioneerであったアドナ・R・チャーフィー・ジュニアAdna R. Chaffee Jr.将軍generalにちなみチャーフィーChaffeeと名付けられた。
M3軽戦車スチュアートLight Tank M3
Stuart、M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuartシリーズの更新update用として、機甲作戦Armoured warfareにおいてより広範囲な任務Extensive missionを遂行できる新型戦車New model tankとして設計Design・開発Developmentが行われた。
M24軽戦車チャーフィーLight Tank M24
Chaffeeは1944年(昭和19年)末よりヨーロッパEuropeに送られ、最初に部隊配備Troop deploymentされた20輌が「バルジの戦いBattle of the Bulge」で初陣one's first battleを飾った。
機甲師団戦車大隊と機械化騎兵偵察大隊の軽戦車中隊Light tank companyに配備deploymentされ、ドイツ軍German Armed ForcesのIV号戦車Type IV Tankを撃破Defeatしている。
以降、配備deploymentされた車輌の少数が実戦を経験し、1945年(昭和20年)3月初め頃には、ドイツ国内Within Germanyのドマゲン近郊で、第4機甲偵察大隊F中隊のM24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffeeが、榴弾High Explosiveの爆発の衝撃での車内の即用弾薬を誘爆させる手段で、タイガー戦車Tiger
tank 2輌を撃破Defeatしたことが記録されている。
パンサー戦車 Panther tank
しかし、それまでのずんぐりしたアメリカ戦車US Tankと異なり、敵のパンサー戦車Panther tankのようなスマートな形状ゆえ味方から誤射shoot by mistakeされることもあり、「パンサー・パプス」(仔豹)などとも呼ばれた。
第二次世界大戦World War II後もアメリカ陸軍United
States Armyは主力軽戦車Main Light TankとしてM24軽戦車チャーフィーLight
Tank M24 Chaffeeを使用していたが、朝鮮戦争Korean WarにおいてT-34-85戦車T-34-85 Tankを相手に苦戦hard fightを強いられ、第二次世界大戦World War II後に開発Developmentが始まった戦後型軽戦車Light TankのM41軽戦車ウォーカー・ブルドッグLight
Tank M41 Walker Bulldogにその座を譲ることになる。
M24軽戦車チャーフィー Light Tank M24 Chaffee
バルジ大作戦 Battle of the Bulge 1960年(昭和35年)
バルジ大作戦 Battle of the Bulge 1960年(昭和35年)
M26パーシング M26 Pershing
アメリカ陸軍United States Army
1944年(昭和19年)~1945年(昭和20年)
41.9 metric tons Crew 5
車長commander
砲手gunner
装填手loader
操縦手driver
副操縦co-driver
M26パーシング M26 Pershingはアメリカ合衆国United States of Americaが第二次世界大戦World War II末期にドイツ軍German Armed Forcesの重戦車Heavy tankに対抗するために開発Developmentした重戦車Heavy tank(1946年(昭和21年)5月に中戦車Medium tankに分類変更)である。
「パーシングPershing」の名称は第一次世界大戦World War I時のアメリカUSAの将軍General、ジョン・パーシングJohn J.
Pershingからとったものである。
それまでのアメリカ軍US Armed Forces戦車Tankに付けられた愛称nicknameは、供与されたイギリス軍British Armed Forcesによるものであったが、M26パーシングM26 Pershingは初めてアメリカ軍US Armed Forces自身によって命名された。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの後継successorとして開発Developmentされていた試作戦車群より最終的に選定された重戦車Heavy tankで、先行量産型のT26E3は1944年(昭和19年)11月から生産production開始され、ドイツの降伏Germany's
surrenderまでに700輌以上が完成、最終的には1945年(昭和20年)の末までに合計2,000輌以上が生産productionされた。
エンジンとトランスミッションを変更した車両は改良Improvementの後M46パットンM46 Pattonとなった。
M26パーシングM26 Pershing・M46パットンM46 Pattonで確立された設計思想は少しずつ改良Improvementを加えられ発展developmentし、M47パットンM47 Patton、M48パットンM48 Patton、M60パットンM60 Pattonといった戦後Post-warアメリカ主力戦車US Main battle tankの系譜の祖Genealogy ancestorとなった。
タイガーII型戦車(にがた・せんしゃ) Tiger II tank
また、タイガーII Tiger II(キング・タイガーKing
Tiger)やスターリン3型戦車JS3 Tankに対抗すべく、M26パーシングM26 Pershingの設計designを拡大expansionし火力Firepowerや装甲Armourを強化ReinforcementしたT29重戦車Heavy Tank T29、T30重戦車Heavy Tank T30、T32重戦車Heavy Tank T32、T34重戦車Heavy Tank T34といった重戦車Heavy tankも試作され、これらに続くT43はM103重戦車120mm Gun Tank M103として量産化されている。
M46パットン M46 Patton
中戦車Medium Tank 44t
1949年(昭和24年)~1957年(昭和32年)
M46パットン M46 Pattonは、アメリカ合衆国USAで開発Development・製造Manufacturingされた戦車tankである。
同車の愛称nicknameであるパットンPattonは、第二次世界大戦World War II中にヨーロッパ戦線Western Frontで活躍したジョージ・パットンGeorge S. Patton陸軍Army大将Generalに由来する。
M46パットン M46 Pattonは実質的にはM26パーシング M26 Pershingの改良型Improved typeだが、M1エイブラムスM1 Abramsが開発Developmentされるまでアメリカ軍US Armed Forcesの主力戦車Main battle tankであったパットンシリーズPatton
tank familyの元祖originであり、以後開発DevelopmentされるM47パットンM47 Patton、M48パットンM48 Patton、M60パットンM60 Pattonの原型original formとなる存在である。
M41軽戦車ウォーカー・ブルドッグ
Light Tank M41 Walker Bulldog
アメリカ陸軍United States Army
1951年(昭和26年)~1954年(昭和29年)
23.49 metric tons Crew 4
車長commander
砲手gunner
装填手loader
操縦手driver
M41軽戦車ウォーカー・ブルドッグ Light Tank M41 Walker Bulldogは、アメリカ合衆国United
States of Americaが開発Developmentした軽戦車Light tankである。
愛称nicknameの“ウォーカー・ブルドッグWalker Bulldog”は朝鮮戦争Korean Warで第8軍の初代指揮官Commanding officerとしての任務中、交通事故死したウォルトン・ウォーカーWalton Walker中将Lieutenant generalにちなんで名付けられた。
1946年(昭和21年)にゼネラルモーターズ社General Motors CompanyがM24軽戦車チャーフィーLight
Tank M24 Chaffeeの後継Successorとして開発Developmentし、アメリカ陸軍United States
Armyを中心に西側諸国Western Blocで広く使用された軽戦車Light tankである。
61式戦車(ろくいちしき・せんしゃ) Type
61 tank
日本Japanの陸上自衛隊Japan Ground
Self-Defense Forceにおいても1960年(昭和35年)代初頭から1980年(昭和55年)代初期まで装備され、国産の61式戦車Type 61 tankの配備が進むまでは、M24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffee及びM4中戦車シャーマンMedium
Tank M4 Shermanと並ぶ自衛隊Self-Defense Forceの主力戦車Main battle tank(MBT)の一つであった。
M48パットン M48 Patton
52t 90mm砲90mm tank gun
1952年(昭和27年)
アメリカ合衆国USAが開発Developmentした第二次世界大戦World
War II後第1世代型主力戦車First generation
Main battle tankである。
愛称nicknameはパットンPatton。
パットンシリーズPatton
tank familyの第3弾、M46パットンM46 Patton、M47パットンM47 Pattonの後継戦車Successorである。
朝鮮戦争Korean Warの勃発outbreakにより急遽開発DevelopmentされたM47パットンM47 Pattonの後継Successorとして開発Developmentされたが、朝鮮戦争Korean Warには間に合わなかった。
更に部隊Troop配備deployment開始直後に確認されたソビエトSovietの新型New model主力戦車Main battle tankであるT-54中戦車T-54 Medium tankは、M48パットンM48 Pattonを上回る口径100mmの主砲D-10 tank gunと装甲Armourを持つと分析され、部隊Troop配備deployment開始とほぼ同時に後継SuccessorとなるM60パットンM60 Patton(開発当初名称M68)の開発Developmentが開始されて配備deploymentされた。
そのためアメリカ軍US Armed Forcesで主力戦車Main battle tankとして用いられた期間は短いが、ベトナム戦争Vietnam Warでは派遣部隊の主力戦車Main battle tankとして用いられた。
後に主砲Main gunを105mm砲105mm tank gunに変更modifyした改良型Improved typeが、M60パットンM60 Pattonの部隊配備Troop deployment開始後も州兵United States National Guard部隊Troopを中心に配備deploymentされて運用useされた。
アメリカ軍US Armed Forcesの他、冷戦Cold War下の西側諸国Western Blocに広く供与され、それらの国では独自の改修を加えた型が長らく使用useされている。
M60パットン M60 Patton
52t 第2世代主力戦車Second generation
main battle tank
1962年(昭和37年)~
アメリカ合衆国USAが開発Developmentした主力戦車Main battle tankである。
M46パットンM46 PattonからスタートしたパットンシリーズPatton
tank familyの最終モデルFinal modelであり、前作Previous workのM48パットンM48 Pattonの機動力mobile powerと火力Firepowerに改良Improvementを加えたモデルである。
愛称nicknameはパットンPattonとされるが、これは非公式であり、公式にはパットンシリーズPatton
tank familyともされていなかった。
ソ連Soviet UnionのT-54/55中戦車T-54/55 Medium tankに脅威threatを覚えたアメリカ陸軍US Armyが、1956年(昭和31年)に開発Developmentを開始した。
それまで、出力重量比が良い事や構造が簡易な事から戦車用にガソリン・エンジンgasoline engineを採用して来たアメリカ軍US Armed Forcesも、M60パットンM60 Pattonに至り被弾時の安全性や燃費の良さから最初からディーゼル・エンジンDiesel
engineを採用し、主砲Main gunも90mm戦車砲90 mm gunからイギリスUK製105mm戦車砲L7A1 Royal Ordnance L7に換装し、攻撃力Offensive powerを格段に向上Dramatically improvedさせた。
数々の改良点point for improvementはあるものの、M48パットンM48 Pattonとの根本的な差異fundamental
differenceはなく、総合的ComprehensivelyにはM48パットンM48 Pattonの改良型Improved typeである。
本来は、ソ連Soviet UnionのT-55中戦車T-55 Medium tankに対抗しうる本格的な次期主力戦車Main battle tankが登場するまでのストップギャップstop
gap(一時しのぎ)であり、短期間で引退する予定であったが、肝心のMBT-70計画の頓挫により長期に渡って使用される事となり、各型の合計生産台数は約2万輌を数え、アメリカ軍US Armed Forcesのみならず西側諸国Western Blocの標準的主力戦車Main battle tankとなった。
アメリカ軍US Armed Forcesでは、1991年(平成3年)の湾岸戦争Gulf Warまで使用され、その後も現在に至るまで各国で改良を重ねられて運用されている傑作戦車best tankであることは間違いないが、旧式化も進行しているため、様々な近代化改修プランが各国のメーカーから提案されている。
M1エイブラムス M1 Abrams
アメリカ合衆国USAが開発Developmentした主力戦車Main battle tankである。
エイブラムスAbramsの名は、開発Developmentを推進した人物であり、バルジの戦いBattle of the Bulgeの英雄でもあるクレイトン・エイブラムスCreighton
Abrams大将Generalに由来する。
M60パットンM60 Pattonの後継successorとして1970年(昭和45年)代に西ドイツWest Germanyと共同開発joint developmentを進めていたMBT-70計画の頓挫により、新たにアメリカUSA単独で開発Developmentし、1980年(昭和55年)に正式採用された戦後第3世代Third generation主力戦車Main battle tankである。
主に、アメリカ陸軍US Armyおよびアメリカ海兵隊US Marine Corpsが採用した。
動力機関Power engineには、当時の戦車tankの主流だったディーゼル・エンジンDiesel
engineではなく、ガスタービン・エンジンGas turbine engineを採用している。
主砲Main gunには西側Western Bloc第2世代Second generation主力戦車Main battle tankの標準的な装備となっていた51口径105mm ライフル砲M68A1 Royal Ordnance L7を採用し、当時の最先端機器を用いた高度な射撃管制装置Fire-control
system(FCS)を採用した事で命中率を高めている。
従来のアメリカ戦車US Tankと同様、将来の改良を見込んだ余裕に富む設計で、制式化後の仕様変更によって44口径120mm滑腔砲M256 Rheinmetall Rh-120を搭載したM1A1エイブラムスM1A1 Abramsや、更に改修を加え第3.5世代3.5th generation主力戦車Main battle tankに分類されるM1A2エイブラムスM1A2 Abramsが運用されている。
戦歴Service history
1991年(平成3年) 湾岸戦争Gulf War
1998年(平成10年) コソボ紛争Kosovo War
2001年(平成13年)~ アフガニスタン紛争War in Afghanistan
2003年(平成15年) イラク戦争Iraq War
2011年(平成23年) エジプト革命Egyptian revolution of 2011
2013年(平成25年)~2017年(平成29年) イラク内戦War in Iraq
2015年(平成27年)~イエメン内戦Saudi Arabian-led intervention in Yemen
M31戦車回収車 M31 Tank Recovery Vehicle
M3中戦車リーMedium Tank M3 Leeの車体chassisを流用diversionした装甲回収車両Armoured
recovery vehicleで、機甲部隊armed divisionに追随し、故障もしくは損傷した戦車Tankの救出、応急修理Emergency repairを行うための装備armとして開発Developmentされた。
M33装軌式牽引車 M33 Prime Mover
M33装軌式牽引車 M33 Prime Mover
また、重砲牽引Heavy artillery tow用の高速牽引車High speed tow vehicleの不足を補うため、回収装備Recovery equipmentを撤去RemovalしたM33装軌式牽引車M33 Prime Moverに改装Refurbishmentされた車両vehicleも生産された。
M25戦車運搬車 M25 Tank Transporter
アメリカ陸軍US Armyが運用した戦車運搬車Tank transporterである。
愛称nicknameはドラゴン・ワゴンDragon
Wagon。
M10駆逐戦車 M10 tank destroyer
M10駆逐戦車 M10 tank destroyer
M10駆逐戦車 M10 tank destroyer
第二次世界大戦World War II中に生産production・使用useされたアメリカ合衆国USAの対戦車自走砲Anti-tank
Self-propelled artillery (駆逐戦車tank destroyer)である。
M8 75mm自走榴弾砲
75 mm Howitzer Motor Carriage M8
M8 75mm自走榴弾砲 75 mm Howitzer Motor Carriage M8
M5軽戦車スチュアートLight Tank M5
Stuartの車体chassisを基に開発Developmentされた、アメリカ合衆国USAの自走砲Self-propelled artilleryである。
アムトラック Amtrak
AAVP7水陸両用強襲輸送車7型
Assault Amphibious Vehicle, personnel.
Model 7
1972年(昭和47年)~
アメリカ合衆国USAで開発Developmentされた水陸両用車Amphibious vehicleとしての能力を有する装甲兵員輸送車Armoured
personnel carrierである。
公式の愛称Nicknameはないが、アメリカ海兵隊US Marine Corpsでは水陸両用装甲車Amphibious Armored Carに用いる伝統的な名称であるアムトラックAmtrakの愛称Nicknameで呼ばれている。
地上だけでなく、水上on the waterを浮上航行Ascend and sailする能力Abilityを持つ水陸両用装軌車両Amphibious Tracked Vehicleで、水上での推進力Thrustは主にウォータージェット推進water
jetを利用するが、履帯Trackbeltの回転だけでも7.2km/hの推進力Thrustを有する。
アムタンク AMTANKS
装甲Armorの薄いアムトラックAmtrakに戦車砲Tank gunを搭載したアムタンクAMTANKS
M113装甲兵員輸送車
M113 armored personnel carrier
M113装甲兵員輸送車 M113 armored personnel carrier
アメリカ合衆国USAで開発Developmentされた装甲兵員輸送車Armored
Personnel Carrierである。
履帯Continuous trackを装備Equipmentし、不整地Rough terrain・荒地Wastelandの走破能力Running abilityが高くなっている。
整地では高速走行High speed drivingも可能である。
また、限定的ではあるものの、沼Marshや小川streamなどでの浮行能力Floating abilityを備えている。
M8軽装甲車M8 Light Armored
Car
M8軽装甲車M8 Light Armored
Carは、第二次世界大戦World War II時にアメリカ陸軍US Armyが運用した汎用装輪装甲車wheeled armored utility vehicleである。
開発Development・生産productionはフォード・モーター社Ford
Motor Companyが行った。
1943年(昭和18年)に生産productionが開始され、1945年(昭和20年)の生産production終了までに約8,600両が生産productionされた。
試作Prototype時の名称はT22装甲車。
また、イギリス軍British Armed ForcesによってグレイハウンドGreyhoundの愛称Nicknameが付けられているが、イギリス軍British Armed Forcesはグレイハウンド装甲車Armored Car Greyhoundは軽すぎて対地雷Land mine防御能力Defensive abilityが低すぎると判断し、レンドリース法Lend-Lease Actsによる本格的な導入Introductionは見送っている。
M20装甲汎用車 M20 armored utility car
アメリカ合衆国USAのフォード社Ford Motor Companyが開発Development・生産productionした汎用装輪装甲車wheeled
armored utility vehicleである。
M8軽装甲車グレイハウンド M8 Light Armored Car Greyhoundの派生型Variantsで、M8軽装甲車から砲塔Gun turretを取り外したものである。
フォードGPA Ford GPA 'Seep'
フォード水陸両用汎用車 Ford General Purpose Amphibious
フォードGPA Ford GPA 'Seep'とは、フォードFord Motor Companyによって開発Developmentされた、アメリカ合衆国USAの水陸両用車Amphibious vehicleである。
DUKWと並び、アメリカ軍US Armed Forcesの水陸両用車Amphibious vehicleを代表する存在で、「海のジープ」を意味する“SEEP”(Seagoing
jEEP)、もしくは「Ike's
invension Taxi(アイゼンハワーDwight D. Eisenhowerの大陸反攻Normandy landings用タクシー)」という愛称Nicknameでも呼ばれた。
1943年(昭和18年)7月のシチリア島Sicily上陸作戦Landing operation「ハスキー作戦Operation Husky」及び同1943年(昭和18年)9月よりのイタリア侵攻作戦Allied invasion of Italyで多数が使用されて作戦operationに貢献した。
フォードGPA Ford GPA 'Seep'は第二次世界大戦World War II後は西側諸国Western Blocに少数が供与された他、多くが民間に払い下げられ、港湾作業Port work用、レジャーleisure用として広く利用された。
その特徴的なデザインdesignと機能functionを好んで個人で保有している自動車愛好家Car enthusiastも数多く存在する。
DUKW (Duck)
DUKW (Duck)は、GM社General Motors
Companyによって開発Developmentされた、アメリカ合衆国USAの水陸両用車Amphibious vehicleである。
この種の水陸両用車Amphibious vehicleとしては、独力でイギリス海峡English Channelを横断Crossingすることが可能な程の高い耐航性を持ち、ノルマンディー上陸作戦Normandy
landingsなどで活躍した。
D 1942年設計Designed in 1942
U 水陸両用Utility
K 全輪駆動All-wheel drive
W 2軸の後輪Dual rear axles
兵士達Soldiersには、"ダック"(duck:アヒルの意)と呼ばれていた。
M561ガマゴート M561 Gama Goat
六輪駆動貨物トラック 6x6
cargo truck 2,600cc
優れたオフロード走破性off-road abilityを備える水陸両用semi-amphibiousの輸送車輌Transport vehicleとして1966年(昭和41年)に制式採用された。
車体Bodyは4輪のトラクター部four-wheel drive vehicleと2輪のトレーラー部two-wheel
trailerが関節式ジョイントpowered articulated jointで接続され、全6輪を駆動six-wheel drive。
しかもトラクター部Tractor unitとトレーラー部Trailer unitが地形terrainに合わせて別々に動くことで、極めて高い地形追従性Terrain
followabilityを発揮した。
1973年(昭和48年)までに約14,000輌が生産productionされ、アメリカ陸軍US Armyや海兵隊US Marine Corpsの幅広い部隊に配備deployment。
輸送transportはもとより火砲の牽引Artillery tractorなどにも活用された。
ジープ・ウイリスMB Jeep Willys MB
ジープ・ウイリスMB Jeep Willys MB
小型四輪駆動車 four by
four 2,200cc
ジープJeepは、FCA US LLC(フィアット・クライスラー・オートモービルズFiat Chrysler Automobiles:FCAの米国法人)傘下の四輪駆動車Four-wheel driveのブランドである。
「ウイリスMB」は、愛称Nicknameとして「ジープJeep」と呼ばれ、第二次世界大戦World War II中に640,000両余りという膨大な量Huge amountがつくられ、連合軍兵士Allied forces
Soldierの足として輸送shipping、偵察reconnaissance、連絡contact、搬送Transportなどあらゆる任務missionをこなし、連合軍Allied forcesの勝利の一因Part of the victoryを作ったとされている。
ハンヴィー HMMWV (Humvee)
高機動多用途装輪車両 High
Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle
アメリカ軍US Armed Forces向けにAMゼネラルAM Generalが製造Manufacturingした汎用四輪駆動車Four-wheel drive vehicle・M998、及びその発展型軍用車両Military vehicleの総称Generic term。
ジープJeep系四輪駆動車Four-wheel drive vehicleの更新用車両Vehicle for renewalとして1985年(昭和60年)から配備deploymentが始まった。