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2021年10月17日日曜日

 2 アメリカの戦車 US Tank

フューリー Fury 2014年(平成26年)

エリニュス Erinys フューリー Fury

復讐の女神Goddess of revenge

クロノスCronusfatherウラノスUranus男根genitalia断ち切ったcastratedとき、大地earthガイアGaeaの上に滴った血drops of bloodから生まれたbornと言われ、暗く原初的primitive地母神Earth Mother Goddess的な神格Deityである。

概観 general view

概観 general view

M1戦闘車 M1 Combat Car 8.52t

M1戦闘車 M1 Combat Car M1軽戦車 Light Tank, M1 8.52t

アメリカ陸軍US Army 1937年(昭和12年)~1943年(昭和18年)

M2軽戦車 M2 Light Tank 11.6t

1935年(昭和10年)に開発Developmentされたアメリカ陸軍US Army軽戦車Light tank

アメリカ陸軍US Army配備deploymentされたM2軽戦車M2 Light Tankは、大半Mostly訓練trainingに使用usedされた。

少数のM2軽戦車M2 Light Tankだけが、太平洋戦争Pacific War中にガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanal海兵隊Marine Corpsにより実戦Actual battle使用され、その後も1942年(昭和17年)中は太平洋戦線Pacific Warの一部に配備deploymentされた。

M2中戦車 M2 medium tank 18.7t

1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)

アメリカ陸軍US Army歩兵部隊Infantry unit戦車tankで、アメリカ陸軍US Army初の量産Mass productionされた制式中戦車Medium tankである。

フランス戦Battle of Franceなどの戦訓combat lessonによりこのM2中戦車 M2 medium tank時代遅れobsoleteであることがすぐに明らかになり、主に訓練用for training purposesとして用いられた。

M3軽戦車スチュアート

Light Tank M3 Stuart 12.9t

M3スチュアート M3 Stuart M3軽戦車 Light Tank M3

アメリカ陸軍United States Army 1941年(昭和16年)~1944年(昭和19年)

12.9 metric tons

Crew 4 commander, gunner, driver, assistant driver

M2軽戦車M2 Light Tank後継戦車Successor

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart

フランスを侵攻invasion of FranceするI号戦車Type I TankII号戦車Type II Tank

フランス戦Battle of Franceナチス・ドイツのフランス侵攻Nazi German invasion of France)での戦訓combat lessonから、なお一段と強力な戦車Powerful tank必要necessaryであると考えられ、1940年(昭和15年)7月にはM2軽戦車M2 Light Tank土台baseとした新型軽戦車New model Light Tank開発Developmentが始まっている。

この新型軽戦車New model Light TankM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartとして完成Completeし、1941年(昭和16年)3月にM2軽戦車M2 Light Tank生産production打ち切られたCensored

イギリス軍British Armed ForcesM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart北アフリカでの戦いNorth African campaign投入throw inし、その信頼性の高さHigh reliabilityから親しみを込めてWith friendliness ハニーHoney」という愛称Nicknameで呼ばれた。

十字軍作戦 Operation Crusader

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart北アフリカNorth africaに到着した直後には十字軍作戦Operation Crusaderが発動され、本車も1ヶ連隊(約150輌)が参加した。

ここではM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart巡航戦車Cruiser tank代わりとして活用utilizedされたが、火力Firepower装甲Armorともに不足Lackしており多くの損害damageを出した。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart信頼性が高くHigh reliability機動力に優れたExcellent mobility軽戦車Light tankではあったが、車体が小さくより大きな砲Big Artilleryが搭載できなかったこと、および履帯幅Track widthが狭く接地圧pressure of ground contactが高いこと、航続距離Cruising distanceが短いこと等の欠点Disadvantageがあった。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman

このため北アフリカNorth africaでの戦闘任務Combat missionは、新たに供給supplyされたM4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanにより取って代わられreplacedM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart偵察任務Reconnaissance missionにまわされるようになった。

この後、チュニジアTunisiaで戦ったアメリカ軍US Armed ForcesM3A1軽戦車スチュアートドイツ戦車German tankに挑んで大損害heavy damageを出し、この階級class軽戦車Light tankドイツ軍German Armed Forces相手に戦車戦tank warfare歩兵支援Infantry supportを行うことの限界を露呈exposed the limitsしてしまった。

M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart

更に1942年(昭和17年)中期以降は、新型New modelM5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart配備deploymentされ始め、次第に押し出される形でIn the form of being pushed out gradually 1943年(昭和18年)にはアメリカ軍US Armed Forces第一線装備first line of equipmentから外されたRemoved

自由フランス軍Free French Armed Forces自由ポーランド軍Free Polish Armed ForcesビルマBurma方面areaイギリス軍British Armed ForcesなどではM3A3軽戦車が使われ続けていたが、ヨーロッパEuropeイギリス連邦軍British Commonwealth Armed ForcesではM3A3軽戦車砲塔Gun Turret撤去removeし、弾薬運搬車Ammunition carrier砲牽引車Artillery tractor改造Remodelingされたものも多い。

スチュアート・レッキStuart recce 偵察車scout car

またイタリア戦線Italian frontイギリス軍British Armed ForcesではやはりM3A3軽戦車砲塔Gun Turret撤去remove武装armament機銃のみMachine gun onlyとして軽量化lightening機動力を増加Increased mobilityさせた、スチュアート・レッキStuart recce偵察車scout car改造Remodelingされている。

一方の太平洋戦争Pacific Warでは開戦時At the beginning of the warフィリピンPhilippinesに第192戦車大隊Tank battalionM3軽戦車54輌)、第194戦車大隊Tank battalionM3軽戦車53輌)が配備されていた。

九五式軽戦車 Type 95 light tank

この中において1941年(昭和16年)1222日に日本軍Imperial Japanese Forcesルソン島Luzon上陸landingした際、これを迎撃Interceptionに出たM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart 15輌は戦車第4連隊第2中隊第1小隊所属の九五式軽戦車Type 95 light tank戦闘battleを行っている。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart正面装甲Front armor九五式軽戦車Type 95 light tank37 mm 37 mm tank gunを全て跳ね返したが、被弾炎上、履帯切断、敵小隊長車による体当たり等により5輌が行動不能Incapacitatedとなり撃退Repelされた。

なおこれが日米初First in Japan and the United States戦車戦tank warfareであるとされる。

バターン半島攻略戦 Battle of Bataan

その後空襲Air raidなどにより損害が増えつつあった両戦車大隊Tank battalionバターンBataanに後退して再び戦車部隊Tank unitとして再編成、1942年(昭和17年)48日まで歩兵部隊Infantry unitと共にバターン半島Bataan Peninsulaの死守し、第一次バターン半島攻略戦First Battle of Bataanでは日本軍Imperial Japanese Forces攻略captureを食い止めた。

九七式中戦車Type 97 medium tank

続いて第二次バターン半島攻略戦Second Battle of Bataanにおいて、戦車第7連隊 臨時松岡中隊所属の一式四十七粍戦車砲を搭載した九七式中戦車Type 97 medium tankと交戦しており、松岡中隊側の戦闘詳報によれば航空支援との共同で3輌のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart撃破Defeat、臨時松岡中隊側には損害無しと表記されてある。

結果としてはフィリピンPhilippines方面では制空権Air superiority制海権Command of the Seaを奪われ、第二線Second line第三線Third line防衛線Defense line突破Breakthroughされたこともあり両大隊Both battalions残存車輛Remaining vehicleを全て破壊destructionした上で降伏Surrenderした。

ビルマの戦い Burma campaign

また、1942年(昭和17年)2月にビルマBurma(当時)のラングーンRangoonをめぐる戦いBattleではイギリスBritish7機甲旅団隷下王立第2戦車連隊所属のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart(総数約115輌、又は150輌)が歩兵infantry火力支援Fire supportなどで活躍activeした。

その中で華々しい活躍はラングーンRangoonの北東80 km に位置するペグーPegu付近では十数輌のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartが戦車第2連隊軽戦車中隊所属の九五式軽戦車Type 95 light tank 4輌を1,500 mの距離から撃破Defeatしている。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart

一方、同じくビルマの戦いBurma campaign1942年(昭和17年)42728日の戦闘Battleでは戦車第1連隊の九七式中戦車Type 97 medium tank交戦Engagementするが、榴弾High Explosiveによる遠距離からの集中攻撃を受けて5輌のM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart撃破Defeatされている。

なお日本軍Imperial Japanese Forces側の損害は九七式中戦車Type 97 medium tank 1輌が被弾貫通により走行装置が破損、乗員死傷無しと戦闘詳報に記載されている。

ビルマの戦い Burma campaign

ただし7機甲旅団7th Armoured Brigadeの活躍をもってしても日本軍Imperial Japanese Forcesの進撃を食い止めることはできず、1942年(昭和17年)5月には7機甲旅団7th Armoured Brigade戦車tankを破壊し、チドウィン川Chindwin Riverを越えてラングーンRangoonから脱出し同市は日本軍Imperial Japanese Forcesの手に落ちている。

ガダルカナル島GuadalcanalM2A4軽戦車M2A4 Light Tank、続いてM3スチュアートM3 Stuartと別のM2A4軽戦車M2A4 Light Tank

An M2A4 on Guadalcanal, followed by an M3 Stuart and another M2A4


M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartはその後もガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalニューギニアの戦いNew Guinea Campaignなどで活躍activeしたが、ここでも新型New modelM5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuartやより強力なM4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Sherman配備deploymentされるようになると次第に前線から引き上げられGradually pulled up from the front line予備兵器Reserve weaponとなった。

なお予備ReserveとなったM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart有効活用策Effective utilization measuresとして火炎放射器Flamethrower搭載loadした火炎放射戦車Flame tank サタンSatan」が作られ、マリアナ諸島をめぐる戦いMariana and Palau Islands campaign実戦に投入Put into actual battleされた。

M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart

M5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuart 15t

アメリカ合衆国USAで開発され、第二次世界大戦World War II連合国軍Allied forcesが使用した軽戦車Light tank15t)で、M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart改良型improved versionである。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartと同じ、スチュアートStuartニックネームnicknameで呼ばれていた。

イギリス軍British Armed Forcesでは特に、スチュアートVI Stuart VIとして、M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartと区別された。

M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee 26.0t

アメリカ陸軍United States Army 1941年(昭和16年)~1942年(昭和17年)

26.0 metric tons Crew 67

第二次世界大戦World War IIに際してアメリカ合衆国United States of America開発Development製造Manufacturingされた戦車Tankである。

グラントGrantおよびリーLeeという愛称nicknameでも知られるが、この2つの愛称nicknameはいずれもイギリスBritish Empireでのもので、イギリス軍British Armed Forces向けの仕様で生産されたものを南北戦争American Civil War時の北軍Union army将軍Generalユリシーズ・S・グラントUlysses S. Grantの名をとってグラント将軍General Grantアメリカ陸軍United States Army 向けの仕様のままでイギリス軍British Armed Forcesに引き渡されたものを南軍Confederate army将軍Generalロバート・E・リーRobert E. Leeの名をとってリー将軍General Leeと命名したものである。

M2中戦車M2 Medium Tank後継戦車Successor

M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee

クルセイダー巡航戦車 Cruiser tank Crusader

M3中戦車リーMedium Tank M3 Leeはまずは北アフリカNorth africa砂漠Desertイギリス軍British Armed Forces巡航戦車Cruiser tankとして活躍activeした。

従来Conventionalイギリス製Made in Britain巡航戦車Cruiser tank装備Equipmentした2ポンド砲2 pounder gun6ポンド砲6 pounder gunは当初、砲弾shell徹甲弾Armor-piercing ammunitionしか準備されておらず、榴弾High Explosive配備deploymentされていないという深刻な問題serious problemを抱えていた。

強力な榴弾High Explosiveを発射でき、かつ対戦車戦闘Anti-tank combatでも有効な75 mm 75 mm Tank gun装備EquipmentしたM3中戦車リー Medium Tank M3 Leeは大変よろこばれた。

同時期に導入introductionされていたクルセイダー巡航戦車 Cruiser tank Crusaderよりも機械的信頼性Mechanical reliabilityが高かった。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman

1942年(昭和17年)も半ばになるとあらゆる面で優れたM4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanイギリス軍British Armed Forces配備deploymentされるようになったが、M3中戦車リーMedium Tank M3 Lee1943年(昭和18年)5月にドイツ軍German Armed Forces北アフリカNorth africaから撤退Withdrawalするまで対戦車戦闘Anti-tank combatに用いられた。

その後、M3中戦車リーMedium Tank M3 Leeオーストラリア軍Australian Armed forcesに回され、太平洋の戦場Pacific battlefieldで使用された。

その後もイギリス軍British Armed Forcesに残った車輛vehicleビルマ戦線Burma Campaignでの反攻Counterattack投入throw inされ、まともな対戦車火器Anti-tank firearmsを持たない日本軍Imperial Japanese Forces相手に多大な威力発揮したDemonstrated great power to

IV号戦車 Type IV Tank

タイガーI型戦車 Tiger I tank VI号戦車(ろくごう・せんしゃ) Type VI Tank

アメリカ軍US Armed Forcesトーチ作戦Operation Torchやその後のチュニジアの戦いBattle of TunisiaM3中戦車リーMedium Tank M3 Leeを用いていたが、実戦経験practical experience不足Lack ofもあり、ドイツアフリカ軍団German African CorpsIV号戦車Type IV TankティーガーI重戦車Tiger I Heavy tankの前に大きな損害Great damageを出してしまった。

中戦車Medium Tankとして実戦Actual battle投入throw inされたのはシチリア島上陸作戦Sicilian Campaignイタリア戦Italian campaign初期の頃までで、M4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanが戦列化するとともにその価値Valueは失われてlostいった。

M31戦車回収車 M31 Tank Recovery Vehicle

M33装軌式牽引車 M33 Prime Mover

その後は訓練用for trainingに用いられたり、M3中戦車リーMedium Tank M3 LeeをベースbaseM31戦車回収車M31 Tank Recovery VehicleM33装軌式牽引車M33 Prime Mover等に改造Remodelingされ戦争終結End of warまで使用された。

サハラ戦車隊 Sahara 1943年(昭和18年) M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee

サハラ Sahara 1995年(平成7年) M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee

M4中戦車シャーマン

Medium Tank M4 Sherman

アメリカ陸軍United States Army

1942年(昭和17年)~1945年(昭和20年)

30.3 metric tons Crew 5

車長commander

砲手gunner

装填手loader

操縦手driver

副操縦手兼機銃手assistant driver/bow gunner

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは、第二次世界大戦World War II時にアメリカ合衆国United States of America開発Development製造Manufacturingされた中戦車Medium tank30トン級)で、通称aliasシャーマンSherman

高い機動力High mobility火力Firepowerを誇るアメリカUSAの代表的な戦車Tankである。

第二次世界大戦World War II勃発outbreakした1939年(昭和14年)、アメリカ陸軍US Army戦車Tank保有数Number of possessionsが少なく、唯一の中戦車Medium tankであるM2中戦車M2 Medium Tank時代遅れobsoleteで、陸上戦力Land forceには不安anxietyがあった。

これは、アメリカUSAヨーロッパEuropeから大西洋Atlantic Oceanを隔てていた事や、当初は中立的な立場Neutral position孤立主義Isolationism)を採っていた事にも起因するが、ナチス・ドイツNazi Germanyにより欧州Europe連合国United Nationsが次々と陥落fallし、さらに東南アジアSoutheast Asia進出Advanceした日本Imperial Japanとの関係悪化Deterioration of relationshipなどから、1940年(昭和15年)頃には連合各国United Nationsへの武器貸与法レンドリース法Lend-Lease Actsを適用した支援supportアメリカUSA自身の参戦Participationに備えて、全周旋回砲塔fully traversing central turret大型砲Large cannonを搭載した戦車Tank必要necessary認識recognitionされた。

M3中戦車リー Medium Tank M3 Lee

しかし、当時のアメリカUSAでは大直径Large diameter砲塔リングTurret ring量産Mass productionできる体制Systemがなかったことから、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman開発Developmentされるまでの繋ぎとして車体に75mmmain 75 mm gunを搭載するM3中戦車リーMedium Tank M3 Lee25トン級)が先行生産Pre-productionされた。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが最初に戦闘battle投入throw inされたのは、北アフリカ戦線North African campaignエル・アラメインの戦いBattle of El Alameinであった。

アメリカ軍US Armed Forces機甲師団Armored division投入throw inしようという計画もあったが、補給の問題Supply problemsもあってレンドリースLend-Leaseという形式でイギリス軍British Armed Forcesに送られたものであった。

III号戦車 Type III Tank

エル・アラメインEl Alameinに送られたM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは初期型のM4A1M4A2であったが、50mm 60口径砲搭載のIII号戦車Type III Tankが主力のドイツアフリカ軍団German Africa CorpsにはM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman難敵powerful enemyであり、ドイツ軍German Armed Forces戦車tankは一方的に撃破Defeatされた。

特にM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが猛威を振るったのが75mmの榴弾High Explosiveによる88mmGerman 88 mm anti-aircraft and anti-tank artillery gunへの攻撃であり、今までのイギリス軍British Armed Forces戦車tankにはなかった破壊力destructive powerで、次々と88mmGerman 88 mm anti-aircraft and anti-tank artillery gun撃破Defeatしたことがドイツ軍German Armed Forces致命的な痛手fatal blowとなり、イギリス軍British Armed Forces勝利victoryに大きく貢献contributionした。

タイガーI型戦車 Tiger I tank VI号戦車(ろくごう・せんしゃ) Type VI Tank

しかし、その後のカセリーヌ峠の戦いBattle of Kasserine PassタイガーI型戦車Tiger I tankと戦ったアメリカ軍US Armed ForcesM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは、アメリカ軍US Armed Forces戦車兵Tank soldier戦車戦tank warfare不慣れなunaccustomedこともあって苦戦hard fightし、アメリカ軍US Armed ForcesM3中戦車リー Medium Tank M3 LeeM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuartも含めて183輌の戦車tankを失っている。

アメリカ軍US Armed ForcesタイガーI型戦車Tiger I tank脅威threatを知ると共に、ソ連Soviet UnionからV号戦車パンサーType V Tank Pantherの情報を仕入れていたが、どちらの戦車tank接触頻度Contact frequencyが稀であったので、少数が配備deploymentされる重戦車Heavy tankであると誤った認識misrecognitionをして、既に決定していた76.2mm76.2mm tank gunを搭載する以上の対策をとることはなかった。

シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly

一方で、イギリス軍British Armed ForcesM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman対戦車能力anti-tank capability向上Improvedのため、アメリカ軍US Armed Forces76.2mm76.2mm tank gunよりは強力な17ポンド76.2mm対戦車砲Anti-tank gunを搭載したシャーマン・ファイアフライSherman Firefly)の開発Developmentを行っている。

アメリカ軍US Armed Forcesの分析とは異なり、ノルマンディー上陸作戦Normandy landingsからのフランスでの戦いLiberation of Parisで、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanパンサー戦車Panther tankタイガーI型戦車Tiger I tankとの交戦頻度Engagement frequencyは高く、75mmmain 75 mm gun搭載型はおろか76.2mm76.2mm tank gun搭載型も非力さPowerlessが明らかになった。

パンサー戦車 Panther tank

実際に戦われた戦闘距離Combat distanceであればパンサー戦車Panther tankM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanに対する優位性Superiorityは殆どなく、印象とは異なり、パンサー戦車Panther tankが一方的に撃破Defeatされるan instanceも存在した。

ノルマンディーの戦いBattle of Normandyにおけるサン・マンヴュー・ノレの攻防戦Battle of Saint-Manvieu Noreでは、進撃してきた第12SS装甲師団のパンサー戦車Panther tank 12輛を、第2カナダ機甲旅団の9輛のM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman(一部がシャーマン・ファイアフライSherman Firefly)が迎撃Interceptionし、一方的にパンサー戦車Panther tank 7輛を撃破Defeatして撃退Repelしている。

M18ヘルキャット自走砲 M18 Hellcat Gun Motor Carriage

M18駆逐戦車 M18 Hellcat Tank destroyer

アラクールの戦いBattle of Arracourtにおいては、アメリカ軍US Armed Forces4機甲師団がドイツ軍German Armed Forces5装甲軍に大損害を与えて勝利したが、なかでもクレイトン・エイブラムスCreighton Abrams中佐Lieutenant Colonel率いる第37戦車大隊は多数のパンサー戦車Panther tank撃破Defeatしており、1944年(昭和19年)919日の戦闘Battleでは、巧みに地形を利用したM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanによって、待ち伏せ攻撃Ambush attack追撃Pursuit11輌ものパンサー戦車Panther tank撃破Defeat、また戦闘指揮所Combat Information Centerを攻撃してきた14輌のパンサー戦車Panther tankM18ヘルキャットM18 Hellcat駆逐戦車Tank destroyerの小隊が迎え撃ち、一方的に8輌を撃破Defeat撃退Repelしている。

アラクールの戦いBattle of Arracourtで第37戦車大隊は合計55輌のタイガー戦車Tiger tankパンサー戦車Panther tank撃破Defeatしている。

バルジの戦い Battle of the Bulge

車両単体Vehicle alone性能specならM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman凌駕Surpassしたパンサー戦車Panther tankだが高価expensive構造structure複雑過ぎtoo complicatedのうえ、ドイツ国内Within Germany工業能力Industrial capability低下Decreasedによる品質低下Quality deteriorationで、戦場battlefieldカタログ仕様Catalog specs通りの働きWork according to the catalog specificationsができなかった。

パンサー戦車 Panther tank

また低いLow稼働率rate of operation致命的fatalで、バルジの戦いBattle of the Bulgeでは415輌のパンサー戦車Panther tank投入Throw inされたが、2週間で180輌が撃破Defeatされ、残り235輌もまともに稼働Operationしていたのは45%の約100輌だった。

一方でM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは同時期にあらゆる原因で320喪失lossしたが、1,085輌が前線battlefrontにあり、うち980輌が稼働Operationし、パンサー戦車Panther tankとの差は歴然であった。

結局は、正面からの撃ち合いShoot from the frontではパンサー戦車Panther tankに分があったが生産性Productivity整備性Maintainability耐久力Enduranceなどすべてを比較すると、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの方が優れていたexcellentという評価evaluationもある。

フューリー Fury 2014年(平成26年)

M4A3E8シャーマン M4A3E8 Sherman イージーエイト Easy Eight

フューリー Fury 2014年(平成26年)

M4A3E8シャーマン M4A3E8 Sherman イージーエイト Easy Eight

フューリー Fury 2014年(平成26年)

九七式中戦車 Type 97 medium tank 日本陸軍Imperial Japanese Army

北アフリカNorth africaおよびヨーロッパEuropeに加えて太平洋戦争Pacific Warにも投入Throw inされた。

戦車戦力Tank strength弱いweak日本軍Imperial Japanese ForcesにとってM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanは非常な難敵powerful enemyで、サイパンの戦いBattle of Saipanグアムの戦いBattle of Guamペリリューの戦いBattle of PeleliuなどでM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman日本軍Imperial Japanese Forces九七式中戦車Type 97 medium tank九五式軽戦車Type 95 light tankとの戦車戦tank warfareが戦われたが、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank九七式五糎(せんち)七戦車砲Type 97 57 mm tank gun九八式三十七粍(みり)戦車砲Type 98 37 mm tank gunM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanに命中してもまるでボールのように跳ね返されたBounced offということで、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankが一方的に撃破Defeatされることが多かった

九五式軽戦車 Type 95 light tank 日本陸軍Imperial Japanese Army

日本軍Imperial Japanese Forces戦車兵Tank soldierはそのようなM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを「動く要塞Moving fortress」と称して恐れた。

それでも、戦車第2師団が戦ったルソン島の戦いBattle of Luzonにおいては、重見支隊(支隊長:重見伊三雄少将。戦車第3旅団基幹の戦車約60両他)がリンガエン湾Lingayen Gulf上陸landingしてきたアメリカ軍US Armed Forces迎撃Interceptionし、太平洋戦争Pacific War最大の戦車戦tank warfareが戦われた。

九七式中戦車改Type 97 medium tankに搭載された一式四十七粍(みり)戦車砲は、500ヤード(約457.2m)で67mm装甲Armor1,000ヤード(約914.4m)で55mm装甲Armor貫通Penetrationしたので、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの側面や後面の装甲Armorであれば、かなりの遠距離からでも貫通Penetration可能であり、戦車戦tank warfare撃破DefeatされるM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanも少なくはなく、アメリカ軍US Armed Forces九七式中戦車Type 97 medium tank新砲塔型New turret typeを「もっとも効果的な日本軍Imperial Japanese Forces戦車tank」と評して警戒した。

車体Bodyを地面に埋めた、即席の対戦車トーチカAnti-tank Pillbox

戦車戦tank warfareでの不利disadvantage痛感feel keenlyした日本軍Imperial Japanese Forcesは、その後の硫黄島の戦いBattle of Iwo Jima沖縄戦Battle of Okinawaでは、戦車tank車体Body地面に埋めてbury in the ground即席のinstant対戦車トーチカAnti-tank Pillboxとして使用するようになった。

そこで日本軍Imperial Japanese ForcesM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman対策measuresは、待ち伏せambushによる速射砲Quick-firing gun地雷Landmines歩兵infantryによる肉弾攻撃Flesh bomb attackとなっていった。

沖縄戦 Battle of Okinawa

沖縄戦Battle of OkinawaではM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman主力main forceとするアメリカ陸軍US Army戦車隊Tank corps221撃破Defeatされたが、そのうち111輌が速射砲Quick-firing gun野戦重砲heavy field artilleryなどの砲撃Bombardmentによる損害damageであった。

また沖縄戦Battle of Okinawaにおいては、日本軍Imperial Japanese Forces段ボールcardboard大の木箱wooden box爆薬explosiveを詰め込んだ急造爆雷run up Depth chargeを多数準備した。

日本兵Japanese soldierはこの急造爆雷run up Depth chargeアメリカ軍US Armed Forces戦車TankキャタピラCaterpillarに向けて投げつけるか、もしくは爆雷Depth chargeをもったまま体当たり攻撃Flesh bomb attackをかけた。

嘉数の戦い(かかず・の・たたかい) Battle of Kakazu

この特攻Special Attack戦術tacticsは効果があり、激戦Fierce battleとなった嘉数の戦い(かかず・の・たたかい)Battle of Kakazuでは、この歩兵infantryによる体当たり攻撃Flesh bomb attack1日に6輌のM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman撃破Defeatされた。

M18ヘルキャット自走砲

M18 Hellcat Gun Motor Carriage 17.7t

M18駆逐戦車 M18 Hellcat Tank destroyer

M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriageは、第二次世界大戦World War II中に生産production使用useされたアメリカ合衆国USA対戦車自走砲Anti-tank Self-propelled gun 戦車駆逐車Tank destroyer)(17.7t)である。

非公式の愛称Nickname"ヘルキャットHellcat "(性悪女の意)。

アメリカ陸軍US Armyにおいて対戦車戦闘Anti-tank combatを行う戦車駆逐大隊Tank Destroyer Battalion装備Equipmentとして、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 ShermanシャーシChassis流用diversionし、3インチ76.2mm3-inch gun M5を搭載したM10自走砲M10 Gun Motor Carriageとはまた別に、より軽装甲Light armorで高速な一撃離脱戦法Hit-and-run tactics向きな車輌Vehicle開発Developmentが進められていた。

第二次世界大戦World War IIではヨーロッパ戦線Operation Europe投入Throw inされた。

M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriage実戦参加Participation in actual battleは、1944年(昭和19年)1月のイタリアItalyアンツィオ上陸作戦Battle of Anzio以降である。

M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriageは、ドイツ軍German Armed Forces軽戦車Light tank改造Remodelingして作ったような、即席instant対戦車自走砲Anti-tank Self-propelled gunとは比較にならないIncomparableほど完成度が高くHigh degree of perfection機動性も優れていたmobility was also excellent

パンサー戦車 Panther tank

開発Development構想conceptである機動性mobilityを活かした一撃離脱戦法Hit-and-run tacticsで、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanには難敵powerful enemyであった重装甲Heavy armorタイガー重戦車Tiger Heavy tankパンサー中戦車Panther Medium tankの比較的装甲armorが薄い側面や後面に回り込んで撃破Defeatしている。

アメリカ軍US Armed Forces4機甲師団がドイツ軍German Armed Forces5装甲軍を撃破Defeatしたアラクールの戦いBattle of Arracourtにおいて、1944年(昭和19年)919日の戦闘Battleでは、戦闘指揮所Combat command post攻撃attackしてきた14輌のパンサー中戦車Panther Medium tankM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriageの小隊が迎え撃ち、一方的に8輌を撃破Defeatして撃退Repelしている。

数日間にM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriage39輌のドイツ軍German Armed Forces戦車tank撃破Defeatしたが、損失loss7輌であった。

タイガーI型戦車 Tiger I tank VI号戦車(ろくごう・せんしゃ) Type VI Tank

続くバルジの戦いBattle of the Bulgeにおいては、バストーニュの戦いSiege of Bastogneで第705駆逐戦車大隊が活躍、得意の一撃離脱戦法Hit-and-run tacticsドイツ軍German Armed Forces戦車隊Tank corpsを翻弄、タイガー重戦車Tiger Heavy tankを含む39輌の戦車tank、その他多数の車両Vehicle撃破Defeatして、バストーニュBastogne防衛defenseに大いに貢献し、バルジの戦いBattle of the Bulgeが終わったのちは、敵戦車Enemy tankとの交戦Engagementも減り、主にトーチカPillboxなどの敵陣地Enemy baseへの砲撃任務Bombardment missionをこなしながらドイツGermany国内深くに進攻し、大量の捕虜Prisoner of warを獲得している。

終戦までにM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriageヨーロッパ戦線Operation Europeにて216輌を失ったが、損失以上のドイツ軍German Armed Forces戦車tank撃破Defeatし、全体的なキルレシオkill-ratio2.31となっている。

ルソン島の戦いBattle of Luzon

25歩兵師団25th Infantry Division部隊troops日本軍Japanese forces激しい戦闘fierce combatを繰り広げているバギオ近郊near Baguioバレテ峠Balete Passの端で、米軍の分隊長squad leaderが、日本軍の陣地Japanese positionだろうと思われる所を指さすpoints out1945年(昭和20年)323日。

A squad leader points out a suspected Japanese position at the edge of Balete Pass, near Baguio, where troops of the 25th Infantry Division are in fierce combat with Japanese forces. 23 March 1945.


1944年(昭和19年)のフィリピン戦Battle of the Philippinesや翌1945年(昭和20年)の沖縄戦Battle of Okinawaなどの太平洋戦線Pacific Warでも実戦参加しているが、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankに対しては過剰な攻撃力Offensive power、小口径砲にも簡単に撃破Defeatされる防御力Defense powerアンバランスUnbalanceであり、ほとんど支援砲撃用の自走砲Self-propelled gunとして使われた。

しかし、太平洋戦争Pacific War最大の戦車戦tank warfareが行われたルソン島の戦いBattle of LuzonにおいてはM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriage日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankの交戦記録もある。

九七式中戦車Type 97 medium tank

クラーク基地 Clark Air Base

1945年(昭和20年)129日に、クラーク基地Clark Air Baseに進攻してきたアメリカ軍US Armed Forces戦車隊Tank corpsに対して、戦車第2師団2nd Tank Division所属の岩下市平大尉率いる6輌の九七式中戦車 Type 97 medium tankが反撃、まず、九七式中戦車 Type 97 medium tankは遭遇したM7自走砲プリーストM7 Self-propelled artillery Priest撃破Defeat、そこにM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriage駆逐戦車隊Tank destroyer corpsが駆け付け、1輌のM18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriage撃破Defeatされたが、4輌の九七式中戦車 Type 97 medium tank撃破Defeatして撃退Repelした。

その後、M18ヘルキャット自走砲M18 Hellcat Gun Motor Carriage隊は日本軍Imperial Japanese Forces迫撃砲Mortar砲撃Bombardmentでさらに1撃破Defeatされている。

M24軽戦車チャーフィー Light Tank M24 Chaffee

アメリカ陸軍United States Army

1944年(昭和19年)~1953年(昭和28年)

18.37 metric tons Crew 5

車長commander

砲手gunner

装填手loader

操縦手driver

副操縦手兼通信手assistant driver/ radio operator

M24軽戦車チャーフィー Light Tank M24 Chaffeeは、第二次世界大戦World War IIにおいてアメリカ合衆国United States of Americaが使用した軽戦車Light Tankである。

愛称nicknameアメリカ軍US Armed Forces戦車Tank開発Developmentパイオニアpioneerであったアドナ・R・チャーフィー・ジュニアAdna R. Chaffee Jr.将軍generalにちなみチャーフィーChaffeeと名付けられた。

M3軽戦車スチュアートLight Tank M3 StuartM5軽戦車スチュアート Light Tank M5 Stuartシリーズの更新update用として、機甲作戦Armoured warfareにおいてより広範囲な任務Extensive missionを遂行できる新型戦車New model tankとして設計Design開発Developmentが行われた。

M24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffee1944年(昭和19年)末よりヨーロッパEuropeに送られ、最初に部隊配備Troop deploymentされた20輌が「バルジの戦いBattle of the Bulge」で初陣one's first battleを飾った。

機甲師団戦車大隊と機械化騎兵偵察大隊の軽戦車中隊Light tank company配備deploymentされ、ドイツ軍German Armed ForcesIV号戦車Type IV Tank撃破Defeatしている。

以降、配備deploymentされた車輌の少数が実戦を経験し、1945年(昭和20年)3月初め頃には、ドイツ国内Within Germanyのドマゲン近郊で、第4機甲偵察大隊F中隊のM24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffeeが、榴弾High Explosiveの爆発の衝撃での車内の即用弾薬を誘爆させる手段で、タイガー戦車Tiger tank 2輌を撃破Defeatしたことが記録されている。

パンサー戦車 Panther tank

しかし、それまでのずんぐりしたアメリカ戦車US Tankと異なり、敵のパンサー戦車Panther tankのようなスマートな形状ゆえ味方から誤射shoot by mistakeされることもあり、「パンサー・パプス」(仔豹)などとも呼ばれた。

第二次世界大戦World War II後もアメリカ陸軍United States Army主力軽戦車Main Light TankとしてM24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffeeを使用していたが、朝鮮戦争Korean WarにおいてT-34-85戦車T-34-85 Tankを相手に苦戦hard fightを強いられ、第二次世界大戦World War II後に開発Developmentが始まった戦後型軽戦車Light TankM41軽戦車ウォーカー・ブルドッグLight Tank M41 Walker Bulldogにその座を譲ることになる。

M24軽戦車チャーフィー Light Tank M24 Chaffee

バルジ大作戦 Battle of the Bulge 1960年(昭和35年)

バルジ大作戦 Battle of the Bulge 1960年(昭和35年)

M26パーシング M26 Pershing

アメリカ陸軍United States Army

1944年(昭和19年)~1945年(昭和20年)

41.9 metric tons Crew 5

車長commander

砲手gunner

装填手loader

操縦手driver

副操縦co-driver

M26パーシング M26 Pershingアメリカ合衆国United States of America第二次世界大戦World War II末期にドイツ軍German Armed Forces重戦車Heavy tankに対抗するために開発Developmentした重戦車Heavy tank1946年(昭和21年)5月に中戦車Medium tankに分類変更)である。

パーシングPershing」の名称は第一次世界大戦World War I時のアメリカUSA将軍Generalジョン・パーシングJohn J. Pershingからとったものである。

それまでのアメリカ軍US Armed Forces戦車Tankに付けられた愛称nicknameは、供与されたイギリス軍British Armed Forcesによるものであったが、M26パーシングM26 Pershingは初めてアメリカ軍US Armed Forces自身によって命名された。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman後継successorとして開発Developmentされていた試作戦車群より最終的に選定された重戦車Heavy tankで、先行量産型のT26E31944年(昭和19年)11月から生産production開始され、ドイツの降伏Germany's surrenderまでに700輌以上が完成、最終的には1945年(昭和20年)の末までに合計2,000輌以上が生産productionされた。

エンジンとトランスミッションを変更した車両は改良Improvementの後M46パットンM46 Pattonとなった。

M26パーシングM26 PershingM46パットンM46 Pattonで確立された設計思想は少しずつ改良Improvementを加えられ発展developmentし、M47パットンM47 PattonM48パットンM48 PattonM60パットンM60 Pattonといった戦後Post-warアメリカ主力戦車US Main battle tank系譜の祖Genealogy ancestorとなった。

タイガーII型戦車(にがた・せんしゃ) Tiger II tank

また、タイガーII Tiger IIキング・タイガーKing Tiger)やスターリン3型戦車JS3 Tankに対抗すべく、M26パーシングM26 Pershing設計design拡大expansion火力Firepower装甲Armour強化ReinforcementしたT29重戦車Heavy Tank T29T30重戦車Heavy Tank T30T32重戦車Heavy Tank T32T34重戦車Heavy Tank T34といった重戦車Heavy tankも試作され、これらに続くT43M103重戦車120mm Gun Tank M103として量産化されている。

M46パットン M46 Patton

中戦車Medium Tank 44t

1949年(昭和24年)~1957年(昭和32年)

M46パットン M46 Pattonは、アメリカ合衆国USA開発Development製造Manufacturingされた戦車tankである。

同車の愛称nicknameであるパットンPattonは、第二次世界大戦World War II中にヨーロッパ戦線Western Frontで活躍したジョージ・パットンGeorge S. Patton陸軍Army大将Generalに由来する。

M46パットン M46 Pattonは実質的にはM26パーシング M26 Pershing改良型Improved typeだが、M1エイブラムスM1 Abrams開発Developmentされるまでアメリカ軍US Armed Forces主力戦車Main battle tankであったパットンシリーズPatton tank family元祖originであり、以後開発DevelopmentされるM47パットンM47 PattonM48パットンM48 PattonM60パットンM60 Patton原型original formとなる存在である。

M41軽戦車ウォーカー・ブルドッグ

Light Tank M41 Walker Bulldog

アメリカ陸軍United States Army

1951年(昭和26年)~1954年(昭和29年)

23.49 metric tons Crew 4

車長commander

砲手gunner

装填手loader

操縦手driver

M41軽戦車ウォーカー・ブルドッグ Light Tank M41 Walker Bulldogは、アメリカ合衆国United States of America開発Developmentした軽戦車Light tankである。

愛称nicknameウォーカー・ブルドッグWalker Bulldog”朝鮮戦争Korean Warで第8軍の初代指揮官Commanding officerとしての任務中、交通事故死したウォルトン・ウォーカーWalton Walker中将Lieutenant generalにちなんで名付けられた。

1946年(昭和21年)にゼネラルモーターズ社General Motors CompanyM24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffee後継Successorとして開発Developmentし、アメリカ陸軍United States Armyを中心に西側諸国Western Blocで広く使用された軽戦車Light tankである。

61式戦車(ろくいちしき・せんしゃ) Type 61 tank

日本Japan陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceにおいても1960年(昭和35年)代初頭から1980年(昭和55年)代初期まで装備され、国産の61式戦車Type 61 tankの配備が進むまでは、M24軽戦車チャーフィーLight Tank M24 Chaffee及びM4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanと並ぶ自衛隊Self-Defense Force主力戦車Main battle tankMBT)の一つであった。

M48パットン M48 Patton

52t 90mm90mm tank gun

1952年(昭和27年)

アメリカ合衆国USA開発Developmentした第二次世界大戦World War II1世代型主力戦車First generation Main battle tankである。

愛称nicknameパットンPatton

パットンシリーズPatton tank familyの第3弾、M46パットンM46 PattonM47パットンM47 Patton後継戦車Successorである。

朝鮮戦争Korean War勃発outbreakにより急遽開発DevelopmentされたM47パットンM47 Patton後継Successorとして開発Developmentされたが、朝鮮戦争Korean Warには間に合わなかった。

更に部隊Troop配備deployment開始直後に確認されたソビエトSoviet新型New model主力戦車Main battle tankであるT-54中戦車T-54 Medium tankは、M48パットンM48 Pattonを上回る口径100mmの主砲D-10 tank gun装甲Armourを持つと分析され、部隊Troop配備deployment開始とほぼ同時に後継SuccessorとなるM60パットンM60 Patton(開発当初名称M68)の開発Developmentが開始されて配備deploymentされた。

そのためアメリカ軍US Armed Forces主力戦車Main battle tankとして用いられた期間は短いが、ベトナム戦争Vietnam Warでは派遣部隊の主力戦車Main battle tankとして用いられた。

後に主砲Main gun105mm105mm tank gun変更modifyした改良型Improved typeが、M60パットンM60 Patton部隊配備Troop deployment開始後も州兵United States National Guard部隊Troopを中心に配備deploymentされて運用useされた。

アメリカ軍US Armed Forcesの他、冷戦Cold War下の西側諸国Western Blocに広く供与され、それらの国では独自の改修を加えた型が長らく使用useされている。

M60パットン M60 Patton

52t 2世代主力戦車Second generation main battle tank

1962年(昭和37年)~

アメリカ合衆国USA開発Developmentした主力戦車Main battle tankである。

M46パットンM46 PattonからスタートしたパットンシリーズPatton tank family最終モデルFinal modelであり、前作Previous workM48パットンM48 Patton機動力mobile power火力Firepower改良Improvementを加えたモデルである。

愛称nicknameパットンPattonとされるが、これは非公式であり、公式にはパットンシリーズPatton tank familyともされていなかった。

ソ連Soviet UnionT-54/55中戦車T-54/55 Medium tank脅威threatを覚えたアメリカ陸軍US Armyが、1956年(昭和31年)に開発Developmentを開始した。

それまで、出力重量比が良い事や構造が簡易な事から戦車用にガソリン・エンジンgasoline engineを採用して来たアメリカ軍US Armed Forcesも、M60パットンM60 Pattonに至り被弾時の安全性や燃費の良さから最初からディーゼル・エンジンDiesel engineを採用し、主砲Main gun90mm戦車砲90 mm gunからイギリスUK105mm戦車砲L7A1 Royal Ordnance L7に換装し、攻撃力Offensive power格段に向上Dramatically improvedさせた。

数々の改良点point for improvementはあるものの、M48パットンM48 Pattonとの根本的な差異fundamental differenceはなく、総合的ComprehensivelyにはM48パットンM48 Patton改良型Improved typeである。

本来は、ソ連Soviet UnionT-55中戦車T-55 Medium tankに対抗しうる本格的な次期主力戦車Main battle tankが登場するまでのストップギャップstop gap(一時しのぎ)であり、短期間で引退する予定であったが、肝心のMBT-70計画の頓挫により長期に渡って使用される事となり、各型の合計生産台数は約2万輌を数え、アメリカ軍US Armed Forcesのみならず西側諸国Western Blocの標準的主力戦車Main battle tankとなった。

アメリカ軍US Armed Forcesでは、1991年(平成3年)の湾岸戦争Gulf Warまで使用され、その後も現在に至るまで各国で改良を重ねられて運用されている傑作戦車best tankであることは間違いないが、旧式化も進行しているため、様々な近代化改修プランが各国のメーカーから提案されている。

M1エイブラムス M1 Abrams

アメリカ合衆国USA開発Developmentした主力戦車Main battle tankである。

エイブラムスAbramsの名は、開発Developmentを推進した人物であり、バルジの戦いBattle of the Bulgeの英雄でもあるクレイトン・エイブラムスCreighton Abrams大将Generalに由来する。

M60パットンM60 Patton後継successorとして1970年(昭和45年)代に西ドイツWest Germany共同開発joint developmentを進めていたMBT-70計画の頓挫により、新たにアメリカUSA単独で開発Developmentし、1980年(昭和55年)に正式採用された戦後3世代Third generation主力戦車Main battle tankである。

主に、アメリカ陸軍US Armyおよびアメリカ海兵隊US Marine Corpsが採用した。

動力機関Power engineには、当時の戦車tankの主流だったディーゼル・エンジンDiesel engineではなく、ガスタービン・エンジンGas turbine engineを採用している。

主砲Main gunには西側Western Bloc2世代Second generation​主力戦車Main battle tankの標準的な装備となっていた51口径105mm ライフル砲M68A1 Royal Ordnance L7を採用し、当時の最先端機器を用いた高度な射撃管制装置Fire-control systemFCS)を採用した事で命中率を高めている。

従来のアメリカ戦車US Tankと同様、将来の改良を見込んだ余裕に富む設計で、制式化後の仕様変更によって44口径120mm滑腔砲M256 Rheinmetall Rh-120を搭載したM1A1エイブラムスM1A1 Abramsや、更に改修を加え3.5世代3.5th generation主力戦車Main battle tankに分類されるM1A2エイブラムスM1A2 Abramsが運用されている。

戦歴Service history

1991年(平成3年) 湾岸戦争Gulf War

1998年(平成10年) コソボ紛争Kosovo War

2001年(平成13年)~ アフガニスタン紛争War in Afghanistan

2003年(平成15年) イラク戦争Iraq War

2011年(平成23年) エジプト革命Egyptian revolution of 2011

2013年(平成25年)~2017年(平成29年) イラク内戦War in Iraq

2015年(平成27年)~イエメン内戦Saudi Arabian-led intervention in Yemen

M31戦車回収車 M31 Tank Recovery Vehicle

M3中戦車リーMedium Tank M3 Lee車体chassis流用diversionした装甲回収車両Armoured recovery vehicleで、機甲部隊armed divisionに追随し、故障もしくは損傷した戦車Tankの救出、応急修理Emergency repairを行うための装備armとして開発Developmentされた。

M33装軌式牽引車 M33 Prime Mover

M33装軌式牽引車 M33 Prime Mover

また、重砲牽引Heavy artillery tow用の高速牽引車High speed tow vehicleの不足を補うため、回収装備Recovery equipment撤去RemovalしたM33装軌式牽引車M33 Prime Mover改装Refurbishmentされた車両vehicleも生産された。

M25戦車運搬車 M25 Tank Transporter

アメリカ陸軍US Armyが運用した戦車運搬車Tank transporterである。

愛称nicknameドラゴン・ワゴンDragon Wagon

M10駆逐戦車 M10 tank destroyer

M10駆逐戦車 M10 tank destroyer

M10駆逐戦車 M10 tank destroyer

第二次世界大戦World War II中に生産production使用useされたアメリカ合衆国USA対戦車自走砲Anti-tank Self-propelled artillery 駆逐戦車tank destroyer)である。

M8 75mm自走榴弾砲

75 mm Howitzer Motor Carriage M8

M8 75mm自走榴弾砲 75 mm Howitzer Motor Carriage M8

M5軽戦車スチュアートLight Tank M5 Stuart車体chassisを基に開発Developmentされた、アメリカ合衆国USA自走砲Self-propelled artilleryである。

アムトラック Amtrak

AAVP7水陸両用強襲輸送車7

Assault Amphibious Vehicle, personnel. Model 7

1972年(昭和47年)~

アメリカ合衆国USA開発Developmentされた水陸両用車Amphibious vehicleとしての能力を有する装甲兵員輸送車Armoured personnel carrierである。

公式の愛称Nicknameはないが、アメリカ海兵隊US Marine Corpsでは水陸両用装甲車Amphibious Armored Carに用いる伝統的な名称であるアムトラックAmtrak愛称Nicknameで呼ばれている。

地上だけでなく、水上on the water浮上航行Ascend and sailする能力Abilityを持つ水陸両用装軌車両Amphibious Tracked Vehicleで、水上での推進力Thrustは主にウォータージェット推進water jetを利用するが、履帯Trackbeltの回転だけでも7.2km/h推進力Thrustを有する。

アムタンク AMTANKS

装甲Armorの薄いアムトラックAmtrak戦車砲Tank gunを搭載したアムタンクAMTANKS

M113装甲兵員輸送車

M113 armored personnel carrier

M113装甲兵員輸送車 M113 armored personnel carrier

アメリカ合衆国USA開発Developmentされた装甲兵員輸送車Armored Personnel Carrierである。

履帯Continuous track装備Equipmentし、不整地Rough terrain荒地Wasteland走破能力Running abilityが高くなっている。

整地では高速走行High speed drivingも可能である。

また、限定的ではあるものの、Marsh小川streamなどでの浮行能力Floating abilityを備えている。

M8軽装甲車M8 Light Armored Car

M8軽装甲車M8 Light Armored Carは、第二次世界大戦World War II時にアメリカ陸軍US Armyが運用した汎用装輪装甲車wheeled armored utility vehicleである。

開発Development生産productionフォード・モーター社Ford Motor Companyが行った。

1943年(昭和18年)に生産productionが開始され、1945年(昭和20年)の生産production終了までに約8,600両が生産productionされた。

試作Prototype時の名称はT22装甲車

また、イギリス軍British Armed ForcesによってグレイハウンドGreyhound愛称Nicknameが付けられているが、イギリス軍British Armed Forcesグレイハウンド装甲車Armored Car Greyhoundは軽すぎて対地雷Land mine防御能力Defensive abilityが低すぎると判断し、レンドリース法Lend-Lease Actsによる本格的な導入Introductionは見送っている。

M20装甲汎用車 M20 armored utility car

アメリカ合衆国USAフォード社Ford Motor Company開発Development生産productionした汎用装輪装甲車wheeled armored utility vehicleである。

M8軽装甲車グレイハウンド M8 Light Armored Car Greyhound派生型Variantsで、M8軽装甲車から砲塔Gun turretを取り外したものである。

フォードGPA Ford GPA 'Seep'

フォード水陸両用汎用車 Ford General Purpose Amphibious

フォードGPA Ford GPA 'Seep'とは、フォードFord Motor Companyによって開発Developmentされた、アメリカ合衆国USA水陸両用車Amphibious vehicleである。

DUKWと並び、アメリカ軍US Armed Forces水陸両用車Amphibious vehicleを代表する存在で、「海のジープ」を意味する“SEEP”Seagoing jEEP)、もしくは「Ike's invension TaxiアイゼンハワーDwight D. Eisenhower大陸反攻Normandy landings用タクシー)」という愛称Nicknameでも呼ばれた。

1943年(昭和18年)7月のシチリア島Sicily上陸作戦Landing operationハスキー作戦Operation Husky」及び同1943年(昭和18年)9月よりのイタリア侵攻作戦Allied invasion of Italyで多数が使用されて作戦operationに貢献した。

フォードGPA Ford GPA 'Seep'第二次世界大戦World War II後は西側諸国Western Blocに少数が供与された他、多くが民間に払い下げられ、港湾作業Port work用、レジャーleisure用として広く利用された。

その特徴的なデザインdesign機能functionを好んで個人で保有している自動車愛好家Car enthusiastも数多く存在する。

DUKW Duck

DUKW Duck)は、GMGeneral Motors Companyによって開発Developmentされた、アメリカ合衆国USA水陸両用車Amphibious vehicleである。

この種の水陸両用車Amphibious vehicleとしては、独力でイギリス海峡English Channel横断Crossingすることが可能な程の高い耐航性を持ち、ノルマンディー上陸作戦Normandy landingsなどで活躍した。

D 1942年設計Designed in 1942

U 水陸両用Utility

K 全輪駆動All-wheel drive

W 2軸の後輪Dual rear axles

兵士達Soldiersには、"ダック"duck:アヒルの意)と呼ばれていた。

M561ガマゴート M561 Gama Goat

六輪駆動貨物トラック 6x6 cargo truck 2,600cc

優れたオフロード走破性off-road abilityを備える水陸両用semi-amphibious輸送車輌Transport vehicleとして1966年(昭和41年)に制式採用された。

車体Body4輪のトラクター部four-wheel drive vehicle2輪のトレーラー部two-wheel trailer関節式ジョイントpowered articulated jointで接続され、6輪を駆動six-wheel drive

しかもトラクター部Tractor unitトレーラー部Trailer unit地形terrainに合わせて別々に動くことで、極めて高い地形追従性Terrain followabilityを発揮した。

1973年(昭和48年)までに約14,000輌が生産productionされ、アメリカ陸軍US Army海兵隊US Marine Corpsの幅広い部隊に配備deployment

輸送transportはもとより火砲の牽引Artillery tractorなどにも活用された。

ジープ・ウイリスMB Jeep Willys MB

ジープ・ウイリスMB Jeep Willys MB

小型四輪駆動車 four by four 2,200cc

ジープJeepは、FCA US LLCフィアット・クライスラー・オートモービルズFiat Chrysler AutomobilesFCAの米国法人)傘下の四輪駆動車Four-wheel driveのブランドである。

ウイリスMB」は、愛称Nicknameとして「ジープJeep」と呼ばれ、第二次世界大戦World War II中に640,000両余りという膨大な量Huge amountがつくられ、連合軍兵士Allied forces Soldierの足として輸送shipping偵察reconnaissance連絡contact搬送Transportなどあらゆる任務missionをこなし、連合軍Allied forces勝利の一因Part of the victoryを作ったとされている。

ハンヴィー HMMWV Humvee

高機動多用途装輪車両 High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle

アメリカ軍US Armed Forces向けにAMゼネラルAM General製造Manufacturingした汎用四輪駆動車Four-wheel drive vehicleM998、及びその発展型軍用車両Military vehicle総称Generic term

ジープJeep四輪駆動車Four-wheel drive vehicle更新用車両Vehicle for renewalとして1985年(昭和60年)から配備deploymentが始まった。













































































































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