13節 ドイツのフランス侵攻
German invasion of France
ダンケルク Dunkirk 2017年(平成29年)
ヨーロッパ戦線 European
Front
ドイツのポーランド進攻 German invasion of Poland
(1939年(昭和14年)9月1日)
ポーランドPolandと相互援助条約Agreement of
Mutual Assistanceを締結していた英仏Britain and Franceはドイツの進攻 German invasionに対して宣戦を布告declaring warする(9月3日)。
ここに第二次世界大戦World War IIが勃発outbreakした。
ネヴィル・チェンバレン Neville Chamberlain イギリスの首相 British Prime Minister
「我が国はドイツGermanyと戦うことになりました。
平和peaceへの努力effortが、水泡に帰し、痛恨の極みdeepest regretであります。」
しかし、参戦ParticipationのタイミングTimingを逃し、独仏国境Franco-German
borderでの小競り合いskirmish以外、実質的な戦闘Battleは発生しなかった。
ドイツのフランス侵攻 German invasion of France
フランスの戦い Battle
of France
1940年(昭和15年)5月10日~6月25日
マジノ線 Maginot
Line
マジノ線 Maginot
Line
独仏国境Franco-German
border沿いの長大な要塞線Fortress line・マジノ線Maginot Lineを過信Overconfidenceしたフランス軍French Armed forcesはたとえドイツ軍German
Armed Forcesが攻め込んで来たとしても戦線battlefrontは膠着するものと信じて疑わなかった。
一方のドイツGermanyもフランスFranceに攻め込むためのタイミングTimingを逃したために本格的な戦闘行為battle actionを控えていた。
これにより戦争状態state of warにもかかわらず実際の戦闘Actual battleは行われないという不自然な状態が半年にわたって続くことになる。
当時、人々はこれを「奇妙な戦争funny war(まやかし戦争Phoney War)」と呼んだ。
その頃、ドイツGermanyとポーランドの分割Partitions of
Polandを終えたソ連Soviet Unionは、さらなる侵攻invasionを企てていた。
ヨシフ・スターリン Joseph Stalin
ポーランド戦Battle of Poland後に締結された「ドイツ・ソビエト国境German-Soviet
borderおよび友好条約Friendship
treaty」の秘密議定書Secret Protocolによって、ソ連Soviet Unionはバルト三国three Baltic countriesに対する権益を確保…
これを背景としてバルト三国three Baltic countriesに対して、一方的な条約を締結させると、フィンランドFinlandに対しても無理な要求を突きつける。
しかし、フィンランドFinlandはこれを拒絶…
カール・マンネルヘイム Carl Gustaf Emil Mannerheim
「我々は、我々の家を、信念を、国を守るために戦うのだ!」
第一次ソ・フィン戦争 First Soviet-Finnish War
(冬戦争 Winter War)
1939年(昭和14年)11月30日~1940年(昭和15年)3月13日
タンペレTampere
タンペレTampereでマキシム機関銃を構えるフィンランド軍兵士Finnish soldier
するとソ連Soviet Unionは、大軍Large armyを差し向けて攻撃を開始…
当初、順調に前進していたソ連軍Soviet Armed forcesだったが…
冬winterになって補給Supplyが滞りはじめたところを…
フィンランド軍Finnish Armed
forcesのスキー部隊ski
troopsに、ゲリラGuerrilla的に攻撃され、弱体化していく…
神出鬼没elusiveなこの戦闘方法Combat methodは「モッティ戦術tactics motti」と呼ばれ、大軍Large armyであるソ連軍Soviet Armed forcesを苦しめたのである。
第一次ソ・フィン戦争 First Soviet-Finnish War (冬戦争 Winter War)
カール・マンネルヘイム Carl Gustaf Emil Mannerheim
「なんとしてもソ連軍Soviet Armed forcesを首都capitalに近づけさせるな!」
フィンランド軍Finnish Armed
forcesは遅滞戦術Delay
tacticsを駆使して、ソ連軍Soviet Armed forcesの侵攻invasionを食い止めた。
ヨシフ・スターリン Joseph Stalin
「無能な者Incompetentは、我が赤軍Red Armyに必要ない!」
自軍Own armyの不甲斐なさincompetenceに激怒outrageしたスターリンJoseph Stalinは、軍司令官Army commanderを更迭Change・処刑Executionする。
(スターリンの大粛清Stalin's Great Purge)
そしてさらに増援Reinforcementを送って、大攻勢Great offensiveを行った。
これにはフィンランド軍Finnish Armed forcesも抗しきれず、1940年(昭和15年)3月12日、ついにソ連Soviet Unionとの講和peaceに応じて、戦いは終結した。
大西洋の戦い Battle
of the Atlantic
1939年(昭和14年)9月3日~1945年(昭和20年)5月7日
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
西方で「奇妙な戦争funny war」状態が続いているなか、ドイツ軍German Armed Forcesは北欧Northern Europeへと目を向けていた。
直接的な要因は、スウェーデンSwedenの鉄鉱石Iron
oreを、ドイツGermanyへ輸入Importするための海路Sea routeを確保Secureするためだ。
また、第一次世界大戦First World War時のように、海上封鎖Naval blockadeによって、行動の自由を奪われることを嫌い、長大な海岸線Long coastlineを有するノルウェーNorwayを欲した事情もあった。
これが実現すれば、ドイツは通商破壊戦Commerce raidingを有利に進めることができる。
ヴェーザー演習作戦 Operation Weser
Exercise
ノルウェーの戦い Norwegian campaign
ナルヴィクの戦い Battles
of Narvik
1940年(昭和15年)4月9日~6月10日
ナチス・ドイツNazi Germanyが実行したノルウェーNorwayとデンマークDenmarkへの侵攻作戦invasion operations。
エーリヒ・レーダー Erich
Raeder 提督Admiral
ドイツ海軍German Navy総司令官supreme commander
「総統(フューラーFührer)」
「イギリスUKより先にノルウェーNorwayを確保Secureすべきです。」
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill
一方、イギリスUKのチャーチルWinston Churchill海相Navy Ministerも
「ドイツGermanyに取られるくらいなら、ノルウェーNorwayを先に占領occupationしてしまえ!」
こうしてドイツ軍German Armed Forcesは「ヴェーザー演習作戦Operation Weser
Exercise」と呼ばれる北欧侵攻作戦Scandinavian invasion operationを開始。
そしてイギリスUKもほとんど同時に行動を起こした。
デンマークの戦い German invasion of Denmark
ヴェーザー演習作戦Operation Weser
Exercise内の戦い
ドイツ軍German Armed ForcesのI号戦車Type I Tank。
デンマークDenmarkのオベンローAabenraaにて、1940年(昭和15年)4月9日。
ドイツ軍German Armed Forcesの装甲車Armored car Sd. Kfz. 223とSd. Kfz. 222。
ユーラン半島Jutland Peninsulaにて。
1940年(昭和15年)4月2日~7日にかけて、ドイツ軍German Armed Forcesは6つに分かれて、それぞれの目的地に向かった。
陸海空Army-Navy-Air Forceすべてが協力して任務を遂行する立体作戦Three-dimensional
strategyである。
北欧Northern Europeの荒れた海stormy seaで英独の艦艇British and German
shipsが死闘deadly combatを繰り広げる。
ドイツ軍German Armed Forcesは主力部隊main‐force unitsを海輸Sea transportしつつ各地の飛行場Airfieldに対して空挺作戦Airborne operationを実施し電撃的lightningにこれを制圧overwhelm・占領occupationする。
後手に回ったイギリス軍British Armed Forcesはようやく部隊military forceを派遣Dispatch…
これによって最北northernmostのナルヴィクNarvikでは激闘Fierce
fightとなり、ドイツ軍German Armed Forcesは一時苦境に陥った。
しかし…
「大変です!
フランス国境French borderにドイツGermanyの大軍Large armyが…!」
フランス国境French borderの異変によりイギリス軍British Armed Forcesは、北欧Northern Europeにかまっている余裕はなくなってしまった。
グリーノックGreenock (スコットランドScotland)へ撤退したイギリス軍British Armed
Forces、1940年(昭和15年)6月。
1940年(昭和15年)6月8日にイギリス軍British Armed ForcesはナルヴィクNarvikから完全撤退total withdrawalし、北欧Northern Europeはドイツ軍German Armed Forcesの制圧下Under controlに置かれることになったのである。
ドイツのフランス侵攻 German invasion of France
フランスの戦い Battle
of France
1940年(昭和15年)5月10日~6月25日
「奇妙な戦争funny
war」が続いている間もドイツ軍German Armed Forcesは対仏戦Battle against Franceの準備に余念がなかった。
ポーランド戦Battle of Polandで実証済みの「電撃戦lightning war(ブリッツクリークBlitzkrieg)」により短期間でフランスFranceを降伏Surrenderに追いやる計画であった。
そのため戦車tankを中心とした部隊military forceを密かにフランス国境French border沿いに移動させていたのである。
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
一方、いずれドイツ軍German Armed Forcesが攻めてくると判断していたフランス軍French Armed forcesは主力main‐force unitsをベルギー国境Belgian border方面へと配置していた。
マジノ線 Maginot
Line
それ以外の国境線Border lineはマジノ要塞Maginot Fortressが塞いでくれるはずだったからだ。
しかし、1940年(昭和15年)5月10日、ドイツ軍German
Armed Forcesはフランス軍French Armed forcesの裏をかいて進撃を開始した。
アルデンヌの森Forest of Ardennesを突破するI号戦車Type I TankとII号戦車Type II Tank
フランス軍French Armed forcesのルノーB1 Char B1重戦車Heavy
tank。
機甲師団Armored divisionを持つドイツ軍German
Armed Forcesに各地で撃破された
大部隊Large unitが展開することは難しいと考えられていたアルデンヌの森Forest of Ardennesを突破して戦車部隊tank corpsを中心としたA軍集団Army Group Aが海岸方面To the coastに向けて前進する。
ハインツ・グデーリアン Heinz Guderian 軍団長Corps Commander
「厚い皮膚より早い足だ!」
(戦車は装甲の厚さよりも移動速度を重視したほうが良い)
同時に、オランダNetherlands・ベルギーBelgium方面DirectionでもB軍集団Army Group Bが攻撃を開始…
同方面の英仏連合軍Anglo‐French Allied
Forcesを拘束する。
そして、その間にA軍集団Army Group Aが、ドーバー海峡Strait of Doverまで一気に進み、英仏連合軍Anglo‐French Allied Forcesを袋のネズミrat in a trapにするという作戦である。
アラスの戦い Battle of Arras
1940年(昭和15年)5月21日
アラスの戦い Battle of Arras
歩兵戦車マークIIマチルダII Infantry Tank Mark
II, Matilda II
だが、追い詰められた連合軍Allied
forcesは必死の反撃を開始した。
海岸Coastへ向けて突進するドイツGerman第7装甲師団7th Panzer Divisionに対して、アラスArras近郊でイギリス派遣軍British
Expeditionary Forceが戦車tankを投入して攻撃…
「イギリス軍British Armed Forcesのマチルダ戦車Tank Matildaは装甲が厚くて歯が立たない!」
エルヴィン・ロンメルErwin Rommel
「何をあわてておる。」
「航空機aircraftを攻撃する高射砲Anti-aircraft
Cannonを使って戦車Tankを撃破せよ!」
ダンケルクの戦い Battle
of Dunkirk
ダイナモ作戦 Operation
Dynamo
ダンケルクからの撤退 Dunkirk evacuation
ダンケルクの奇跡 Miracle
of Dunkirk
1940年(昭和15年)5月24日~6月4日
結局、ドイツ軍German Armed Forcesの快進撃の前に数十万の英仏連合軍Anglo‐French Allied
Forcesは、海岸地帯Coastal
areaに封じ込められてしまう。
ヘルマン・ゲーリング Hermann Göring
ドイツ空軍German
air force総司令官supreme commander
「我が空軍Air
Forceで息の根を止めてやる!」
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
「よし!
装甲部隊armored corpsに停止命令を!
空軍Air Forceの攻撃で連合軍Allied forcesを殲滅させるのだ!」
「?」
「ドイツGermanyの装甲部隊armored
corpsの攻撃がやんだ…」
しかし、結果的にこれがうまくいかず、30万人以上の連合軍Allied forces将兵officers
and soldiersはイギリスUKへと脱出escape…
「ダンケルクの奇跡Miracle of Dunkirk」である。
もっとも、脱出escapeに成功したところで、フランスFranceの状況が好転するわけではなかった。
後方の憂いがなくなったドイツ軍German Armed Forcesは改めて前進を再開…
シャルル・ド・ゴール Charles de Gaulle フランス第4機甲師団長
「ドイツ軍German Armed Forcesの橋頭堡Bridgeheadを潰せ!」
フランス軍French
Armed forcesにも優秀な指揮官Excellent commanderはいたし、反撃も行われたが、しょせん焼け石に水であった。
圧倒的な大軍Large
armyの前に、首都capitalパリParisは、1940年(昭和15年)6月10日に、無防備都市Open city宣言declarationを行い、ドイツ軍German Armed Forcesはこれを占領occupationする。
同1940年(昭和15年)6月10日、イタリアItalyも、英仏Britain
and Franceに対して、宣戦布告Declaration of warを行った。
ベニート・ムッソリーニ Benito Mussolini
その後、ドイツGermanyとイタリアItalyはフランス南部Southern Franceに対して攻撃を行い…
1940年(昭和15年)6月22日、フランスFranceはついに全面降伏Full surrenderした。
ドイツ軍German Armed Forcesの攻撃開始からわずか45日という短さであった。
そしてドイツGermanyと和平peaceを結んだフランスFranceはこれ以降、ヴィシー政権Vichy Franceがフランス南部Southern Franceを統治することになる。
フィリップ・ペタン Philippe Pétain 元帥Marshal
フランスFranceの脱落omissionによってイギリスUKは文字通り孤立Isolationした。
だが、1940年(昭和15年)5月10日にイギリス首相British Prime
MinisterとなったチャーチルWinston Churchillは徹底抗戦do-or-die resistanceの構えであった。
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
「残るはイギリスUKのみ…
やがて彼らも降伏surrenderするだろう。」
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill
「自由の火torch
of freedomを消してはならない。」
あしか作戦 Operation Sea Lion
イギリス本土British Mainland上陸作戦landing operation
1940年(昭和15年)7月~9月
作戦は準備まで進められたが、英本土航空戦Battle of Britainの結果が思わしくなく、1940年(昭和15年)9月に無期限延期Indefinite
postponementとなり、結局実施されることはなかった。
ドイツGermanyはイギリス本土British Mainlandに対する上陸作戦landing operationを立案…
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
「これを「あしか作戦Operation Sea Lion」と名付ける!」
ドイツGermanyは海軍力Naval
powerではイギリスUKに劣る…
そのため上陸作戦landing operationを成功させるには制空権Air supremacyの確保が絶対条件であった。
こうしてドイツ空軍German air force対イギリス空軍Royal Air Forceの死闘deadly combatが開始される…
英国空中戦 Battle of Britain
(イギリスの戦い Battle of Britain)
1940年(昭和15年)7月〜1941年(昭和16年)5月
1940年(昭和15年)7月、ドイツ空軍German air forceはイギリスUKに対する攻撃を開始…
当初は海岸近辺の目標に対する散発的な攻撃であったが…
1940年(昭和15年)8月から本格的な作戦に移った…
これが「アドラーアングリフAdlerangriff (鷲の攻撃)」と呼ばれる作戦である。
イギリス本土British Mainland上空における航空戦Aerial warfareで…
イギリス空軍Royal Air Force力Powerは日に日に減少していく…
英国空中戦 Battle
of Britain
ヘルマン・ゲーリング Hermann Göring
ドイツ空軍German air force総司令官supreme commander
「あと一押しでイギリスUKは落ちる!」
ところが、1940年(昭和15年)8月24日に起こった、偶発的な出来事によって、事態は一変する…
ヒトラーは、イギリスUKの報復Retaliationを恐れ、市街地Urban areaへの無差別爆撃Indiscriminate
bombingを禁じていたが…
ドイツGermanyの爆撃機Bomberが誤ってロンドン市内London cityに爆弾bombを落としてしまったのである。
これを受け、チャーチルWinston Churchillはただちに報復Retaliationに出た。
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill
「ドイツGermanyの首都capitalベルリンBerlinを空爆Air strikeせよ!」
ザ・ブリッツ The Blitz
(ロンドン大空襲 Great air raid on London)
1940年(昭和15年)9月7日~1941年(昭和16年)5月10日
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
「ゲーリングHermann
Göringは何をしておるのだ!」
ヘルマン・ゲーリング Hermann Göring
ドイツ空軍German air force総司令官supreme commander
防空air defenseに絶対の自信を持っていたゲーリングHermann Göringの面目は丸つぶれとなり…
激怒outrageしたヒトラーAdolf Hitlerは…
戦略目標strategic targetを転換してロンドンLondonへの無差別爆撃Indiscriminate bombingを命じたのである。
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
「すべて燃やし尽くせ!」
ロンドンLondonに対する爆撃bombingは、心理的ダメージPsychological
damageを与えはしたが、
この攻撃のために、イギリス空軍Royal Air Forceは一息つくことができ、
戦力military potentialの回復Recoveryを図ることに成功した。
「ドイツ軍German Armed Forcesめ…
今に見てろよ!」
そして1940年(昭和15年)9月15日、ドイツ空軍German air forceは、いつものように、1,000機を超える航空機aircraftを動員mobilizationして、ロンドンLondonの爆撃bombingへ向かった。
これをレーダーradarによって察知していたイギリス空軍Royal Air Forceは、万全の態勢で迎え撃つ。
「来ました!」
「よし出撃だ!」
ドイツGermanyの爆撃機Bomberは次々と打ち落とされ「暗黒の日曜日Dark sunday」と呼ばれるほどの大損害Great damageを被った。
この戦闘BattleによってヒトラーAdolf HitlerはついにイギリスUKに対する航空作戦Air operationsの中止を命令した。
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler
それは、イギリス本土British Mainland上陸landingの延期Postponeをも意味したのである。
開戦以来、無敵を誇ったドイツGermanyもついにイギリスUKを屈服させることはできなかった。
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill
「これほど多くの人々のために、かくも少数の者たちが、その責務を負ったことは、いまだかつてなかっただろう…」
だがこの時…
ヒトラーAdolf Hitlerの目はすでに東方the eastへと向けられていたのである…
ヴェーザー演習作戦
Operation Weser Exercise
ノルウェーの戦い Norwegian campaign
ナルヴィクの戦い Battles
of Narvik
1940年(昭和15年)4月9日~6月10日
戦艦シャルンホルスト German battleship
Scharnhorst 独海軍German Navy
戦艦グナイゼナウ German battleship
Gneisenau 独海軍German Navy
重巡洋艦アドミラル・ヒッパー German
Heavy cruiser Admiral Hipper
独海軍German Navy
軽巡洋艦ケルン German Light
cruiser Köln 独海軍German Navy
軽巡洋艦ケーニヒスベルク Light cruiser Königsberg 独海軍German Navy
Uボート U-boat
ドイツ海軍German Navyの保有する潜水艦submarineの総称general term
海防戦艦ノルゲ Coastal defence
ship Norge ノルウェー海軍Norwegian Navy
戦艦ウォースパイト Battleship
Warspite 英海軍Royal Navy
駆逐艦ホットスパー Destroyer
Hotspur 英海軍Royal Navy
ドイツのフランス侵攻 German invasion of France
フランスの戦い Battle
of France
1940年(昭和15年)5月10日~6月25日
I号戦車 Type I Tank 独陸軍German Army
II号戦車 Type II Tank 独陸軍German Army
B1bis戦車 Char B1bis フランスFrance
LT-35軽戦車 LT-35 Light tank 独陸軍German Army
LT-38軽戦車 LT-38 Light tank 独陸軍German Army
III号戦車 Type III Tank 独陸軍German Army
IV号戦車 Type IV Tank 独陸軍German Army
英国空中戦 Battle
of Britain
(イギリスの戦い Battle of Britain)
1940年(昭和15年)7月〜1941年(昭和16年)5月
メッサーシュミットBf 109 Messerschmitt Bf
109 独空軍German air force
メッサーシュミットBf 110 Messerschmitt Bf 110 独空軍German air force
ドルニエDo 17 Dornier Do 17 独空軍German air force
ドルニエDo 215 Dornier Do 215 独空軍German air force
ハインケルHe111 Heinkel He 111 独空軍German air force
ユンカースJu 87シュトゥーカJunkers Ju 87 or
Stuka 独空軍German air force
スピットファイアSupermarine Spitfire 英空軍Royal Air Force
ホーカー・ハリケーンHawker Hurricane 英空軍Royal Air Force
グロスター・グラディエーター Gloster
Gladiator 英空軍Royal Air Force
フェアリー・バトル Fairey Battle 英空軍Royal
Air Force
ブリストル・ブレニム Bristol Blenheim 英空軍Royal
Air Force
ブリストル・ボーファイター Bristol Beaufighter 英空軍Royal Air Force
アブロ・ランカスター Avro Lancaster 英空軍Royal Air Force
ハンドレページ・ハリファックス Handley
Page Halifax 英空軍Royal Air Force