5節 珊瑚海海戦 Battle of the Coral Sea
(さんごかい・かいせん)
珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん) Battle of the Coral Sea
ドーリットル空襲 Doolittle Raid
ドーリットル空襲 Doolittle Raid
ドーリットル空襲 Doolittle Raid
ドーリットル空襲Doolittle Raidは、1942年(昭和17年)4月18日に、 航空母艦ホーネットAircraft carrier Hornetから発進した双発爆撃機Twin-engine Bomber B-25ミッチェルNorth
American B-25 Mitchell 16機が、太平洋戦争Pacific Warで初めて日本本土Japanese mainland攻撃attackをした一連の空襲air raidである。
ウィリアム・ハルゼー・ジュニア William
Halsey Jr. 提督admiral
ヨークタウン級航空母艦Yorktown class aircraft carrier 2隻(エンタープライズEnterprise、ホーネットHornet)を基幹とするハルゼーWilliam
Halsey Jr.提督admiral指揮下のアメリカ海軍US Navy機動部隊Mobile Unit/Forceが太平洋Pacific Oceanを横断し、日本列島Japanese archipelago(本州Honshu)東方海域Eastern watersに到達して行った。
ジミー・ドーリットル James
Doolittle 中佐Lieutenant Colonel
ジミー・ドーリットルJames Doolittle中佐Lieutenant Colonelを指揮官CommanderとするB-25ミッチェルNorth American B-25 Mitchell 16機は、日本本土Japanese mainland各地(東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸、等)に空襲air raidを実施し、民間人に被害があった。
空母龍鳳(りゅうほう) Aircraft carrier Ryuho
軍事的な戦果は潜水母艦Submarine tenderから航空母艦Aircraft carrierへ改造中の大鯨(たいげい)(龍鳳(りゅうほう))が直撃弾で損傷、またアメリカ海軍US Navy機動部隊Mobile Unit/Forceの掃討により漁船Fishing
vessel改造の特設監視艇隊に被害が出た程度だったが、
日本軍Imperial Japanese Forcesに与えた衝撃impactは極めて大きかった。
帝都Imperial
capitalへ米軍機U.S. military aircraftをやすやすと侵入Invasionさせたことは、軍armyの面子(めんつ)を潰(つぶ)すlose face結果となり、早急に対策を練らなければならなくなったのである。
空母ホーネット Aircraft carrier Hornet
空母ホーネット Aircraft carrier Hornet
空母ホーネット Aircraft carrier Hornet
空母ホーネット Aircraft carrier Hornet
空母ホーネットAircraft carrier Hornetは、アメリカ海軍US Navyの航空母艦Aircraft carrier。
ヨークタウン級航空母艦Yorktown class aircraft carrierの3番艦Third ship。
艦名vessel nameはスズメバチHornetの英語名に因む。
ミッドウェー海戦Battle of Midwayに繋がるドーリットル空襲Doolittle Raidを行ったドーリットル隊の母艦Mother shipとして有名であるが、1942年(昭和17年)10月、南太平洋海戦Battle of the South Pacificにて沈没Sunkした。
B-25ミッチェル North American B-25 Mitchell
B-25ミッチェル North American B-25 Mitchell
アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces
アメリカ海軍US Navy
双発爆撃機Twin-engine Bomber
運用開始Introduction 1941年(昭和16年)
最高速度Top speed 438km/h
乗員Crew 5名
操縦士Pilot
航法士navigator兼爆撃手bombardier
回転銃座銃手ball turret gunner兼機関士flight
engineer
無線士radio operator兼側面銃手waist gunner
尾部銃手tail gunner
B-25ミッチェル North American B-25 Mitchell
B-25ミッチェルNorth American B-25 Mitchellは、アメリカ合衆国USAのノースアメリカン社North American Aviationが開発Developmentし、アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forcesやアメリカ海軍US Navyで運用Introductionされた爆撃機Bomber。
第二次世界大戦World War IIにおいて各戦場で運用Introductionされた。
「ミッチェルMitchell」の愛称Nicknameはアメリカ陸軍US Armyの将校officerウィリアム・ミッチェルWilliam
Mitchell准将Brigadier generalにちなむ。
1942年(昭和17年)4月18日に日本本土Japanese mainlandへの爆撃air raid(ドーリットル空襲Doolittle Raid)で使用された。
西南太平洋 Southwest Pacific Ocean
FS作戦 Operation FS
FS作戦Operation FSは、ニューカレドニヤ作戦New Caledonia operation、フィジー作戦Fiji operation、サモア作戦Samoa operationの総号呼称。
米豪分断US-Australia
divisionのためにフィジーFiji、サモアSamoa方面への進攻を計画。
米豪遮断US-Australia
interceptionによってオーストラリアAustralia脱落omissionを促進しようというものだった。
ソロモン諸島の戦い Solomon Islands campaign
第一段作戦(だいいちだん・さくせん)First stage
operation(南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern
campaign)の終了後、日本軍Imperial Japanese Forcesは第二段作戦(だいにだん・さくせん)Second stage operationとして、アメリカUnited StatesとオーストラリアAustraliaの間のシーレーンSea lines of communicationを遮断interceptionしオーストラリアAustraliaを孤立させる「米豪遮断作戦Cut the supply and communication lines between Australia and the
United States」(FS作戦Operation FS)を構想した。
この阻止を目論む連合軍Allied forcesとの間でソロモン諸島の戦いSolomon Islands campaign、ニューギニアの戦いNew Guinea campaignが開始されると、この地域で足止めされた日本軍Imperial Japanese Forcesは、戦争資源War resourcesを消耗していくことになる。
MO作戦
MO作戦 Operation Mo
モ号作戦 Operation Mo
MO作戦Operation Moとは、太平洋戦争Pacific War中に日本軍Imperial Japanese Forcesが計画したポートモレスビー攻略seize
Port Moresby作戦Operation。
別名は「モ号作戦Operation Mo」。
ラバウル占領Battle of
Rabaul後の1942年(昭和17年)1月30日、連合艦隊Combined
Fleetは、3月にラエLae、サラモアSalamaua、4月にツラギTulagi、ポートモレスビーPort Moresbyを攻略seizureするように計画した。
1942年(昭和17年)3月10日、米機動部隊U.S.
Mobile Task ForceがラエLae、サラモアSalamauaに来襲Invasionし、日本Imperial Japanの攻略部隊invasion
forcesは艦船war vesselsに大損害heavy lossを受け、ポートモレスビー攻略seize Port Moresby作戦Operationはおおむね一か月以上延期せざるを得なくなった。
珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん) Battle of the Coral Sea
珊瑚海海戦 Battle of the Coral Sea
(さんごかい・かいせん)
大東亜戦争Greater East Asia War(太平洋戦争Pacific War)中の1942年(昭和17年)5月上旬、MO作戦Operation Mo中に日本海軍Imperial Japanese Navyと連合国軍Allied forces(アメリカ合衆国USA・オーストラリアAustralia)の間で発生した戦闘Battle。
ポートモレスビーPort Moresby攻略captureを目指して珊瑚海Coral Seaに進出する日本軍Imperial Japanese Forcesの計画を知った連合国軍Allied forcesが先に進出し、空母機Carrier-based aircraftで日本Imperial
Japanの攻略部隊invasion forcesを空襲Air attackしたため、日本海軍Imperial
Japanese Navyが空母aircraft carrier機動部隊Mobile
Unit/Forceで敵空母Enemy aircraft carrierを捕捉しようとして発生した。
珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん) Battle of the Coral Sea
駆逐艦シムス Destroyer Sims アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
空母祥鳳(しょうほう) Aircraft carrier Shoho 軽空母Light
aircraft carrier
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん) Battle of the Coral Sea
チェスター・ニミッツ Chester Nimitz
アメリカ太平洋艦隊司令長官
Commander in Chief, United States Pacific Fleet
珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん) Battle of the Coral Sea
空母レキシントン Aircraft
carrier Lexington
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
空母ヨークタウン Aircraft
carrier Yorktown アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで損傷damage。
珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん) Battle of the Coral Sea
空母瑞鶴(ずいかく) Aircraft carrier Zuikaku
空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで損傷damage。
駆逐艦菊月(きくづき) Destroyer Kikuzuki
睦月型駆逐艦Mutsuki-class destroyers
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
1942年(昭和17年)5月8日の戦闘Battleでは、米空母US aircraft
carrier 2隻(レキシントンLexington、ヨークタウンYorktown)と日本海軍Imperial Japanese Navyの空母aircraft
carrier 2隻(瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく))が攻撃attackを交わした。
この海戦Naval Battleは対抗する両艦隊Both fleetsが互いに相手の艦shipを視界内に入れずに行われた、歴史上最初の海戦Naval Battleとなった。
空母祥鳳(しょうほう) Aircraft carrier Shoho 軽空母Light
aircraft carrier
空母祥鳳(しょうほう) Aircraft carrier Shoho 軽空母Light
aircraft carrier
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
この海戦Naval battleで大型空母レキシントンLarge Aircraft carrier Lexingtonを失ったアメリカ軍US Armed
Forcesに対し、日本軍Imperial Japanese Forcesも小型空母祥鳳Light Aircraft carrier Shohoを失い、翔鶴(しょうかく)Aircraft
carrier Shokakuも損傷damageした。
この結果、海路Sea routeからのポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track
campaignを断念した日本軍Imperial Japanese Forcesは陸路Land routeからの作戦に切り替えたものの、山脈越えCrossing the mountainsの難行軍hard marchにより補給が途絶えてポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track campaignは失敗する。
空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで損傷damage。
連合軍Allied forcesの損害lossは空母aircraft
carrier 1隻に対し、日本軍Imperial Japanese Forcesの損害lossは軽空母Light Aircraft carrier 1隻と戦術的には日本海軍Imperial Japanese Navyの勝利victoryに終わったが、日本Imperial Japanese機動部隊Mobile
Unit/Forceも艦載機Carrier-based aircraftや操縦士Pilotを多数消耗し、日本海軍Imperial Japanese Navyはこの後の作戦続行が不可能としてポートモレスビーPort Moresby攻略captureを断念した。
駆逐艦シムス Destroyer Sims アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで沈没Sunk。
さらに日本海軍Imperial Japanese Navyはこの海戦Naval Battleで損傷damageした空母aircraft
carrierを後のミッドウェー海戦Battle of Midwayで復帰Returnさせることが出来なかったのに対し、連合軍Allied forcesは空母aircraft
carrierをミッドウェー海戦Battle
of Midwayに復帰Returnさせることが出来たので、この空母aircraft carrierの戦線復帰Return to the
frontはミッドウェー海戦Battle
of Midwayにおける勝利victoryを左右した。
空母ヨークタウン Aircraft
carrier Yorktown アメリカ海軍US Navy
空母ヨークタウン Aircraft
carrier Yorktown アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで損傷damage。
空母レキシントン Aircraft
carrier Lexington
空母レキシントン Aircraft
carrier Lexington
レキシントンCV-2 Aircraft carrier Lexington CV-2
アメリカ海軍US Navy
レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriers 1番艦Lead ship
就役In service 1927年(昭和2年)12月14日
全長Length 270.66m
排水量Displacement 36,000metric
tons
最大速力Top speed 33.25knots(61.6km/h)
乗員数Complement 2,791
搭載機数Aircraft carried 78
空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonは、アメリカ海軍US Navyの航空母艦Aircraft carrier。
レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriersのネームシップName ship。
艦名ship nameは、アメリカ独立戦争American War of Independence時のレキシントン・コンコードの戦いBattles of Lexington and Concordに由来する。
「空母の女王Qeen of the Flat-tops」、「レディ・レックスLady Lex」、「グレイ・レディGray Lady」の愛称Nicknameで呼ばれた。
1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor時、空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonはミッドウェー島Midway
Islandsに航空機fighter aircraftを輸送ferryingする任務についていた。
以降の太平洋戦争Pacific Warでは、まずハワイHawaii周辺の哨戒や作戦に従事する。
1942年(昭和17年)2月よりウィルソン・ブラウンWilson Brown提督Admiralが指揮する第11任務部隊Task Force 11の中核として南太平洋South Pacificや珊瑚海Coral Seaで活動し、2月下旬のニューギニア沖海戦Action off Bougainvilleに参加、ラバウル航空隊Rabaul Air Corpsと交戦する。
つづいて第17任務部隊Task Force 17の空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownと共にラエ・サラモアへの空襲Invasion of Salamaua–Laeを実施した(東部ニューギニアの戦いNew Guinea Campaign)。
空母レキシントン Aircraft
carrier Lexington
フランク・J・フレッチャー Frank Jack Fletcher 提督Admiral
1942年(昭和17年)5月上旬、日本軍Imperial Japanese Forcesのポートモレスビー攻略作戦Kokoda Track campaign(MO作戦Operation Mo)を阻止するため、フランク・J・フレッチャーFrank Jack Fletcher提督Admiralの第17任務部隊Task Force 17(ヨークタウンYorktownほか)とオーブリー・フィッチAubrey Fitch提督Admiralの第11任務部隊Task Force 11(レキシントンLexingtonほか)は珊瑚海Coral Seaに進出する(珊瑚海海戦Battle of the Coral Sea)。
1942年(昭和17年)5月7日、空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownと空母レキシントンAircraft
carrier Lexington攻撃隊attack forcesは軽空母祥鳳(しょうほう)Light
aircraft carrier Shohoを撃沈attack and
sinkした。
空母レキシントン Aircraft
carrier Lexington
翌5月8日、MO作戦Operation Mo機動部隊Mobile Unit/Forceの第五航空戦隊Fifth Carrier
Division(空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikaku、空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku)艦上機Carrier-borne aircraftによる空襲Airstrikeを受け、空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownに爆弾bomb 1発が命中、空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonに爆弾bomb 2発と魚雷torpedo 2本が命中する。
空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonは応急修理Emergency
repairに努めたが、気化燃料が爆発して大火災conflagrationとなり、駆逐艦フェルプスDestroyer Phelpsにより雷撃torpedo
attack処分された。
レキシントン級航空母艦Lexington-class aircraft carriers
1番艦Lead ship 空母レキシントンAircraft carrier Lexington
2番艦Second ship 空母サラトガAircraft carrier Saratoga
駆逐艦フェルプス Destroyer
Phelps アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)5月7日、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaで、空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonを雷撃torpedo
attack処分した。
SBDドーントレス Douglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy
SBDドーントレス Douglas SBD Dauntless
1942年(昭和17年)5月、珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaでアメリカ海軍US Navyは初めてSBDドーントレスDouglas SBD Dauntlessを使用した。
SBD-3は、共同で運用された雷撃機Torpedo bomber TBDデヴァステイターDouglas TBD
Devastatorの性能が貧弱で、日本艦隊Imperial Japanese Fleetに有効な打撃を与えられない中、空母祥鳳Aircraft carrier Shohoを撃沈attack and
sinkし、空母翔鶴Aircraft carrier Shokakuを中破half damageさせた。
TBDデヴァステイター Douglas TBD
Devastator アメリカ海軍US Navy
TBDデヴァステイター Douglas TBD
Devastator アメリカ海軍US Navy