4節 蘭印作戦(らんいん・さくせん)
Dutch
East Indies campaign
パレンバン空挺作戦 Palembang Airborne
operation
西南太平洋 Southwest
Pacific Ocean
東南アジア Southeast Asia
蘭印作戦(らんいん・さくせん) Dutch East Indies campaign
蘭印作戦Dutch East Indies campaign
開戦opening of war後、戦況War situationが予想以上に有利advantageousに進展したため、南方軍Southern Expeditionary Armyはジャワ作戦Java campaignの開始日程を1ヶ月繰り上げた。
第16軍Sixteenth Army司令部Headquarters
坂口静夫(さかぐち・しずお) Shizuo Sakaguchi
1942年(昭和17年)1月11日、第16軍Sixteenth Army坂口支隊56th DivisionはボルネオBorneoに上陸landing、同日、日本海軍Imperial Japanese Navyの空挺部隊airborne troopsがセレベス島CelebesメナドManadoに降下し蘭印(オランダ領東インド)作戦Dutch East Indies campaignが開始された。
第16軍Sixteenth Armyは1942年(昭和17年)1月25日にバリクパパンBalikpapan、1月31日にアンボンAmbon、2月14日にパレンバンPalembangと順次攻略captureしていった。
連合軍Allied forcesの艦隊Fleetはスラバヤ沖海戦Battle of the Java Seaとバタビア沖海戦Battle of Sunda
Straitで潰滅devastationさせられ、第16軍Sixteenth
Armyは1942年(昭和17年)3月1日に最終目標final goalのジャワ島Javaに上陸landingした。
ジャワ島Javaの連合軍Allied forcesは1942年(昭和17年)3月9日に降伏Surrenderし、予想外の早さで蘭印作戦Dutch East Indies
campaignは終了した。
マレーBritish Malaya、フィリピンPhilippinesを攻略captureした日本軍Imperial Japanese Forcesは、蘭印攻略Conquest of the
Dutch East Indiesへと駒を進めた。
それはまず本丸centre
of a castleであるジャワ島Java
islandに攻め入る前に、周辺の島々Surrounding islandsを占領occupationすることから始まった。
先陣を切ったのは、ボルネオ島Borneo IslandのミリMiriに上陸landingした川口支隊(かわぐち・したい)Kawaguchi
Detachment。
川口清健(かわぐち・きよたけ) Kiyotake Kawaguchi
1941年(昭和16年)12月25日、クチンKuching占領occupation。
1941年(昭和16年)12月31日、ブルネイBrunei占領occupation。
川口支隊(かわぐち・したい)Kawaguchi
DetachmentはブルネイBruneiをはじめ、ボルネオ島Borneo Island西岸west coastの要地key area positionを次々と攻略captureした。
一方、ボルネオ島Borneo Island東岸eastern
coastには、パラオPalauから兵力military force約5,000を率いた坂口支隊(さかぐち・したい)Sakaguchi Detachmentが…
坂口静夫(さかぐち・しずお) Shizuo Sakaguchi
ミンダナオ島Mindanao islandのダバオDavao、ホロ島Jolo islandを経由し、各地を制圧Suppression…
ボルネオ島Borneo Island東岸eastern coastを完全に攻略captureした。
蘭印作戦(らんいん・さくせん) Dutch East Indies campaign
蘭印作戦(らんいん・さくせん) Dutch East Indies campaign
さらに1942年(昭和17年)1月11日、セレベス島Celebes island北部northern part ofのメナドMenadoでは、横須賀第一特別陸戦隊(通称横一特)の落下傘部隊parachute troopが降下landingし、ここを制圧under
control。
同時に上陸戦landing
warfareを行った佐世保連合特別陸戦隊(通称佐連特)は、ケンダリKendari・マカッサルMakassarの攻略captureに成功した。
蘭印(らんいん)Dutch East Indiesの石油施設Oil facilityはボルネオ島Borneo Islandとスマトラ島Sumatra Islandに集中していたが…
ボルネオ島Borneo Islandの石油施設Oil facilityは蘭印(らんいん)Dutch East Indiesの守備軍Defensive armyによって、大部分が破棄されており…
日本軍Imperial Japanese Forcesにとってスマトラ島Sumatra Islandの石油施設Oil facility確保Secureが急がれた。
スマトラ島 Sumatra
Island
九七式重爆撃機 The Type 97 Heavy Bomber 陸軍Army
パレンバン空挺作戦 Palembang Airborne
operation
1942年(昭和17年)2月14日、スマトラ島Sumatra Islandの大油田地帯Large oil fieldであるパレンバンPalembangに、陸軍Armyの第一挺進団parachute
troopが空挺降下Airborneを敢行。
ムントクMuntokに上陸landingした第38師団38th Divisionと協力しスマトラ島Sumatra Islandの主要な製油所oil refineryの確保Secureに成功した。
こうして日本軍Imperial Japanese Forcesは蘭印(らんいん)Dutch East Indiesの重要地点Important pointsならびに石油施設Oil facilityを手に入れたのである。
一式戦闘機 隼I型 Type 1 Fighter Hayabusa Model 1
一式戦闘機 隼I型 Type 1 Fighter Hayabusa Model 1
加藤隼戦闘隊 Colonel Kato's Falcon Squadron
加藤建夫(かとう・たてお)陸軍中佐 Army
Lieutenant colonel Tateo Kato
大空のちかい 九里一平(くり・いっぺい) 1962年(昭和37年)
ホーカー・ハリケーン Hawker Hurricane イギリス空軍Royal Air Force
ロッキード・ハドソン Lockheed Hudson 米陸軍航空軍US Army Air Forces
ブリストル・ブレニム Bristol Blenheim イギリス空軍Royal Air Force
ジャワ島 Java
island
1942年(昭和17年)2月下旬…
日本軍Imperial Japanese Forcesの上陸船団Landing fleetは蘭印(らんいん)Dutch East Indiesの本丸・ジャワ島Java islandに向けて動き出す。
これに対して連合国艦隊Allied fleet(ABDA艦隊American-British-Dutch-Australian
fleet)もただちにスラバヤSurabaya港portを出港。
カレル・ドールマンKarel Doorman
オランダの海軍将校Dutch naval officer
連合国艦隊Allied fleet(ABDA艦隊American-British-Dutch-Australian
fleet)司令長官Commander-in-Chief
1942年(昭和17年)2月27日、スラバヤSurabaya沖…
日本軍Imperial Japanese Forces第5艦隊、重巡洋艦那智(なち)Heavy cruiser Nachi…
重巡洋艦那智(なち) Heavy cruiser Nachi
妙高型重巡洋艦Myoko-class Heavy
cruiserの2番艦Second ship
高木武雄(たかぎ・たけお) Takeo Takagi
酸素魚雷(さんそ・ぎょらい)oxygen
torpedoとは燃料の酸化剤として空気の代わりに、空気中濃度以上の酸素混合気体もしくは純酸素を用いた魚雷torpedoである。
蘭印作戦(らんいん・さくせん) Dutch East Indies campaign
重巡洋艦エクセター Heavy cruiser Exeter イギリス海軍Royal Navy
重巡洋艦エクセター Heavy cruiser Exeter イギリス海軍Royal Navy
このスラバヤ沖海戦Battle of Surabaya in open seaでは、イギリス海軍Royal Navyの重巡洋艦エクセターHeavy cruiser Exeterをはじめ数隻が撃沈attack and sunk。
日本軍Imperial Japanese Forcesは航空戦Aerial warfareだけでなく水上戦Naval battleにおいても完勝Complete victoryした。
ジャワ島 Java
island
このスラバヤ沖海戦Battle of Surabaya in open seaの勝利victoryにより、陸軍部隊Army troopsはジャワ島上陸作戦Landing operation
of Javaを実施。
1942年(昭和17年)3月1日、最西端のメラクに第2師団Divisionが…
首都capitalバタビアBatavia(現在のジャカルタJakarta)を挟んだ東側のエレタンに東海林支隊(しょうじ・したい)Shoji Detachmentが…
そして第48師団Divisionと坂口支隊(さかぐち・したい)Sakaguchi Detachmentが東部クラガンに上陸Landingした。
坂口静夫(さかぐち・しずお) Shizuo Sakaguchi
第2師団2nd Divisionは上陸landing後5日で首都capitalバタビアBatavia(現在のジャカルタJakarta)を占領occupation…
次なる攻撃目標Attack
targetは…
蘭印(らんいん)軍Dutch East Indies
Armyの主力main forceと英米軍British and US
Armed Forcesなど連合軍Allied forcesの戦力war potentialの半数Halfが集結するバンドン要塞Bandung Fortress。
その数50,000…
そこに支援部隊Support
unitの東海林支隊(しょうじ・したい)Shoji
Detachment 4,000名が先着。
しかし本隊Main
corpsである第2師団2nd Divisionと連絡がとれない。
バンドン要塞Bandung Fortressには50,000の連合軍Allied forcesがあると予想されていたが、若松満則(わかまつ・みつのり)少佐Majorは、進んでバンドン要塞Bandung Fortressの一角を奪取し、そこで防御することを考えた。
1942年(昭和17年)3月7日2時、若松挺身隊Wakamatsu Volunteer
Corps 700名はバンドン要塞Bandung Fortress外郭のレンバンの町に電撃突入し、山頂線の重要陣地Important positionを占領occupationした。
若松満則(わかまつ・みつのり)少佐Major
日本軍Imperial Japanese Forces突入Rush inの知らせにバンドンBandungの蘭印(らんいん)軍Dutch East Indies
Army司令部Headquartersは驚愕した。
要塞Fortressはいまだ守備を固めている最中である。
日本軍Imperial Japanese Forcesがわずか数百名several hundredsのみで突入Rush inしてくるはずはなく、背後には大部隊armadaが控えているに違いない。
1942年(昭和17年)3月7日22時、あっけないことに、バンドンBandung地区District防衛兵団Defense Corps司令官commanderペスマンJacob J. Pesman少将Major-Generalは若松挺身隊Wakamatsu Volunteer
Corpsへ降伏surrenderを申し入れた。
こうしてジャワ島上陸Landing operation of Javaからほぼ1週間の1942年(昭和17年)3月9日、蘭印(らんいん)軍Dutch East Indies Armyは全面降伏Full surrenderして蘭印(らんいん)戦Battle of the Dutch
East Indiesは終結した。
思惑通り蘭印(らんいん)Dutch East Indiesを手中に収めた日本軍Imperial Japanese Forcesだったが、南方作戦(なんぽう・さくせん)Southern campaignには資源確保Securing resourcesとは別の目的Purposeがもう2つあった。
1つはマレー半島Malay Peninsulaへの攻撃を防ぐためのイギリス領ビルマBritish Burma(現ミャンマーMyanmar)の攻略capture。
2つは援蒋ルートSupply routes to Chiang Kai-shek's Chinaの遮断interceptionである。
日中戦争Japanese-Chinese War終結の目処(めど)が立たないのは英米Britain and the
United Statesによる蒋介石(しょう・かいせき) Chiang Kai-shekへの援助ルートSupply routesがあるせいだと考えた日本軍Imperial Japanese Forcesは…
蒋介石(しょう・かいせき) Chiang Kai-shek
インドIndiaから海路Sea routeラングーンRangoonへラングーンRangoonからマンダレーMandalayを経てラシオLashioまでの鉄路Railroad…
さらにその先の陸路land routeでの重慶(じゅうけい)(チョンチン)Chongqingまでと続く輸送ルートtransit routeを遮断interceptionすれば蒋介石(しょう・かいせき)Chiang Kai-shekは必ず落ちると判断したのであった。
杉山元(すぎやま・はじめ) Hajime Sugiyama
日本軍Imperial Japanese Forcesの作戦目標Operational goalはラングーンRangoon占領occupationであり、その後にビルマBurma全土whole landの制圧Conquestを目論んでいた。
ビルマ攻略作戦Burma campaignは第15軍15th Armyの第33師団33rd Divisionおよび第55師団55th Divisionという2個師団2 divisionsで開始された。
第55師団55th Divisionは1942年(昭和17年)1月20日、ビルマBurma国境Borderを越えると1月31日にはモールメンMoulmeinを早々と占領occupationした。
日本軍Imperial Japanese Forcesの予想を上回る進軍Marchの早さにイギリス軍British Armed Forcesは浮き足立ち…
1942年(昭和17年)3月に入ると日本軍Imperial Japanese ForcesはラングーンRangoonを包囲Siege…
イギリス軍British Armed Forcesはそこを放棄して退却retreatした。
日本軍Imperial Japanese Forcesは労せずラングーンRangoonを無血占領Bloodless
occupationしたのであった。
そして日本軍Imperial Japanese ForcesはビルマBurma全土whole landの制圧Conquestに出る。
4つの師団Divisionsはそれぞれ3つのルートroutesに分かれ北上go up north…
援蒋ルートSupply routes to
Chiang Kai-shek's Chinaの遮断interceptionを目指す…
これに対してイギリス軍British Armed
Forcesおよび中国軍Chinese Armed forces(国民党軍Republic of China
Armed Forces)はひたすら退却retreatを続け…
1942年(昭和17年)4月末から5月頭にかけて日本軍Imperial Japanese Forcesは中部ビルマCentral
Burmaの主要拠点Major basesをほぼ制圧Conquestした。
勢いに乗る日本軍Imperial Japanese Forcesは急進rapid
progressを続け、1942年(昭和17年)5月の終わりまでには、ビルマBurmaのほぼ全土whole
landを制圧Conquest。
イギリス軍British Armed Forcesはもはや抵抗resistanceする力もなくインドIndiaのインパールImphalへと敗走Routした。
折しもビルマBurmaでは雨期rainy seasonに入り作戦行動campaignが困難になることから、もっとも良いタイミングtimingで日本軍Imperial Japanese ForcesはビルマBurma攻略captureを終えたといえる。
セイロン沖海戦 Battle of Ceylon
セイロン島 Ceylon
Island
1942年(昭和17年)3月下旬に日本軍Imperial Japanese Forcesが3隊に分かれてビルマBurma北上go up northを開始した頃…
海軍Imperial Japanese NavyもビルマBurma攻略captureに対する側面支援を兼ねて、インド洋Indian Oceanまで遠征expeditionしてきていた。
目的はセイロン島Ceylon Islandに集結していたイギリス東洋艦隊British Eastern
Fleetを叩くためであった。
一方、東洋艦隊Eastern
Fleet司令長官Commander-in-Chiefジェームズ・サマヴィルJames Somerville大将Admiralには、米軍US Armed Forcesより日本Imperial Japaneseの機動部隊mobile
troops接近Approachingの情報informationがすでに入っていた。
ジェームズ・サマヴィルJames Somerville大将Admiral
1942年(昭和17年)4月5日…
日本軍Imperial Japanese Forcesは126機からなる戦爆連合によってセイロン島Ceylon IslandのコロンボColombo港portを空襲Air-raidした。
九七式艦上攻撃機 Type 97 Carrier
Attack Aircraft
九九式艦上爆撃機 Type 99 Carrier
Bomber
零戦二一型(ぜろせん・にー・いち・がた) Zero fighter Model 21
同時刻Same time…
セイロン島Ceylon Island沖offing西南Southwest…
セイロン沖海戦 Battle of Ceylon
江草隆繁(えぐさ・たかしげ)少佐Major 空母蒼龍(そうりゅう)艦爆隊長
空母蒼龍(そうりゅう) Aircraft carrier Soryu
この攻撃での命中率は88%という驚異的なもので…
南雲(なぐも)機動部隊Mobile Unit/Forceはまさに世界最強the world's most
powerfulの機動部隊Mobile Unit/Forceとしてその名を轟(とどろ)かせることとなった。
さらに1942年(昭和17年)4月9日にはセイロン島Ceylon Island北部NorthernのトリンコマリーTrincomalee港portを空襲Air-raid。
英British空母ハーミーズAircraft carrier Hermesをわずか15分で撃沈attack and sink。
こうしてインド洋Indian Oceanでも日本軍Imperial Japanese Forcesは無敵invincibleぶりを見せつけたのであった。
空母ハーミーズ Aircraft carrier Hermes イギリス海軍Royal Navy
1942年(昭和17年)4月9日、セイロン沖海戦Battle of Ceylonで沈没Sunk。
バリクパパン沖海戦Naval Battle of Balikpapan
1942年(昭和17年)1月24日未明にボルネオ島Borneo南部バリクパパンBalikpapanで発生。
重巡洋艦足柄(あしがら) Heavy cruiser Ashigara
妙高型重巡洋艦 Myoko-class Heavy cruiser
駆逐艦山風(やまかぜ) Destroyer Yamakaze
白露型駆逐艦 Shiratsuyu-class destroyer
パレンバン空挺作戦Palembang Airborne operation
1942年(昭和17年)2月14日
パレンバン空挺作戦 Palembang Airborne
operation
百式輸送機 Type 100 Transport aircraft 日本陸軍Imperial
Japanese Army
ロ式輸送機 ロッキードL14スーパーエレクトラLockheed L14 Super Electra
日本陸軍Imperial Japanese Army
九七式重爆撃機 The Type 97 Heavy Bomber 陸軍Army
バリ島沖海戦 Naval Battle of Bali
1942年(昭和17年)2月19日~20日
駆逐艦朝潮(あさしお) Destroyer Asashio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた) Asashio-class destroyersの1番艦Lead
ship
駆逐艦大潮(おおしお) Destroyer Oshio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた) Asashio-class destroyersの2番艦Second
ship
駆逐艦満潮(みちしお) Destroyer Michishio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた) Asashio-class destroyers 3番艦Third
ship
駆逐艦荒潮(あらしお) Destroyer Arashio
朝潮型駆逐艦(あさしおかた) Asashio-class destroyers 4番艦Fourth
ship
バタビア沖海戦 Naval
Battle of Batavia
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日
軽巡洋艦名取(なとり) Light cruiser Natori
長良型軽巡洋艦 Nagara-class light cruisersの3番艦Third ship
軽巡洋艦由良(ゆら) Light cruiser Yura
長良型軽巡洋艦 Nagara-class light cruisersの4番艦Fourth ship
重巡洋艦最上(もがみ) Heavy cruiser Mogami
重巡洋艦最上(もがみ) Heavy cruiser Mogami
最上型重巡洋艦Mogami-class heavy cruisers 1番艦lead
ship
誤射Friendly fireにより揚陸艦神州丸(しんしゅうまる)以下複数の友軍船Friendly warshipを撃沈attack and sinkしてしまった。
揚陸艦神州丸(しんしゅうまる) Landing ship Shinshu Maru
重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogamiの誤射Friendly fireにより沈没sunk。
重巡洋艦ヒューストンHeavy cruiser Houston アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Straitで沈没sunk。
軽巡洋艦パースLight cruiser Perth オーストラリア海軍Royal Australian
Navy
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Straitで沈没sunk。
駆逐艦エヴェルトセンDestroyer Evertsen
オランダ海軍Royal Netherlands Navy
1942年(昭和17年)2月28日~3月1日、バタビア沖海戦Battle of Sunda Straitで日本海軍Imperial Japanese
Navyの駆逐艦Destroyerの攻撃を受け、セグク島に座礁した。
ビルマ Burma
ビルマの戦いBurma campaign
第15軍Fifteenth Armyは1941年(昭和16年)12月8日以降タイThailand国内に順次進駐advanceし、タイThailand・ビルマBurma国境Borderに集結した。
1942年(昭和17年)1月18日、第15軍Fifteenth Armyは第33師団33rd
Divisionと第55師団55th Divisionをもって国境Borderを越えイギリス領ビルマBritish Burmaへ進攻advanceし、3月8日にラングーンRangoonへ入城した。
さらに第18師団18th Divisionと第56師団56th
Divisionの増援を加えて1942年(昭和17年)4月上旬から北部ビルマNorthern Burmaへの進撃attackを開始、イギリス軍British Armed forcesと中国軍Chinese Armed
forcesを退却retreatさせて1942年(昭和17年)5月下旬までにビルマBurma全土whole countryを制圧overwhelmした。
九九式双発軽爆撃機 Type 99
Twin-engined Light Bomber 陸軍Army
二式戦闘機「鍾馗」 Type 2 Fighter Shoki (Demon) 陸軍Army
九九式軍偵察機Type 99 Army Reconnaissance Plane 陸軍Army
セイロン島 Ceylon
Island
セイロン沖海戦Battle of Ceylon
1942年(昭和17年)3月には、当時イギリスBritish Empireの植民地ColonyであったビルマBurma(現在のミャンマーMyanmar)方面に展開する日本陸軍Imperial Japanese Armyを後方協力する形で、航空母艦aircraft carrierを中心とした海軍Navyの機動艦隊Mobile Fleetが、進出したインド洋Indian Oceanで空母搭載機carrier-borne aircraftによるイギリス領セイロンBritish Ceylon(現在のスリランカSri Lanka)のコロンボColombo、トリンコマリーTrincomaleeを空襲Air-raid、さらにイギリス海軍Royal Navy機動部隊Mobile Unit/Forceへも攻撃を加え多数の艦艇naval vesselを撃沈した(セイロン沖海戦Indian Ocean raid)。
重巡洋艦愛宕(あたご) Heavy cruiser Atago
重巡洋艦愛宕(あたご) Heavy cruiser Atago
高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisers 2番艦Second ship
高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisers
1番艦Lead ship重巡洋艦高雄(たかお) Heavy cruiser Takao
2番艦Second ship重巡洋艦愛宕(あたご) Heavy cruiser Atago
3番艦Third ship重巡洋艦摩耶(まや) Heavy cruiser Maya
4番艦Fourth ship重巡洋艦鳥海(ちょうかい) Heavy cruiser Chokai
空母赤城(あかぎ) Aircraft carrier Akagi
空母蒼龍(そうりゅう) Aircraft carrier Soryu
空母飛龍(ひりゅう) Aircraft carrier Hiryu
空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku
空母瑞鶴(ずいかく) Aircraft carrier Zuikaku
戦艦金剛(こんごう) Battleship Kongo
金剛型戦艦Kongo-class battleship 1番艦lead
ship
イギリスUK・イングランドEnglandのバロー=イン=ファーネスBarrow-in-Furness造船所Shipyardの、ヴィッカース社Vickers Shipbuilding Companyで建造Construction。
イギリスBritish Empireに発注された最後lastの主力艦Capital shipである。
2度の改装two major reconstructions後は高速戦艦Fast battleshipとして、太平洋戦争Pacific Warでも活躍flourishした。
なお金剛(こんごう)は、日本海軍Imperial Japanese Navyが太平洋戦争Pacific Warで使用した唯一の外国製constructed outside Japan日本戦艦Japanese battleshipでもあった。
金剛型戦艦Kongo-class battleship
1番艦First ship戦艦金剛(こんごう) Battleship Kongo
2番艦Second ship戦艦比叡(ひえい) Battleship Hiei
3番艦Third ship戦艦榛名(はるな) Battleship Haruna
4番艦Fourth ship戦艦霧島(きりしま) Battleship Kirishima
米海軍US Navyの潜水艦シーライオンSubmarine Sealion
戦艦金剛(こんごう) Battleship Kongo
艦歴Ship
history
1941年(昭和16年)12月10日 マレー沖海戦Naval Battle of Malaya
1942年(昭和17年)1月11日 蘭印作戦Dutch East Indies campaign
1942年(昭和17年)4月5日~9日 セイロン沖海戦Indian Ocean raid
1942年(昭和17年)6月5日~7日 ミッドウェー海戦Battle of Midway
1942年(昭和17年)8月7日 ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanal
1943年(昭和18年)2月1日~7日
ガダルカナル島撤収作戦Withdrawal Operation from Guadalcanal
1944年(昭和19年)6月19日~20日
マリアナ沖海戦Battle of the Philippine Sea
1944年(昭和19年)10月23日~25日 レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf
1944年(昭和19年)10月25日のサマール沖海戦Battle off Samar後に、金剛(こんごう)Battleship Kongoは、日本本土Japanese mainlandへの帰還Returnが決定した。
1944年(昭和19年)11月21日午前3時ごろ、金剛(こんごう)は米海軍US Navyの潜水艦シーライオンSubmarine Sealionの魚雷攻撃torpedoedを受け沈没sunkした。
戦艦榛名(はるな) Battleship Haruna
戦艦榛名(はるな) Battleship Haruna
金剛型戦艦Kongo-class battleship 3番艦Third
ship
1941年(昭和16年)12月4日、馬公(まこう)(台湾)を拠点に出撃し、陸軍Imperial Japanese
Armyの馬来(マライ)上陸作戦支援を皮切りに、比島(フィリピン)上陸作戦・蘭印攻略作戦Dutch East Indies campaignなどを支援した。
戦艦比叡(ひえい) Battleship Hiei
戦艦霧島(きりしま) Battleship Kirishima
重巡洋艦利根(とね) Heavy cruiser Tone
重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma
空母ハーミーズ Aircraft carrier Hermes イギリス海軍Royal Navy
1942年(昭和17年)4月9日、セイロン沖海戦Battle of Ceylonで沈没Sunk。
こうして航空戦力air powerに大打撃を受けたイギリスBritish Empireの東方艦隊Eastern Fleetは、日本海軍Imperial Japanese Navyの機動艦隊Mobile Fleetに対する反撃ができず、当時植民地Colony下に置いていたアフリカ東岸East coast of AfricaのケニアKenyaのキリンディニ港Kilindini Harbourまで撤退することになる。
重巡洋艦コーンウォール Heavy cruiser Cornwall イギリス海軍Royal Navy
カウンティ級重巡洋艦County class heavy
cruiser
1942年(昭和17年)4月9日、セイロン沖海戦Battle of Ceylonで沈没Sunk。
重巡洋艦ドーセットシャー Heavy cruiser Dorsetshire イギリス海軍Royal Navy
重巡洋艦ドーセットシャー Heavy cruiser Dorsetshire イギリス海軍Royal Navy
カウンティ級重巡洋艦County class heavy
cruiser
1942年(昭和17年)4月9日、セイロン沖海戦Battle of Ceylonで沈没Sunk。
駆逐艦ヴァンパイア Destroyer Vampire
イギリス海軍Royal Navy オーストラリア海軍Royal Australian Navy
アドミラルティV級駆逐艦Admiralty V-class
destroyer
駆逐艦エクスプレスDestroyer Expressが戦艦プリンス・オブ・ウェールズBattleship Prince
of Walesの生存者Survivorsを救う一方、駆逐艦エレクトラDestroyer Electraと駆逐艦ヴァンパイアは巡洋戦艦レパルスBattlecruiser
Repulseの生存者Survivorsを救い出すために動いた。
1942年(昭和17年)4月9日、駆逐艦ヴァンパイアDestroyer Vampireはセイロン島CeylonバッティカロアBatticaloa沖をイギリスBritish Empireの小型空母ハーミーズLight aircraft carrier Hermesと航行中に日本軍Imperial Japanese Forces機動部隊Mobile
Unit/Forceの艦載機Carrier-based aircraftによる爆撃Air strikeを受けて撃沈attack and sunkされた。
1942年(昭和17年)4月9日、セイロン沖海戦Battle of Ceylonで沈没Sunk。
駆逐艦テネドス Destroyer Tenedos イギリス海軍Royal Navy
1942年(昭和17年)4月9日、セイロン沖海戦Battle of Ceylonで沈没Sunk。