戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
第二次世界大戦World War II
第二次世界大戦World War II
第二次世界大戦World War II
太平洋戦争関連地図Pacific War related map
ミッドウェー海戦Battle of Midway
駆逐艦荒潮(あらしお)Destroyer Arashio
駆逐艦荒潮(あらしお)Destroyer Arashioは、日本海軍Imperial Japanese
Navyの朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyers 4番艦Fourth
shipである。
1942年(昭和17年)6月5日のミッドウェー海戦Battle of Midwayで、重巡洋艦三隈(みくま)Heavy cruiser
Mikumaと重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser
Mogamiが洋上で衝突し、駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashioと駆逐艦荒潮(あらしお)Destroyer Arashioは両艦を護衛して後退した。
6月6~7日に米機動部隊とミッドウェー島基地航空隊の波状攻撃を受け、三隈(みくま)は沈没Sunk、最上(もがみ)は大破した。
荒潮(あらしお)は三隈(みくま)の乗組救助中に被弾し、損傷damageを受けた。
1943年(昭和18年)3月、ビスマルク海海戦Battle of Bismarck Seaで大破放棄Wreck abandonedされ、米軍機U.S. military aircraftの攻撃attackで沈没Sunkした。
駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashio
駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashio
駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashio
駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashioは、日本海軍Imperial Japanese
Navyの駆逐艦Destroyer。
朝潮型駆逐艦(あさしおかた)Asashio-class destroyersの1番艦Lead ship。
1942年(昭和17年)6月5日のミッドウェー海戦Battle of Midwayで、重巡洋艦三隈(みくま)Heavy cruiser Mikumaと重巡洋艦最上(もがみ)Heavy cruiser Mogamiが洋上で衝突し、駆逐艦朝潮(あさしお)Destroyer Asashioと駆逐艦荒潮(あらしお)Destroyer Arashioは両艦を護衛して後退した。
6月6~7日に米機動部隊とミッドウェー島基地航空隊の波状攻撃を受け、三隈(みくま)は沈没Sunk、最上(もがみ)は大破した。
荒潮(あらしお)は三隈(みくま)の乗組救助中に被弾し、損傷damageを受けた。
1943年(昭和18年)3月3日、ビスマルク海海戦Battle of Bismarck Seaで沈没Sunk。
戦艦榛名(はるな)Battleship Haruna
戦艦榛名(はるな)Battleship Haruna
戦艦榛名(はるな)Battleship Haruna
戦艦榛名(はるな)Battleship Harunaは、日本海軍Imperial Japanese
Navyの巡洋戦艦Battlecruiser、後に戦艦Battleship。
金剛型戦艦Kongo-class battleshipの3番艦Third shipである。
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayに参加。
戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishima
戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishimaは、日本海軍Imperial Japanese
Navyの軍艦Warship。
建造Construction時は巡洋戦艦Battlecruiser。
後に戦艦Battleshipに艦種が変更された。
金剛型戦艦Kongo-class battleshipの4番艦Fourth ship。
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayに参加。
1942年(昭和17年)11月15日に第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaに於いて沈没Sunk。
九五式水上偵察機Type 95 Reconnaissance Seaplane
複座複葉水上偵察機Two-Seat Biplane reconnaissance seaplane
1935年(昭和10年)(皇紀2595年)制式採用
重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Tone
重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Toneは、日本海軍Imperial Japanese
Navyの重巡洋艦Heavy cruiser。
利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisersの1番艦Lead ship。
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayに参加。
1945年(昭和20年)7月28日、米艦載機US Carrier-based aircraftの攻撃で大破着底(呉軍港空襲Attacks on Kure and
the Inland Sea)、戦後解体。
利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers
1番艦Lead ship重巡洋艦利根(とね)Heavy cruiser Tone
2番艦Second ship重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser
Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikumaは、日本海軍Imperial Japanese
Navyが最後に建造Constructionした重巡洋艦Heavy cruiser。
利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisersの2番艦Second ship。
筑摩(ちくま)Heavy cruiser Chikumaは真珠湾攻撃Attack on Pearl
Harborやミッドウェー海戦Battle of Midwayなど太平洋戦争Pacific Warの重要な戦闘に参加し、レイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfで沈没Sunkした。
1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfでは、アメリカ護衛空母ガンビア・ベイEscort carrier
Gambier Bayの撃沈To sinkに貢献したものの、追撃作戦中に米艦載機US Carrier-based
aircraftの雷撃torpedo attackを受けてサマール島沖off Samarで沈没Sunkした。
護衛空母ナトマ・ベイEscort carrier Natoma Bayから発進したTBFアヴェンジャーGrumman TBF Avengerによる雷撃torpedo attackである。
軽巡洋艦長良(ながら)Light cruiser Nagara
軽巡洋艦長良(ながら)Light cruiser Nagaraは、日本海軍Imperial Japanese
Navyの軽巡洋艦Light cruiser。
長良型軽巡洋艦Nagara-class light cruisersの1番艦Lead ship。
162.15m 5,570t
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayに参加。
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
戦艦大和(やまと)Battleship Yamato
日本海軍Imperial Japanese Navy
就役In service 1941年(昭和16年)12月16日
大和型戦艦Yamato-class battleship 1番艦lead
ship
全長Length 263m
排水量Displacement 69,000metric tons
最大速力Top speed 27knots(50 km/h)
乗員数Complement 2,500~2,800
搭載機数Aircraft carried 7 (カタパルト2基 2 catapults)
九五式水上偵察機Type 95 Reconnaissance Seaplane
零式水上観測機Type Zero Observation Seaplane
戦艦大和(やまと)Battleship Yamatoは、日本海軍Imperial Japanese
Navyが建造Constructionした大和型戦艦Yamato-class
battleshipの1番艦lead ship。
2番艦2nd shipの戦艦武蔵(むさし)Battleship Musashiとともに、史上最大にして唯一46センチ砲46 cm
Type 94 main gunを搭載mountedした超弩級戦艦Super Dreadnoughtsで呉海軍工廠Kure Naval Arsenalで建造Construction。
戦艦大和(やまと)Battleship Yamatoの艦名vessel nameは奈良県の旧国名ancient Provinceの大和国(やまとのくに)Yamato Provinceに由来する。
太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia
War)開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役In service。
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊Combined Fleet旗艦flagshipとなった(司令長官Commander-in-Chief山本五十六(やまもと・いそろく)大将Admiral)。
1942年(昭和17年)6月上旬のミッドウェー作戦Battle of Midwayが初出撃First sortieとなった。
戦艦大和(やまと)Battleship Yamatoは主隊として後方にいたため大和(やまと)が直接アメリカ軍US Armed Forcesと砲火を交えることはなかった。
戦艦大和(やまと)Battleship Yamatoが機動部隊Mobile Unit/Forceと同行しなかったのは、戦前からの艦隊決戦思想と同じく空母Aircraft carrierは前衛部隊、戦艦Battleshipは主力部隊という思想の元に兵力配備をしたからである。
日本海軍Imperial Japanese Navyの主戦力が空母Aircraft carrierと認識されたのはミッドウェー海戦Battle of Midwayでの敗戦を受けてのことであり、この時点では少なくとも編成上は戦艦Battleshipが主力の扱いであった。
1945年(昭和20年)4月7日、沖縄海上特攻作戦a one-way mission to Okinawa(坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさき・おき・かいせん))に旗艦flagshipとして参加し、アメリカ軍艦載機American carrier-based aircraft約300機に攻撃Attackされ沈没sunkした。
零式水上観測機Type Zero Observation Seaplane
零式水上観測機Type Zero Observation Seaplane
零式水上観測機Type Zero Observation Seaplane
零式水上観測機Type Zero Observation Seaplane
零式水上観測機(れいしき・すいじょう・かんそくき)は、太平洋戦争Pacific War中に運用された日本海軍Imperial Japanese
Navyの水上観測機Observation Seaplane・偵察機Reconnaissance
plane。
1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦Battle of Midwayに参加。
空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktown
アメリカ海軍US Navy
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier 1番艦First
ship
就役In service 1937年(昭和12年)9月30日
全長Length 252.19m
排水量Displacement 21,000metric tons
最大速力Top speed 32.5knots(60.2km/h)
乗員数Complement 2,217
搭載機数Aircraft carried 90
空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownはアメリカ海軍US Navyの航空母艦Aircraft carrier。
ヨークタウン級航空母艦Yorktown class aircraft carrierのネームシップName ship。
日本海軍Imperial Japanese Navyによる真珠湾攻撃Attack on Pearl
Harborで、アメリカ太平洋艦隊US Pacific Fleetの戦艦群Battleshipsはほぼ壊滅に近い打撃を受けたが、空母Aircraft carrierは出港していて無傷であったため、これらが戦略的な重要性を持つこととなった。
1941年(昭和16年)12月7日の時点で太平洋Pacific Oceanに配備されていた空母Aircraft carrierは空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise、空母レキシントンAircraft carrier Lexington、空母サラトガAircraft carrier Saratogaの三隻で、空母レンジャーAircraft carrier Ranger、空母ワスプAircraft carrier Wasp、そして最近就役した空母ホーネットAircraft carrier Hornetは大西洋Atlantic Oceanにいた。
空母ヨークタウンAircraft carrier Yorktownは1941年(昭和16年)12月16日にノーフォークNorfolkを出港し太平洋Pacific Oceanに向かった。
1942年(昭和17年)5月8日の珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaでは、米空母US aircraft carrier
2隻(レキシントンLexington、ヨークタウンYorktown)と日本海軍Imperial Japanese Navyの空母aircraft carrier 2隻(瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく))が攻撃を交わした。
この海戦Naval battleで大型Large空母レキシントンAircraft carrier Lexingtonを失ったアメリカ軍US Armed Forcesに対し、日本軍Imperial Japanese Forcesも小型Light空母祥鳳Aircraft carrier Shohoを失い、翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier
Shokakuも損傷damageした。
同時に空母ヨークタウンAircraft carrier
Yorktownも損傷damageした。
応急修理をおこなって戦列復帰後、1942年(昭和17年)6月7日、ミッドウェー海戦Battle of Midwayで沈没Sunkした。
空母ホーネットAircraft carrier Hornet
アメリカ海軍US Navy
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier 3番艦Third
ship
就役In service 1941年(昭和16年)10月20日
全長Length 252.19m
排水量Displacement 21,000metric tons
最大速力Top speed 32.5knots(60.2km/h)
乗員数Complement 1,889
搭載機数Aircraft carried 90
空母ホーネットAircraft carrier Hornetは、アメリカ海軍US Navyの航空母艦Aircraft carrier。
ヨークタウン級航空母艦Yorktown class aircraft carrierの3番艦Third ship。
艦名vessel nameはスズメバチの英語名に因む。
ミッドウェー海戦Battle of Midwayに繋がるドーリットル空襲Doolittle Raidを行ったドーリットル隊の母艦Mother shipとして有名であるが、1942年(昭和17年)10月、南太平洋海戦Battle of the South Pacificにて沈没Sunkした。
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise
アメリカ海軍US Navy
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier 2番艦Second
ship
就役In service 1938年(昭和13年)
全長Length 252.19m
排水量Displacement 21,000metric tons
最大速力Top speed 32.5knots(60.2km/h)
乗員数Complement 2,217
搭載機数Aircraft carried 96
空母エンタープライズAircraft carrier Enterpriseは、アメリカ海軍US Navyの航空母艦Aircraft carrier。
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrierの2番艦Second
ship。
艦名ship nameの“Enterprise”は「冒険心」「困難への挑戦」といった意味を持つ。
排水量Displacement 2万tと空母Aircraft carrierとしては中型Medium sizeでありながらも、その戦いぶりから“ビッグE Big E”(偉大なE)の愛称Nicknameで親しまれ、第二次世界大戦World War II中に大小15回の損傷damageを受けながらも、高いダメージコントロール能力Damage control
abilityと幸運により沈まず第二次世界大戦World War IIを生き抜いた。
その外、ラッキーE Lucky E(幸運なE)、グレイ・ゴーストGrey Ghost(灰色の亡霊)、ギャロッピング・ゴーストGalloping Ghost(駆け回る亡霊)の愛称Nicknameもあった。
ビッグE Big EやラッキーE Lucky Eの“E”には、“Enterprise”(冒険心)の頭文字Initialの意味と共に“Excellence”(優秀)、“efficient awads”(能率の良い艦艇に授与された賞)の頭文字Initialの意味も含まれていた。
空母エンタープライズAircraft carrier Enterpriseは太平洋戦争Pacific War開戦前に建造Constructionされ、終戦End-of-warまで無事に生き残った三隻の航空母艦Aircraft carrierのうちの一隻(他の二隻はサラトガSaratogaとレンジャーRanger)であり、太平洋戦争Pacific War中の主要な海戦Naval battleのほぼ全てに参加して数多くの戦果をあげ、大戦中で最多の20の従軍星章20 battle starsを得た。
エンタープライズAircraft carrier Enterpriseは第二次世界大戦World War IIを通して最も多く改装を受けた空母Aircraft carrierにもなった。
他に大本営発表Imperial General Headquarters announcementによって9度撃沈発表がなされており、敵国により行われた虚偽の撃沈発表回数において史上最多の記録も持つ。
搭載機Aircraft carried
F4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat
F4UコルセアChance Vought F4U Corsair
F6FヘルキャットGrumman F6F Hellcat
TBFアヴェンジャーGrumman TBF Avenger
SBDドーントレスDouglas SBD Dauntless
TBDデヴァステイターDouglas TBD Devastator
SB2CヘルダイヴァーCurtiss-Wright SB2C Helldiver
1941年(昭和16年)12月8日 真珠湾攻撃Attack on Pearl Harbor
1942年(昭和17年)6月5日~7日 ミッドウェー海戦Battle of Midway
1942年(昭和17年)8月24日
第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea
1942年(昭和17年)10月26日 南太平洋海戦Battle of the South Pacific
1943年(昭和18年)2月1日~7日
ガダルカナル島撤収作戦Withdrawal Operation from Guadalcanal
1944年(昭和19年)6月19日 マリアナ沖海戦Battle of the Philippine Sea
1944年(昭和19年)10月23日~25日 レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier
1番艦Lead ship 空母ヨークタウンAircraft carrier
Yorktown
2番艦Second ship 空母エンタープライズAircraft carrier
Enterprise
3番艦Third ship 空母ホーネットAircraft carrier
Hornet