三笠(みかさ)Battleship Mikasa
三笠(みかさ)Battleship Mikasa
三笠(みかさ)Battleship Mikasa
三笠(みかさ)Battleship Mikasa
三笠(みかさ)Battleship Mikasa
三笠(みかさ)Battleship Mikasa
日本海軍Imperial Japanese Navy
敷島型戦艦Shikishima-class battleship 四番艦Fourth ship
就役In service 1902年(明治35年)3月1日
全長Length 131.7m
排水量Displacement 15,140metric tons
最大速力Top speed 18knots(33km/h)
乗員数Complement 860
三笠(みかさ)Battleship Mikasaは、日本海軍Imperial Japanese Navyの戦艦Battleship。
日露戦争Russo-Japanese Warの日本海海戦Naval Battle of the Sea of Japanで連合艦隊Combined Fleet旗艦flagshipを務めた。
神奈川県横須賀市に現存し、公開されており、世界の三大記念艦Memorial shipの一つとされる。
戦列艦ヴィクトリーShip of the line Victory(英国海軍)
フリゲート艦コンスティチューションFrigate Constitution(米海軍)
軍艦Warship「三笠(みかさ)」は、敷島型戦艦Shikishima-class
battleshipの四番艦Fourth ship。
イギリスBritish Empireのヴィッカース社Vickers Shipbuilding Companyで建造Constructionされ、1902年(明治35年)3月に竣工Completion。
奈良県にある三笠山(みかさやま)(春日山(かすがやま))にちなんで命名された。
同型艦Same type shipは「敷島(しきしま)」「初瀬(はつせ)」「朝日(あさひ)」。
1904年(明治37年)からの日露戦争Russo-Japanese Warでは連合艦隊Combined Fleet旗艦flagshipを務め、連合艦隊Combined Fleet司令長官Commander-in-Chiefの東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)Heihachiro Togo大将らが座乗した。
1905年(明治38年)5月末、連合艦隊Combined Fleet旗艦flagshipとして日本海海戦Naval Battle of the
Sea of Japanを戦う。
日本海海戦Naval Battle of the Sea of Japan
日本海海戦Naval Battle of the Sea of Japan
日本海海戦Naval Battle of the Sea of Japanは、日露戦争Russo-Japanese War中の1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて、日本海軍Imperial Japanese
Navyの連合艦隊Combined Fleetとロシア海軍Russian Navyの第2 Second・第3太平洋艦隊Third Pacific Fleetとの間で行われた海戦Naval Battleである。
日本JapanではこのロシアRussia側の艦隊Fleetを「バルチック艦隊Baltic Fleet」と呼ぶ事が通例となっている。
日本Japan以外の国々では主力決戦Main battleの海域Sea areaに因み対馬沖海戦Battle of Tsushimaと呼ばれる。
この海戦Naval Battleは日露戦争Russo-Japanese War中の最大規模の艦隊決戦Major naval battleであり、その結果、連合艦隊Combined Fleetは海戦史上Naval battle
history稀に見る勝利Victoryを収め、バルチック艦隊Baltic Fleetの艦艇のほぼ全てを損失させながらも、被害は小艦艇数隻のみの喪失に留めた。
この結果は和平交渉Peace negotiationsを拒否していたロシアRussia側を講和交渉Peace negotiationsの席に着かせる契機となった。
三笠(みかさ)Battleship Mikasaの露天艦橋 東郷平八郎Heihachiro Togo
東郷平八郎Heihachiro Togo
1905年(明治38年)5月27日に、三笠(みかさ)Battleship Mikasaは、ヨーロッパEuropeから極東Far Eastへ向けて回航bring a shipしてきたロジェストヴェンスキー提督Admiral Rozhestvensky率いるロシアRussiaのバルチック艦隊Baltic Fleet(第二Second・第三太平洋艦隊Third Pacific Fleet、旗艦flagship「クニャージ・スヴォーロフBattleship Knyaz
Suvorov」)を迎撃Interceptionする。
この日本海海戦Battle of Tsushimaに際し、東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)Heihachiro Togoは、
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。
本日天気晴朗なれども波高し」
In
response to the warning that enemy ships have been sighted,
the
Combined Fleet will immediately commence action
and
attempt to attack and destroy them.
Weather
today fine but high waves.
との一報confident messageを大本営Imperial General
Headquartersに打電wiredした。
また、艦隊Fleetに対し、
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
The
Empire's fate depends on the result of this battle,
let
every man do his utmost duty.
とZ旗Z flagを掲げてhoisting全軍Whole armyの士気を鼓舞Inspire moraleした。
日露戦争Russo-Japanese War
日露戦争Russo-Japanese War
日露戦争(にちろせんそう)Russo-Japanese Warは、1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて日本Imperial Japanとロシア帝国Russian Empireとの間で行われた戦争Warである。
朝鮮半島Korean Peninsulaと満州Manchuriaの権益Interestsをめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部Southern Manchuriaと遼東半島Liaodong Peninsulaがおもな戦場battlefieldとなったほか、日本海Sea of Japanでも大規模な艦隊戦Fleet battleが繰り広げられた。
最終的に両国Both countriesはアメリカ合衆国USAの仲介mediationの下で調印signatureされたポーツマス条約Treaty of Portsmouthにより講和conclude peaceした。
講和条約Peace treatyの中で日本Imperial Japanは、朝鮮半島Korean Peninsulaにおける権益Interestsを認めさせ、ロシア領Russian territoryであった樺太Sakhalinの南半分Southern halfを割譲cessionさせ、またロシアRussian Empireが清国Qing dynastyから受領receiveしていた大連Dalianと旅順Lüshunの租借権Leasing rightsを獲得Acquiredした。
同様に東清鉄道Chinese Eastern
Railwayの旅順Lüshun~長春Changchun間支線の租借権Leasing rightsも得るに至った。
しかし交渉negotiationsの末、賠償金Compensationを得るには至らず戦後Postwar外務省Ministry of Foreign
Affairsに対する不満Dissatisfactionが軍民Military and civilianなどから高まった。
203高地(にひゃくさん・こうち)203 Hill
旅順攻囲戦Siege of Port Arthur
旅順攻囲戦(りょじゅん・こういせん)Siege of Port Arthurとは、日露戦争Russo-Japanese War中の1904年(明治37年)8月19日~1905年(明治38年)1月1日に、ロシア帝国Russian Empireの旅順要塞Port Arthur
Fortressを、日本軍Imperial Japanese Forcesが攻略captureし陥落fallさせた戦いである。
203高地(にひゃくさん・こうち)203 Hill
旅順攻囲戦(りょじゅん・こういせん)Siege of Port Arthurによる激戦fiercest battles地high groundとなった場所。
明星(みょうじょう)Bright Star 1900年(明治33年)~1908年(明治41年)
『君死にたまふことなかれ』
1904年(明治37年)9月、与謝野晶子(よさの・あきこ)Akiko Yosanoが、半年前に召集され旅順攻囲戦(りょじゅん・こういせん)Siege of Port
Arthurに従軍していた弟を嘆いて、『明星(みょうじょう)』に発表した反戦歌Anti-war song。
ああをとうと(弟)よ、君を泣く、
ああ弟よ、あなたのために泣いています。
I cry
for you, Brother,
君死にたまふことなかれ、
弟よ、死なないで下さい。
don't
you dare lay down your life,
末に生れし君なれば
末っ子に生まれたあなただから
You,
the youngest child in our family,
親のなさけはまさりしも、
親の愛情は(他の兄弟よりも)たくさん受けただろうけど
thus
cherished all the more-
親は刃(やいば)をにぎらせて
親は刃物を握らせて
Mother
and Father didn't educate you
人を殺せとをしへしや、
人を殺せと(あなたに)教えましたか?(そんなはずないでしょう。)
to
wield weapons and to murder; they didn't
人を殺して死ねよとて
人を殺して自分も死ねといって
bring
you up, to the age of twenty-four,
二十四(にじゅうし)までをそだてしや。
(あなたを)24歳まで育てたのでしょうか?(そんなはずないでしょう。)
so that
you could kill, or be killed yourself.
堺(さかひ)の街のあきびとの
堺の街の商人の
You
were born into a long line
旧家をほこるあるじにて
歴史を誇る家の主人で
of
proud tradespeople in the city of Sakai;
親の名を継ぐ君なれば、
親の名前を受け継ぐあなたなら
having
inherited their good name,
君死にたまふことなかれ、
(どうか)死なないで下さい。
don't
you dare lay down your life.
旅順の城はほろぶとも、
旅順の城が陥落するか
What
does it matter if that fortress
ほろびずとても、何事ぞ、
陥落しないかなんてどうでもいいのです。
on the
Liaotung Peninsula falls or not?
君は知らじな、あきびとの
あなたは知らないでしょうが、商人の
It's
nothing to you, a tradesman
家のおきてに無かりけり
家の掟には(人を殺して自分も死ねという項目など)ないのですよ。
with a
tradition to uphold.
君死にたまふことなかれ、
弟よ、死なないで下さい。
Don't
you dare lay down your life.
すめらみことは、戦ひに
天皇陛下は戦争に
The
Emperor himself doesn't go
おほみづからは出でまさね、
ご自分は出撃なさらずに
to
fight at the front; others
かたみに人の血を流し、
互いに人の血を流し
spill
out their blood there.
獣(けもの)の道に死ねよとは、
「獣の道」に死ねなどとは、
If His
Majesty be indeed just
死ぬるを人のほまれとは、
それが人の名誉などとは
and
magnanimous, surely he won't wish
大みこころの深ければ
(天皇陛下は)お心の深いお方だから
his
subjects to die like beasts,
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
そもそもそんなことをお思いになるでしょうか。(そんなはずないでしょう。)
nor
would be call such barbarity "glory"
ああをとうとよ、戦ひに
ああ弟よ、戦争なんかで
Little
Brother, don't you dare
君死にたまふことなかれ、
(どうか)死なないで下さい。
lay
down your life in battle.
すぎにし秋を父ぎみに
この間の秋にお父様に
This
autumn, Father passed away.
おくれたまへる母ぎみは、
先立たれたお母様は
Mother
manages, somehow, to carry on,
なげきの中に、いたましく
悲しみの中、痛々しくも
but
lives in constant fear for the son
わが子を召され、家を守(も)り、
我が子を(戦争に)召集され、家を守り
who's
been taken from her-
安(やす)しと聞ける大御代も
安泰と聞いていた天皇陛下の治める時代なのに
People
say ours is a prosperous age,
母のしら髪はまさりぬる。
(苦労が重なったせいで)お母様の白髪は増えています。
yet
Mother's hair has all turned gray.
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
暖簾の陰に伏して泣いている
Inside
the family shop, behind the curtain,
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
か弱くて若い新妻を
your
willowy young wife weeps alone.
君わするるや、思へるや、
あなたは忘れたのですか?それとも思っていますか?
Have
you forgotten her? Is she in your thoughts?
十月(とつき)も添はでわかれたる
10ヵ月も一緒に住まないで別れた
You two
were together for less than ten months.
少女ごころを思ひみよ、
若い女性の心を考えてごらんなさい。
Think
how her heart is wrung. There's only one
この世ひとりの君ならで
この世であなたは1人ではないのです。
of you
in this world, remember.
ああまた誰をたのむべき、
ああ、また誰を頼ったらよいのでしょう。
Your
family has no one else to turn to.
君死にたまふことなかれ。
(とにかく)弟よ、死なないで下さい。
Don't lay down your life.