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2021年8月7日土曜日

 8 サイパンの戦い Battle of Saipan

サイパン島Saipan玉砕honorable death

アリューシャン列島 Aleutian Islands

アリューシャン方面の戦い

Aleutian Islands campaign

1943年(昭和18年)512日には前年1942年(昭和17年)の6月より日本軍Imperial Japanese Forces占領occupationしていたアリューシャン列島Aleutian Islandsアッツ島Attu Islandアメリカ軍US Armed Forces上陸landing

山崎保代(やまさき・やすよ) Yasuyo Yamasaki大佐Colonel

1943年(昭和18年)529日、山崎保代(やまさき・やすよ)Yasuyo Yamasaki大佐Colonel以下日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrison全滅Annihilationし(アッツ島の戦いBattle of Attu)、大本営発表Imperial General Headquarters announcementにおいて初めて「玉砕(ぎょくさい)honorable death」という言葉が用いられた。

1943年(昭和18年)529日)

玉砕(ぎょくさい)honorable death

アッツ島Attu Island玉砕(ぎょくさい)honorable death

アッツ島Attu Island玉砕(ぎょくさい)honorable death

アリューシャン列島 Aleutian Islands

太平洋戦争Pacific War中、日本軍Imperial Japanese Forces連合国軍Allied forcesアメリカ軍US Armed Forcesカナダ軍Canadian Armed Forces)の間でアリューシャン列島Aleutian Islands周辺で行われた戦い。

空母隼鷹(じゅんよう) Aircraft carrier Junyo

空母龍驤(りゅうじょう) Aircraft carrier Ryujo

1942年(昭和17年)525日、アリューシャンAleutian攻撃部隊attacking forces空母隼鷹(じゅんよう)Aircraft carrier Junyo空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを中心とする空母Aircraft carrier 2隻、巡洋艦Cruiser 3隻、駆逐艦Destroyer 5隻の艦隊fleet細萱戊子郎(ほそがや・ぼしろう)中将、角田覚治(かくだ・かくじ)少将)で大湊(おおみなと)(現在の青森県むつ市に属する港町)を出航Departureした。

続いてキスカ島Kiska Island攻略部隊capture unit528日、アッツ島Attu Island攻略部隊capture unit529日にそれぞれ出航Departureした。

日本海軍機の空襲を受けて炎上するダッチハーバーDutch Harborのアメリカ軍基地

1942年(昭和17年)63日早朝、空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoの攻撃隊がダッチハーバーDutch Harborアメリカ海軍基地U.S. Navy base空襲Air raidした。

4日、日本軍Imperial Japanese Forcesは再度空襲Air raidを行い基地内外に大きな被害を与え、施設や宿舎などを炎上させた。

日本軍Imperial Japanese Forces66日にアッツ島Attu Island7日にキスカ島Kiska Island上陸landing占領occupationした。

両島ともアメリカ軍US Armed Forces守備隊Garrisonは存在していなかった。

駆逐艦響(ひびき) Destroyer Hibiki

アメリカ軍US Armed Forces1942年(昭和17年)610日、アッツ島Attu Islandキスカ島Kiska Island日本軍Imperial Japanese Forces上陸landingしていることを発見、爆撃機Bomberによる空襲Air raidを開始した。

12日には駆逐艦響(ひびき)Destroyer Hibiki爆撃bombingにより損傷した。

潜水艦グロウラー Submarine Growler

アメリカ海軍US Navyガトー級潜水艦Gato class submarine

駆逐艦霰(あられ) Destroyer Arare 朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyer

駆逐艦不知火(しらぬい) Destroyer Shiranui 陽炎型駆逐艦Kagero-class destroyer

駆逐艦霞(かすみ) Destroyer Kasumi 朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyer

日本軍Imperial Japanese Forcesの両島占領occupationに対してアメリカ軍US Armed Forcesは反撃を強め、1942年(昭和17年)75日にはアメリカ海軍US Navyガトー級潜水艦Gato class submarineグロウラーSubmarine Growler(ギルモア艦長)の雷撃torpedo attack朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyer(あられ)Destroyer Arareキスカ島Kiska Island沖で沈没sunk陽炎型駆逐艦Kagero-class destroyer不知火(しらぬい)Destroyer Shiranui朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyer(かすみ)Destroyer Kasumi大破Wreckした。

アリューシャン列島 Aleutian Islands

潜水艦トライトン Submarine Triton タンバー級潜水艦Tambor class submarine

駆逐艦子日(ねのひ) Destroyer Nenohi 初春型駆逐艦Hatsuharu-class destroyer

さらに同1942年(昭和17年)75日には、タンバー級潜水艦Tambor class submarineトライトンSubmarine Triton(カークパトリック艦長、C.C. Kirkpatrick)の雷撃torpedo attackで、初春型駆逐艦Hatsuharu-class destroyer子日(ねのひ)Destroyer Nenohiニア諸島Near Islandsアガッツ島Agattu Islandサボック岬沖で沈没sunkした。

(かすみ)Destroyer Kasumi不知火(しらぬい)Destroyer Shiranuiはそれぞれ727日と815日まで応急修理を続けた。

重巡洋艦インディアナポリス Heavy cruiser Indianapolis

重巡洋艦ルイビル Heavy cruiser Louisville

軽巡洋艦ホノルル Light cruiser Honolulu

軽巡洋艦セントルイス Light cruiser St. Louis

軽巡洋艦ナッシュビル Light cruiser Nashville

1942年(昭和17年)87日(日本側記録では8日)、重巡洋艦Heavy cruiserインディアナポリスIndianapolis」、「ルイビルLouisville」、軽巡洋艦Light cruiserホノルルHonolulu」、「セントルイスSt. Louis」、「ナッシュビルNashville」、駆逐艦Destroyer 4隻からなるアメリカ海軍United States Navy8.6任務群(ウィリアム・スミス少将)がキスカ島Kiska Islandに対する艦砲射撃Naval gunfireを行った。

艦隊fleet83日にコディアックKodiakを出撃。

SOCシーガル Curtiss SOC Seagull

二式水上戦闘機 Type 2 Floatplane Fighter

二式水上戦闘機 Type 2 Floatplane Fighter

弾着観測Artillery observerのため発進したSOCシーガルCurtiss SOC Seagullのうち1機が二式水上戦闘機Type 2 Floatplane Fighterにより撃墜Shoot downされた。

駆逐艦初春(はつはる) Destroyer Hatsuharu

駆逐艦朧(おぼろ) Destroyer Oboro

日本軍Imperial Japanese Forcesアッツ島Attu Island部隊Troopsキスカ島Kiska Islandに移動させ同島の守備defenseを強化した。

1942年(昭和17年)9月になるとアメリカ軍US Armed Forcesアガッツ島Agattu Island飛行場Airfieldを建設し空襲Air raidを強化した。

日本軍Imperial Japanese Forcesアッツ島Attu Islandおよびキスカ島Kiska Island守備defenseの強化のため10月から輸送作戦Transport operationsを繰り返し行った。

1017日にはキスカ島Kiska Island沖にて輸送作戦Transport operations中の駆逐艦Destroyer初春(はつはる)Hatsuharu(おぼろ)Oboro」が空襲Air raidを受け、(おぼろ)Oboro沈没sunk初春(はつはる)Hatsuharu大破Wreckした。

駆逐艦ウォーデン Destroyer Worden

1943年(昭和18年)112日にアメリカ軍US Armed Forcesは、重巡洋艦インディアナポリスHeavy cruiser Indianapolisからなる艦隊fleetの支援のもと、日米双方の守備隊Garrisonが駐留していなかったアムチトカ島Amchitka上陸landingした。

戦闘Battleは発生しなかったが、駆逐艦ウォーデンDestroyer Worden座礁Groundingし死傷者が発生した。

アメリカ軍US Armed Forcesは現地に飛行場Airfieldを建設しアッツ島Attu Islandキスカ島Kiska Islandへの空襲Air raidを強化した。

アリューシャン列島 Aleutian Islands

1943年(昭和18年)327日に、輸送作戦Transport operations中の日本艦隊Imperial Japanese fleetアメリカ艦隊US fleetコマンドルスキー諸島Komandorski Islands近海で遭遇、アッツ島沖海戦Battle of the Komandorski Islandsが発生した。

アッツ島沖海戦Battle of the Komandorski Islandsの結果、日本軍Imperial Japanese Forces輸送作戦Transport operationsに失敗しアッツ島Attu Island玉砕(ぎょくさい)honorable deathの遠因となった。

駆逐艦ヘイウッド・L・エドワーズ Destroyer Heywood L. Edwards

駆逐艦ファラガット Destroyer Farragut

山崎保代(やまさき・やすよ) Yasuyo Yamasaki大佐Colonel

アッツ島の戦い Battle of Attu

1943年(昭和18年)に入ってから、アメリカ軍US Armed Forcesは本格的な反攻を開始し、1943年(昭和18年)512日にアメリカ軍US Armed Forces11,000名がアッツ島Attu Island上陸landingした。

自国の領土Home territory奪還をかけて大規模な兵力を投入したアメリカ軍US Armed Forcesに比べて、既にこのアッツ島Attu Island戦略的価値Strategic valueが低いと判断し、増強が行われていなかった日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrison山崎保代Yasuyo Yamasaki陸軍大佐Army Colonel以下2,665名とはるかに小規模だった。

伊号第三十一潜水艦 Submarine I-31

1943年(昭和18年)513日に、駆逐艦エドワーズDestroyer EdwardsおよびファラガットDestroyer Farragut爆雷Depth charge砲撃Bombardment伊号第三一潜水艦Japanese submarine I-31アッツ島Attu Island沖で戦没Killed in action4倍近い兵力を持つアメリカ軍US Armed Forces攻撃attackによりアッツ島Attu Island日本軍Imperial Japanese Forces529日に全滅Annihilation玉砕honorable death)した。

キスカ島Kiska Island上陸landingに先立ち、アダック島Adak上陸landingするアメリカ軍US Armed Forces

部隊TroopsM1ライフルM1 riflesを装備し、戦艦ペンシルベニアBattleship Pennsylvaniaが沖合いで上陸landingを掩護した。

キスカ島撤退作戦

Withdrawal Operation from Kiska

ケ号作戦 Operation Ke

1943年(昭和18年)729日)

ガダルカナル島撤収作戦 Withdrawal Operation from Guadalcanal

1943年(昭和18年)21日~7日)

元々戦略的価値Strategic valueが低いと判断し兵力増強を怠っていたアッツ島Attu Island全滅Annihilation玉砕honorable death)により、同じく兵力増強が行われていなかったキスカ島Kiska Islandの維持も困難と判断した日本軍Imperial Japanese Forcesは、同島の放棄abandonment撤収Withdrawalを決めた。

アリューシャン列島 Aleutian Islands

まず、潜水艦Submarineによる撤収Withdrawalが行われたが、被害の増加により中止された。

1943年(昭和18年)77日に軽巡洋艦Light cruiser 2隻、駆逐艦Destroyer 11隻などからなる撤収部隊Withdrawal troop木村昌福(きむら・まさとみ)少将)が幌筵島(ぱらむしるとう)(千島列島の北東部にある島)を出発した。

しかし、晴天続きのため716日に収容を断念し帰還した。

1943年(昭和18年)722日に撤収部隊Withdrawal troopは再度出撃した。

1943年(昭和18年)729日に撤収部隊Withdrawal troopキスカ島Kiska Islandに入港し、fogが発生したためものの何の障害もないままに守備隊Garrisonを収容して帰還した。

この時、アメリカ艦隊US fleetfogの中でレーダーradarに映った「日本艦隊Imperial Japanese fleet(実際はレーダーradarの誤反応とされる)」に対して攻撃を行い、弾薬不足となったためいったんキスカ島Kiska Islandの封鎖を解いていた。

戦艦ペンシルベニア Battleship Pennsylvania

戦艦アイダホ Battleship Idaho

戦艦ミシシッピ Battleship Mississippi

重巡洋艦ポートランド Heavy cruiser Portland

軽巡洋艦サンタ・フェ Light cruiser Santa Fe

コテージ作戦 Operation Cottage

キスカ島Kiska Islandからの撤退Withdrawal日本軍Imperial Japanese Forcesが成功し、もぬけの殻となったことに気づかないままアメリカ軍US Armed Forces艦砲射撃Naval gunfireを繰り返した後、1943年(昭和18年)815日にキスカ島Kiska Islandカナダ軍Canadian Armed Forcesと合わせて約35,000名の兵力で上陸した。

参加艦艇は戦艦ペンシルベニアBattleship Pennsylvania戦艦アイダホBattleship Idaho戦艦ミシシッピBattleship Mississippi戦艦Battleship 3隻と重巡洋艦ポートランドHeavy cruiser Portland軽巡洋艦サンタ・フェLight cruiser Santa Feなどであった。

この際、同士討ちで米加両軍US and Canadian forces100余名の死者が出た。


1943年(昭和18年)98日 イタリアの降伏 Surrender of Italy


ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign

ラエ・サラモアの戦い

Battle of Lae-Salamaua

1943年(昭和18年)17日~1943年(昭和18年)916

第二次世界大戦World War II中のニューギニア戦線New Guinea Campaignにおける戦闘Battle1つ。

ニューギニア島東部Eastern New Guinea要地key area positionラエLaeサラモアSalamaua占領occupationしていた日本軍Imperial Japanese Forcesを、オーストラリア軍Australian Armed forcesを主体とする連合軍Allied forcesが攻撃し、ラエLaeサラモアSalamaua奪還Recaptureした。

日本軍Imperial Japanese Forces標高elevation 4,100メートルのサラワケットSalawaket山系Cordilleraを越えて撤退Withdrawalした。


絶対国防圏 Absolute defense zone

劣勢に立たされた日本Imperial Japan本土防衛homeland defense上及び戦争継続War continuationのために必要不可欠absolutely essentialである領土territory地点pointを定め、防衛defenseを命じた地点point地域area

1943年(昭和18年)930日、御前会議Imperial Conferenceにおいて「絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute national defense zone」が制定された。

これは、それまでの攻撃一本槍から、事実上、防衛戦defensive battleに移行したことを示すものだった。

西南太平洋 Southwest Pacific Ocean

絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute national defense zoneは、

千島列島(ちしま・れっとう)Kuril Islands小笠原諸島(おがさわら・しょとう)Ogasawara Islands内南洋(うち・なんよう)South Seas Mandate中西部Midwest)及西部WesternニューギニアNew Guinea」「スンダ列島Sunda Islands」「ビルマBurma」を含む圏域sphereとされたが、東部Easternマーシャル群島Marshall Islands)を除く内南洋(うち・なんよう)すなわちマリアナ諸島Mariana Islandsカロリン諸島Caroline Islandsゲールビング湾Geelvink Bay(現在のチェンデラワシ湾Cenderawasih Bay以西westニューギニアNew Guinea以西westを範囲とする。

内南洋(うち・なんよう)South Seas Mandate南洋諸島(なんよう・しょとう)=南洋群島(なんよう・ぐんとう)は、かつて日本Imperial Japan国際連盟League of Nationsによって委任統治mandateを託された西太平洋Western Pacific ocean赤道Equator付近に広がるミクロネシアMicronesia島々Islandsを指す。

現在の北マリアナ諸島Northern Mariana IslandsパラオPalauマーシャル諸島Marshall Islandsミクロネシア連邦Federated States of Micronesiaに相当する地域である。

スンダ列島 Sunda Islands

大スンダ列島 Greater Sunda Islands

小スンダ列島 Lesser Sunda Islands

絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん) Absolute national defense zone

ソロモン諸島 Solomon Islands

ブーゲンビル島沖海戦 Sea Battle off Bougainville Island

軽巡洋艦川内(せんだい) Light cruiser Sendai

川内型軽巡洋艦Sendai-class light cruiser1番艦First ship

1943年(昭和18年)112日に生起したブーゲンビル島沖海戦Sea Battle off Bougainville Islandで、米艦隊US Fleet砲撃Bombardment雷撃torpedo attackを受けて沈没sunk

ブーゲンビル島沖海戦

Sea Battle off Bougainville Island

ブーゲンビル島沖海戦Sea Battle off Bougainville Islandは、1943年(昭和18年)112日、太平洋戦争Pacific War中にブーゲンビル島Bougainville Islandの攻防で生起した海戦Naval warfareである。

1943年(昭和18年)11月初頭の連合軍Allied forcesブーゲンビル島Bougainville Island上陸landingにともない、111日深夜~112日未明にかけて同島エンプレス・オーガスタ湾Empress Augusta Bayで生起した海戦Naval warfare

駆逐艦初風(はつかぜ) Destroyer Hatsukaz

陽炎型駆逐艦Kagero-class destroyer7番艦Seventh ship

1943年(昭和18年)112日、ブーゲンビル島沖海戦Sea Battle off Bougainville Islandに参加、重巡洋艦妙高(みょうこう)Heavy cruiser Myoko衝突collisionし、米艦隊US Fleet集中砲火Barrageを受けて沈没sunkした。


ブーゲンビル島Island of Bougainvilleエンプレス・オーガスタ湾Empress Augusta Bayにおいて、大森仙太郎(おおもり・せんたろう)少将(第五戦隊司令官)指揮の日本海軍Imperial Japanese Navy連合襲撃部隊とアーロン・S・メリルAaron S. Merrill少将指揮のアメリカ海軍US Navy39任務部隊が交戦した。

アメリカ軍US Armed Forces側の呼称はエンプレス・オーガスタ湾海戦Battle of Empress Augusta Bay、またはガゼル湾海戦Battle of Gazelle Bay

結果Result アメリカ軍US Armed Forces勝利victory

日本Imperial Japan側は軽巡洋艦川内(せんだい)Light cruiser Sendai駆逐艦初風(はつかぜ) Destroyer Hatsukazを喪失し、損傷艦Damaged ship多数を出して敗退した。

重巡洋艦妙高(みょうこう) Heavy cruiser Myoko

妙高型重巡洋艦Myoko-class heavy cruiser1番艦First ship

ソロモン諸島 Solomon Islands

護衛空母リスカム・ベイ Escort carrier Liscome Bay

カサブランカ級護衛空母Casablanca-class escort carrier2番艦Second ship

1943年(昭和18年)1124日に、マキンの戦いBattle of Makinで、伊号第175潜水艦 Submarine I-175魚雷攻撃Torpedo attackにより沈没sunk

ギルバート諸島の戦い

Gilbert Islands campaign

マキンの戦い Battle of Makin

マキンの戦いBattle of Makinとは、1943年(昭和18年)1120日から1943年(昭和18年)1123日にかけて、ギルバート諸島Gilbert Islandsブタリタリ環礁Butaritari Atollで行われた日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrisonアメリカ軍US Armed Forcesとの戦闘Battle

アメリカ軍US Armed Forcesガルヴァニック作戦Operation Galvanicの一環として攻略した。

当時、ブタリタリ環礁Butaritari Atollマキン環礁Makin Atollと呼ばれることが多かったために一般にマキンの戦いBattle of Makinとして知られる。

結果Result アメリカ軍US Armed Forces勝利victory

アメリカ軍US Armed Forces護衛空母リスカム・ベイEscort carrier Liscome Bayはこの作戦中、1124日に日本Imperial Japan伊号第175潜水艦 Submarine I-175(田畑直艦長)の魚雷攻撃Torpedo attackにより失われた。

伊号第175潜水艦 Submarine I-175

174型潜水艦 I-174 class submarine2番艦Second ship

米護衛空母リスカム・ベイUS Escort carrier Liscome Bay撃沈attack and sunk

タラワの戦い Battle of Tarawa

タラワの戦いBattle of Tarawaは、1943年(昭和18年)1121日から1123日にかけて、ギルバート諸島Gilbert Islandsタラワ環礁Tarawa atollベティオ島small island of Betio(英語版)(現:キリバス共和国)で行われた日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrisonアメリカ海兵隊US Marine Corpsとの戦闘である。

米軍US Armed Forcesガルヴァニック作戦Operation Galvanicの一環として実施した作戦であり、近代戦史上初の正面からの水陸両用強襲作戦Amphibious warfareと言われている。

九五式軽戦車 Type 95 light tank

この戦いでアメリカ軍US Armed Forcesは多数の損害を出したため、“恐怖のタラワterrible Tarawa”もしくは“悲劇のタラワtragic Tarawa”と呼ばれた。

結果Result アメリカ軍US Armed Forces勝利victory

ソロモン諸島 Solomon Islands

マーシャル諸島の戦い

Marshall Islands campaign

クェゼリン島の戦い Battle of Kwajalein

クェゼリン島の戦いBattle of Kwajaleinとは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)130日に、日本軍Imperial Japanese Forcesの守るクェゼリン環礁Kwajalein Atollアメリカ軍US Armed Forcesが侵攻して行われた戦闘である。

アメリカ軍US Armed Forcesの作戦名はフリントロック作戦

防衛態勢が整っていなかった日本軍Imperial Japanese Forcesは短期間の戦闘で全滅した一方、1943年(昭和18年)11月のタラワの戦いBattle of Tarawaでの苦い教訓を学んだアメリカ軍US Armed Forcesは、クェゼリン環礁Kwajalein Atoll内の2つの要所にほぼ同時に上陸landingし、日本軍Imperial Japanese Forcesの抵抗を撥ね退けて勝利をものにした。

二式飛行艇(にしき・ひこうてい) Type 2 Flying Boat

また、アメリカ軍US Armed Forces日本の領土Imperial Japanese territory占領occupationしたのは、委任統治領mandatory territoryとはいえこれが初めてのことであり、日本本土Imperial Japan's mainlandへの飛び石作戦Island Hoppingを次の段階に進める上での重要な勝利となった。

日本軍Imperial Japanese Forcesが採った水際作戦shoreline operationは失敗に終わったものの、日本軍Imperial Japanese Forcesはこれを糧として、以後のグアムの戦いBattle of Guamペリリューの戦いBattle of Peleliu硫黄島の戦いBattle of Iwo Jimaへと続く縦深防備defence in depthの強化に努めることとなる。

空母サラトガ Aircraft carrier Saratoga

レキシントン級航空母艦Lexington class aircraft carrier2番艦Second ship

エニウェトクの戦い Battle of Eniwetok

エニウェトクの戦いBattle of Eniwetokは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)218日から223日にかけて戦われた日本軍Imperial Japanese Forcesアメリカ軍US Armed Forcesマーシャル諸島Marshall Islandsエニウェトク環礁Eniwetok Atollを巡る戦いの通称。

219日、「天皇陛下万歳Long live His Majesty the Emperor

バンザイ突撃Banzai charge

222日、エニウェトク環礁Eniwetok Atoll日本軍Imperial Japanese Forces玉砕honorable death

結果Result アメリカ軍US Armed Forces勝利victory

戦艦テネシー Battleship Tennessee

テネシー級戦艦Tennessee-class battleship1番艦First ship


アメリカ軍US Armed Forcesの作戦名はキャッチポール作戦Operation Catchpole

一連のギルバート・マーシャル諸島の戦いGilbert and Marshall Islands campaignにおいて事実上最後となる主要な戦闘であり、この戦いと支援作戦であるトラック島空襲Airstrike on Truk Island以後、マリアナ諸島Mariana Islandsより東の地域から日本Imperial Japan航空兵力air force重要拠点Important baseとしての価値worthが一掃される事となった。

軽巡洋艦阿賀野(あがの) Light cruiser Agano

阿賀野型軽巡洋艦Agano-class light cruiser1番艦First ship

ソロモン諸島 Solomon Islands

トラック島空襲 Airstrike on Truk Island

トラック島空襲Airstrike on Truk Islandは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)217日~18日にかけて、アメリカ軍US Armed Forces機動部隊Mobile Fleetが実施した日本軍Imperial Japanese Forces拠点Baseトラック島Truk Islandへの攻撃である。

アメリカ軍US Armed Forcesの作戦名はヘイルストーン作戦Operation Hailstoneで、エニウェトク環礁Eniwetok Atoll攻略を目的としたキャッチポール作戦Operation Catchpoleの支作戦であった。

軽巡洋艦那珂(なか) Light cruiser Naka

川内型軽巡洋艦Sendai-class Light cruiser3番艦Third ship

日本海軍Imperial Japanese Navyトラック泊地Truk Harbor絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute national defense zone拠点Baseとして重視していたが、空襲Airstrike大打撃serious damageを受けることになった。

一連の空襲Airstrikeの被害を海軍丁事件(かいぐん・ていじけん)と呼称する。

TBFアヴェンジャー Grumman TBF Avenger

1944年(昭和19年)217日から18日のトラック島空襲Airstrike on Truk Islandと、同223日のマリアナ諸島空襲Airstrike on Mariana Islandsにより日本軍Imperial Japanese Forcesは多数の艦船ships航空機aircraftを失い、大本営Imperial General Headquartersをはじめ各方面に大きな衝撃を与えた。

トラック島Truk Islandは無力化されたが、アメリカ軍US Armed Forcesは攻略にかかる手間を避けて進攻を行ったため、敵中で孤立したまま終戦The end of the warまで日本軍Imperial Japanese Forces拠点Baseとして残った。

SBDドーントレス Douglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy

ソロモン諸島 Solomon Islands

サイパンの戦い Battle of Saipan

サイパンの戦いBattle of Saipanは、太平洋戦争Pacific War中、1944年(昭和19年)615日から79日に行われたアメリカ軍US Armed Forces日本軍Imperial Japanese Forcesマリアナ諸島Mariana Islandsサイパン島Saipan Islandにおける戦闘Battle

結果Result アメリカ軍US Armed Forces勝利victory

斎藤義次(さいとう・よしつぐ) Yoshitsugu Saito 中将Lieutenant General

斎藤義次(さいとう・よしつぐ)Yoshitsugu Saito中将Lieutenant General指揮commandする43師団43rd Divisionを主力とした日本軍Imperial Japanese Forces守備defenseするサイパン島Saipan Islandに、ホランド・スミスHolland Smith中将Lieutenant General指揮commandアメリカ軍US Armed Forces2海兵師団2nd Marine Division4海兵師団4th Marine Division、第27歩兵師団(英語版)が上陸landingし、戦闘Battleの末に日本軍Imperial Japanese Forcesは全滅した。

このサイパンの戦いBattle of Saipanにともない、海上ではマリアナ沖海戦Naval battle off Mariana Islands619日~20日)が発生した。

ホランド・スミス Holland Smith 中将Lieutenant General

1944年(昭和19年)2月、ギルバート・マーシャル諸島Gilbert and Marshall Islandsが相次いで陥落fall

海軍Navy根拠地baseであるトラック島Truk Island大空襲Great air raidを受けた

絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute national defense zoneにあったマリアナ諸島Mariana Islandsには、中国大陸Chinese mainlandから兵力転用Diversion of troopsがなされたが、思うように進まなかった

東条英機(とうじょう・ひでき) Hideki Tojo 内閣総理大臣Prime Minister

サイパン島Saipan Islandは強固な難攻不落の要塞Impregnable fortressである。

わが軍は必ず勝利victoryする!」

この頃、各地で必要な資材は絶対的に不足していた。

「毎日毎日、穴掘りばかりで…」

「まるで自分の墓を掘ってるようだ。」

1944年(昭和19年)615日、米軍US Armed Forces圧倒的兵力overwhelming forcesを投入し、サイパン島Saipan Island上陸landingを開始

「突撃っ 前へ!」

米軍US Armed Forcesを海に追い落とす!」

しかし米軍US Armed Forcesの激しい砲火gunfireに、日本軍Imperial Japanese Forces兵士soldierは、バタバタと倒れていった。

サイパンの戦い Battle of Saipan

豊田副武(とよだ・そえむ) Soemu Toyoda

連合艦隊司令長官Commander-in-Chief of the Combined Fleet

米軍US Armed Forcesマリアナ諸島Mariana Islands進攻Advanceを受け、連合艦隊Combined Fleet米機動部隊US mobile unitとの一大決戦Big decisive battleあ号作戦Operation A-Go」の準備を進めた。

あ号作戦Operation A-Go」は第一機動艦隊First Mobile Fleetを中心とした連合艦隊Combined Fleetの全力を挙げて出撃し空母戦力Aircraft carrier force基地機land-based aircraftの両方で米艦隊US Fleet撃滅devastationを狙うというものだった。

ただ、せっかく温存し、訓練してきた基地航空隊land-based Air Corpsは小出しの出撃により激減

また、肝心の空母部隊Aircraft carrier unit搭乗員aircrew練度proficiency低下Decreaseが危惧(きぐ)された

サイパンの戦い Battle of Saipan

小沢治三郎(おざわ・じさぶろう) Jisaburo Ozawa

第一機動艦隊First Mobile Fleet司令長官Commander-in-Chief

しかし、第一機動艦隊First Mobile Fleetは、それでも米艦隊US Fleet撃滅devastationする自信があった。

「彼我(かが)の戦力差を考慮したアウトレンジ戦法Outrange tacticsが有効である。」

アウトレンジ戦法Outrange tacticsとは、早期に敵を発見し、敵がこちらを攻撃できない遠方から攻撃隊を発進させるものである。

米艦載機US Carrier-based aircraft日本機Japanese aircraftよりも航続距離Cruising distanceが短かった。)

サイパンの戦い Battle of Saipan

レイモンド・スプルーアンス Raymond Spruance

米機動艦隊US Mobile Fleet司令長官Commander-in-Chief

「こちらは日本軍Imperial Japanese Forcesの出方を知っているのだよ。

全機、返り討ちにしてくれる。」

豊田副武(とよだ・そえむ) Soemu Toyoda

連合艦隊司令長官Commander-in-Chief of the Combined Fleet

米軍US Armed Forcesサイパン島Saipan Island進攻Advanceすると、豊田副武(とよだ・そえむ)Soemu Toyodaは「あ号作戦Operation A-Go」を発令

第一機動艦隊First Mobile Fleetは、マリアナ諸島Mariana Islands方面Directionへと出撃sortieした。

マリアナ沖海戦

Naval battle off Mariana Islands

1944年(昭和19年)619日、

米機動部隊US mobile unitを発見した第一機動艦隊First Mobile Fleetは、攻撃隊を発進

マリアナ沖海戦Naval battle off Mariana Islands」の開始である。

しかし、新兵器New weaponVT信管Variable-Time fuze)を投入した米軍US Armed Forces対空砲火Anti-aircraft fireレーダーradarによる迎撃Interception日本軍機Imperial Japanese military aircraftは次々と撃ち落とされる

「まるで七面鳥Turkeyを撃ってるみたいだぜ!

目をつぶってても当たるぞ! Hit even if you close your eyes!

マリアナの七面鳥撃ち Great Marianas Turkey Shoot

また、米潜水艦US submarineの攻撃によって空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku旗艦flagship空母大鳳(たいほう)Aircraft carrier Taihoも沈められてしまう。

空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku

空母大鳳(たいほう) Aircraft carrier Taiho

空母飛鷹(ひよう) Aircraft carrier Hiyo

1944年(昭和19年)620日のマリアナ沖海戦Naval battle off Mariana Islands沈没sunk

620日、日本軍Imperial Japanese Forcesは再度攻撃を行うが、すでに作戦可能な攻撃機Attack aircraftはほとんどなく

反対に、日本軍Imperial Japanese Forcesを捕捉した米機動部隊US mobile unit痛撃severe attackを受けた。

結局、日本軍Imperial Japanese Forcesenemy空母Aircraft carrierに損害を与えることすらできず、「あ号作戦Operation A-Go」は終結

この海軍Navy敗北defeatにより、サイパン島Saipan Island救援reliefは、事実上不可能となった

1944年(昭和19年)615日、米軍US Armed Forces圧倒的兵力Overwhelming forceを投入し、サイパン島Saipan Island上陸landingを開始

米軍US Armed Forcesサイパン島Saipan Island上陸landingから1週間

日本軍Imperial Japanese Forcesタポチョ山Mount Tapochauにこもって抵抗を続ける。

サイパン島Saipan Island

「無闇に近づくな。

日本軍Imperial Japanese Forcesはどこから出てくるか分からないぞ。」

日本軍Imperial Japanese Forcesは、洞窟caveなどを利用しつつ、不意に現れては攻撃し、すぐに姿を消した

そして夜になると、奇襲surprise attackを繰り返す

しかし、夜が明けると、仕返しだと言わんばかりに、そこかしこに大量の砲弾A large number of shellsが、雨のように降り注ぐ

米軍US Armed Forcesは少しづつ前進し、7月に入ると日本軍Imperial Japanese Forcesは、いよいよ追い詰められた

サイパンの戦い Battle of Saipan

斎藤義次(さいとう・よしつぐ) Yoshitsugu Saito 師団長division commander

「我々は悠久(ゆうきゅう)の大儀(たいぎ)に生きる。

全員、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けることのないように。」

斎藤義次(さいとう・よしつぐ)Yoshitsugu Saito師団長division commanderは、そう言い残して、拳銃自殺Handgun suicideを遂げ

残された兵士たちSoldiersは、最後のバンザイ突撃Banzai charge敢行Dare

マッピ岬 Marpi Point バンザイクリフBanzai Cliff

また、日本軍Imperial Japanese Forcesとともに、逃れてきた多くの民間人Civilian

サイパン島Saipan Island北端northern endマッピ岬Marpi PointバンザイクリフBanzai Cliff)から、次々と身を投げたthrow oneself

サイパン島 Saipan Island玉砕(ぎょくさい) honorable death

サイパン島 Saipan Island玉砕(ぎょくさい) honorable death

1944年(昭和19年)7月上旬、サイパン島Saipan Island陥落fall

82日 テニアン島Tinian Islandの日本軍玉砕honorable death

テニアンの戦いBattle of Tinian

811日 グアム島Guam Islandの日本軍玉砕honorable death

グアムの戦いBattle of Guam

B-29スーパーフォートレスBoeing B-29 Superfortress

これにより、マリアナ諸島Mariana Islands爆撃機bomber B-29スーパーフォートレスBoeing B-29 Superfortressが進出

日本本土Japanese mainland空襲Air raidに晒(さら)されることになる。

東条英機(とうじょう・ひでき) Hideki Tojo 内閣総理大臣Prime Minister

また、東条英機(とうじょう・ひでき)Hideki Tojoサイパン島Saipan Island陥落fallの責任を取って、首相Prime Minister辞任Resignationした。

M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman

九五式軽戦車 Type 95 light tank

九七式中戦車 Type 97 medium tank

零戦五二型(ぜろせん・ごー・にー・がた) Zero fighter Model 52

一式陸上攻撃機 Type 1 Land-based Attack Aircraft

銀河(ぎんが) Land-based Bomber Ginga

一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft後継機Successor

月光(げっこう) Moonlight 双発Twin-engine複座Two-Seat夜間戦闘機Night fighter

天山(てんざん) Heavenly Mountain 艦上攻撃機Carrier-borne Attack Aircraft

九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier Attack Aircraft後継機Successor

彗星(すいせい) Comet 艦上爆撃機two-seat carrier-based dive bomber

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber後継機Successor

彗星(すいせい) Comet 艦上爆撃機two-seat carrier-based dive bomber

九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomber後継機Successor

















































































































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