8節 サイパンの戦い Battle of Saipan
サイパン島Saipan玉砕honorable death
アリューシャン列島 Aleutian Islands
アリューシャン方面の戦い
Aleutian
Islands campaign
1943年(昭和18年)5月12日には前年1942年(昭和17年)の6月より日本軍Imperial Japanese Forcesが占領occupationしていたアリューシャン列島Aleutian Islandsのアッツ島Attu Islandにアメリカ軍US Armed Forcesが上陸landing。
山崎保代(やまさき・やすよ) Yasuyo Yamasaki大佐Colonel
1943年(昭和18年)5月29日、山崎保代(やまさき・やすよ)Yasuyo Yamasaki大佐Colonel以下日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrisonは全滅Annihilationし(アッツ島の戦いBattle of Attu)、大本営発表Imperial General Headquarters announcementにおいて初めて「玉砕(ぎょくさい)honorable death」という言葉が用いられた。
(1943年(昭和18年)5月29日)
(玉砕(ぎょくさい)honorable death)
アッツ島Attu Islandの玉砕(ぎょくさい)honorable death
アッツ島Attu Islandの玉砕(ぎょくさい)honorable death
アリューシャン列島 Aleutian Islands
太平洋戦争Pacific War中、日本軍Imperial Japanese Forcesと連合国軍Allied forces(アメリカ軍US Armed Forcesとカナダ軍Canadian Armed Forces)の間でアリューシャン列島Aleutian Islands周辺で行われた戦い。
空母隼鷹(じゅんよう) Aircraft carrier Junyo
空母龍驤(りゅうじょう) Aircraft carrier Ryujo
1942年(昭和17年)5月25日、アリューシャンAleutian攻撃部隊attacking forcesは空母隼鷹(じゅんよう)Aircraft carrier Junyo、空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier
Ryujoを中心とする空母Aircraft carrier 2隻、巡洋艦Cruiser 3隻、駆逐艦Destroyer 5隻の艦隊fleet(細萱戊子郎(ほそがや・ぼしろう)中将、角田覚治(かくだ・かくじ)少将)で大湊(おおみなと)(現在の青森県むつ市に属する港町)を出航Departureした。
続いてキスカ島Kiska
Island攻略部隊capture unitが5月28日、アッツ島Attu Island攻略部隊capture unitが5月29日にそれぞれ出航Departureした。
日本海軍機の空襲を受けて炎上するダッチハーバーDutch Harborのアメリカ軍基地
1942年(昭和17年)6月3日早朝、空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier
Ryujoの攻撃隊がダッチハーバーDutch Harborのアメリカ海軍基地U.S. Navy baseを空襲Air raidした。
翌4日、日本軍Imperial Japanese Forcesは再度空襲Air
raidを行い基地内外に大きな被害を与え、施設や宿舎などを炎上させた。
日本軍Imperial Japanese Forcesは6月6日にアッツ島Attu Island、7日にキスカ島Kiska Islandに上陸landingし占領occupationした。
両島ともアメリカ軍US Armed Forcesの守備隊Garrisonは存在していなかった。
駆逐艦響(ひびき) Destroyer Hibiki
アメリカ軍US Armed Forcesは1942年(昭和17年)6月10日、アッツ島Attu Island、キスカ島Kiska Islandに日本軍Imperial Japanese Forcesが上陸landingしていることを発見、爆撃機Bomberによる空襲Air raidを開始した。
12日には駆逐艦響(ひびき)Destroyer Hibikiが爆撃bombingにより損傷した。
潜水艦グロウラー Submarine Growler
アメリカ海軍US Navyのガトー級潜水艦Gato class
submarine
駆逐艦霰(あられ) Destroyer Arare 朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyer
駆逐艦不知火(しらぬい) Destroyer Shiranui 陽炎型駆逐艦Kagero-class destroyer
駆逐艦霞(かすみ) Destroyer Kasumi 朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyer
日本軍Imperial Japanese Forcesの両島占領occupationに対してアメリカ軍US Armed Forcesは反撃を強め、1942年(昭和17年)7月5日にはアメリカ海軍US Navyのガトー級潜水艦Gato class
submarineのグロウラーSubmarine Growler(ギルモア艦長)の雷撃torpedo attackで朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyerの霰(あられ)Destroyer Arareがキスカ島Kiska Island沖で沈没sunk、陽炎型駆逐艦Kagero-class destroyerの不知火(しらぬい)Destroyer Shiranuiと朝潮型駆逐艦Asashio-class destroyerの霞(かすみ)Destroyer Kasumiが大破Wreckした。
アリューシャン列島 Aleutian Islands
潜水艦トライトン Submarine Triton タンバー級潜水艦Tambor class submarine
駆逐艦子日(ねのひ) Destroyer Nenohi 初春型駆逐艦Hatsuharu-class destroyer
さらに同1942年(昭和17年)7月5日には、タンバー級潜水艦Tambor class submarineのトライトンSubmarine Triton(カークパトリック艦長、C.C. Kirkpatrick)の雷撃torpedo attackで、初春型駆逐艦Hatsuharu-class destroyerの子日(ねのひ)Destroyer Nenohiがニア諸島Near Islandsのアガッツ島Agattu Islandサボック岬沖で沈没sunkした。
霞(かすみ)Destroyer Kasumiと不知火(しらぬい)Destroyer Shiranuiはそれぞれ7月27日と8月15日まで応急修理を続けた。
重巡洋艦インディアナポリス Heavy cruiser Indianapolis
重巡洋艦ルイビル Heavy cruiser Louisville
軽巡洋艦ホノルル Light cruiser Honolulu
軽巡洋艦セントルイス Light cruiser St.
Louis
軽巡洋艦ナッシュビル Light cruiser Nashville
1942年(昭和17年)8月7日(日本側記録では8日)、重巡洋艦Heavy cruiser「インディアナポリスIndianapolis」、「ルイビルLouisville」、軽巡洋艦Light cruiser「ホノルルHonolulu」、「セントルイスSt. Louis」、「ナッシュビルNashville」、駆逐艦Destroyer 4隻からなるアメリカ海軍United States Navy第8.6任務群(ウィリアム・スミス少将)がキスカ島Kiska Islandに対する艦砲射撃Naval gunfireを行った。
艦隊fleetは8月3日にコディアックKodiakを出撃。
SOCシーガル Curtiss SOC Seagull
二式水上戦闘機 Type 2 Floatplane Fighter
二式水上戦闘機 Type 2 Floatplane Fighter
弾着観測Artillery observerのため発進したSOCシーガルCurtiss
SOC Seagullのうち1機が二式水上戦闘機Type 2 Floatplane
Fighterにより撃墜Shoot
downされた。
駆逐艦初春(はつはる) Destroyer Hatsuharu
駆逐艦朧(おぼろ) Destroyer Oboro
日本軍Imperial Japanese Forcesはアッツ島Attu Islandの部隊Troopsをキスカ島Kiska Islandに移動させ同島の守備defenseを強化した。
1942年(昭和17年)9月になるとアメリカ軍US Armed Forcesはアガッツ島Agattu Islandに飛行場Airfieldを建設し空襲Air raidを強化した。
日本軍Imperial Japanese Forcesはアッツ島Attu Islandおよびキスカ島Kiska Islandの守備defenseの強化のため10月から輸送作戦Transport
operationsを繰り返し行った。
10月17日にはキスカ島Kiska Island沖にて輸送作戦Transport operations中の駆逐艦Destroyer「初春(はつはる)Hatsuharu、朧(おぼろ)Oboro」が空襲Air raidを受け、朧(おぼろ)Oboroが沈没sunk、初春(はつはる)Hatsuharuが大破Wreckした。
駆逐艦ウォーデン Destroyer Worden
1943年(昭和18年)1月12日にアメリカ軍US Armed Forcesは、重巡洋艦インディアナポリスHeavy cruiser Indianapolisからなる艦隊fleetの支援のもと、日米双方の守備隊Garrisonが駐留していなかったアムチトカ島Amchitkaに上陸landingした。
戦闘Battleは発生しなかったが、駆逐艦ウォーデンDestroyer Wordenが座礁Groundingし死傷者が発生した。
アメリカ軍US Armed Forcesは現地に飛行場Airfieldを建設しアッツ島Attu Island、キスカ島Kiska Islandへの空襲Air raidを強化した。
アリューシャン列島 Aleutian Islands
1943年(昭和18年)3月27日に、輸送作戦Transport
operations中の日本艦隊Imperial Japanese fleetとアメリカ艦隊US fleetがコマンドルスキー諸島Komandorski Islands近海で遭遇、アッツ島沖海戦Battle of the
Komandorski Islandsが発生した。
アッツ島沖海戦Battle of the Komandorski Islandsの結果、日本軍Imperial Japanese Forcesは輸送作戦Transport
operationsに失敗しアッツ島Attu Islandの玉砕(ぎょくさい)honorable deathの遠因となった。
駆逐艦ヘイウッド・L・エドワーズ Destroyer
Heywood L. Edwards
駆逐艦ファラガット Destroyer Farragut
山崎保代(やまさき・やすよ) Yasuyo Yamasaki大佐Colonel
アッツ島の戦い Battle of Attu
1943年(昭和18年)に入ってから、アメリカ軍US Armed Forcesは本格的な反攻を開始し、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍US Armed Forces約11,000名がアッツ島Attu Islandに上陸landingした。
自国の領土Home territory奪還をかけて大規模な兵力を投入したアメリカ軍US Armed Forcesに比べて、既にこのアッツ島Attu Islandの戦略的価値Strategic valueが低いと判断し、増強が行われていなかった日本軍Imperial Japanese Forcesの守備隊Garrisonは山崎保代Yasuyo Yamasaki陸軍大佐Army Colonel以下2,665名とはるかに小規模だった。
伊号第三十一潜水艦 Submarine I-31
1943年(昭和18年)5月13日に、駆逐艦エドワーズDestroyer EdwardsおよびファラガットDestroyer Farragutの爆雷Depth chargeと砲撃Bombardmentで伊号第三一潜水艦Japanese submarine I-31がアッツ島Attu Island沖で戦没Killed in action、4倍近い兵力を持つアメリカ軍US Armed Forcesの攻撃attackによりアッツ島Attu Islandの日本軍Imperial Japanese Forcesは5月29日に全滅Annihilation(玉砕honorable death)した。
キスカ島Kiska Island上陸landingに先立ち、アダック島Adakに上陸landingするアメリカ軍US Armed Forces。
部隊TroopsはM1ライフルM1 riflesを装備し、戦艦ペンシルベニアBattleship
Pennsylvaniaが沖合いで上陸landingを掩護した。
キスカ島撤退作戦
Withdrawal
Operation from Kiska
(ケ号作戦 Operation Ke)
(1943年(昭和18年)7月29日)
(ガダルカナル島撤収作戦 Withdrawal
Operation from Guadalcanal)
(1943年(昭和18年)2月1日~7日)
元々戦略的価値Strategic
valueが低いと判断し兵力増強を怠っていたアッツ島Attu Islandの全滅Annihilation(玉砕honorable death)により、同じく兵力増強が行われていなかったキスカ島Kiska Islandの維持も困難と判断した日本軍Imperial Japanese Forcesは、同島の放棄abandonmentと撤収Withdrawalを決めた。
アリューシャン列島 Aleutian Islands
まず、潜水艦Submarineによる撤収Withdrawalが行われたが、被害の増加により中止された。
1943年(昭和18年)7月7日に軽巡洋艦Light cruiser 2隻、駆逐艦Destroyer 11隻などからなる撤収部隊Withdrawal troop(木村昌福(きむら・まさとみ)少将)が幌筵島(ぱらむしるとう)(千島列島の北東部にある島)を出発した。
しかし、晴天続きのため7月16日に収容を断念し帰還した。
1943年(昭和18年)7月22日に撤収部隊Withdrawal troopは再度出撃した。
1943年(昭和18年)7月29日に撤収部隊Withdrawal troopはキスカ島Kiska Islandに入港し、霧fogが発生したためものの何の障害もないままに守備隊Garrisonを収容して帰還した。
この時、アメリカ艦隊US fleetは霧fogの中でレーダーradarに映った「日本艦隊Imperial Japanese fleet(実際はレーダーradarの誤反応とされる)」に対して攻撃を行い、弾薬不足となったためいったんキスカ島Kiska Islandの封鎖を解いていた。
戦艦ペンシルベニア Battleship
Pennsylvania
戦艦アイダホ Battleship Idaho
戦艦ミシシッピ Battleship Mississippi
重巡洋艦ポートランド Heavy cruiser Portland
軽巡洋艦サンタ・フェ Light cruiser Santa Fe
コテージ作戦 Operation Cottage
キスカ島Kiska Islandからの撤退Withdrawalに日本軍Imperial Japanese Forcesが成功し、もぬけの殻となったことに気づかないままアメリカ軍US Armed Forcesは艦砲射撃Naval gunfireを繰り返した後、1943年(昭和18年)8月15日にキスカ島Kiska Islandにカナダ軍Canadian Armed
Forcesと合わせて約35,000名の兵力で上陸した。
参加艦艇は戦艦ペンシルベニアBattleship
Pennsylvaniaと戦艦アイダホBattleship Idaho、戦艦ミシシッピBattleship
Mississippiの戦艦Battleship 3隻と重巡洋艦ポートランドHeavy cruiser Portland、軽巡洋艦サンタ・フェLight cruiser Santa Feなどであった。
この際、同士討ちで米加両軍US and Canadian forcesに100余名の死者が出た。
1943年(昭和18年)9月8日 イタリアの降伏 Surrender of Italy
ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign
ラエ・サラモアの戦い
Battle of Lae-Salamaua
1943年(昭和18年)1月7日~1943年(昭和18年)9月16日
第二次世界大戦World War II中のニューギニア戦線New Guinea Campaignにおける戦闘Battleの1つ。
ニューギニア島東部Eastern New Guineaの要地key area positionラエLaeとサラモアSalamauaを占領occupationしていた日本軍Imperial Japanese Forcesを、オーストラリア軍Australian Armed forcesを主体とする連合軍Allied forcesが攻撃し、ラエLaeとサラモアSalamauaを奪還Recaptureした。
日本軍Imperial Japanese Forcesは標高elevation 4,100メートルのサラワケットSalawaket山系Cordilleraを越えて撤退Withdrawalした。
絶対国防圏 Absolute
defense zone
劣勢に立たされた日本Imperial Japanが本土防衛homeland defense上及び戦争継続War continuationのために必要不可欠absolutely
essentialである領土territory・地点pointを定め、防衛defenseを命じた地点point・地域area。
1943年(昭和18年)9月30日、御前会議Imperial Conferenceにおいて「絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute
national defense zone」が制定された。
これは、それまでの攻撃一本槍から、事実上、防衛戦defensive battleに移行したことを示すものだった。
西南太平洋 Southwest
Pacific Ocean
絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute
national defense zoneは、
千島列島(ちしま・れっとう)Kuril
Islands、小笠原諸島(おがさわら・しょとう)Ogasawara Islands、内南洋(うち・なんよう)South Seas Mandate(中西部Midwest)及西部Western「ニューギニアNew Guinea」「スンダ列島Sunda Islands」「ビルマBurma」を含む圏域sphereとされたが、東部Eastern(マーシャル群島Marshall Islands)を除く内南洋(うち・なんよう)すなわちマリアナ諸島Mariana Islands、カロリン諸島Caroline Islands、ゲールビング湾Geelvink Bay(現在のチェンデラワシ湾Cenderawasih Bay)以西westのニューギニアNew Guinea以西westを範囲とする。
内南洋(うち・なんよう)South
Seas Mandate=南洋諸島(なんよう・しょとう)=南洋群島(なんよう・ぐんとう)は、かつて日本Imperial Japanが国際連盟League of Nationsによって委任統治mandateを託された西太平洋Western Pacific
oceanの赤道Equator付近に広がるミクロネシアMicronesiaの島々Islandsを指す。
現在の北マリアナ諸島Northern Mariana Islands・パラオPalau・マーシャル諸島Marshall Islands・ミクロネシア連邦Federated States of Micronesiaに相当する地域である。
スンダ列島 Sunda
Islands
大スンダ列島 Greater
Sunda Islands
小スンダ列島 Lesser
Sunda Islands
絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん) Absolute national defense zone
ソロモン諸島 Solomon
Islands
ブーゲンビル島沖海戦 Sea Battle off Bougainville Island
軽巡洋艦川内(せんだい) Light cruiser Sendai
川内型軽巡洋艦Sendai-class light
cruiserの1番艦First ship
1943年(昭和18年)11月2日に生起したブーゲンビル島沖海戦Sea Battle off Bougainville Islandで、米艦隊US Fleetの砲撃Bombardment雷撃torpedo attackを受けて沈没sunk。
ブーゲンビル島沖海戦
Sea Battle off Bougainville Island
ブーゲンビル島沖海戦Sea Battle off
Bougainville Islandは、1943年(昭和18年)11月2日、太平洋戦争Pacific War中にブーゲンビル島Bougainville Islandの攻防で生起した海戦Naval warfareである。
1943年(昭和18年)11月初頭の連合軍Allied forcesブーゲンビル島Bougainville Island上陸landingにともない、11月1日深夜~11月2日未明にかけて同島エンプレス・オーガスタ湾Empress Augusta Bayで生起した海戦Naval warfare。
駆逐艦初風(はつかぜ) Destroyer Hatsukaz
陽炎型駆逐艦Kagero-class
destroyerの7番艦Seventh ship
1943年(昭和18年)11月2日、ブーゲンビル島沖海戦Sea Battle off Bougainville Islandに参加、重巡洋艦妙高(みょうこう)Heavy
cruiser Myokoと衝突collisionし、米艦隊US Fleetの集中砲火Barrageを受けて沈没sunkした。
ブーゲンビル島Island of
Bougainvilleエンプレス・オーガスタ湾Empress
Augusta Bayにおいて、大森仙太郎(おおもり・せんたろう)少将(第五戦隊司令官)指揮の日本海軍Imperial Japanese
Navy連合襲撃部隊とアーロン・S・メリルAaron S. Merrill少将指揮のアメリカ海軍US Navy第39任務部隊が交戦した。
アメリカ軍US Armed Forces側の呼称はエンプレス・オーガスタ湾海戦Battle of Empress Augusta Bay、またはガゼル湾海戦Battle of Gazelle
Bay。
結果Result アメリカ軍US Armed Forcesの勝利victory
日本Imperial Japan側は軽巡洋艦川内(せんだい)Light cruiser Sendaiと駆逐艦初風(はつかぜ) Destroyer Hatsukazを喪失し、損傷艦Damaged ship多数を出して敗退した。
重巡洋艦妙高(みょうこう) Heavy cruiser Myoko
妙高型重巡洋艦Myoko-class heavy
cruiserの1番艦First ship
ソロモン諸島 Solomon
Islands
護衛空母リスカム・ベイ Escort carrier Liscome Bay
カサブランカ級護衛空母Casablanca-class
escort carrierの2番艦Second ship
1943年(昭和18年)11月24日に、マキンの戦いBattle of Makinで、伊号第175潜水艦 Submarine I-175の魚雷攻撃Torpedo attackにより沈没sunk。
ギルバート諸島の戦い
Gilbert Islands campaign
マキンの戦い Battle
of Makin
マキンの戦いBattle of Makinとは、1943年(昭和18年)11月20日から1943年(昭和18年)11月23日にかけて、ギルバート諸島Gilbert Islandsブタリタリ環礁Butaritari Atollで行われた日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrisonとアメリカ軍US Armed Forcesとの戦闘Battle。
アメリカ軍US Armed Forcesはガルヴァニック作戦Operation Galvanicの一環として攻略した。
当時、ブタリタリ環礁Butaritari Atollはマキン環礁Makin Atollと呼ばれることが多かったために一般にマキンの戦いBattle of Makinとして知られる。
結果Result アメリカ軍US Armed Forcesの勝利victory
アメリカ軍US Armed Forcesの護衛空母リスカム・ベイEscort carrier Liscome Bayはこの作戦中、11月24日に日本Imperial Japanの伊号第175潜水艦 Submarine I-175(田畑直艦長)の魚雷攻撃Torpedo attackにより失われた。
伊号第175潜水艦 Submarine I-175
伊174型潜水艦 I-174
class submarineの2番艦Second ship
米護衛空母リスカム・ベイUS Escort carrier Liscome
Bayを撃沈attack
and sunk。
タラワの戦い Battle
of Tarawa
タラワの戦いBattle of Tarawaは、1943年(昭和18年)11月21日から11月23日にかけて、ギルバート諸島Gilbert Islandsタラワ環礁Tarawa atollベティオ島small island of Betio(英語版)(現:キリバス共和国)で行われた日本軍Imperial Japanese Forces守備隊Garrisonとアメリカ海兵隊US Marine Corpsとの戦闘である。
米軍US Armed Forcesはガルヴァニック作戦Operation Galvanicの一環として実施した作戦であり、近代戦史上初の正面からの水陸両用強襲作戦Amphibious warfareと言われている。
九五式軽戦車 Type 95 light tank
この戦いでアメリカ軍US Armed Forcesは多数の損害を出したため、“恐怖のタラワterrible Tarawa”もしくは“悲劇のタラワtragic Tarawa”と呼ばれた。
結果Result アメリカ軍US Armed Forcesの勝利victory
ソロモン諸島 Solomon
Islands
マーシャル諸島の戦い
Marshall Islands campaign
クェゼリン島の戦い Battle of Kwajalein
クェゼリン島の戦いBattle of Kwajaleinとは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)1月30日に、日本軍Imperial Japanese Forcesの守るクェゼリン環礁Kwajalein Atollへアメリカ軍US Armed Forcesが侵攻して行われた戦闘である。
アメリカ軍US Armed Forcesの作戦名はフリントロック作戦。
防衛態勢が整っていなかった日本軍Imperial Japanese Forcesは短期間の戦闘で全滅した一方、1943年(昭和18年)11月のタラワの戦いBattle
of Tarawaでの苦い教訓を学んだアメリカ軍US Armed Forcesは、クェゼリン環礁Kwajalein Atoll内の2つの要所にほぼ同時に上陸landingし、日本軍Imperial Japanese Forcesの抵抗を撥ね退けて勝利をものにした。
二式飛行艇(にしき・ひこうてい) Type 2 Flying Boat
また、アメリカ軍US Armed Forcesが日本の領土Imperial Japanese territoryを占領occupationしたのは、委任統治領mandatory territoryとはいえこれが初めてのことであり、日本本土Imperial Japan's mainlandへの飛び石作戦Island Hoppingを次の段階に進める上での重要な勝利となった。
日本軍Imperial Japanese Forcesが採った水際作戦shoreline operationは失敗に終わったものの、日本軍Imperial Japanese Forcesはこれを糧として、以後のグアムの戦いBattle of Guam、ペリリューの戦いBattle of Peleliu、硫黄島の戦いBattle of Iwo Jimaへと続く縦深防備defence in depthの強化に努めることとなる。
空母サラトガ Aircraft
carrier Saratoga
レキシントン級航空母艦Lexington class
aircraft carrierの2番艦Second ship
エニウェトクの戦い Battle of Eniwetok
エニウェトクの戦いBattle of Eniwetokは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)2月18日から2月23日にかけて戦われた日本軍Imperial Japanese Forcesとアメリカ軍US Armed Forcesのマーシャル諸島Marshall Islandsエニウェトク環礁Eniwetok Atollを巡る戦いの通称。
2月19日、「天皇陛下万歳Long live His
Majesty the Emperor」
バンザイ突撃Banzai charge
2月22日、エニウェトク環礁Eniwetok Atollの日本軍Imperial Japanese Forces玉砕honorable death。
結果Result アメリカ軍US Armed Forcesの勝利victory
戦艦テネシー Battleship
Tennessee
テネシー級戦艦Tennessee-class
battleshipの1番艦First ship
アメリカ軍US Armed Forcesの作戦名はキャッチポール作戦Operation Catchpole。
一連のギルバート・マーシャル諸島の戦いGilbert and Marshall Islands campaignにおいて事実上最後となる主要な戦闘であり、この戦いと支援作戦であるトラック島空襲Airstrike on Truk Island以後、マリアナ諸島Mariana Islandsより東の地域から日本Imperial Japanの航空兵力air forceと重要拠点Important baseとしての価値worthが一掃される事となった。
軽巡洋艦阿賀野(あがの) Light cruiser Agano
阿賀野型軽巡洋艦Agano-class light
cruiserの1番艦First ship
ソロモン諸島 Solomon
Islands
トラック島空襲 Airstrike on Truk Island
トラック島空襲Airstrike on Truk Islandは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)2月17日~18日にかけて、アメリカ軍US Armed Forces機動部隊Mobile Fleetが実施した日本軍Imperial Japanese Forcesの拠点Baseトラック島Truk Islandへの攻撃である。
アメリカ軍US Armed Forcesの作戦名はヘイルストーン作戦Operation Hailstoneで、エニウェトク環礁Eniwetok Atoll攻略を目的としたキャッチポール作戦Operation Catchpoleの支作戦であった。
軽巡洋艦那珂(なか) Light cruiser Naka
川内型軽巡洋艦Sendai-class Light
cruiserの3番艦Third ship
日本海軍Imperial Japanese Navyはトラック泊地Truk Harborを絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute national defense zoneの拠点Baseとして重視していたが、空襲Airstrikeで大打撃serious damageを受けることになった。
一連の空襲Airstrikeの被害を海軍丁事件(かいぐん・ていじけん)と呼称する。
TBFアヴェンジャー Grumman TBF Avenger
1944年(昭和19年)2月17日から18日のトラック島空襲Airstrike on Truk
Islandと、同2月23日のマリアナ諸島空襲Airstrike on Mariana Islandsにより日本軍Imperial Japanese Forcesは多数の艦船shipsと航空機aircraftを失い、大本営Imperial General Headquartersをはじめ各方面に大きな衝撃を与えた。
トラック島Truk Islandは無力化されたが、アメリカ軍US Armed Forcesは攻略にかかる手間を避けて進攻を行ったため、敵中で孤立したまま終戦The end of the warまで日本軍Imperial Japanese Forcesの拠点Baseとして残った。
SBDドーントレス Douglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy
ソロモン諸島 Solomon
Islands
サイパンの戦い Battle
of Saipan
サイパンの戦いBattle of Saipanは、太平洋戦争Pacific War中、1944年(昭和19年)6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍US Armed Forcesと日本軍Imperial Japanese Forcesのマリアナ諸島Mariana Islandsサイパン島Saipan Islandにおける戦闘Battle。
結果Result アメリカ軍US Armed Forcesの勝利victory
斎藤義次(さいとう・よしつぐ) Yoshitsugu Saito 中将Lieutenant General
斎藤義次(さいとう・よしつぐ)Yoshitsugu
Saito中将Lieutenant Generalが指揮commandする第43師団43rd Divisionを主力とした日本軍Imperial Japanese Forcesが守備defenseするサイパン島Saipan Islandに、ホランド・スミスHolland Smith中将Lieutenant General指揮commandのアメリカ軍US Armed Forces第2海兵師団2nd Marine Division、第4海兵師団4th Marine Division、第27歩兵師団(英語版)が上陸landingし、戦闘Battleの末に日本軍Imperial Japanese Forcesは全滅した。
このサイパンの戦いBattle of Saipanにともない、海上ではマリアナ沖海戦Naval battle off Mariana Islands(6月19日~20日)が発生した。
ホランド・スミス Holland Smith 中将Lieutenant General
1944年(昭和19年)2月、ギルバート・マーシャル諸島Gilbert and Marshall Islandsが相次いで陥落fall…
海軍Navyの根拠地baseであるトラック島Truk Islandも大空襲Great air raidを受けた…
絶対国防圏(ぜったい・こくぼうけん)Absolute
national defense zoneにあったマリアナ諸島Mariana Islandsには、中国大陸Chinese mainlandから兵力転用Diversion of troopsがなされたが、思うように進まなかった…
東条英機(とうじょう・ひでき) Hideki Tojo 内閣総理大臣Prime Minister
「サイパン島Saipan
Islandは強固な難攻不落の要塞Impregnable fortressである。
わが軍は必ず勝利victoryする!」
この頃、各地で必要な資材は絶対的に不足していた。
「毎日毎日、穴掘りばかりで…」
「まるで自分の墓を掘ってるようだ。」
1944年(昭和19年)6月15日、米軍US Armed Forcesは圧倒的兵力overwhelming forcesを投入し、サイパン島Saipan Islandに上陸landingを開始…
「突撃っ 前へ!」
「米軍US Armed Forcesを海に追い落とす!」
しかし米軍US Armed Forcesの激しい砲火gunfireに、日本軍Imperial Japanese Forces兵士soldierは、バタバタと倒れていった。
サイパンの戦い Battle of Saipan
豊田副武(とよだ・そえむ) Soemu Toyoda
連合艦隊司令長官Commander-in-Chief of the
Combined Fleet
米軍US Armed Forcesのマリアナ諸島Mariana Islands進攻Advanceを受け、連合艦隊Combined Fleetは米機動部隊US mobile unitとの一大決戦Big decisive battle「あ号作戦Operation A-Go」の準備を進めた。
「あ号作戦Operation
A-Go」は第一機動艦隊First Mobile Fleetを中心とした連合艦隊Combined Fleetの全力を挙げて出撃し空母戦力Aircraft carrier forceと基地機land-based aircraftの両方で米艦隊US Fleetの撃滅devastationを狙うというものだった。
ただ、せっかく温存し、訓練してきた基地航空隊land-based Air Corpsは小出しの出撃により激減…
また、肝心の空母部隊Aircraft carrier unitも搭乗員aircrewの練度proficiencyの低下Decreaseが危惧(きぐ)された…
サイパンの戦い Battle of Saipan
小沢治三郎(おざわ・じさぶろう) Jisaburo Ozawa
第一機動艦隊First Mobile Fleet司令長官Commander-in-Chief
しかし、第一機動艦隊First Mobile Fleetは、それでも米艦隊US Fleetを撃滅devastationする自信があった。
「彼我(かが)の戦力差を考慮したアウトレンジ戦法Outrange tacticsが有効である。」
アウトレンジ戦法Outrange tacticsとは、早期に敵を発見し、敵がこちらを攻撃できない遠方から攻撃隊を発進させるものである。
(米艦載機US Carrier-based aircraftは日本機Japanese aircraftよりも航続距離Cruising distanceが短かった。)
サイパンの戦い Battle of Saipan
レイモンド・スプルーアンス Raymond Spruance
米機動艦隊US Mobile Fleet司令長官Commander-in-Chief
「こちらは日本軍Imperial Japanese Forcesの出方を知っているのだよ。
全機、返り討ちにしてくれる。」
豊田副武(とよだ・そえむ) Soemu Toyoda
連合艦隊司令長官Commander-in-Chief
of the Combined Fleet
米軍US Armed Forcesがサイパン島Saipan Islandに進攻Advanceすると、豊田副武(とよだ・そえむ)Soemu Toyodaは「あ号作戦Operation A-Go」を発令…
第一機動艦隊First Mobile Fleetは、マリアナ諸島Mariana Islands方面Directionへと出撃sortieした。
マリアナ沖海戦
Naval battle off Mariana Islands
1944年(昭和19年)6月19日、
米機動部隊US mobile unitを発見した第一機動艦隊First Mobile Fleetは、攻撃隊を発進…
「マリアナ沖海戦Naval
battle off Mariana Islands」の開始である。
しかし、新兵器New
weapon(VT信管Variable-Time fuze)を投入した米軍US Armed Forcesの対空砲火Anti-aircraft fireとレーダーradarによる迎撃Interceptionで日本軍機Imperial Japanese military aircraftは次々と撃ち落とされる…
「まるで七面鳥Turkeyを撃ってるみたいだぜ!
目をつぶってても当たるぞ! Hit even if you
close your eyes!」
(マリアナの七面鳥撃ち Great Marianas Turkey Shoot)
また、米潜水艦US submarineの攻撃によって空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier
Shokaku、旗艦flagship空母大鳳(たいほう)Aircraft carrier Taihoも沈められてしまう。
空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku
空母大鳳(たいほう) Aircraft carrier Taiho
空母飛鷹(ひよう) Aircraft carrier Hiyo
1944年(昭和19年)6月20日のマリアナ沖海戦Naval battle off
Mariana Islandsで沈没sunk
翌6月20日、日本軍Imperial Japanese Forcesは再度攻撃を行うが、すでに作戦可能な攻撃機Attack aircraftはほとんどなく…
反対に、日本軍Imperial Japanese Forcesを捕捉した米機動部隊US mobile unitに痛撃severe attackを受けた。
結局、日本軍Imperial Japanese Forcesは敵enemy空母Aircraft
carrierに損害を与えることすらできず、「あ号作戦Operation A-Go」は終結…
この海軍Navyの敗北defeatにより、サイパン島Saipan Islandの救援reliefは、事実上不可能となった。
1944年(昭和19年)6月15日、米軍US Armed Forcesは圧倒的兵力Overwhelming forceを投入し、サイパン島Saipan Islandに上陸landingを開始…
米軍US Armed Forcesのサイパン島Saipan Island上陸landingから1週間…
日本軍Imperial Japanese Forcesはタポチョ山Mount Tapochauにこもって抵抗を続ける。
サイパン島Saipan Island
「無闇に近づくな。
日本軍Imperial Japanese Forcesはどこから出てくるか分からないぞ。」
日本軍Imperial Japanese Forcesは、洞窟caveなどを利用しつつ、不意に現れては攻撃し、すぐに姿を消した…
そして夜になると、奇襲surprise attackを繰り返す…
しかし、夜が明けると、仕返しだと言わんばかりに、そこかしこに大量の砲弾A large number of shellsが、雨のように降り注ぐ…
米軍US Armed Forcesは少しづつ前進し、7月に入ると日本軍Imperial Japanese Forcesは、いよいよ追い詰められた…
サイパンの戦い Battle of Saipan
斎藤義次(さいとう・よしつぐ) Yoshitsugu Saito 師団長division commander
「我々は悠久(ゆうきゅう)の大儀(たいぎ)に生きる。
全員、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けることのないように。」
斎藤義次(さいとう・よしつぐ)Yoshitsugu
Saito師団長division commanderは、そう言い残して、拳銃自殺Handgun suicideを遂げ…
残された兵士たちSoldiersは、最後のバンザイ突撃Banzai chargeを敢行Dare…
マッピ岬 Marpi
Point (バンザイクリフBanzai Cliff)
また、日本軍Imperial Japanese Forcesとともに、逃れてきた多くの民間人Civilianも…
サイパン島Saipan Island北端northern endのマッピ岬Marpi Point(バンザイクリフBanzai Cliff)から、次々と身を投げたthrow oneself。
サイパン島 Saipan Islandの玉砕(ぎょくさい) honorable death
サイパン島 Saipan Islandの玉砕(ぎょくさい) honorable death
1944年(昭和19年)7月上旬、サイパン島Saipan Islandは陥落fall…
8月2日 テニアン島Tinian Islandの日本軍玉砕honorable
death。
(テニアンの戦いBattle of Tinian)
8月11日 グアム島Guam Islandの日本軍玉砕honorable death。
(グアムの戦いBattle of Guam)
B-29スーパーフォートレスBoeing B-29
Superfortress
これにより、マリアナ諸島Mariana Islandsに爆撃機bomber B-29スーパーフォートレスBoeing B-29 Superfortressが進出…
日本本土Japanese mainlandは空襲Air raidに晒(さら)されることになる。
東条英機(とうじょう・ひでき) Hideki Tojo 内閣総理大臣Prime Minister
また、東条英機(とうじょう・ひでき)Hideki Tojoはサイパン島Saipan
Island陥落fallの責任を取って、首相Prime Ministerを辞任Resignationした。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman
九五式軽戦車 Type 95 light tank
九七式中戦車 Type 97 medium tank
零戦五二型(ぜろせん・ごー・にー・がた) Zero fighter Model 52
一式陸上攻撃機 Type 1 Land-based Attack Aircraft
銀河(ぎんが) Land-based Bomber Ginga
一式陸上攻撃機Type 1 Land-based
Attack Aircraftの後継機Successor
月光(げっこう) Moonlight 双発Twin-engine複座Two-Seat夜間戦闘機Night fighter
天山(てんざん) Heavenly Mountain 艦上攻撃機Carrier-borne Attack Aircraft
九七式艦上攻撃機Type 97 Carrier
Attack Aircraftの後継機Successor
彗星(すいせい) Comet 艦上爆撃機two-seat carrier-based dive bomber
九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomberの後継機Successor
彗星(すいせい) Comet 艦上爆撃機two-seat carrier-based dive bomber
九九式艦上爆撃機Type 99 Carrier Bomberの後継機Successor