9節 レイテ沖海戦
Battle of Leyte Gulf
戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi
マリアナ沖海戦Naval battle off
Mariana Islandsで、海軍Navyの航空戦力Air powerは著しく低下decreaseした。
航空機aircraftの生産productionは必死に進められたが、肝心の搭乗員aircrewは短期間で育成nurturingできるものではなかった。
フィリピンの戦い
Battle of the Philippines
1944年(昭和19年)10月~1945年(昭和20年)8月
1944年(昭和19年)秋autumn…
米軍US Armed Forcesの次なる目標targetは、フィリピンPhilippinesであった。
仮にフィリピンPhilippinesが占領occupationされると、南方資源地帯Southern resource areaとの航路sea routeが、完全に遮断interceptionされることになり、日本Imperial Japanは戦争warを遂行carry outすることが、極めて困難になる。
十・十空襲(じゅう・じゅう・くうしゅう)
(沖縄大空襲(おきなわ・だいくうしゅう))
1944年(昭和19年)10月10日
米軍US Armed ForcesはフィリピンPhilippines上陸landing前に、日本軍Imperial Japanese Forcesの航空戦力Air powerを潰しておく必要から、沖縄Okinawaおよび台湾Taiwanに大規模な空襲Air raidを実施した。
フィリピンの戦い Battle of the Philippines
台湾沖航空戦 Formosa Air Battle
1944年(昭和19年)10月12日~16日
日本軍Imperial Japanese Forcesも即座に対応し、大規模large-scaleな航空戦Aerial warfareが行われた。
「今こそ敵enemy機動部隊mobile unitを撃滅する好機が到来した!」
台湾沖航空戦(たいわんおき・こうくうせん)Formosa Air
Battleと呼ばれる、この戦いBattleで、大本営Imperial General Headquartersは大戦果War resultsを報じた。
小磯国昭(こいそ・くにあき) Kuniaki Koiso 内閣総理大臣Prime Minister
「勝利Victoryは我が頭上にあり!」
しかし、実際には、米軍US Armed Forcesの損害damageは皆無に等しく、日本Imperial Japanは貴重な航空戦力Air powerを、またも減らしてしまったのである。
フィリピン Philippines
レイテ島の戦い Battle of Leyte
レイテ島の戦いBattle of Leyteは、1944年(昭和19年)10月20日から終戦The end of the
warまでフィリピンPhilippines・レイテ島Leyte islandで行われた、日本軍Imperial Japanese Forcesとアメリカ軍US Armed Forcesの陸上戦闘land warfareである。
日本軍Imperial Japanese Forcesの当初の作戦では、ルソン島Luzone islandでは陸軍Armyが中心となって戦闘Battleするが、レイテ島Leyte islandを含む他の地域では海軍Navy及び航空部隊Aviation unitにより戦闘Battleする方針だった。
フィリピンPhilippinesへの帰還を果たしたマッカーサー元帥(10月20日)
Gen. Douglas MacArthur wades ashore
during initial landings at Leyte, Philippine Islands.
ところが台湾沖航空戦Formosa Air Battleで大戦果War resultsをあげたと信じた大本営Imperial General Headquartersは、フィリピン防衛Philippine
defenseを担当する第14方面軍司令官・山下奉文(やました・ともゆき)Tomoyuki
Yamashita大将generalの反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍Armyもレイテ島Leyte islandの防衛defenseに参加して迎え撃つこととした。
ルソン島Luzone islandに配備されるはずだった多くの陸軍部隊Army troopsがレイテ島Leyte islandへ送られ、連合軍Allied forcesは苦戦を強いられて、のちのルソン島Luzone island侵攻作戦に遅れが出ている。
約2ヶ月の戦闘Battleでレイテ島Leyte islandの日本軍Imperial Japanese Forcesは敗北defeatし、大半の将兵officers and soldiersが戦死Killed in actionする結果となったが、死者The deadの多くは餓死者Starving deadであった。
1944年(昭和19年)10月20日、米軍US Armed ForcesはフィリピンPhilippinesのレイテ島Leyte islandへ上陸landingを開始した。
レイテ島の戦いBattle of Leyteにあたり、陸軍Armyと海軍Navyでは考え方に相異があった。
「レイテ島Leyte islandが落ちれば、南方Southern航路sea routeは敵enemyの制空権Air superiority下となり、石油oilが手に入らなくなる。」
海軍Navyは、航路sea routeが遮断interceptionされれば、戦争warはできないため、ここで最終決戦final battleをすべきだと考えたが…
山下奉文(やました・ともゆき) Tomoyuki Yamashita 陸軍大将general
「従来から準備を進めてきたルソン島Luzone islandにおいて決戦Decisive Warfareすべきである」
陸軍Armyは、いまだ米軍US Armed Forcesと雌雄を決するような戦いは行っておらず、ここからが決戦Decisive Warfareだと考えていた。
結局、海軍Navyの主張が通り、ルソン島Luzone islandの兵力military forceが、レイテ島Leyte islandへ送り込まれたが、少なからぬ戦力war potentialが、輸送途中で沈められてしまう。
結果として、陸上戦力Land forceを小出しでレイテ島Leyte islandに送り込むという愚策stupid planを行ったことになる。
小磯国昭(こいそ・くにあき) Kuniaki Koiso 内閣総理大臣Prime Minister
「レイテ決戦Battle of Leyteは大東亜戦争Greater East Asia Warの天王山crucial pointである!」
政府Imperial Japanese Governmentはそう呼号claimしたが、戦局war situationは日増しに悪化の一途を辿った。
フィリピン Philippines
レイテ沖海戦 Battle of Leyte Gulf
レイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfは、太平洋戦争Pacific War中の1944年(昭和19年)10月20日から10月25日にかけて、フィリピンPhilippines周辺の広大な海域Sea areaを舞台にして、日本海軍Imperial Japanese Navyとアメリカ海軍US Navy及びオーストラリア海軍Australian
Navyの間で交わされた一連の海戦Naval Battleの総称である。
フィリピンPhilippines奪回Recaptureを目指して侵攻するアメリカ軍US Armed Forcesを、日本海軍Imperial Japanese Navyが総力を挙げて迎撃Interceptionする形で発生した。
レイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfという呼称は、アメリカ軍US Armed
Forcesが揚陸地点に定めた作戦上の要地であるレイテ湾Leyte Gulfに因んでいるが、戦争当時の日本Imperial Japanはフィリピン沖海戦Battle of off the Philippinesと呼んでおり、後にアメリカUSA側の呼称を採用した。
双方合わせて20万人以上の海上兵員Maritime troopsが参加し、日Japan米USA共に稼働艦艇Working shipsと航空機aircraftを総動員Total mobilizationした膨大な数の兵器が投入されている事から史上最大の海戦the largest naval battle in historyと称される事もある。
この6日間の海上戦役Maritime campaignは、シブヤン海海戦Battle of the Sibuyan Sea、スリガオ海峡海戦Battle of
Surigao Strait、エンガノ岬沖海戦Battle off Cape Engaño、サマール沖海戦Battle off Samarといった四つの海戦Naval Battleで構成されており、その他に基地航空部隊land-based air unitによる交戦Engagementも頻繁に行われていた。
神風特別攻撃隊 Divine Wind Special Attack Unit
また、神風特別攻撃隊Divine Wind Special Attack Unitが初めて組織的に運用されている。
連合艦隊Combined Fleetの残存戦力の全てnearly all
of its remaining major naval vesselsをつぎ込んだ決死の海上展開は「捷一号作戦(しょう・いちごう・さくせん)」として発動された。
日本海軍Imperial Japanese
Navyの艦隊戦力Fleet forceはこのレイテ沖海戦Battle of
Leyte Gulfを最後にして事実上消滅し、10月20日にレイテ島Leyte islandに上陸landingしたアメリカ軍US Armed ForcesのマッカーサーDouglas MacArthurは、10月25日に同島に司令部Headquartersを設置した。
海軍Navyは、レイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfにおいて、最後の決戦を行う覚悟だったが、先のマリアナ沖海戦Naval
battle off Mariana Islands・台湾沖航空戦Formosa Air Battleで、航空戦力Air powerは枯渇していた。
戦艦大和(やまと) Battleship Yamato
栗田健男(くりた・たけお) Takeo Kurita (安部徹) 提督Admiral
1944年(昭和19年)10月22日、戦艦大和(やまと)Battleship Yamatoはレイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfに参加するため第二艦隊(通称栗田艦隊(くりた・かんたい))第一戦隊旗艦flagshipとしてアメリカ軍US Armed Forces上陸船団Landing fleetの撃破を目指しブルネイBruneiを出撃した。
宇垣纏(うがき・まとめ) Matome Ugaki(高橋幸治)中将Lieutenant General
だが、10月23日早朝に栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)の旗艦flagship・重巡洋艦愛宕(あたご)Heavy cruiser AtagoがアメリカUSAの潜水艦submarineの雷撃torpedo attackで撃沈Sinkされたため、戦艦大和(やまと)Battleship Yamatoに座乗の第一戦隊司令官Commanderの宇垣纒(うがき・まとめ)(高橋幸治)中将Lieutenant Generalが一時指揮を執った。
夕方に栗田(くりた)中将Lieutenant General(安部徹)が移乗し第二艦隊旗艦flagshipとなったが、2つの司令部Headquartersが同居したため艦橋bridgeは重苦しい空気に包まれた。
サマール沖海戦 Battle off Samar
サマール島沖砲撃戦Battle off Samarの後、栗田栗田(くりた)長官(安部徹)は近隣にアメリカ機動部隊US mobile unitが存在するとの誤報misinformationを受けてレイテ湾Leyte Gulfに突入plungeすることなく反転Reversalを命じた。
10月28日、戦艦大和(やまと)Battleship YamatoはブルネイBruneiに到着した。
11月8日、多号作戦(たごう・さくせん)において連合軍Allied forces空軍Air Forceの注意をひきつけるためブルネイBruneiを出撃、11日に帰港したが特に戦闘は起きなかった。
B-24リベレイター Consolidated B-24 Liberator
アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces 1941年(昭和16年)
四発重爆撃機four-engine heavy bomber B-17と比べて、全ての面で上回っていた
11月16日、爆撃機Bomber B-24リベレーターConsolidated B-24 Liberator 15機の襲撃assaultに対し主砲main batteryで応戦、3機を撃墜Shoot downする。
同11月16日夕刻、戦艦Battleship 3隻(大和(やまと)、長門(ながと)、金剛(こんごう))、第十戦隊(軽巡洋艦矢矧(やはぎ)、駆逐艦浦風(うらかぜ)、雪風(ゆきかぜ)、磯風(いそかぜ)、浜風(はまかぜ))とともに内地mainlandに帰還Returnしたが、台湾Taiwan沖で戦艦金剛(こんごう)Battleship Kongoと駆逐艦浦風(うらかぜ)Destroyer UrakazeがアメリカUSAの潜水艦submarineの雷撃torpedo attackにより撃沈Sinkされることとなった。
戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi
そこで戦艦大和(やまと)Battleship Yamato、戦艦武蔵(むさし)Battleship Musashiをはじめとする水上艦艇Surface shipを敵enemy輸送船Transport shipがいるレイテ湾Leyte Gulfに突入plungeさせて、砲撃Bombardmentさせる作戦に出た。
1944年(昭和19年)10月23日、
栗田健男(くりた・たけお)Takeo Kurita(安部徹)提督Admiral率いる第一遊撃部隊(ゆうげき・ぶたい)はブルネイBruneiを出港してレイテ湾Leyte Gulfを目指す。
栗田健男(くりた・たけお) Takeo Kurita (安部徹) 提督Admiral
1944年(昭和19年)10月、日本Imperial Japanは捷一号作戦(しょう・いちごう・さくせん)を発動し、栗田(くりた)(安部徹)はレイテ沖海戦Battle of
Leyte Gulfで第一遊撃部隊(ゆうげき・ぶたい)を指揮する。
栗田(くりた)(安部徹)に課せられた作戦内容は、戦艦大和(やまと)Battleship Yamato・戦艦武蔵(むさし)Battleship Musashiを含む戦艦Battleship 7隻を指揮する栗田(くりた)(安部徹)の第一遊撃隊(ゆうげきたい)がレイテ湾Leyte Gulfに突入plungeし、砲撃Bombardmentによって、兵員・物資を揚陸中の米攻略部隊を撃滅すること。
第二遊撃隊(志摩清英中将指揮)は栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)を支援し、空母Aircraft carrier機動部隊Mobile Unit/Force(小沢治三郎(おざわ・じさぶろう)(丹波哲郎)中将指揮)が米機動部隊US Mobile Unit/Forceを北方へおびき寄せて敵の航空戦力Air powerを削ぐとしていた。
小沢治三郎(おざわ・じさぶろう) Jisaburo Ozawa (丹波哲郎)中将Lieutenant General
第一機動艦隊First Mobile Fleet司令長官Commander-in-Chief
しかし、栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)は、潜水艦submarineの襲撃assault、同レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfにおけるシブヤン海海戦Battle of
the Sibuyan Seaを経て艦隊Fleetは大損害heavy damageを受けた。
10月24日に旗艦flagshipである重巡洋艦愛宕(あたご)Heavy cruiser Atagoが潜水艦submarine雷撃torpedo attackで沈没Sinkし、栗田(くりた)(安部徹)は第二艦隊司令部を「戦艦大和(やまと)Battleship Yamato」に移した。
石田恒夫(大和主計長)によれば、移乗してきた時から重苦しい雰囲気だったという。
続くサマール沖海戦Battle off Samarで敵enemy機動部隊Mobile Unit/Forceの内一つを撃滅したと判断し、再度レイテ湾Leyte Gulf突入plungeに向かうが、「ヤキ1カ」の地点にいる敵enemy機動部隊Mobile Unit/Forceを撃つとして反転Reversal。
結局作戦目的Operational purposeを果たせず帰投return to baseした。
この反転Reversalはのちに問題視problematizingされ、「謎の反転Reversal of the mystery」「栗田ターン」などと呼ばれていた。
フィリピンの戦い Battle of the Philippines
重巡洋艦愛宕(あたご) Heavy cruiser Atago
高雄型重巡洋艦Takao-class heavy cruisers 2番艦Second ship
戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi
途中、米潜水艦US submarineによって旗艦flagship重巡洋艦愛宕(あたご)Heavy cruiser Atagoを沈められ、シブヤン海Sibuyan
Seaでは、米艦載機US Carrier-based aircraftの空襲Air raidによって戦艦武蔵(むさし)Battleship
Musashiを失ったが…
豊田副武(とよだ・そえむ) Soemu Toyoda (田崎潤)
連合艦隊司令長官Commander-in-Chief of the Combined Fleet
軽巡洋艦大淀(おおよど) Light cruiser Oyodo
1944年(昭和19年)5月上旬より連合艦隊Combined Fleet旗艦flagshipとなり、豊田副武(とよだ・そえむ) Soemu Toyoda(田崎潤)司令長官Commander-in-Chiefが座乗する。
当初は大淀(おおよど)が艦隊Fleet旗艦flagshipの予定であったが、小沢治三郎(おざわ・じさぶろう) Jisaburo Ozawa (丹波哲郎)中将Lieutenant Generalが「やはり機動部隊Mobile Unit/Forceと名前がつくからには空母瑞鶴(ずいかく) Aircraft carrier Zuikakuに乗ってやろう」と決めた為、空母瑞鶴(ずいかく)が旗艦flagshipとなったという。
空母瑞鶴(ずいかく) Aircraft carrier Zuikaku
翔鶴型航空母艦Shokaku-class
aircraft carrierの2番艦Second ship。
10月20日、瑞鶴(ずいかく)は小沢治三郎(おざわ・じさぶろう)(丹波哲郎)中将が指揮する第一機動艦隊First Mobile
Fleet(第三艦隊)の旗艦flagshipとして本土main landを離れ、フィリピンPhilippines北東へ進出した。
1944年(昭和19年)10月25日にエンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで沈没sunk。
小沢治三郎(おざわ・じさぶろう) Jisaburo Ozawa (丹波哲郎)中将Lieutenant General
第一機動艦隊First Mobile Fleet司令長官Commander-in-Chief
囮(おとり)decoyとして出撃した小沢治三郎(おざわ・じさぶろう)Jisaburo Ozawa(丹波哲郎)中将率いる機動部隊Mobile Unit/Forceが、米機動部隊US Mobile
Unit/Forceをおびき出すことに成功…
栗田健男(くりた・たけお) Takeo Kurita (安部徹) 提督Admiral
小沢艦隊(おざわ・かんたい)(丹波哲郎)が米機動部隊US Mobile Unit/Forceと戦闘Battleを繰り広げていたその頃、栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)はレイテ湾Leyte Gulfの目前まで迫った。
米軍US Armed Forces側も、日本軍Imperial Japanese
Forcesの動きを完全に掌握していたわけではなく、栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)接近の報を受けるとパニックpanicに陥った。
ウィリアム・ハルゼー・ジュニア William Halsey
Jr. 提督admiral
米機動部隊US Mobile Unit/Force司令官Commander 提督admiral
しかし、この時、すでに多くの損害damageを被っていた栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)も、このままレイテ湾Leyte Gulfに突入するか、判断decisionを迷っていた。
「我々が激しい訓練Trainingを続けてきたのは、敵enemyの軍艦Warshipと戦うため…
敵enemyの輸送船Transport shipを叩くため、全滅annihilationの危険Dangerをおかす価値worthがあるのか…」
迷いつつも南下する栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)はサマール島Samar island沖に差しかかったところで、敵enemyの空母aircraft carrier群を発見した。
「敵enemy空母aircraft carrier発見!
艦載機Carrier-based
aircraftが発艦Departureしています!」
「全艦、米機動部隊US Mobile Unit/Forceに向けて突撃charge!」
以前は花形だった戦艦Battleshipも、空母aircraft carrierにその座を取って代わられ、太平洋戦争Pacific Warでは活躍する機会がほとんどなかったのである。
栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)が発見した米艦隊US Fleetは護衛空母Escort carrier群であった。
そもそも空母aircraft carrierに砲撃戦bombardment warなど不可能なため米艦隊US Fleetはひたすら迷走をはかる。
この海戦Naval Battleで栗田艦隊(くりた・かんたい)(安部徹)は敵enemy空母aircraft carrier 1隻を沈める戦果を挙げるも、貴重な時間を浪費してしまった。
栗田健男(くりた・たけお) Takeo Kurita (安部徹) 提督Admiral
「…残念だが反転Reversal帰投return to baseする」
栗田(くりた)(安部徹)はレイテ湾Leyte Gulfからの反転Reversalを決断decision…
連合艦隊Combined Fleet最後の決戦Final battleは、不完全燃焼Incomplete combustionのまま幕を閉じ、レイテ島Leyte islandの地上戦Ground battleに寄与することなく終わった。
特攻 Special attack 神風特別攻撃隊
Divine Wind Special Attack Unit
海軍Navyの水上部隊Water squadronの戦いBattleは終わったが、航空部隊Aviation unitの戦いBattleはまだここからだった。
大西瀧治郎(おおにし・たきじろう) Takijiro Onishi 中将Lieutenant General
「これより特攻作戦Special attack operationを開始する。」
大西(おおにし)Onishiは自ら、「統帥(とうすい)Commanderの外道(げどう)heresy」と言いつつ、搭乗員pilotsに対して決して生きて帰ってこれない作戦operationを命じた。
航空機aircraftを敵enemy艦船Shipに突入plungeさせる、特攻Special attackの始まりである。
フィリピン戦Battle of the
Philippinesでは「敷島(しきしま)隊」「大和(やまと)隊」「朝日(あさひ)隊」「山桜(やまざくら)隊」が編成Organizationされ、敵enemy艦隊fleetに突入plungeした。
地上では連日、血みどろの死闘Deathfightが繰り広げられた。
日本軍Imperial Japanese Forcesは次々と増援部隊reinforcementsを投入するが、米軍US Armed Forcesの火力Firepowerの前には太刀打ちできず、やがて戦線Frontが崩壊した。
敗残部隊Defeated troopsは北部の山岳地帯Mountainous areaに逃げ込み、以降、終戦The end of the
warまでゲリラ戦Guerrilla warfareを展開する。
こうして「決戦Decisive Warfare」と呼号claimした作戦operation(捷一号作戦(しょういちごう・さくせん))もまた敗北defeatに終わり、日本の敗勢Japan's
defeatは誰の目にも明らかになりつつあった。
フィリピンの戦い
Battle of the Philippines
1944年(昭和19年)10月~1945年(昭和20年)8月
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで連合艦隊Combined Fleetが壊滅devastationした事で、日本軍Imperial Japanese Forcesは完全に補給Supplyを断たれ、レイテ島Leyte island 10万、ルソン島Luzone island 25万に取り残された形となり、1945年(昭和20年)6月までの戦闘Battleで主力部隊main‐force unitsが壊滅devastationした以降はジャングルjungleを彷徨いながら散発的な戦闘Battleを続けるだけとなった。
餓死 starvation
多くが餓死starvationし、マラリアMalariaなどの伝染病communicable diseaseや戦傷Wounded in actionの悪化exacerbationにより死んでいった。
フィリピン進攻Advance to the
Philippines以降のフィリピンの戦い
Battle of the Philippinesでの日本軍Imperial Japanese Forcesの戦死者Killed in action(戦病死者War deadを含む)は日本軍Imperial Japanese Forcesが太平洋戦争Pacific Warで戦った全戦線において最も多い。
補給Supplyが断たれた日本軍Imperial Japanese Forcesは、飢えHungerに苦しみ、日本軍Imperial Japanese Forces戦死者war deadのうち、約80%が餓死starvation・病死Death from illness・自殺suicideと推定されている。
連合艦隊 Imperial Navy 1981年(昭和56年)8月8日 東宝映画
戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi
戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi
1944年(昭和19年)10月24日、シブヤン海海戦Battle of
the Sibuyan Seaで沈没sunk
戦艦扶桑(ふそう) Battleship Fuso
1944年(昭和19年)10月25日、スリガオ海峡海戦Battle of Surigao
Straitで、雷撃torpedo attackされ沈没sunk
戦艦山城(やましろ) Battleship Yamashiro
1944年(昭和19年)10月25日、スリガオ海峡海戦Battle of
Surigao Straitで、沈没sunk
空母瑞鶴(ずいかく) Aircraft carrier Zuikaku
1944年(昭和19年)10月25日、エンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで、沈没sunk
軽空母瑞鳳(ずいほう) Light aircraft carrier Zuiho
1944年(昭和19年)10月25日、エンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで、沈没sunk
空母千歳(ちとせ) Aircraft carrier Chitose
1944年(昭和19年)10月25日、エンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで、沈没sunk
空母千代田(ちよだ) Aircraft carrier Chiyoda
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、沈没sunk
重巡洋艦愛宕(あたご) Heavy cruiser Atago
1944年(昭和19年)10月23日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、アメリカUSAの潜水艦ダーターSubmarine Darterの雷撃torpedo attackで沈没Sunk
潜水艦ダーター Submarine Darter
重巡洋艦摩耶(まや) Heavy cruiser Maya
1944年(昭和19年)10月23日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、アメリカUSAの潜水艦デイスSubmarine Daceの雷撃torpedo attackで沈没Sunk
潜水艦デイス Submarine Dace
重巡洋艦鳥海(ちょうかい) Heavy cruiser Chokai
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、沈没sunk
重巡洋艦最上(もがみ) Heavy cruiser Mogami
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、大破Wreck、雷撃処分torpedo attack
重巡洋艦鈴谷(すずや) Heavy cruiser Suzuya
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、戦没Killed in action
重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、沈没sunk
軽巡洋艦能代(のしろ) Light cruiser Noshiro
1944年(昭和19年)10月26日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、沈没sunk
軽巡洋艦多摩(たま) Light cruiser Tama
1944年(昭和19年)10月25日、エンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで、戦没Killed in action
軽巡洋艦阿武隈(あぶくま) Light cruiser Abukuma
1944年(昭和19年)10月26日、でスリガオ海峡海戦Battle of
Surigao Strait、沈没sunk
軽巡洋艦鬼怒(きぬ) Light cruiser Kinu
1944年(昭和19年)10月26日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、沈没sunk
駆逐艦野分(のわき) Destroyer Nowaki
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、戦没Killed in action
駆逐艦藤波(ふじなみ) Destroyer Fujinami
1944年(昭和19年)10月26日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、戦没Killed in action
駆逐艦早霜(はやしも) Destroyer Hayashimo
1944年(昭和19年)10月26日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、座礁Grounding
駆逐隊朝雲(あさぐも) Destroyer Asagumo
1944年(昭和19年)10月25日、スリガオ海峡海戦Battle of Surigao
Straitで、沈没sunk
駆逐隊山雲(やまぐも) Destroyer Yamagumo
1944年(昭和19年)10月25日、スリガオ海峡海戦Battle of
Surigao Straitで、戦没Killed in action
駆逐艦満潮(みちしお) Destroyer Michishio
1944年(昭和19年)10月25日、スリガオ海峡海戦Battle of
Surigao Straitで、沈没sunk
駆逐艦初月(はつづき) Destroyer Hatsuzuki
1944年(昭和19年)10月25日、エンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで、沈没sunk
駆逐艦秋月(あきづき) Destroyer Akizuki
1944年(昭和19年)10月25日、エンガノ岬沖海戦Battle off
Cape Engañoで、沈没sunk
駆逐隊若葉(わかば) Destroyer Wakaba
1944年(昭和19年)10月24日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、沈没sunk
駆逐艦不知火(しらぬい) Destroyer Shiranui
1944年(昭和19年)10月27日、シブヤン海海戦Battle of
the Sibuyan Seaで沈没sunk
駆逐艦浦波(うらなみ) Destroyer Uranami
1944年(昭和19年)10月26日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、戦没Killed in action
伊号第二十六潜水艦 Submarine I-26
1944年(昭和19年)10月26日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、戦没Killed in action
伊号第四十五潜水艦 Submarine I-45
1944年(昭和19年)10月28日、レイテ島Leyte island東方で米US護衛駆逐艦エヴァソールDestroyer escort Eversoleを撃沈attack and sinkするが、米US護衛駆逐艦ホワイトハーストDestroyer escort Whitehurstを受け沈没sunk
護衛駆逐艦エヴァソール Destroyer escort Eversole
伊号第四十五潜水艦 Submarine I-45
護衛駆逐艦ホワイトハースト Destroyer escort Whitehurst
伊号第五十四潜水艦 Submarine I-54
1944年(昭和19年)10月28日、米US駆逐艦グリッドレイDestroyer Gridleyと米US護衛駆逐艦ヘルムDestroyer escort Helmが伊号第五十四潜水艦Submarine I-54を発見し、爆雷攻撃Depth charge attackで撃沈attack and sink
駆逐艦グリッドレイ Destroyer Gridley
護衛駆逐艦ヘルム Destroyer escort Helm
戦艦金剛(こんごう) Battleship Kongo
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return時の1944年(昭和19年)11月21日、アメリカ軍US Armed
Forcesの攻撃attackにより沈没sunk
重巡洋艦熊野(くまの) Heavy cruiser Kumano
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return時の1944年(昭和19年)11月25日、アメリカ軍US Armed
Forcesの攻撃attackにより沈没sunk
駆逐艦浦風(うらかぜ) Destroyer Urakaze
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return時の1944年(昭和19年)11月21日、アメリカ軍US Armed
Forcesの攻撃attackにより沈没sunk
重巡洋艦那智(なち) Heavy cruiser Nachi
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月5日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦島風(しまかぜ) Destroyer Shimakaze
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月11日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦若月(わかつき) Destroyer Wakatsuki
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月11日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦長波(ながなみ) Destroyer Naganami
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月11日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦浜波(はまなみ) Destroyer Hamanami
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月11日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐隊初春(はつはる) Destroyer Hatsuharu
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月13日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦沖波(おきなみ) Destroyer Okinami
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月13日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦秋霜(あきしも) Destroyer Akishimo
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月14日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦曙(あけぼの) Destroyer Akebono
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)11月14日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦桑(くわ) Destroyer Kuwa
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)12月3日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
駆逐艦岸波(きしなみ) Destroyer Kishinami
レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulf参加後の内地帰還Inland return前にマニラ湾Manila Bayに進出し、レイテ島Leyte islandへの増援輸送作戦多号作戦(たごう・さくせん)などに投入され、1944年(昭和19年)12月4日、レイテ島Leyte islandを巡る攻防で戦没Killed in action
重巡洋艦高雄(たかお) Heavy cruiser Takao
1944年(昭和19年)10月20日~10月25日のレイテ沖海戦Battle of
Leyte Gulfで損傷damage
重巡洋艦妙高(みょうこう) Heavy cruiser Myoko
1944年(昭和19年)10月20日~10月25日のレイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfで損傷damage
重巡洋艦青葉(あおば) Heavy cruiser Aoba
1944年(昭和19年)10月20日~10月25日のレイテ沖海戦Battle of
Leyte Gulfで損傷damage
駆逐隊初霜(はつしも) Destroyer Hatsushimo
1944年(昭和19年)10月20日~10月25日のレイテ沖海戦Battle of
Leyte Gulfで損傷damage
駆逐艦浜風(はまかぜ) Destroyer Hamakaze
1944年(昭和19年)10月20日~10月25日のレイテ沖海戦Battle of
Leyte Gulfで損傷damage
軽空母プリンストン Light aircraft carrier Princeton
1944年(昭和19年)10月24日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、沈没sunk
護衛空母ガンビア・ベイ Escort carrier
Gambier Bay
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、戦没Killed in action
護衛空母セント・ロー Escort carrier St.
Lo
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、戦没Killed in action
特攻攻撃Special attackで沈んだ最初の船となった
駆逐艦ホーエル Destroyer Hoel
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、戦没Killed in action
駆逐艦ジョンストン Destroyer Johnston
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、沈没sunk
護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ Destroyer Escort
Samuel B. Roberts
1944年(昭和19年)10月25日、サマール沖海戦Battle off
Samarで、戦没Killed in action
護衛空母サンガモン Escort carrier
Sangamon
護衛空母サンガモン Escort carrier
Sangamon
1944年(昭和19年)10月19日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
護衛空母ファンショウ・ベイ Escort carrier Fanshaw Bay
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
護衛空母カリニン・ベイ Escort carrier Kalinin Bay
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
護衛空母キトカン・ベイ Escort carrier Kitkun Bay
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
護衛空母ホワイト・プレインズ Escort carrier White Plains
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
護衛空母サンティー Escort carrier Santee
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfで、航空特攻Aviation special attackによる損傷damage
護衛空母スワニー Escort carrier Suwannee
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte
Gulfで、航空特攻Aviation special attackによる損傷damage
軽巡洋艦ホノルル Light Cruiser Honolulu
1944年(昭和19年)10月20日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
軽巡洋艦バーミングハム Light Cruiser Birmingham
1944年(昭和19年)10月24日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
駆逐艦ロス Destroyer Ross
1944年(昭和19年)10月19日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
駆逐艦オーリック Destroyer Aulick
1944年(昭和19年)10月19日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
駆逐艦ベニオン Destroyer Bennion
1944年(昭和19年)10月20日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
駆逐艦アルバート・W・グラント Destroyer Albert
W. Grant
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage
護衛駆逐艦デニス Destroyer Escort Dennis
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦Battle of Leyte Gulfで、損傷damage