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2021年7月31日土曜日

 7 ガダルカナル島の戦い

Battle of Guadalcanal

襲撃を受け荷揚げに失敗した輸送船Transport鬼怒川丸(きぬがわ・まる)Kinugawa Maru

Transport Kinugawa Maru beached at Guadalcanal in November 1942.

ソロモン諸島 Solomon Islands

珊瑚海海戦 Battle of the Coral Sea 1942年(昭和17年)57

ラバウル Rabaul

オーエン・スタンレー山脈 Owen Stanley Range

オーエン・スタンレー山脈 Owen Stanley Range

1942年(昭和17年)5月の珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaの結果、海路Sea routeでのポートモレスビーPort Moresby攻略captureは断念せざるを得なくなった。

そこで陸路land routeでの攻略captureが開始された。

攻撃attackを行うのは陸軍Imperial Japanese Army南海支隊South Seas Detachment

支隊長Captain掘井富太郎(ほりい・とみたろう)Tomitaro Horii少将Major Generalである。

掘井富太郎(ほりい・とみたろう) Tomitaro Horii 少将Major General

南海支隊South Seas Detachment標高elevation 3,000mClassオーエン・スタンレー山脈Owen Stanley Rangeを越えて行かねばならなかった。

食糧provisions弾薬ammunition輸送transport人力Human powerに頼っての行軍Marchである。

道らしい道もなく足を滑らせて命を落とす者もあったが

1か月におよぶ苦しい行軍Marchの末ようやく山脈Mountain rangeを越えた南海支隊South Seas DetachmentポートモレスビーPort Moresbyが見えるイオリバイワIoribaiwaまで到達

ところが、残りわずか40kmの地点で南海支隊South Seas Detachment補給難supply difficultiesに陥ってしまう。

南海支隊South Seas Detachmentは再びMountainを越えてブナBuna地区districtへと後退retreatしていく。

その後ろから米豪軍U.S. Australian Army追撃戦pursuit battleをしかける。

南海支隊South Seas Detachmentはほとんど全滅annihilationという損害damageを出して終わった。

ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign

ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign


ポートモレスビー作戦

Port Moresby Campaign

1942年(昭和17年)37日〜1943年(昭和18年)123

第二次世界大戦World War II中のニューギニア戦線New Guinea Campaignにおいて、日本軍Imperial Japanese Forces連合国軍Allied forcesとがポートモレスビーPort Moresbyの支配を巡って行った戦闘Battle

当時はスタンレー作戦Stanley Campaignと呼ばれ、連合軍Allied forces側の名称を和訳して、前半をココダ道の戦いKokoda Track campaign、後半をブナとゴナの戦いBattle of Buna-Gonaとも呼ぶ。

ブナBuna日本軍Imperial Japanese Forcesを攻撃する連合軍Allied forcesM3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart1943年(昭和18年)12

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart

イオリバイワIoribaiwaを奪還したオーストラリア第25旅団

ソロモン諸島 Solomon Islands

フロリダ諸島 Florida Islands

一方、ソロモン諸島Solomon Islands方面Directionでは、日本軍Imperial Japanese Forcesの予想を上回る早さで、連合軍Allied forces反抗Counterattack作戦が開始された。

日本軍Imperial Japanese Forcesソロモン諸島Solomon Islands東端East endガダルカナル島Guadalcanal Islandヘンダーソン飛行場Henderson Airfield建設constructionを進めていた。

米豪連絡線communication lines between Australia and the United States遮断cutを目的としその拠点Baseとするためである。

しかしヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldの完成直前に米海兵隊United States Marine Corps上陸landingし、

わずかな守備隊Garrisonしかいなかった日本軍Imperial Japanese Forces蹴散らroutされた。

海軍Navyが勝手に手を出したIslandになぜ陸軍Armyがこれ以上兵力military forceを割かねばならんのですかな?」

米軍US Armed Forces制空権Air superiorityを与えるわけにはいきません。

ガダルカナルGuadalcanal飛行場Airfieldは絶対に必要です。」

奪還recover作戦のためになんとか力添えを

「仕方がない。」

ミッドウェー島Midway Atoll攻略captureにあてるはずだった一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentを送るとしよう。」

一個連隊One regimentもあれば十分でしょうな。」

陸海軍Army and Navyとも敵の本格的な反攻Full-scale counterattackとは考えず、たいして偵察reconnaissanceもされないまま部隊troop派遣Dispatchが決定された。

一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentは約2,000人の兵力military force駆逐艦Destroyer輸送船Transport shipに分乗させて出発

1942年(昭和17年)818日、先遣隊Advance corpsの約900名がガダルカナル島Guadalcanal Islandタイボ岬Taivo Promontory上陸landingした。

米兵U.S. soldiersなんざ一発脅せば逃げ出すぞ。」

フィリピンPhilippinesじゃ山の中で震えてたらしいからな。」

一木清直(いちき・きよなお) Kiyonao Ichiki 大佐Colonel

「向こうの戦力はわずかだ。

わが部隊の敵ではない。

一気に落とすぞ!」

しかし、米軍US Armed Forcesはすでに日本軍Imperial Japanese Forcesの行動をつかみ、ヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldの手前のイル川Ilu River防衛線Defense lineを張って、待ち構えていた

米軍US Armed Forcesの激しい銃火gunfire一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentは、全滅annihilationに近い損害damageを出し、作戦operation失敗Failureに終わった。

「もはや、これまでかIt's all over with me.

一木(いちき)大佐Colonel自決Self-determination

フロリダ諸島 Florida Islands

イル川渡河戦 Battle of the Ilu River

イル川渡河戦(とかせん)Battle of the Ilu Riverは、第二次世界大戦World War II中の1942年(昭和17年)821日、ガダルカナル島Guadalcanal Islandにおいて日本軍Imperial Japanese Forcesアメリカ合衆国海兵隊US Marine Corpsを主力とする連合国軍Allied forcesとの間に起きた陸上戦闘Land combat

テナルの戦いBattle of the Tenaruアリゲーター・クリークの戦いBattle of Alligator Creekとも呼ばれ、ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalにおける日本軍Imperial Japanese Forces最初の大規模反攻Counterattackでもあった。

陽炎(かげろう) Destroyer Kagero

陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class destroyers 1番艦Lead ship


米海兵隊US Marine Corps第一海兵師団1st Marine Divisionは、1942年(昭和17年)87ガダルカナル島Guadalcanal Island上陸Landingし、ルンガ岬Lunga Point日本軍Imperial Japanese Forcesが建設中であったヘンダーソン飛行場Henderson Field奪取Captureしてこの防衛defenseにあたっていた。

日本軍Imperial Japanese Forcesガダルカナル島Guadalcanal Island守備隊Garrison飛行場Airfield西側のマタニカウ川Matanikau Riverに撤退して海軍本部Marine Headquartersを設置した。

日本軍Imperial Japanese Forces上層部Upper echelon第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Sea以降の基地航空部隊land-based air unitの誤認や誤報等によりガダルカナル島Guadalcanal Island奪回Recaptureを極めて楽観的しており、従来どおりポートモレスビー作戦Kokoda Track campaignを重要視していた。

駆逐艦嵐(あらし) Destroyer Arashi

陽炎型駆逐艦(かげろうがた)Kagero-class destroyers16番艦16th ship


一方、ヘンダーソン飛行場Henderson Field奪還Recaptureと、ガダルカナル島Guadalcanal Islandからの連合軍Allied forces一掃のため、先発隊advance partyとして横須賀鎮守府第五特別陸戦隊(司令安田義達海軍大佐)と一木清直(いちき・きよなお)Kiyonao Ichiki陸軍大佐Army Colonel率いる一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentが投入された。

一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance corps(第1梯団(ていだん)、916名)と後続部隊reinforcements(第2梯団、約1500名)に分割された、一木(いちき)大佐Colonel直率の先遣隊Advance corps陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class destroyers 6隻に分乗して1942年(昭和17年)816日にトラックTruk泊地(はくち)harbor/anchorageを出発。

1942年(昭和17年)819日未明にガダルカナル島Guadalcanal Islandタイボ岬Taivo Promontory(飛行場の東側約35km地点)に上陸Landingした。

このときガダルカナル島Guadalcanal Island全体の連合軍Allied forces側戦力は約11,000名であったが、日本軍Imperial Japanese Forces側はこれを2,000名程度と少なく見積もっていた。

F4Fワイルドキャット Grumman F4F Wildcat アメリカ海軍US Navy


一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance corps攻撃直前の1942年(昭和17年)820日、ヘンダーソン飛行場Henderson Field戦闘機Fighter aircraft急降下爆撃機Dive bomber、計31機が進出した。

820日、ヘンダーソン飛行場Henderson Field米海兵隊US Marine CorpsF4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat 19機とSBDドーントレスDouglas SBD Dauntless 12機が到着して航空基地Air baseとしての機能がスタートした。

後に空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise空母サラトガAircraft carrier Saratoga空母ワスプAircraft carrier Wasp艦載機Carrier-based aircraftパイロットPilot母艦Mother ship戦闘Battleで損傷し、修理のため使用できない間はヘンダーソン飛行場Henderson Fieldから出撃した。

SBDドーントレス Douglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy


1942年(昭和17年)820日深夜、タイボ岬Taivo Promontoryから西進をつづけていた一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance corpsルンガ岬Lunga Point東部のイル川Ilu River(米軍呼称:アリゲーター・クリークAlligator Creek)西岸に陣を構えていた米海兵隊US Marine Corpsに遭遇する。

821日未明から戦闘Battleが始まったが、兵数number of soldiers火力Firepowerに圧倒的な差があり一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment多大な損害severe lossを被った。

さらに米海兵隊US Marine Corpsは夜明けを待ってM3スチュアートM3 Stuart軽戦車Light tankを投入し、残存日本兵Japanese soldier包囲殲滅Surround and annihilationした。

821日午後、一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance corps壊滅devastationした。

このイル川渡河戦(とかせん)Battle of the Ilu River916名いた一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance corpsのうち日本側記録777名が戦死Killed in action、生き残ったのは後方に待機していた約100名を含む128名だけであった。

指揮官Commander一木(いちき)Ichiki大佐Colonel死亡Self-determinationしたが、最後の状況については諸説あり定かではない。

M3軽戦車スチュアート Light Tank M3 Stuart 12.9 metric tons 米陸軍US Army

ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalニューギニアの戦いNew Guinea Campaignなどで活躍した。


日本軍Imperial Japanese Forcesガダルカナル島Guadalcanal Island奪回Recapture作戦を「少数の陸軍部隊で容易に実現できる」と考えていた。

だが820日のヘンダーソン飛行場Henderson Field使用開始により、ガダルカナル島Guadalcanal Island周辺の制空権Air superiorityを掌握されてしまう。

つづく一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance corpsの大損害により、ヘンダーソン飛行場Henderson Field奪回Recaptureの見込みが立たなくなった。

日本軍Imperial Japanese Forcesガダルカナル島Guadalcanal Island連合軍Allied forces戦力war potentialが当初の想定を超える規模であることを認識し、ヘンダーソン飛行場Henderson Field奪還Recaptureのため逐次部隊を送り込んでいったものの第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで低速の輸送船団convoy of transport ships空襲air strikeをうけて撃退され、一木師団第二梯団の上陸Landingは中止された。

このあと、日本軍Imperial Japanese Forcesガダルカナル島Guadalcanal Island輸送transport駆逐艦Destroyerによる鼠輸送(ねずみ・ゆそう)(東京急行Tokyo Express)に頼らざるを得なくなった

一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment全滅annihilationの報を受けた大本営Imperial General Headquartersは、重火器heavy firearmsなどの準備不足Lack of preparationが原因と判断し、改めて川口(かわぐち)Kawaguchi支隊(したい)Detachment再攻撃Re-attackを命ずる。

川口清健(かわぐち・きよたけ) Kiyotake Kawaguchi

川口(かわぐち)Kawaguchi支隊(したい)Detachmentジャングルjungleを踏破し内陸inland側から飛行場Airfieldを攻める作戦をとった。

米軍US Armed Forcesジャングルjungle内に集音マイクSound collecting microphoneを仕掛け日本軍Imperial Japanese Forces接近approachを事前に察知していた。

そんな中、攻撃の脇をすり抜けて、田村大隊(たむら・だいたい)Tamura battalion飛行場Airfieldに到達

しかし、後が続かず、夜が明けてしまった。

見通しのいい飛行場Airfieldでは格好の射撃目標Shooting targetとなるだけだった。

こうしてガダルカナル島Guadalcanal Island飛行場Airfield奪還作戦Recapture strategyはまたも失敗に終わった。

ガダルカナル島Guadalcanal Islandには日本Imperial Japan前進拠点Advance baseであったラバウルRabaulから補給物資suppliesを送る必要があり、周辺の海域Sea areaでは、日米間Between Japan and the United Statesで幾度も戦闘Battleが勃発し、多数の艦船vesselsが沈んだ

そこから、この海域Sea areaは「鉄底海峡(てってい・かいきょう)Ironbottom Sound」と呼ばれる。

ソロモン諸島 Solomon Islands

やや遡(さかのぼ)り、1942年(昭和17年)8月上旬

米軍US Armed Forcesガダルカナル島Guadalcanal Islandに初上陸landingをした直後、日本海軍Imperial Japanese Navyはこの海域Sea area8艦隊8th Fleetを派遣

夜間の奇襲night surprise attackとなったこの海戦Naval battle第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Sea)で日本軍Imperial Japanese Forces米豪艦隊US-Australia Fleet大損害significant damageを与えたが、輸送船Transport shipは攻撃できずじまいだった。

重巡洋艦キャンベラ Heavy cruiser Canberra

オーストラリア海軍Royal Australian Navy

1942年(昭和17年)89日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Sea沈没Sunk


第一次ソロモン海戦

First Battle of the Solomon Sea

第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaは、第二次世界大戦World War II太平洋戦争Pacific War)時の1942年(昭和17年)88日から9日に日本海軍Imperial Japanese Navy連合国軍Allied forcesアメリカ海軍US Navyオーストラリア海軍Australian Navy)の間で行われた海戦Naval battle

連合軍Allied forces側の呼称Nameサボ島沖海戦Battle of Savo Island

重巡洋艦ヴィンセンス Heavy cruiser Vincennes アメリカ海軍US Navy

ニューオーリンズ級重巡洋艦New Orleans class Heavy Cruisers

1942年(昭和17年)89日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Sea沈没Sunk


1942年(昭和17年)8月に行われた第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaでは日本海軍Imperial Japanese Navyの攻撃で、アメリカ海軍United States Navyオーストラリア海軍Australian Navyなどからなる連合軍Allied forces重巡洋艦Heavy cruiser 4隻を撃沈して勝利する。

しかし、日本軍Imperial Japanese Forces輸送船Transport shipを攻撃しなかったため、ガダルカナル島Guadalcanal Islandでの戦況War situationに大きな影響はなかったが、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea日本海軍Imperial Japanese Navy空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを失い混乱し、ガダルカナル島Guadalcanal Islandを巡る戦況は泥沼化する。

重巡洋艦クインシー Heavy cruiser Quincy アメリカ海軍US Navy

ニューオーリンズ級重巡洋艦New Orleans class Heavy Cruisers

1942年(昭和17年)89日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

重巡洋艦アストリア Heavy cruiser Astoria アメリカ海軍US Navy

ニューオーリンズ級重巡洋艦New Orleans class Heavy Cruisers

1942年(昭和17年)89日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

続く1942年(昭和17年)8月下旬

ミッドウェー海戦Battle of Midway後、再編成reorganizationされた南雲(なぐも)機動艦隊Mobile Unit/Forceが、アメリカ軍US Armed Forces機動部隊Mobile Unit/Forceと交戦(第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea

この第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで、米空母エンタープライズUS Aircraft carrier Enterprise大破Wreckするが

日本軍Imperial Japanese Forces空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを沈められ痛み分け

空母龍驤(りゅうじょう) Aircraft carrier Ryujo

1942年(昭和17年)824日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea沈没Sunk


第二次ソロモン海戦

Second Battle of the Solomon Sea

第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaは、第二次世界大戦World War II大東亜戦争Greater East Asia War)中、1942年(昭和17年)824日にソロモン諸島Solomon IslandsNorthで戦われた日本軍Imperial Japanese Forcesアメリカ軍US Armed Forcesとの間の海戦Naval battle

連合軍Allied forces側の呼称Name東部ソロモン海戦Battle of the Eastern Solomons

日本海軍Imperial Japanese Navy空母Aircraft carrier 1隻を喪失lossガダルカナル島Guadalcanal Islandへの兵員輸送Soldier transportにも失敗Failureして敗北defeatした。

第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea日本海軍Imperial Japanese Navy空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを失い混乱し、ガダルカナル島Guadalcanal Islandを巡る戦況は泥沼化する。

駆逐艦睦月(むつき) Destroyer Mutsuki

睦月型駆逐艦Mutsuki Class Destroyers 1番艦First ship

1942年(昭和17年)824日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

空母ワスプ Aircraft carrier Wasp アメリカ海軍US Navy

1942年(昭和17年)824日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

空母サラトガ Aircraft carrier Saratoga アメリカ海軍US Navy

レキシントン級航空母艦Lexington class aircraft carrier 2番艦Second ship

1942年(昭和17年)824日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Sea大破badly damaged

その後もソロモン海Solomon Seaを舞台に激しい戦いFierce battleは続いた

ガダルカナル島Guadalcanal Islandヘンダーソン飛行場Henderson Airfield

が健在なかぎり、いくら増援部隊reinforcementsを送ったところで、沈められるだけだ。

なんとかならんのか?」

「ならば艦砲射撃naval bombardmentヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldを叩いてはどうでしょう?」

「その前に敵の航空部隊aviation corpsに発見されて、やられてしまうだろう?」

夜間攻撃Night attackをしかけます。」

1942年(昭和17年)1013

海軍Imperial Japanese Navy戦艦金剛(こんごう)Battleship Kongo戦艦榛名(はるな)Battleship Haruna中核coreとする挺身攻撃隊Volunteer Corps派遣Dispatch

ヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldに対して艦砲射撃naval bombardmentを実行した。

戦艦金剛(こんごう) Battleship Kongo

金剛型戦艦Kongo-class battleship 1番艦lead ship

戦艦榛名(はるな) Battleship Haruna

金剛型戦艦Kongo-class battleship 3番艦Third ship

ソロモン諸島 Solomon Islands

サンタ・クルーズ諸島 Santa Cruz Islands

空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku

翔鶴型航空母艦Shokaku-class aircraft carrier1番艦First ship

1942年(昭和17年)1026日、南太平洋海戦Battle of the South Pacific大破badly damaged


南太平洋海戦 Battle of the South Pacific

南太平洋海戦Battle of the South Pacificは、1942年(昭和17年)1026日にソロモン海域Solomon Sea Areaで行われた日本軍Imperial Japanese Forcesアメリカ軍US Armed Forces機動部隊Mobile Unit/Forceによる海戦Naval battleのこと。

アメリカ軍US Armed Forces側の呼称Nameサンタ・クルーズ諸島海戦Battle of the Santa Cruz Islands

重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma

利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers 2番艦Second ship

1942年(昭和17年)1026日、南太平洋海戦Battle of the South Pacific大破badly damaged


日本軍Imperial Japanese Forces空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokaku空母瑞鳳(ずいほう)Aircraft carrier Zuiho大破badly damage中破half damageという損害を受けたものの、アメリカ海軍United States Navy空母ホーネットAircraft carrier Hornet撃沈attack and sunk空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise中破half damageという戦果military achievementsを挙げ、戦術的には日本軍Imperial Japanese Forces勝利victoryであった。

しかし多数の航空機Military aircraft搭乗員pilotsを失い、また戦闘Battleの主目的であるガダルカナル島Guadalcanal Island飛行場Airfield占領occupationできなかった。

空母瑞鳳(ずいほう) Aircraft carrier Zuiho

瑞鳳型航空母艦Zuiho-class aircraft carrier1番艦First ship

1942年(昭和17年)1026日、南太平洋海戦Battle of the South Pacific中破half damaged


1942年(昭和17年)10月に行われた南太平洋海戦Battle of the South Pacificでは、日本海軍Imperial Japanese Navy機動部隊Mobile Unit/Forceの攻撃により、アメリカ海軍United States Navy大型空母large aircraft carrier空母ホーネットAircraft carrier Hornet撃沈attack and sunk大型空母large aircraft carrier空母エンタープライズAircraft carrier Enterprise大破badly damagedさせた。

先立って空母サラトガAircraft carrier Saratoga大破badly damage空母ワスプAircraft carrier Wasp日本潜水艦Japanese submarine雷撃torpedo attackによって失っていたアメリカ海軍United States Navyは、一時的にではあるが太平洋戦線Pacific frontにおける可稼動空母Aircraft carrierが皆無という危機的状況へ陥った。

空母ホーネット Aircraft carrier Hornet アメリカ海軍US Navy

ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier 3番艦Third ship

1942年(昭和17年)1026日、南太平洋海戦Battle of the South Pacific沈没Sunk


日本Imperial Japan空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikaku以下5隻の空母Aircraft carrierを有し、数の上では圧倒的優位な立場に立ったが、度重なる海戦Naval battle熟練搭乗員Veteran pilotsが消耗してしまったことと補給線supply lineが延びきったことにより、前線frontへの投入ができず新たな攻勢に打って出ることができなかった。

それでも、数少ない空母Aircraft carrierを損傷しながらも急ピッチで使いまわしたアメリカ軍US Armed Forcesと、ミッドウェー海戦Battle of Midwayトラウマtraumaもあってか空母Aircraft carrierを出し惜しんだ日本軍Imperial Japanese Forcesとの差はソロモン海域Solomon Sea Areaでの決着をつける大きな要因になったといえる

空母エンタープライズ Aircraft carrier Enterprise アメリカ海軍US Navy

ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier2番艦Second ship

1942年(昭和17年)1026日、南太平洋海戦Battle of the South Pacific中破half damaged

しかし、米軍US Armed Forces修理能力Repair abilityは高く、わずか数日で、発着陸Departure and landing可能なまでに回復recoverする。

日本軍Imperial Japanese Forcesは再び戦艦比叡(ひえい)Battleship Hiei戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishimaを含む艦隊Fleet派遣Dispatch

そこで待ち構えていた米艦隊US Fleet夜間砲撃戦Night artillery battleに突入する(第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea)。

夜戦Night battleには絶対の自信を持っていた日本軍Imperial Japanese Forcesだが、この海戦Naval battleでは米軍US Armed Forcesレーダーradarの前に敗れる。

近藤信竹(こんどう・のぶたけ) Nobutake Kondo 中将Lieutenant General

「なぜだ?

なぜ敵の弾ばかり当たる!?」

日本軍Imperial Japanese Forcesは、戦艦比叡(ひえい)Battleship Hiei戦艦霧島(きりしま)Battleship Kirishimaなど戦艦Battleship 2隻、その他を失う惨敗Catastrophic defeat

ソロモンSolomon方面Directionは次第に敗色濃厚probable defeatとなっていった。

戦艦比叡(ひえい) Battleship Hiei

金剛型戦艦Kongo-class battleship 2番艦Second ship

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea沈没Sunk


第三次ソロモン海戦

Third Battle of the Solomon Sea

第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaは、1942年(昭和17年)1112日~15日にソロモン海Solomon Seaで行われた日本海軍Imperial Japanese Navyアメリカ海軍United States Navyオーストラリア海軍Australian Navyとの間で行われた海戦Naval battle

連合国軍Allied forces勝利victoryにより日本軍Imperial Japanese Forces増援部隊Reinforcement unitは阻止され、ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanal連合国軍Allied forces優勢となっていくきっかけとなった。

戦艦霧島(きりしま) Battleship Kirishima

金剛型戦艦Kongo-class battleship4番艦Fourth ship

1942年(昭和17年)1115日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea沈没Sunk


第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで、日本海軍Imperial Japanese Navy戦艦battleship 2隻を失い敗北defeatした。

アメリカ軍US Armed Forcesガダルカナル島Guadalcanal Island周辺において航空優勢Air superiorityを獲得、日本軍Imperial Japanese Forces輸送船Transport shipを撃破し、補給supplyを妨害し、物資輸送Goods transportationを封じ込めた。

ガダルカナル島Guadalcanalでは補給supplyが覚束なくなり、餓死die of starvationする日本軍兵士Imperial Japanese Soldierが続出した。

後に一部の司令部headquartersよりガダルカナル島Island Guadalcanalは「餓島Starvation Island」と皮肉られた。

駆逐艦暁(あかつき) Destroyer Akatsuki

吹雪型駆逐艦(ふぶきがた)Fubuki-class destroyer21番艦21st ship

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

重巡洋艦衣笠(きぬがさ) Heavy cruiser Kinugasa

青葉型重巡洋艦Aoba-class Heavy cruiser 2番艦Second ship

1942年(昭和17年)1114日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

軽巡洋艦ジュノー Light Cruiser Juneau アメリカ海軍US Navy

アトランタ級軽巡洋艦Atlanta-class Light Cruisers2番艦Second ship

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

伊号第二十六潜水艦 Submarine I-26

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea軽巡洋艦ジュノーLight Cruiser Juneauを魚雷攻撃により轟沈Sunk

軽巡洋艦アトランタ Light cruiser Atlanta アメリカ海軍US Navy

アトランタ級軽巡洋艦Atlanta-class Light Cruisers1番艦First ship

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Sea沈没Sunk

駆逐艦フレッチャー Destroyer Fletcher アメリカ海軍US Navy

フレッチャー級駆逐艦Fletcher-class destroyers 1番艦Lead ship

1942年(昭和17年)1113日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで、戦艦比叡(ひえい)Battleship Hieiに攻撃を行い、後の自沈に貢献した。

一方、ガダルカナル島Guadalcanal Islandの奪回に失敗していた陸軍Imperial Japanese Armyは、今度こそヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldを奪取すべく、精鋭の第2師団を送り込む。

10,000にもおよぶ兵力military forceで、米軍US Armed Forcesを海岸に追い落とす作戦である。

丸山政男(まるやま・まさお) Masao Maruyama 中将Lieutenant General

だが、この攻撃も米軍US Armed Forcesに先手を打たれ、いたずらに戦力をすり減らすだけだった。

空も海もともに米軍US Armed Forcesに制圧され日本軍Imperial Japanese Forces補給Supplyすら行えなくなり

兵員soldiers飢えStarvationに苦しみ餓島Starvation Islandガダルカナル島Guadalcanal Island)と呼ばれる悲惨な戦場Miserable battlefieldと化したのである。

そこで、食糧provisionsドラム缶drum canに詰めて海上投下するという苦肉の補給策を行ったが焼け石に水a drop in the bucketであり

1942年(昭和17年)1231日、大本営Imperial General Headquartersガダルカナル島Guadalcanal Island放棄Abandonedを決定する。

1943年(昭和18年)2月、駆逐艦Destroyer動員mobilizationし、救えるだけの兵員soldiersを乗せて、日本軍Imperial Japanese Forcesガダルカナル島Guadalcanal Islandから撤退Withdrawalした。

サンタ・クルーズ諸島 Santa Cruz Islands


レンネル島沖海戦 Battle of Rennell Island

レンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandは、太平洋戦争Pacific War大東亜戦争Greater East Asia War)のガダルカナル島攻防戦Battle of Guadalcanalの最中、1943年(昭和18年)129日から30日にかけて、ソロモン諸島Solomon Islandsレンネル島Rennell Island沖において発生した海空戦Sea and air battle

ガダルカナル島Guadalcanal Islandに接近中のアメリカ海軍United States Navy巡洋艦部隊Cruiser unitに、日本海軍Imperial Japanese Navyラバウル航空隊Rabaul Naval Air Corps陸上攻撃機Land-based Attack Aircraft空襲Air-raidを敢行する。

129日の夜間空襲Night air raidと、130日の昼間強襲Daytime assaultにより、重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser Chicago撃沈attack and sinkし、駆逐艦ラ・ヴァレットDestroyer La Valletteを撃破した。

この海戦Naval battleアメリカ軍US Armed Forces近接信管Proximity fuzeを使用したが、重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser Chicagoの喪失を防げなかった。

重巡洋艦シカゴ Heavy Cruiser Chicago アメリカ海軍US Navy

ノーザンプトン級重巡洋艦Northampton class Heavy Cruisers4番艦Fourth ship

1943年(昭和18年)130日、レンネル島沖海戦Battle of Rennell Island沈没Sunk


1943年(昭和18年)1月、日本海軍Imperial Japanese Navyソロモン諸島Solomon Islandsレンネル島Rennell Island沖で行われたレンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandアメリカ海軍United States Navy重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser Chicago撃沈attack and sinkする戦果を挙げたが、ガダルカナル島Guadalcanal Island奪回Recaptureは最早絶望的となり、1943年(昭和18年)2月に日本陸軍Imperial Japanese Armyガダルカナル島Guadalcanal Islandから撤退Withdrawalガダルカナル島撤収作戦Withdrawal Operation from Guadalcanal)(ケ号作戦Operation Ke)した。

半年にも及ぶ消耗戦Attrition warfareにより、日米豪Japan, the United States and Australia両軍Both armiesに大きな損害damageが生じたが、国力National powerに限界がある日本Imperial Japanにとっては取り返しのつかない損害damageであった。

これ以降、ソロモン諸島Solomon Islandsでの戦闘Battle両軍Both armies拮抗したまま続く。

駆逐艦ラ・ヴァレット Destroyer La Vallette アメリカ海軍US Navy

フレッチャー級駆逐艦Fletcher-class destroyerの一隻。

1943年(昭和18年)130日、レンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandで損傷。

一式陸上攻撃機 Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy

1943年(昭和18年)130日、レンネル島沖海戦Battle of Rennell Island重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser Chicago撃沈attack and sink


ガダルカナル島撤収作戦

Withdrawal Operation from Guadalcanal

ガダルカナル島撤収作戦Withdrawal Operation from Guadalcanalは、1943年(昭和18年)1月下旬から2月上旬にかけて日本軍Imperial Japanese Forcesが実施したガダルカナル島Guadalcanal Islandからの撤退作戦Withdrawal Operation

作戦呼称は「ケ号作戦Operation Ke」。

由来は捲土重来(けんど・ちょうらい)regain strength backによる。

作戦Operationは、基地航空隊land-based air unitによる航空撃滅戦Air extermination battleを実施して制空権Air superiorityを確保したあと(この航空作戦Air operationsレンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandが生起)、水雷戦隊Destroyer squadronによって撤退作戦Withdrawal Operationがおこなわれた。

駆逐艦巻波(まきなみ) Destroyer Makinami

夕雲型(ゆうぐも)駆逐艦Yugumo-class destroyer


撤退Withdrawal3回次に分けて行われ、沈没艦Sunken ship駆逐艦Destroyer 1隻、損傷艦Damaged ship駆逐艦Destroyer 3隻のみで、1943年(昭和18年)28日をもって日本軍Imperial Japanese Forces撤退Withdrawalは成功した。

撤退Withdrawal中に発生した戦闘についてはイサベル島沖海戦Battle of Isabel Islandと呼称されることが多い。

撤退Withdrawalにより救出された日本軍Imperial Japanese Forces12千名余りだった。

このうち1200名は入院加療hospitalization for treatmentを必要とし、残りも大半はマラリアmalaria他の疾病diseaseに罹患していた。

また、この後も病死death from disease者多数を出している。

ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanal全体では、約32000名が上陸landing1万名が撤退Withdrawalに成功、戦死Killed in action 14000名、行方不明Missing 2500名であった。

1943年(昭和18年)29日、大本営Imperial General Headquartersガダルカナル島Guadalcanal Islandからの転進(てんしん)change courseを発表した

駆逐艦夕雲(ゆうぐも) Destroyer Yugumo

夕雲型(ゆうぐも)駆逐艦Yugumo-class destroyer1番艦First ship

ビスマルク海 Bismarck Sea

サンタ・クルーズ諸島 Santa Cruz Islands


ガダルカナル島撤収Withdrawal from Guadalcanal後、大本営Imperial General Headquartersの既定方針にもとづき日本軍Imperial Japanese ForcesパプアニューギニアPapua New Guineaに作戦の重点を移す。

1943年(昭和18年)3月初旬、ニューギニアNew Guinea日本軍Imperial Japanese Forces拠点BaseラエLaeサラモアSalamauaへ陸軍第51師団を増強しようとしたが、連合国United Nations空襲Air raidにより輸送船団convoy of transport ships壊滅devastationして大失敗abysmal failureに終わった(ビスマルク海海戦Battle of Bismarck Sea)。

またソロモン諸島Solomon Islands防備Defenseについては、中部ソロモン諸島Central Solomon Islandsニュージョージア諸島New Georgia Islandサンタイサベル島Santa Isabel Island)は日本海軍Imperial Japanese Navyの、北部ソロモン諸島Northern Solomon Islandsブーゲンビル島Bougainville Islandブカ島Buka Island)は日本陸軍Imperial Japanese Armyの担任と定められた。

駆逐艦雪風(ゆきかぜ) Destroyer Yukikaze

陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class destroyers 8番艦Eighth ship

駆逐艦時津風(ときつかぜ) Destroyer Tokitsukaze

陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class destroyers 10番艦である

マッカーサー Douglas MacArthur


ビスマルク海海戦 Battle of Bismarck Sea

ビスマルク海海戦Battle of Bismarck Seaは、1943年(昭和18年)32日から33日に、ビスマルク海Bismarck Seaからダンピール海峡Dampier Straitにかけての海域Sea areaで、ダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur陸軍大将Army general指揮下の連合国軍Allied forcesニューギニアNew GuineaオーストラリアAustralia方面部隊Direction unit日本軍Imperial Japanese Forces輸送船団convoy of transport shipsに対し航空攻撃Air strikeを行ったことで発生した戦闘Battleのこと。

B-24リベレイターConsolidated B-24 Liberator

アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces 1941年(昭和16年)

四発重爆撃機four-engine heavy bomber B-17と比べて、全ての面で上回っていた

B-17フライング・フォートレス Boeing B-17 Flying Fortress

駆逐艦島風(しまかぜ) Destroyer Shimakaze

ガダルカナル島Guadalcanal Islandを完全に手中に収めた米軍US Armed Forcesの次なる目標は日本軍Imperial Japanese Forces一大拠点major baseラバウルRabaulを、ソロモンSolomonニューギニアNew Guineaの両面から攻撃することにあった。

マッカーサー Douglas MacArthur

「これからが本番real performanceだ!」

それに対して日本軍Imperial Japanese ForcesラバウルRabaul基地base航空機aircraft増強Augmentationさせ制空権Air superiority制海権Command of the seaを奪い返そうと期した。

山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Commander-in-Chiefが直接指揮する「い号作戦Operation I-Go」である。

1943年(昭和18年)4月、「い号作戦Operation I-Go」は決行され、ガダルカナル島Guadalcanal Island方面DirectionニューギニアNew Guinea方面Direction戦闘Battleが行われた。

山本五十六(やまもと・いそろく) Isoroku Yamamoto 海軍大将Admiral

「長官!

大戦果との報が相次いでおります。」

「うむ、それはなによりだ。」

オロ湾 Oro Bay

ミルン湾 Milne Bay


い号作戦 Operation I-Go

い号作戦Operation I-Goとは、日本海軍Imperial Japanese Navy1943年(昭和18年)47日から15日にかけて南東方面艦隊Southeast Area Fleet(第十一航空艦隊、基地航空部隊)と第三艦隊Third Fleet(機動部隊)所属の艦載機Carrier-based aircraftにより、ガダルカナル島Guadalcanal Islandニューギニア島New Guinea Island南東部southeastポートモレスビーPort Moresbyオロ湾Oro Bayミルン湾Milne Bayに対して空襲Air raidを行った作戦Operationである。

47日に実施された空襲Air raidは、大本営発表Imperial General Headquarters announcementによってフロリダ沖海戦Battle off Floridaと呼称された。

作戦名はいろは順の最初の文字にあやかって付けられた。

前線front視察Inspectionに行くとしよう。

soldiersをねぎらってやらねばな。」

い号作戦Operation I-Go終了後の1943年(昭和18年)418

山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoの乗った一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraftブーゲンビル島Bougainville Island上空にさしかかった時

無線wireless暗号cryptograph解読deciphermentし、待ち伏せambushしていた米軍機US military aircraftにより、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto撃墜Shot downされた。

山本五十六(やまもと・いそろく) Isoroku Yamamoto 海軍大将Admiral


海軍甲事件 Navy A Incident

海軍甲事件(かいぐん・こうじけん)Navy A Incidentとは、太平洋戦争Pacific War中の1943年(昭和18年)418日に、前線front視察Inspection中の連合艦隊Combined Fleet司令長官Commander-in-Chief山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto海軍大将Admiral搭乗機Boarding planeアメリカ軍US Armed Forces戦闘機Fighter aircraft撃墜Shot downされ、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto戦死death in battleした事件Incidentである。

アメリカUSA側名称はヴェンジェンス作戦Operation Vengeance

 

日本海軍Imperial Japanese Navy1943年(昭和18年)47日からい号作戦Operation I-Goを実行し、ソロモン諸島Solomon IslandsニューギニアNew Guinea方面Direction連合国United Nations艦隊Fleetに攻撃を加えた。

このい号作戦Operation I-Go成功successを収めて416日に終了した。

戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi

大和型戦艦Yamato-class battleship2番艦2nd ship


この間、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefは、トラック島Truk Islands連合艦隊Combined Fleet旗艦flagship戦艦武蔵(むさし)Battleship Musashi」を離れ、「い号作戦Operation I-Go」を直接指揮するため、幕僚staffを従えてラバウルRabaul基地baseに来ていた。

山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoは、ブーゲンビル島Bougainville Islandショートランド島Shortland Island前線front航空基地Air base将兵officers and soldiersの労をねぎらうため、ラバウルRabaulからブーゲンビル島Bougainville IslandブインBuin基地baseを経て、ショートランド島Shortland Islandの近くにあるバラレ島Balalae Island基地baseに赴く予定を立てた。

その前線front視察Inspection計画は、艦隊司令部Fleet Commandから関係方面に打電wireされた。

この暗号電文Cryptographic messageアメリカ軍US Armed Forces傍受Interceptionされた。

チェスター・ニミッツ Chester Nimitz

アメリカ太平洋艦隊司令長官 Commander in Chief, United States Pacific Fleet


日本Imperial Japan側は知らなかったが、アメリカ軍US Armed Forces情報部Information Bureauは当時すでに日本軍Imperial Japanese Forces暗号解読Cryptanalysisに成功しており、この電文Telegramもただちに解読Decipherされ、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto視察Inspectionの経路と予定時刻は米軍US Armed Forcesの把握するところとなった。

この情報Informationはすぐにアメリカ海軍US Navyチェスター・ニミッツChester Nimitz太平洋艦隊Pacific Fleet司令長官Commander-in-Chiefに報告された。

P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces


ヴェンジェンスvengeance=報復、復讐。

真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborを立案した山本五十六(やまもと・いそろく)への報復vengeanceという意味が込められている。

無能な敵将であれば生かしておくほうが味方に利益である。

そのため山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto前線front視察Inspectionの予定をつかんだニミッツChester Nimitz幕僚staffと会議を開き、そもそも山本五十六(やまもと・いそろく)を殺害すべきなのかを検討した。

検討の結果、真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborの立案者として人望の高い山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto戦死death in battleすれば日本軍Imperial Japanese Forces士気morale低下degradationすること、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefより優れた者が後任となる可能性は低いことを理由にニミッツChester Nimitz山本五十六(やまもと・いそろく)の殺害を決断し、南太平洋方面軍South Pacific area army司令官Commanderウィリアム・ハルゼーWilliam Halsey山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefの行程を連絡、予備計画の作成を命令した。

ウィリアム・ハルゼー・ジュニア William Halsey Jr. 提督admiral

作戦半径は非常に長距離だったが、ハルゼーWilliam Halseyは、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoがきわめて時間に正確で今回も予定を守ることを前提に、航続距離Cruising distanceの長いガダルカナルGuadalcanal陸軍機Army aircraftP-38ライトニングLockheed P-38 Lightningならば途中で邀撃(ようげき)interceptionが可能と応答してきた。

一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy


1943年(昭和18年)418

525分 P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning 18機、ガダルカナル島Guadalcanalヘンダーソン飛行場Henderson Field出撃。

735分にブーゲンビルBougainville上空に到着予定。

宇垣纏(うがき・まとめ) Matome Ugaki中将Lieutenant General


605分 一番機に山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chief幕僚staff、二番機には連合艦隊Combined Fleet参謀長Chief of Staff宇垣纏(うがき・まとめ)Matome Ugaki中将Lieutenant Generalほか幕僚staffが乗った一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 2機、および護衛escort零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 9機、ニューブリテン島New BritainラバウルRabaul飛行場Airfieldを離陸。

零戦二二型(ぜろせん・にー・にー・がた) Zero fighter Model 22 海軍Navy


733分 P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning 16機(出撃後2機故障帰還)、V字編隊の一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 2機、零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 6機をブーゲンビル島Bougainville Island上空で発見、攻撃開始。

P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces


750分頃 山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chief搭乗の一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 1番機被弾、モイラ岬ジャングルjungle墜落Crash戦死War deadした。

宇垣纏(うがき・まとめ)参謀長Chief of Staff搭乗の一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 2番機も被弾炎上し海上に不時着crash landing

ガダルカナル島の戦い Battle of Guadalcanal

オロ湾 Oro Bay

その後、米豪軍U.S. Australian Armyは、1943年(昭和18年)11月には日本軍Imperial Japanese Forces拠点baseであるブーゲンビル島Bougainville Island上陸landingし、ラバウルRabaulに接近するが

その防備Defenseが固いと見たマッカーサーDouglas MacArthurは、包囲網encircling netだけ完成させ、次の目標に向けて、前進を開始した。

日本軍Imperial Japanese Forces防備Defenseが固い場所は素通して、補給路を分断する、いわゆる「蛙飛びLeapfrogging作戦strategy飛び石作戦Island Hopping)である。

マッカーサー Douglas MacArthur

その頃、ニューギニアNew Guinea方面Directionでは、日本Imperial Japanの第51師団が、米豪軍U.S. Australian Army相手に奮闘し、2か月以上にわたって戦線Front保持Holdしていた。

ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign

「この戦線Frontを破られたら潔く全員玉砕(ぎょくさい)honorable deathする!」

中野英光(なかの・ひでみつ) Hidemitsu Nakano 師団長division commander

玉砕(ぎょくさい)honorable deathは不可!

なんとしても撤退Withdrawalせよ!」

安達二十三(あだち・はたぞう) Hatazo Adachi 中将Lieutenant General

18Eighteenth Army司令官Commander


しかしついに持ち堪えられなくなり

51師団51st Division4,000m級のサワラケット山脈Salawaket rangeを数100kmにわたって撤退Withdrawalしていく。

サワラケット山脈 Salawaket range

8,000人あまりで開始された山脈越えCrossing the mountainsは、途中2,000人以上が脱落omission

目的地Destinationキアリに着いた時には、1,000人以上が重傷Serious injuryに陥っていた。

ガダルカナル島Guadalcanal Island撤退Withdrawal東部ニューギニアEastern New Guineaでも敗走Rout

山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto戦死death in battle日本軍Imperial Japanese Forcesの勢いは陰った。

サラモアSalamaua Peninsula上空を飛行するB-24 B-24 Liberator

A US Army Air Forces B-24 Liberator bomber, flying over explosions on the Salamaua Peninsula, where the port is located.


ラエ・サラモアの戦い Battle of Lae-Salamaua

1943年(昭和18年)17日~1943年(昭和18年)916

第二次世界大戦World War II中のニューギニア戦線New Guinea Campaignにおける戦闘Battle1つ。

ニューギニア島東部Eastern New Guinea要地key area positionラエLaeサラモアSalamaua占領occupationしていた日本軍Imperial Japanese Forcesを、オーストラリア軍Australian Armed forcesを主体とする連合軍Allied forcesが攻撃し、ラエLaeサラモアSalamaua奪還Recaptureした。

日本軍Imperial Japanese Forces標高elevation 4,100メートルのサラワケットSalawaket山系Cordilleraを越えて撤退Withdrawalした。

一方、アメリカUSAは圧倒的な物量quantityを投入し本格攻勢に出ていく
























































































































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