7節 ガダルカナル島の戦い
Battle
of Guadalcanal
襲撃を受け荷揚げに失敗した輸送船Transport鬼怒川丸(きぬがわ・まる)Kinugawa Maru
Transport Kinugawa Maru beached at
Guadalcanal in November 1942.
ソロモン諸島 Solomon
Islands
珊瑚海海戦 Battle of the Coral Sea 1942年(昭和17年)5月7日
ラバウル Rabaul
オーエン・スタンレー山脈 Owen Stanley Range
オーエン・スタンレー山脈 Owen Stanley Range
1942年(昭和17年)5月の珊瑚海海戦Battle of the Coral Seaの結果、海路Sea routeでのポートモレスビーPort Moresby攻略captureは断念せざるを得なくなった。
そこで陸路land
routeでの攻略captureが開始された。
攻撃attackを行うのは陸軍Imperial Japanese Army南海支隊South Seas Detachment…
支隊長Captainは掘井富太郎(ほりい・とみたろう)Tomitaro
Horii少将Major Generalである。
掘井富太郎(ほりい・とみたろう) Tomitaro Horii 少将Major
General
南海支隊South Seas
Detachmentは標高elevation
3,000m級Classのオーエン・スタンレー山脈Owen
Stanley Rangeを越えて行かねばならなかった。
食糧provisionsや弾薬ammunitionの輸送transportも人力Human powerに頼っての行軍Marchである。
道らしい道もなく足を滑らせて命を落とす者もあったが…
1か月におよぶ苦しい行軍Marchの末ようやく山脈Mountain rangeを越えた南海支隊South Seas DetachmentはポートモレスビーPort Moresbyが見えるイオリバイワIoribaiwaまで到達…
ところが、残りわずか40kmの地点で南海支隊South Seas
Detachmentは補給難supply
difficultiesに陥ってしまう。
南海支隊South Seas
Detachmentは再び山Mountainを越えてブナBuna地区districtへと後退retreatしていく。
その後ろから米豪軍U.S. Australian Armyが追撃戦pursuit battleをしかける。
南海支隊South Seas
Detachmentはほとんど全滅annihilationという損害damageを出して終わった。
ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign
ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign
ポートモレスビー作戦
Port Moresby Campaign
1942年(昭和17年)3月7日〜1943年(昭和18年)1月23日
第二次世界大戦World War II中のニューギニア戦線New Guinea Campaignにおいて、日本軍Imperial Japanese Forcesと連合国軍Allied forcesとがポートモレスビーPort Moresbyの支配を巡って行った戦闘Battle。
当時はスタンレー作戦Stanley Campaignと呼ばれ、連合軍Allied forces側の名称を和訳して、前半をココダ道の戦いKokoda Track
campaign、後半をブナとゴナの戦いBattle of Buna-Gonaとも呼ぶ。
ブナBunaの日本軍Imperial Japanese Forcesを攻撃する連合軍Allied forcesのM3軽戦車スチュアート Light
Tank M3 Stuart。1943年(昭和18年)1月2日
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3
Stuart
イオリバイワIoribaiwaを奪還したオーストラリア第25旅団
ソロモン諸島 Solomon
Islands
フロリダ諸島 Florida
Islands
一方、ソロモン諸島Solomon Islands方面Directionでは、日本軍Imperial Japanese Forcesの予想を上回る早さで、連合軍Allied forcesの反抗Counterattack作戦が開始された。
日本軍Imperial Japanese Forcesはソロモン諸島Solomon Islands東端East
endのガダルカナル島Guadalcanal Islandにヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldの建設constructionを進めていた。
米豪連絡線communication lines
between Australia and the United Statesの遮断cutを目的としその拠点Baseとするためである。
しかしヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldの完成直前に米海兵隊United States
Marine Corpsが上陸landingし、
わずかな守備隊Garrisonしかいなかった日本軍Imperial Japanese Forcesは蹴散らroutされた。
「海軍Navyが勝手に手を出した島Islandになぜ陸軍Armyがこれ以上兵力military
forceを割かねばならんのですかな?」
「米軍US Armed Forcesに制空権Air superiorityを与えるわけにはいきません。
ガダルカナルGuadalcanalの飛行場Airfieldは絶対に必要です。」
「奪還recover作戦のためになんとか力添えを…」
「仕方がない。」
「ミッドウェー島Midway Atoll攻略captureにあてるはずだった一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentを送るとしよう。」
「一個連隊One
regimentもあれば十分でしょうな。」
陸海軍Army and Navyとも敵の本格的な反攻Full-scale
counterattackとは考えず、たいして偵察reconnaissanceもされないまま部隊troopの派遣Dispatchが決定された。
一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentは約2,000人の兵力military
forceを駆逐艦Destroyerや輸送船Transport shipに分乗させて出発…
1942年(昭和17年)8月18日、先遣隊Advance corpsの約900名がガダルカナル島Guadalcanal Islandのタイボ岬Taivo Promontoryに上陸landingした。
「米兵U.S.
soldiersなんざ一発脅せば逃げ出すぞ。」
「フィリピンPhilippinesじゃ山の中で震えてたらしいからな。」
一木清直(いちき・きよなお) Kiyonao Ichiki 大佐Colonel
「向こうの戦力はわずかだ。
わが部隊の敵ではない。
一気に落とすぞ!」
しかし、米軍US Armed Forcesはすでに日本軍Imperial Japanese Forcesの行動をつかみ、ヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldの手前のイル川Ilu Riverに防衛線Defense lineを張って、待ち構えていた…
米軍US Armed Forcesの激しい銃火gunfireに一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentは、全滅annihilationに近い損害damageを出し、作戦operationは失敗Failureに終わった。
「もはや、これまでか… It's all over with me.」
一木(いちき)大佐Colonel自決Self-determination…
フロリダ諸島 Florida
Islands
イル川渡河戦 Battle of the Ilu River
イル川渡河戦(とかせん)Battle of the Ilu Riverは、第二次世界大戦World War II中の1942年(昭和17年)8月21日、ガダルカナル島Guadalcanal Islandにおいて日本軍Imperial Japanese Forcesとアメリカ合衆国海兵隊US Marine Corpsを主力とする連合国軍Allied forcesとの間に起きた陸上戦闘Land combat。
テナルの戦いBattle of the Tenaru、アリゲーター・クリークの戦いBattle of Alligator
Creekとも呼ばれ、ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalにおける日本軍Imperial Japanese Forces最初の大規模反攻Counterattackでもあった。
陽炎(かげろう) Destroyer Kagero
陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class
destroyers 1番艦Lead ship
米海兵隊US Marine Corps第一海兵師団1st Marine Divisionは、1942年(昭和17年)8月7日ガダルカナル島Guadalcanal Islandに上陸Landingし、ルンガ岬Lunga Pointに日本軍Imperial Japanese Forcesが建設中であったヘンダーソン飛行場Henderson Fieldを奪取Captureしてこの防衛defenseにあたっていた。
日本軍Imperial Japanese Forcesのガダルカナル島Guadalcanal Island守備隊Garrisonは飛行場Airfield西側のマタニカウ川Matanikau Riverに撤退して海軍本部Marine Headquartersを設置した。
日本軍Imperial Japanese Forces上層部Upper
echelonは第一次ソロモン海戦First Battle of the
Solomon Sea以降の基地航空部隊land-based air unitの誤認や誤報等によりガダルカナル島Guadalcanal Island奪回Recaptureを極めて楽観的しており、従来どおりポートモレスビー作戦Kokoda Track campaignを重要視していた。
駆逐艦嵐(あらし) Destroyer Arashi
陽炎型駆逐艦(かげろうがた)Kagero-class destroyersの16番艦16th ship
一方、ヘンダーソン飛行場Henderson Fieldの奪還Recaptureと、ガダルカナル島Guadalcanal Islandからの連合軍Allied forces一掃のため、先発隊advance partyとして横須賀鎮守府第五特別陸戦隊(司令安田義達海軍大佐)と一木清直(いちき・きよなお)Kiyonao
Ichiki陸軍大佐Army Colonel率いる一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentが投入された。
一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentは先遣隊Advance corps(第1梯団(ていだん)、916名)と後続部隊reinforcements(第2梯団、約1500名)に分割された、一木(いちき)大佐Colonel直率の先遣隊Advance corpsは陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class destroyers 6隻に分乗して1942年(昭和17年)8月16日にトラックTruk泊地(はくち)harbor/anchorageを出発。
1942年(昭和17年)8月19日未明にガダルカナル島Guadalcanal Islandタイボ岬Taivo Promontory(飛行場の東側約35km地点)に上陸Landingした。
このときガダルカナル島Guadalcanal Island全体の連合軍Allied forces側戦力は約11,000名であったが、日本軍Imperial Japanese Forces側はこれを2,000名程度と少なく見積もっていた。
F4Fワイルドキャット Grumman F4F Wildcat アメリカ海軍US Navy
一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance
corps攻撃直前の1942年(昭和17年)8月20日、ヘンダーソン飛行場Henderson Fieldに戦闘機Fighter aircraftと急降下爆撃機Dive bomber、計31機が進出した。
8月20日、ヘンダーソン飛行場Henderson Fieldに米海兵隊US Marine CorpsのF4FワイルドキャットGrumman F4F Wildcat 19機とSBDドーントレスDouglas SBD
Dauntless 12機が到着して航空基地Air baseとしての機能がスタートした。
後に空母エンタープライズAircraft carrier
Enterprise、空母サラトガAircraft carrier Saratoga、空母ワスプAircraft carrier
Waspの艦載機Carrier-based aircraftとパイロットPilotも母艦Mother shipが戦闘Battleで損傷し、修理のため使用できない間はヘンダーソン飛行場Henderson Fieldから出撃した。
SBDドーントレス Douglas SBD Dauntless アメリカ海軍US Navy
同1942年(昭和17年)8月20日深夜、タイボ岬Taivo Promontoryから西進をつづけていた一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance
corpsはルンガ岬Lunga Point東部のイル川Ilu River(米軍呼称:アリゲーター・クリークAlligator Creek)西岸に陣を構えていた米海兵隊US Marine Corpsに遭遇する。
8月21日未明から戦闘Battleが始まったが、兵数number of soldiers・火力Firepowerに圧倒的な差があり一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachmentは多大な損害severe lossを被った。
さらに米海兵隊US Marine Corpsは夜明けを待ってM3スチュアートM3 Stuart軽戦車Light tankを投入し、残存日本兵Japanese soldierを包囲殲滅Surround and annihilationした。
同8月21日午後、一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance
corpsは壊滅devastationした。
このイル川渡河戦(とかせん)Battle of the Ilu
Riverで916名いた一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance
corpsのうち日本側記録777名が戦死Killed in action、生き残ったのは後方に待機していた約100名を含む128名だけであった。
指揮官Commander一木(いちき)Ichiki大佐Colonelも死亡Self-determinationしたが、最後の状況については諸説あり定かではない。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3
Stuart 12.9 metric tons 米陸軍US Army
ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalやニューギニアの戦いNew Guinea Campaignなどで活躍した。
日本軍Imperial Japanese Forcesはガダルカナル島Guadalcanal Island奪回Recapture作戦を「少数の陸軍部隊で容易に実現できる」と考えていた。
だが8月20日のヘンダーソン飛行場Henderson Field使用開始により、ガダルカナル島Guadalcanal Island周辺の制空権Air superiorityを掌握されてしまう。
つづく一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment先遣隊Advance
corpsの大損害により、ヘンダーソン飛行場Henderson Field奪回Recaptureの見込みが立たなくなった。
日本軍Imperial Japanese Forcesはガダルカナル島Guadalcanal Islandの連合軍Allied forces戦力war potentialが当初の想定を超える規模であることを認識し、ヘンダーソン飛行場Henderson Field奪還Recaptureのため逐次部隊を送り込んでいったものの第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで低速の輸送船団convoy of transport shipsが空襲air strikeをうけて撃退され、一木師団第二梯団の上陸Landingは中止された。
このあと、日本軍Imperial Japanese Forcesのガダルカナル島Guadalcanal Island輸送transportは駆逐艦Destroyerによる鼠輸送(ねずみ・ゆそう)(東京急行Tokyo Express)に頼らざるを得なくなった。
一木(いちき)Ichiki支隊(したい)Detachment全滅annihilationの報を受けた大本営Imperial General Headquartersは、重火器heavy firearmsなどの準備不足Lack of preparationが原因と判断し、改めて川口(かわぐち)Kawaguchi支隊(したい)Detachmentに再攻撃Re-attackを命ずる。
川口清健(かわぐち・きよたけ) Kiyotake Kawaguchi
川口(かわぐち)Kawaguchi支隊(したい)Detachmentはジャングルjungleを踏破し内陸inland側から飛行場Airfieldを攻める作戦をとった。
米軍US Armed Forcesはジャングルjungle内に集音マイクSound
collecting microphoneを仕掛け日本軍Imperial Japanese Forcesの接近approachを事前に察知していた。
そんな中、攻撃の脇をすり抜けて、田村大隊(たむら・だいたい)Tamura battalionが飛行場Airfieldに到達…
しかし、後が続かず、夜が明けてしまった。
見通しのいい飛行場Airfieldでは格好の射撃目標Shooting targetとなるだけだった。
こうしてガダルカナル島Guadalcanal Islandの飛行場Airfield奪還作戦Recapture strategyはまたも失敗に終わった。
ガダルカナル島Guadalcanal Islandには日本Imperial Japanの前進拠点Advance baseであったラバウルRabaulから補給物資suppliesを送る必要があり、周辺の海域Sea areaでは、日米間Between Japan and
the United Statesで幾度も戦闘Battleが勃発し、多数の艦船vesselsが沈んだ…
そこから、この海域Sea areaは「鉄底海峡(てってい・かいきょう)Ironbottom Sound」と呼ばれる。
ソロモン諸島 Solomon
Islands
やや遡(さかのぼ)り、1942年(昭和17年)8月上旬…
米軍US Armed Forcesがガダルカナル島Guadalcanal Islandに初上陸landingをした直後、日本海軍Imperial Japanese
Navyはこの海域Sea areaに第8艦隊8th Fleetを派遣…
夜間の奇襲night surprise
attackとなったこの海戦Naval battle(第一次ソロモン海戦First Battle of the
Solomon Sea)で日本軍Imperial Japanese Forcesは米豪艦隊US-Australia Fleetに大損害significant damageを与えたが、輸送船Transport shipは攻撃できずじまいだった。
重巡洋艦キャンベラ Heavy cruiser
Canberra
オーストラリア海軍Royal Australian Navy
1942年(昭和17年)8月9日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
第一次ソロモン海戦
First
Battle of the Solomon Sea
第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaは、第二次世界大戦World War II(太平洋戦争Pacific War)時の1942年(昭和17年)8月8日から9日に日本海軍Imperial Japanese Navyと連合国軍Allied forces(アメリカ海軍US Navy、オーストラリア海軍Australian Navy)の間で行われた海戦Naval battle。
連合軍Allied forces側の呼称Nameはサボ島沖海戦Battle of Savo Island。
重巡洋艦ヴィンセンス Heavy cruiser
Vincennes アメリカ海軍US Navy
ニューオーリンズ級重巡洋艦New Orleans class Heavy Cruisers
1942年(昭和17年)8月9日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
同1942年(昭和17年)8月に行われた第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaでは日本海軍Imperial Japanese Navyの攻撃で、アメリカ海軍United States Navy、オーストラリア海軍Australian Navyなどからなる連合軍Allied forcesの重巡洋艦Heavy cruiser 4隻を撃沈して勝利する。
しかし、日本軍Imperial Japanese Forcesが輸送船Transport shipを攻撃しなかったため、ガダルカナル島Guadalcanal Islandでの戦況War situationに大きな影響はなかったが、第二次ソロモン海戦Second Battle of
the Solomon Seaで日本海軍Imperial Japanese Navyは空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを失い混乱し、ガダルカナル島Guadalcanal Islandを巡る戦況は泥沼化する。
重巡洋艦クインシー Heavy cruiser
Quincy アメリカ海軍US Navy
ニューオーリンズ級重巡洋艦New Orleans class Heavy Cruisers
1942年(昭和17年)8月9日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
重巡洋艦アストリア Heavy cruiser
Astoria アメリカ海軍US Navy
ニューオーリンズ級重巡洋艦New Orleans class Heavy Cruisers
1942年(昭和17年)8月9日、第一次ソロモン海戦First Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
続く1942年(昭和17年)8月下旬…
ミッドウェー海戦Battle of Midway後、再編成reorganizationされた南雲(なぐも)機動艦隊Mobile Unit/Forceが、アメリカ軍US Armed Forcesの機動部隊Mobile Unit/Forceと交戦(第二次ソロモン海戦Second Battle of
the Solomon Sea)…
この第二次ソロモン海戦Second Battle of
the Solomon Seaで、米空母エンタープライズUS Aircraft carrier Enterpriseを大破Wreckするが…
日本軍Imperial Japanese Forcesは空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを沈められ痛み分け…
空母龍驤(りゅうじょう) Aircraft carrier Ryujo
1942年(昭和17年)8月24日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
第二次ソロモン海戦
Second
Battle of the Solomon Sea
第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaは、第二次世界大戦World War II(大東亜戦争Greater East Asia
War)中、1942年(昭和17年)8月24日にソロモン諸島Solomon Islandsの北Northで戦われた日本軍Imperial Japanese Forcesとアメリカ軍US Armed Forcesとの間の海戦Naval battle。
連合軍Allied forces側の呼称Nameは東部ソロモン海戦Battle of the Eastern Solomons。
日本海軍Imperial Japanese Navyは空母Aircraft carrier 1隻を喪失loss、ガダルカナル島Guadalcanal Islandへの兵員輸送Soldier transportにも失敗Failureして敗北defeatした。
第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで日本海軍Imperial Japanese Navyは空母龍驤(りゅうじょう)Aircraft carrier Ryujoを失い混乱し、ガダルカナル島Guadalcanal Islandを巡る戦況は泥沼化する。
駆逐艦睦月(むつき) Destroyer Mutsuki
睦月型駆逐艦Mutsuki Class Destroyers 1番艦First ship
1942年(昭和17年)8月24日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
空母ワスプ Aircraft carrier Wasp アメリカ海軍US Navy
1942年(昭和17年)8月24日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
空母サラトガ Aircraft carrier Saratoga アメリカ海軍US Navy
レキシントン級航空母艦Lexington class aircraft carrier 2番艦Second
ship
1942年(昭和17年)8月24日、第二次ソロモン海戦Second Battle of the Solomon Seaで大破badly damaged。
その後もソロモン海Solomon Seaを舞台に激しい戦いFierce battleは続いた…
「ガダルカナル島Guadalcanal Islandのヘンダーソン飛行場Henderson Airfield
が健在なかぎり、いくら増援部隊reinforcementsを送ったところで、沈められるだけだ。
なんとかならんのか?」
「ならば艦砲射撃naval bombardmentでヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldを叩いてはどうでしょう?」
「その前に敵の航空部隊aviation corpsに発見されて、やられてしまうだろう?」
「夜間攻撃Night
attackをしかけます。」
1942年(昭和17年)10月13日…
海軍Imperial Japanese Navyは戦艦金剛(こんごう)Battleship Kongo、戦艦榛名(はるな)Battleship Harunaを中核coreとする挺身攻撃隊Volunteer Corpsを派遣Dispatch…
ヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldに対して艦砲射撃naval bombardmentを実行した。
戦艦金剛(こんごう) Battleship Kongo
金剛型戦艦Kongo-class battleship 1番艦lead
ship
戦艦榛名(はるな) Battleship Haruna
金剛型戦艦Kongo-class battleship 3番艦Third
ship
ソロモン諸島 Solomon
Islands
サンタ・クルーズ諸島 Santa Cruz Islands
空母翔鶴(しょうかく) Aircraft carrier Shokaku
翔鶴型航空母艦Shokaku-class aircraft carrierの1番艦First
ship
1942年(昭和17年)10月26日、南太平洋海戦Battle of the South Pacificで大破badly damaged。
南太平洋海戦 Battle of the South Pacific
南太平洋海戦Battle of the South Pacificは、1942年(昭和17年)10月26日にソロモン海域Solomon Sea Areaで行われた日本軍Imperial Japanese Forcesとアメリカ軍US Armed Forcesの機動部隊Mobile Unit/Forceによる海戦Naval battleのこと。
アメリカ軍US Armed Forces側の呼称Nameはサンタ・クルーズ諸島海戦Battle of the Santa Cruz Islands。
重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦筑摩(ちくま) Heavy cruiser Chikuma
利根型重巡洋艦Tone-class heavy cruisers 2番艦Second ship
1942年(昭和17年)10月26日、南太平洋海戦Battle of the South Pacificで大破badly damaged。
日本軍Imperial Japanese Forcesは空母翔鶴(しょうかく)Aircraft carrier Shokakuと空母瑞鳳(ずいほう)Aircraft carrier
Zuihoが大破badly damage・中破half damageという損害を受けたものの、アメリカ海軍United States Navyの空母ホーネットAircraft carrier
Hornetを撃沈attack and sunk、空母エンタープライズAircraft carrier
Enterpriseを中破half damageという戦果military achievementsを挙げ、戦術的には日本軍Imperial Japanese Forcesの勝利victoryであった。
しかし多数の航空機Military aircraftと搭乗員pilotsを失い、また戦闘Battleの主目的であるガダルカナル島Guadalcanal Island飛行場Airfieldも占領occupationできなかった。
空母瑞鳳(ずいほう) Aircraft carrier Zuiho
瑞鳳型航空母艦Zuiho-class aircraft carrierの1番艦First
ship
1942年(昭和17年)10月26日、南太平洋海戦Battle of the South Pacificで中破half damaged。
1942年(昭和17年)10月に行われた南太平洋海戦Battle of the South Pacificでは、日本海軍Imperial Japanese Navy機動部隊Mobile Unit/Forceの攻撃により、アメリカ海軍United States Navyの大型空母large aircraft carrier空母ホーネットAircraft carrier
Hornetを撃沈attack and sunk、大型空母large aircraft
carrier空母エンタープライズAircraft carrier Enterpriseを大破badly damagedさせた。
先立って空母サラトガAircraft carrier
Saratogaが大破badly damage、空母ワスプAircraft carrier
Waspを日本潜水艦Japanese submarineの雷撃torpedo attackによって失っていたアメリカ海軍United States Navyは、一時的にではあるが太平洋戦線Pacific frontにおける可稼動空母Aircraft carrierが皆無という危機的状況へ陥った。
空母ホーネット Aircraft carrier Hornet アメリカ海軍US Navy
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrier 3番艦Third
ship
1942年(昭和17年)10月26日、南太平洋海戦Battle of the South Pacificで沈没Sunk。
日本Imperial Japanは空母瑞鶴(ずいかく)Aircraft carrier Zuikaku以下5隻の空母Aircraft carrierを有し、数の上では圧倒的優位な立場に立ったが、度重なる海戦Naval battleで熟練搭乗員Veteran pilotsが消耗してしまったことと補給線supply lineが延びきったことにより、前線frontへの投入ができず新たな攻勢に打って出ることができなかった。
それでも、数少ない空母Aircraft carrierを損傷しながらも急ピッチで使いまわしたアメリカ軍US Armed Forcesと、ミッドウェー海戦Battle of Midwayのトラウマtraumaもあってか空母Aircraft carrierを出し惜しんだ日本軍Imperial Japanese Forcesとの差はソロモン海域Solomon Sea Areaでの決着をつける大きな要因になったといえる。
空母エンタープライズ Aircraft carrier
Enterprise アメリカ海軍US Navy
ヨークタウン級航空母艦Yorktown-class aircraft carrierの2番艦Second ship
1942年(昭和17年)10月26日、南太平洋海戦Battle of the South Pacificで中破half damaged。
しかし、米軍US Armed Forcesの修理能力Repair abilityは高く、わずか数日で、発着陸Departure and landing可能なまでに回復recoverする。
日本軍Imperial Japanese Forcesは再び戦艦比叡(ひえい)Battleship Hiei・戦艦霧島(きりしま)Battleship
Kirishimaを含む艦隊Fleetを派遣Dispatch…
そこで待ち構えていた米艦隊US Fleetと夜間砲撃戦Night artillery
battleに突入する(第三次ソロモン海戦Third Battle of the
Solomon Sea)。
夜戦Night battleには絶対の自信を持っていた日本軍Imperial Japanese Forcesだが、この海戦Naval battleでは米軍US Armed Forcesのレーダーradarの前に敗れる。
近藤信竹(こんどう・のぶたけ) Nobutake Kondo 中将Lieutenant General
「なぜだ?
なぜ敵の弾ばかり当たる!?」
日本軍Imperial Japanese Forcesは、戦艦比叡(ひえい)Battleship Hiei・戦艦霧島(きりしま)Battleship
Kirishimaなど戦艦Battleship 2隻、その他を失う惨敗Catastrophic defeat。
ソロモンSolomon方面Directionは次第に敗色濃厚probable defeatとなっていった。
戦艦比叡(ひえい) Battleship Hiei
金剛型戦艦Kongo-class battleship 2番艦Second
ship
1942年(昭和17年)11月13日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
第三次ソロモン海戦
Third
Battle of the Solomon Sea
第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaは、1942年(昭和17年)11月12日~15日にソロモン海Solomon Seaで行われた日本海軍Imperial Japanese Navyとアメリカ海軍United States Navy、オーストラリア海軍Australian Navyとの間で行われた海戦Naval battle。
連合国軍Allied forcesの勝利victoryにより日本軍Imperial Japanese Forces増援部隊Reinforcement
unitは阻止され、ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanalは連合国軍Allied forces優勢となっていくきっかけとなった。
戦艦霧島(きりしま) Battleship Kirishima
金剛型戦艦Kongo-class battleshipの4番艦Fourth ship。
1942年(昭和17年)11月15日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで、日本海軍Imperial Japanese Navyは戦艦battleship 2隻を失い敗北defeatした。
アメリカ軍US Armed Forcesはガダルカナル島Guadalcanal Island周辺において航空優勢Air superiorityを獲得、日本軍Imperial Japanese Forcesの輸送船Transport shipを撃破し、補給supplyを妨害し、物資輸送Goods transportationを封じ込めた。
ガダルカナル島Guadalcanalでは補給supplyが覚束なくなり、餓死die of starvationする日本軍兵士Imperial Japanese Soldierが続出した。
後に一部の司令部headquartersよりガダルカナル島Island Guadalcanalは「餓島Starvation Island」と皮肉られた。
駆逐艦暁(あかつき) Destroyer Akatsuki
吹雪型駆逐艦(ふぶきがた)Fubuki-class destroyerの21番艦21st ship
1942年(昭和17年)11月13日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
重巡洋艦衣笠(きぬがさ) Heavy cruiser Kinugasa
青葉型重巡洋艦Aoba-class Heavy cruiser 2番艦Second ship
1942年(昭和17年)11月14日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
軽巡洋艦ジュノー Light Cruiser
Juneau アメリカ海軍US Navy
アトランタ級軽巡洋艦Atlanta-class Light Cruisersの2番艦Second
ship。
1942年(昭和17年)11月13日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
伊号第二十六潜水艦 Submarine I-26
1942年(昭和17年)11月13日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで軽巡洋艦ジュノーLight Cruiser Juneauを魚雷攻撃により轟沈Sunk。
軽巡洋艦アトランタ Light cruiser
Atlanta アメリカ海軍US Navy
アトランタ級軽巡洋艦Atlanta-class Light Cruisersの1番艦First
ship。
1942年(昭和17年)11月13日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで沈没Sunk。
駆逐艦フレッチャー Destroyer Fletcher アメリカ海軍US Navy
フレッチャー級駆逐艦Fletcher-class destroyers 1番艦Lead
ship
1942年(昭和17年)11月13日、第三次ソロモン海戦Third Battle of the Solomon Seaで、戦艦比叡(ひえい)Battleship Hieiに攻撃を行い、後の自沈に貢献した。
一方、ガダルカナル島Guadalcanal Islandの奪回に失敗していた陸軍Imperial Japanese Armyは、今度こそヘンダーソン飛行場Henderson Airfieldを奪取すべく、精鋭の第2師団を送り込む。
10,000にもおよぶ兵力military forceで、米軍US Armed Forcesを海岸に追い落とす作戦である。
丸山政男(まるやま・まさお) Masao Maruyama 中将Lieutenant General
だが、この攻撃も米軍US Armed Forcesに先手を打たれ、いたずらに戦力をすり減らすだけだった。
空も海もともに米軍US Armed Forcesに制圧され日本軍Imperial Japanese Forcesは補給Supplyすら行えなくなり…
兵員soldiersは飢えStarvationに苦しみ餓島Starvation Island(ガダルカナル島Guadalcanal Island)と呼ばれる悲惨な戦場Miserable
battlefieldと化したのである。
そこで、食糧provisionsをドラム缶drum canに詰めて海上投下するという苦肉の補給策を行ったが焼け石に水a drop in the
bucketであり…
1942年(昭和17年)12月31日、大本営Imperial General Headquartersはガダルカナル島Guadalcanal Islandの放棄Abandonedを決定する。
翌1943年(昭和18年)2月、駆逐艦Destroyerを動員mobilizationし、救えるだけの兵員soldiersを乗せて、日本軍Imperial Japanese Forcesはガダルカナル島Guadalcanal Islandから撤退Withdrawalした。
サンタ・クルーズ諸島 Santa Cruz Islands
レンネル島沖海戦 Battle of Rennell Island
レンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandは、太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia War)のガダルカナル島攻防戦Battle of
Guadalcanalの最中、1943年(昭和18年)1月29日から30日にかけて、ソロモン諸島Solomon Islandsレンネル島Rennell Island沖において発生した海空戦Sea and air battle。
ガダルカナル島Guadalcanal Islandに接近中のアメリカ海軍United States Navy巡洋艦部隊Cruiser unitに、日本海軍Imperial Japanese Navyのラバウル航空隊Rabaul Naval Air
Corpsが陸上攻撃機Land-based Attack Aircraftで空襲Air-raidを敢行する。
1月29日の夜間空襲Night air raidと、1月30日の昼間強襲Daytime assaultにより、重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser
Chicagoを撃沈attack and sinkし、駆逐艦ラ・ヴァレットDestroyer La
Valletteを撃破した。
この海戦Naval battleでアメリカ軍US Armed Forcesは近接信管Proximity fuzeを使用したが、重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser
Chicagoの喪失を防げなかった。
重巡洋艦シカゴ Heavy Cruiser Chicago アメリカ海軍US Navy
ノーザンプトン級重巡洋艦Northampton class Heavy Cruisersの4番艦Fourth
ship
1943年(昭和18年)1月30日、レンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandで沈没Sunk。
1943年(昭和18年)1月、日本海軍Imperial Japanese Navyはソロモン諸島Solomon Islandsのレンネル島Rennell Island沖で行われたレンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandでアメリカ海軍United States Navyの重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser Chicagoを撃沈attack and sinkする戦果を挙げたが、ガダルカナル島Guadalcanal Islandの奪回Recaptureは最早絶望的となり、1943年(昭和18年)2月に日本陸軍Imperial Japanese Armyはガダルカナル島Guadalcanal Islandから撤退Withdrawal(ガダルカナル島撤収作戦Withdrawal
Operation from Guadalcanal)(ケ号作戦Operation Ke)した。
半年にも及ぶ消耗戦Attrition warfareにより、日米豪Japan, the United States and Australia両軍Both
armiesに大きな損害damageが生じたが、国力National powerに限界がある日本Imperial Japanにとっては取り返しのつかない損害damageであった。
これ以降、ソロモン諸島Solomon Islandsでの戦闘Battleは両軍Both armies拮抗したまま続く。
駆逐艦ラ・ヴァレット Destroyer La
Vallette アメリカ海軍US Navy
フレッチャー級駆逐艦Fletcher-class destroyerの一隻。
1943年(昭和18年)1月30日、レンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandで損傷。
一式陸上攻撃機 Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy
1943年(昭和18年)1月30日、レンネル島沖海戦Battle of Rennell Islandで重巡洋艦シカゴHeavy Cruiser
Chicagoを撃沈attack and sink。
ガダルカナル島撤収作戦
Withdrawal
Operation from Guadalcanal
ガダルカナル島撤収作戦Withdrawal Operation from Guadalcanalは、1943年(昭和18年)1月下旬から2月上旬にかけて日本軍Imperial Japanese Forcesが実施したガダルカナル島Guadalcanal Islandからの撤退作戦Withdrawal
Operation。
作戦呼称は「ケ号作戦Operation Ke」。
由来は捲土重来(けんど・ちょうらい)regain strength
backによる。
作戦Operationは、基地航空隊land-based air unitによる航空撃滅戦Air extermination battleを実施して制空権Air superiorityを確保したあと(この航空作戦Air operationsでレンネル島沖海戦Battle of Rennell
Islandが生起)、水雷戦隊Destroyer squadronによって撤退作戦Withdrawal Operationがおこなわれた。
駆逐艦巻波(まきなみ) Destroyer Makinami
夕雲型(ゆうぐも)駆逐艦Yugumo-class
destroyer
撤退Withdrawalは3回次に分けて行われ、沈没艦Sunken shipは駆逐艦Destroyer 1隻、損傷艦Damaged shipは駆逐艦Destroyer 3隻のみで、1943年(昭和18年)2月8日をもって日本軍Imperial Japanese Forcesの撤退Withdrawalは成功した。
撤退Withdrawal中に発生した戦闘についてはイサベル島沖海戦Battle of Isabel
Islandと呼称されることが多い。
撤退Withdrawalにより救出された日本軍Imperial Japanese Forcesは1万2千名余りだった。
このうち1200名は入院加療hospitalization for treatmentを必要とし、残りも大半はマラリアmalaria他の疾病diseaseに罹患していた。
また、この後も病死death from disease者多数を出している。
ガダルカナル島の戦いBattle of Guadalcanal全体では、約3万2000名が上陸landingし1万名が撤退Withdrawalに成功、戦死Killed in action 1万4000名、行方不明Missing 2500名であった。
1943年(昭和18年)2月9日、大本営Imperial General Headquartersはガダルカナル島Guadalcanal Islandからの転進(てんしん)change courseを発表した。
駆逐艦夕雲(ゆうぐも) Destroyer Yugumo
夕雲型(ゆうぐも)駆逐艦Yugumo-class
destroyerの1番艦First ship
ビスマルク海 Bismarck Sea
サンタ・クルーズ諸島 Santa Cruz Islands
ガダルカナル島撤収Withdrawal from Guadalcanal後、大本営Imperial General
Headquartersの既定方針にもとづき日本軍Imperial Japanese ForcesはパプアニューギニアPapua New Guineaに作戦の重点を移す。
1943年(昭和18年)3月初旬、ニューギニアNew Guineaの日本軍Imperial Japanese Forces拠点BaseラエLaeとサラモアSalamauaへ陸軍第51師団を増強しようとしたが、連合国United Nationsの空襲Air raidにより輸送船団convoy of transport shipsが壊滅devastationして大失敗abysmal failureに終わった(ビスマルク海海戦Battle of Bismarck
Sea)。
またソロモン諸島Solomon Islandsの防備Defenseについては、中部ソロモン諸島Central Solomon Islands(ニュージョージア諸島New Georgia Island、サンタイサベル島Santa Isabel Island)は日本海軍Imperial Japanese
Navyの、北部ソロモン諸島Northern Solomon
Islands(ブーゲンビル島Bougainville Island、ブカ島Buka Island)は日本陸軍Imperial Japanese
Armyの担任と定められた。
駆逐艦雪風(ゆきかぜ) Destroyer Yukikaze
陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class
destroyers 8番艦Eighth
ship
駆逐艦時津風(ときつかぜ) Destroyer Tokitsukaze
陽炎(かげろう)型駆逐艦Kagero-class
destroyers 10番艦である
マッカーサー Douglas MacArthur
ビスマルク海海戦 Battle of Bismarck Sea
ビスマルク海海戦Battle of Bismarck Seaは、1943年(昭和18年)3月2日から3月3日に、ビスマルク海Bismarck Seaからダンピール海峡Dampier Straitにかけての海域Sea areaで、ダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur陸軍大将Army general指揮下の連合国軍Allied forcesニューギニアNew Guinea・オーストラリアAustralia方面部隊Direction unitが日本軍Imperial Japanese Forcesの輸送船団convoy of transport shipsに対し航空攻撃Air strikeを行ったことで発生した戦闘Battleのこと。
B-24リベレイターConsolidated B-24 Liberator
アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces 1941年(昭和16年)
四発重爆撃機four-engine heavy bomber B-17と比べて、全ての面で上回っていた
B-17フライング・フォートレス Boeing B-17 Flying
Fortress
駆逐艦島風(しまかぜ) Destroyer Shimakaze
ガダルカナル島Guadalcanal Islandを完全に手中に収めた米軍US Armed Forcesの次なる目標は日本軍Imperial Japanese Forcesの一大拠点major baseラバウルRabaulを、ソロモンSolomonとニューギニアNew Guineaの両面から攻撃することにあった。
マッカーサー Douglas MacArthur
「これからが本番real performanceだ!」
それに対して日本軍Imperial Japanese ForcesはラバウルRabaulの基地baseに航空機aircraftを増強Augmentationさせ制空権Air superiority・制海権Command of the seaを奪い返そうと期した。
山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Commander-in-Chiefが直接指揮する「い号作戦Operation I-Go」である。
1943年(昭和18年)4月、「い号作戦Operation
I-Go」は決行され、ガダルカナル島Guadalcanal Island方面DirectionとニューギニアNew Guinea方面Directionで戦闘Battleが行われた。
山本五十六(やまもと・いそろく) Isoroku Yamamoto 海軍大将Admiral
「長官!
大戦果との報が相次いでおります。」
「うむ、それはなによりだ。」
オロ湾 Oro Bay
ミルン湾 Milne
Bay
い号作戦 Operation
I-Go
い号作戦Operation I-Goとは、日本海軍Imperial Japanese Navyが1943年(昭和18年)4月7日から15日にかけて南東方面艦隊Southeast Area Fleet(第十一航空艦隊、基地航空部隊)と第三艦隊Third Fleet(機動部隊)所属の艦載機Carrier-based
aircraftにより、ガダルカナル島Guadalcanal Islandやニューギニア島New Guinea Island南東部southeastのポートモレスビーPort Moresby、オロ湾Oro Bay、ミルン湾Milne Bayに対して空襲Air raidを行った作戦Operationである。
4月7日に実施された空襲Air raidは、大本営発表Imperial General Headquarters announcementによってフロリダ沖海戦Battle off Floridaと呼称された。
作戦名はいろは順の最初の文字にあやかって付けられた。
「前線frontを視察Inspectionに行くとしよう。
兵soldiersをねぎらってやらねばな。」
い号作戦Operation I-Go終了後の1943年(昭和18年)4月18日…
山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoの乗った一式陸上攻撃機Type 1 Land-based
Attack Aircraftがブーゲンビル島Bougainville Island上空にさしかかった時…
無線wirelessの暗号cryptographを解読deciphermentし、待ち伏せambushしていた米軍機US military
aircraftにより、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoは撃墜Shot downされた。
山本五十六(やまもと・いそろく) Isoroku Yamamoto 海軍大将Admiral
海軍甲事件 Navy A Incident
海軍甲事件(かいぐん・こうじけん)Navy A Incidentとは、太平洋戦争Pacific War中の1943年(昭和18年)4月18日に、前線frontを視察Inspection中の連合艦隊Combined Fleet司令長官Commander-in-Chief山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto海軍大将Admiralの搭乗機Boarding planeがアメリカ軍US Armed Forces戦闘機Fighter
aircraftに撃墜Shot downされ、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoが戦死death in battleした事件Incidentである。
アメリカUSA側名称はヴェンジェンス作戦Operation Vengeance。
日本海軍Imperial Japanese Navyは1943年(昭和18年)4月7日からい号作戦Operation I-Goを実行し、ソロモン諸島Solomon Islands、ニューギニアNew Guinea方面Directionの連合国United Nations艦隊Fleetに攻撃を加えた。
このい号作戦Operation I-Goが成功successを収めて4月16日に終了した。
戦艦武蔵(むさし) Battleship Musashi
大和型戦艦Yamato-class battleshipの2番艦2nd ship
この間、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefは、トラック島Truk Islandsの連合艦隊Combined Fleet旗艦flagship「戦艦武蔵(むさし)Battleship Musashi」を離れ、「い号作戦Operation I-Go」を直接指揮するため、幕僚staffを従えてラバウルRabaul基地baseに来ていた。
山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoは、ブーゲンビル島Bougainville Island、ショートランド島Shortland Islandの前線front航空基地Air baseの将兵officers and
soldiersの労をねぎらうため、ラバウルRabaulからブーゲンビル島Bougainville IslandのブインBuin基地baseを経て、ショートランド島Shortland Islandの近くにあるバラレ島Balalae Island基地baseに赴く予定を立てた。
その前線front視察Inspection計画は、艦隊司令部Fleet Commandから関係方面に打電wireされた。
この暗号電文Cryptographic
messageはアメリカ軍US Armed Forcesに傍受Interceptionされた。
チェスター・ニミッツ Chester Nimitz
アメリカ太平洋艦隊司令長官 Commander
in Chief, United States Pacific Fleet
日本Imperial Japan側は知らなかったが、アメリカ軍US Armed Forces情報部Information
Bureauは当時すでに日本軍Imperial Japanese Forcesの暗号解読Cryptanalysisに成功しており、この電文Telegramもただちに解読Decipherされ、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoの視察Inspectionの経路と予定時刻は米軍US Armed Forcesの把握するところとなった。
この情報Informationはすぐにアメリカ海軍US Navyのチェスター・ニミッツChester Nimitz太平洋艦隊Pacific Fleet司令長官Commander-in-Chiefに報告された。
P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces
ヴェンジェンスvengeance=報復、復讐。
真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborを立案した山本五十六(やまもと・いそろく)への報復vengeanceという意味が込められている。
無能な敵将であれば生かしておくほうが味方に利益である。
そのため山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoの前線front視察Inspectionの予定をつかんだニミッツChester Nimitzは幕僚staffと会議を開き、そもそも山本五十六(やまもと・いそろく)を殺害すべきなのかを検討した。
検討の結果、真珠湾攻撃Attack on Pearl
Harborの立案者として人望の高い山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoが戦死death in battleすれば日本軍Imperial Japanese Forcesの士気moraleが低下degradationすること、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefより優れた者が後任となる可能性は低いことを理由にニミッツChester Nimitzは山本五十六(やまもと・いそろく)の殺害を決断し、南太平洋方面軍South Pacific area
army司令官Commanderウィリアム・ハルゼーWilliam Halseyに山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefの行程を連絡、予備計画の作成を命令した。
ウィリアム・ハルゼー・ジュニア William Halsey
Jr. 提督admiral
作戦半径は非常に長距離だったが、ハルゼーWilliam Halseyは、山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoがきわめて時間に正確で今回も予定を守ることを前提に、航続距離Cruising distanceの長いガダルカナルGuadalcanalの陸軍機Army aircraft・P-38ライトニングLockheed P-38
Lightningならば途中で邀撃(ようげき)interceptionが可能と応答してきた。
一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 海軍Navy
1943年(昭和18年)4月18日
5時25分 P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning 18機、ガダルカナル島Guadalcanalヘンダーソン飛行場Henderson Field出撃。
7時35分にブーゲンビルBougainville上空に到着予定。
宇垣纏(うがき・まとめ) Matome Ugaki中将Lieutenant
General
6時05分 一番機に山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chiefと幕僚staff、二番機には連合艦隊Combined Fleet参謀長Chief of Staff宇垣纏(うがき・まとめ)Matome Ugaki中将Lieutenant
Generalほか幕僚staffが乗った一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 2機、および護衛escortの零式艦上戦闘機Type 0 carrier fighter 9機、ニューブリテン島New BritainラバウルRabaul東飛行場Airfieldを離陸。
零戦二二型(ぜろせん・にー・にー・がた) Zero fighter Model 22 海軍Navy
7時33分 P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning 16機(出撃後2機故障帰還)、V字編隊の一式陸上攻撃機Type 1 Land-based
Attack Aircraft 2機、零式艦上戦闘機Type 0 carrier
fighter 6機をブーゲンビル島Bougainville Island上空で発見、攻撃開始。
P-38ライトニングLockheed P-38 Lightning アメリカ陸軍航空軍US Army Air Forces
7時50分頃 山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamoto長官Chief搭乗の一式陸上攻撃機Type 1 Land-based Attack Aircraft 1番機被弾、モイラ岬のジャングルjungleに墜落Crash、戦死War deadした。
宇垣纏(うがき・まとめ)参謀長Chief of Staff搭乗の一式陸上攻撃機Type 1 Land-based
Attack Aircraft 2番機も被弾炎上し海上に不時着crash landing。
ガダルカナル島の戦い Battle of Guadalcanal
オロ湾 Oro Bay
その後、米豪軍U.S.
Australian Armyは、1943年(昭和18年)11月には日本軍Imperial Japanese Forcesの拠点baseであるブーゲンビル島Bougainville Islandに上陸landingし、ラバウルRabaulに接近するが…
その防備Defenseが固いと見たマッカーサーDouglas MacArthurは、包囲網encircling netだけ完成させ、次の目標に向けて、前進を開始した。
日本軍Imperial Japanese Forcesの防備Defenseが固い場所は素通して、補給路を分断する、いわゆる「蛙飛びLeapfrogging」作戦strategy(飛び石作戦Island Hopping)である。
マッカーサー Douglas MacArthur
その頃、ニューギニアNew Guinea方面Directionでは、日本Imperial Japanの第51師団が、米豪軍U.S. Australian
Army相手に奮闘し、2か月以上にわたって戦線Frontを保持Holdしていた。
ポートモレスビー作戦 Port Moresby Campaign
「この戦線Frontを破られたら潔く全員玉砕(ぎょくさい)honorable deathする!」
中野英光(なかの・ひでみつ) Hidemitsu Nakano 師団長division commander
「玉砕(ぎょくさい)honorable deathは不可!
なんとしても撤退Withdrawalせよ!」
安達二十三(あだち・はたぞう) Hatazo Adachi 中将Lieutenant
General
第18軍Eighteenth Army司令官Commander
しかしついに持ち堪えられなくなり…
第51師団51st Divisionは4,000m級のサワラケット山脈Salawaket rangeを数100kmにわたって撤退Withdrawalしていく。
サワラケット山脈 Salawaket range
8,000人あまりで開始された山脈越えCrossing the
mountainsは、途中2,000人以上が脱落omission。
目的地Destinationのキアリに着いた時には、1,000人以上が重傷Serious injuryに陥っていた。
ガダルカナル島Guadalcanal Islandを撤退Withdrawalし東部ニューギニアEastern New Guineaでも敗走Rout…
山本五十六(やまもと・いそろく)Isoroku Yamamotoの戦死death in battleと日本軍Imperial Japanese Forcesの勢いは陰った。
サラモアSalamaua Peninsula上空を飛行するB-24 B-24 Liberator
A US Army Air Forces B-24 Liberator
bomber, flying over explosions on the Salamaua Peninsula, where the port is
located.
ラエ・サラモアの戦い Battle of Lae-Salamaua
1943年(昭和18年)1月7日~1943年(昭和18年)9月16日
第二次世界大戦World War II中のニューギニア戦線New Guinea Campaignにおける戦闘Battleの1つ。
ニューギニア島東部Eastern New Guineaの要地key area positionラエLaeとサラモアSalamauaを占領occupationしていた日本軍Imperial Japanese Forcesを、オーストラリア軍Australian Armed forcesを主体とする連合軍Allied forcesが攻撃し、ラエLaeとサラモアSalamauaを奪還Recaptureした。
日本軍Imperial Japanese Forcesは標高elevation 4,100メートルのサラワケットSalawaket山系Cordilleraを越えて撤退Withdrawalした。
一方、アメリカUSAは圧倒的な物量quantityを投入し本格攻勢に出ていく…