グランド百貨店 Grand
Department Store 2010年(平成22年)
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Shop 2011年(平成23年)
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ユリシーズUlysses 1954年(昭和29年) イタリアの映画Cinema of Italy
オデュッセイアThe Odyssey 1997年(平成9年)
ヘルメスHermes (メルクリウスMercury)
アウトリュコスAutolycus("Lone Wolf")
泥棒thiefの守護神Guardian
deity・ヘルメスHermesを父fatherに、キオネChione(ダイダリオンDaedalionの娘daughter)を母motherとする。
盗みthiefと嘘Lieの名人Master。
パルナッソス山Mount Parnassus近くに妻wife・アンピテアAmphitheaと息子sonsたちと一緒に暮らしていた。
娘daughterのアンティクレイアAnticleaはラエルテスLaertesと結婚marriageしオデュッセウスOdysseusの母motherとなった。
アウトリュコスAutolycusはヘルメス神the god
Hermesを信奉Beliefし、盗んだものの姿・形・色を変える力を与えられたため、アウトリュコスAutolycusが盗みの犯人The thiefとされることはなかったという。
エウリュトスEurytusの牝馬Mare、シシュポスSisyphusの家畜domestic animals、アミュントルAmyntorの武具庫から革張りの兜などを盗んだが、牝馬Mareを盗んだときには、エウリュトスEurytusがヘラクレスHeraclesを犯人Criminalと勘違いしたため助かった。
パルナッソス山Mount Parnassus
しかし、シシュポスSisyphusには初めから疑われ、盗んだ家畜Stealed
livestockをすべて取り上げられた。
家畜livestockがだんだん減ってゆくことに気付いたシシュポスSisyphusが家畜livestockの蹄hoofに刻みをつけ変わった足跡FootprintsができるようにしてアウトリュコスAutolycusを追い、盗みthiefを白状confessionさせたのである。
償いとしてアウトリュコスAutolycusは、シシュポスSisyphusに娘daughterのアンティクレイアAnticleaと交わることを許した。
そのため、オデュッセウスOdysseusはアンティクレイアAnticleaとシシュポスSisyphusの子childと疑われた。
いずれにせよ、イタケIthacaを訪れたアウトリュコスAutolycusが、生まれた子にオデュッセウスOdysseusという名をつけたが、それは「憎しみの犠牲Sacrifice of hatred」という意味だったため、アウトリュコスAutolycusは人々に憎まれた。
オデュッソマイは「私は憎む」あるいは、「私は怒る」の意。
アウトリュコスAutolycusが世の中に常に腹を立てていたため付けられた名とする解釈もある。
シシュポスSisyphus
アイオロスAeolusとエナレテEnareteの息子son。
コリントス市Corinthの創健者Founderだが、最初はその市cityをエピュラEphyraと名づけた。
シシュポスSisyphusは狡猾Cunningさと悪知恵Cunningで名高かった。
このため、時々(神話の年代順と合わないが)大盗賊Great
thief・アウトリュコスAutolycusと結び付けられて考えられた。
後世の著述家たちはアウトリュコスAutolycusが彼の牛cattleを盗んだが、彼はそれを取り返したと言っている。
シシュポスSisyphusは前もって牛cattleの蹄hoofに刻み目をつけておいたので、アウトリュコスAutolycusが盗みthiefを否定してもそれが嘘Lieであることが証明できた。
イストマスIsthmus
それからアウトリュコスAutolycusの娘daughter・アンティクレイアAnticleaを誘惑して仕返しをした。
そのため彼女がオデュッセウスOdysseusを産んだとき、彼女の夫husband・ラエルテスLaertesではなく、シシュポスSisyphusがオデュッセウスOdysseusの父fatherであると噂された。
シシュポスSisyphusがエピュラEphyraを建設したとき、彼はメリケルテスMelicertesの死体を発見し、そこに埋葬して彼のためにイストミア競技祭the Isthmian gamesを創始した。
また彼は近隣のアクロコリントスthe
Corinthian Acropolisの高い丘を、望楼Watchtowerのある砦fortとして強化した。
アイギナAegina
ある日、シシュポスSisyphusはゼウスZeusが川riverのニンフnymphでアソポス河神the
river god AsopusとメトペMetopeの娘daughter・アイギナAeginaをさらっていくところを見かけた。
ゼウスZeusはアイギナAeginaをオイノネ島the island of Oenoneに連れて行き、そこで犯した。
アソポス河神the river god Asopusはあとを追って来て、シシュポスSisyphusに情報を提供してくれるように求めたので、彼はアクロコリントスthe Corinthian Acropolisに新鮮な泉fresh springを湧き出させてくれるなら、知っていることを教えようと約束した。
アソポス河神the river god Asopusはすぐに泉springを湧き出させた(ペイレネの泉)。
ヒュプノスHypnosとタナトスThanatos
ゼウスZeusはシシュポスSisyphusが暴露したことに激怒し、タナトスThanatos(死)を遣わして彼をハデスHadesの館に連れ去らせようとした。
しかし非常に狡猾CunningなシシュポスSisyphusは、うまくタナトスThanatosを騙して彼を縛り上げ、土牢dungeonに放り込んだ。
そのために人間が死ななくなってしまった。
そこで神々Godsはこの異常な現象を憂慮し、アレスAresを送り込んでタナトスThanatosを解放した。
タナトスThanatosはもう1度シシュポスSisyphusを捜し当て、冥界the Underworldに連れ去った。
しかし、シシュポスSisyphusは、そういう場合に備えて、妻wifeであるプレイアデスPleiadesの1人メロペMeropeにあらかじめ指示を与えておいた。
彼女はその指示に従って、彼の死体dead
bodyを埋葬burialせず、慣わしとなっている供物offeringも亡骸dead bodyに捧げなかった。
ハデスHadesはメロペMeropeが葬礼Funeralを行わなかったことに腹を立て、シシュポスSisyphusに自分の死体dead bodyを埋葬burialせよと言わせようと、彼を地上the
upper worldに戻した。
あるいは、ハデスHadesの妻wife・ペルセポネPersephoneがシシュポスSisyphusを地上the upper worldに返すように仕向けた。
ハデスHadesとペルセポネPersephone
しかし、まんまと地上the upper worldに戻りコリントス(コリント)Corinthへ帰ったシシュポスSisyphusは、ハデスHadesの命令を実行しようとせず暮らしを再開し、冥界the Underworldの神々Godsに逆らって長寿を全うした。
死後彼の亡骸dead bodyがタルタロスTartarusで罰せられたのは、彼がゼウスZeusについて告げ口Announcementをしたばかりではなく、このような不敬な行為Disrespectful actのためであると考えられた。
彼は、永久にPermanently丘hillに大きな石Big stoneを転がし上げるRoll upという罰punishmentを受けた。
石stoneはほとんど頂上the
topまで押し上げても、必ず下に転がり落ちてRoll downしまうのである。
長くイストマスIsthmus(コリントス地峡the Isthmus of Corinth)に君臨したのち、シシュポスSisyphusはその地に埋葬burialされた。
彼は4人の息子sonsを遺した。
グラウコスGlaucus、オルニュティオンOrnytion、テルサンドロスThersander、アルモスである。
アンティクレイアAnticlea
アウトリュコスAutolycusの娘daughter。
オデュッセウスOdysseusの母motherでラエルテスLaertesの妻wife。
父fatherがシシュポスSisyphusの家畜livestockを盗んだ償いとして、シシュポスSisyphusと交わった。
ホメロスHomerでは、ラエルテスLaertesがオデュッセウスOdysseusの父fatherとなっているが、ソフォクレスSophoclesなどの後代の作家は、オデュッセウスOdysseusの父fatherはシシュポスSisyphusであるとしている。
オデュッセウスOdysseusがトロイア戦争the Trojan Warに出征中に、母motherは息子sonの不在を嘆いて死んだが、オデュッセウスOdysseusは、冥界the Underworldを訪れたちとき母motherの亡霊Ghostに出会った。
Odysseus meets his father Laertes on his
return to Ithaca
ラエルテスLaertes
オデュッセウスOdysseusの父father。
アクリシオスAcrisiusとカルコメドゥサChalcomedusaとの、またはケパロスCephalusとプロクリスProcrisとの間の息子son。
有名な盗賊Famous thief・アウトリュコスAutolycusの娘daughter・アンティクレイアAnticleaを娶(めと)るmarry。
彼女・アンティクレイアAnticleaは結婚marriage当時、すでにシシュポスSisyphusによりオデュッセウスOdysseusを孕(はら)んでいたConceiveとする者もあるが、ホメロスHomerはこの事には触れていない。
オデュッセウスOdysseusが成長したとき、ラエルテスLaertesはおそらく老齢のためであろうが、王権throneを息子sonに譲った。
トロイア出征Troy expeditionやそれに続く放浪wanderingのためオデュッセウスOdysseusが不在中、ラエルテスLaertesはペネロペPenelopeやテレマコスTelemachusを求婚者たちsuitorsから護りきれなかった。
しかし、みじめな状態で引き籠もっていた彼・ラエルテスLaertesも、息子sonの帰還Returnに際しては息子sonとともに、求婚者たちsuitorsの家族との最後の戦いを戦い、アテナ女神the goddess Athenaの加護もあって敵のエウペイテスEupeithesを殺した。
のちにラエルテスLaertesは、アルゴナウタイthe Argonautsの遠征expeditionとカリュドンの猪狩りthe Calydonian Boar Huntの一員と考えられるようになった。
弓bow
イピトスIphitos
オイカリアOechaliaの王King・エウリュトスEurytusの息子son。
ヘラクレスHeraclesが弓術大会Archery competitionで勝った賞品prizeとしてイオレIoleを要求したとき、そしてエウリュトスEurytusの家畜livestockを盗んだstoleと疑われたとき、2度にわたって父fatherに反対しヘラクレスHeraclesに加勢した。
しかしのちに、狂気の発作seizure
of madnessを起こしたヘラクレスHeraclesに殺された。
盗まれたStolen父fatherの家畜livestockを捜していたとき、メッセネMesseniaでオデュッセウスOdysseusと出会い、友情のしるしSign of friendshipに父fatherがアポロンApollo神から贈られた弓bowを与えた。
ペネロペPenelope
スパルタ王King of Sparta・イカリオスIcariusと、水の妖精Water nymph・ナイアデスnaiadesの1人ペリボイアPeriboeaとの娘daughter。
イカリオスIcariusは娘daughterを失いたくなかったので、彼の兄elder brother・テュンダレオスTyndareusがペネロペPenelopeをオデュッセウスOdysseusと結婚marriageさせるように説得したとき、彼はオデュッセウスにスパルタSpartaに留まり一緒に暮らすようにと熱心に説いた。
これがうまくいかず、若い2人が出奔したとき、イカリオスIcariusは2人のあとを追って馬を走らせた。
そこでオデュッセウスOdysseusは自分と父親fatherとどちらを取るのかとペネロペPenelopeに迫った。
彼女は黙したままベールを頭にかけて、オデュッセウスOdysseusを選んだ。
ペネロペPenelopeの名は結婚marriageにおける貞淑chastityと忍耐Patienceの代名詞pronounである。
彼女は夫husbandの帰りを20年以上も待ち、その間、義父father in law・ラエルテスLaertesのために棺衣pallを昼間織り、夜になるとそれを密かにほどくことを繰り返して、3年間、求婚者suitorsたちを遠ざけて過ごした。
織り上がったら求婚proposal
of marriageに応ずると言っていたからである。
あれこれ窮余の策desperate
measureも行き詰まったとき、夫husbandが戻って来て、求婚者suitorsたちを討った。
オデュッセウスOdysseusは安全と分かるまでは、妻wifeに正体Identityを明かさなかった。
だが夫husbandが正体Identityを明かした時ですら、ペネロペPenelopeは、彼が2人のベッドの特別な構造について語って初めて、彼を受け入れた。
キルケCirce
2人にはテレマコスTelemachusという息子sonがあったが、彼は父fatherが戻ったときには20歳くらいであった。
それからペネロペPenelopeは第2子・プトリポルテス(「町の破壊者」)を産んだ。
オデュッセウスOdysseusの死後(のちの作家たちによれば)、ペネロペPenelopeはオデュッセウスOdysseusがキルケCirceとの間にもうけた息子son・テレゴノスTelegonusと結婚marriageし、イタロスItalusという息子sonを産んだという。
イタリアItalyの名は彼に由来する。
キルケCirceはペネロペPenelopeと、自分が結婚marriageした相手のテレマコスTelemachusとを不死immortalにした。
ペネロペPenelope(ギリシア語Greekで「あひるduck」の意)という名は、時々、次のような解釈を生んだ。
息子son・パラメデスPalamedesがオデュッセウスOdysseusに裏切られ殺されたことを怒ったナウプリオスNaupliusは、オデュッセウスOdysseusが死んだとの誤報false reportを広めた。
それでペネロペPenelopeは海で投身自殺Suicide
in the seaをはかったが、あひるduckによって救われたというのである。
水の妖精Water nymph・ナイアデスnaiades
イカリオスIcarius
スパルタ王King of Sparta・オイバロスOebalusと水の妖精Water nymph・ナイアデスnaiadesの1人バテイアBateiaとの息子son。
異母兄弟half brother・テュンダレオスTyndareusが兄弟brotherのヒッポコオンHippocoonにスパルタSpartaを追放されたとき、イカリオスIcariusと一緒に追われた。
しかし、イカリオスIcariusがどんなふうにこの事件に関わっていたかは、はっきりしていない。
テュンダレオスTyndareusはのちにヘラクレスHeraclesに助けられてスパルタ王King of Spartaに復位したが、イカリオスIcariusはテュンダレオスとともにスパルタSpartaに帰ったとも、あるいは亡命先のアカルナニアにそのまま留まり、ナイアデスnaiadesの1人ペリボイアPeriboeaと結婚marriageして、2人の娘daughters・ペネロペPenelopeとイプティメIphthimeと5人の息子sonsの父fatherとなった、とも言われる。
戦車Chariot
オデュッセウスOdysseusがペネロペPenelopeに求婚proposal of marriageしたとき、イカリオスIcariusは娘daughterを手離すことを渋り、結婚marriage後も娘daughterと一緒にスパルタSpartaの城に残るようオデュッセウスOdysseusに頼んだ。
オデュッセウスOdysseusがペネロペPenelopeとともに故郷Hometownへ向かう戦車Chariotの人となると、その戦車Chariotのあとを追い、娘daughterに城へ戻るよう説得に努めた。
しかし娘daughterは顔にベールVeilを被って、夫husbandのもとを去る意志のないことを父fatherに示した。
父fatherは娘daughterの心意気に負け、その地にon the spotアイドスAidos(「貞節Modesty」)の像statueを建立したerected。
トロイアの木馬Trojan Horse
アンテノルAntenor
アイシュエテスAesyetesとクレオメストラCleomestraとの息子son。
ダルダニア人Dardanian。
『イリアスIliad』では、ヘレネHelenがスカイアイ門the Scaean gateの物見の塔Watchtowerに座り、ギリシア軍the Greek armyの勇将Brave generalたちの名を1人ずつあげて説明するとき、プリアモスPriam王Kingらとそれを聞くトロイアの長老the Trojan
eldersの1人である。
ヘラクレスHeraclesがトロイアTroyを攻撃しヘシオネHesioneを奪い去ったときは、プリアモスPriam王Kingの命令を受けてヘシオネHesioneの返還returnを願いにギリシアGreeceへ渡った。
しかし、これは成功しなかった。
パリスParisがミュケナイ王King of Mycenae・メネラオスMenelausの留守中に王妃Queen・ヘレネHelenを奪いトロイアTroyへ戻ったとき、アンテノルAntenorはヘレネHelenを夫husbandのもとへ返すよう主張したが、パリスParisの父father・プリアモスPriam王Kingは息子sonを黙って許した。
また、オデュッセウスOdysseusとメネラオスMenelausが、ヘレネHelenの返還returnを求める使者としてトロイアTroyへ上陸したときも、一行を自分の家にとめ、プリアモスPriamの王子princeたちが彼らを殺そうとしたときは、彼らの側に立って守った。
豹Leopard
トロイア戦争the Trojan Warが始まってからも、平和裡に事を終結させようとする態度を一貫させ、後代の説では、ギリシア軍the Greek armyにトロイアTroyの城内からアテナの神像the statue of Athena・パラディオンPalladiumを盗み木馬wooden horseを造ることを勧めたのもアンテノルAntenorだと言われている。
トロイアTroyが陥落fallしたとき、アンテノルAntenorは妻wife・テアノTheanoとともにオデュッセウスOdysseusとメネラオスMenelausに助けられた。
オデュッセウスOdysseusとメネラオスMenelausは、アンテノルAntenorの館の戸口に豹の皮Leopard skinをかけて彼らが危害を加えられぬように守った。
メネラオスMenelaus
トロイア戦争the Trojan War後のアンテノルAntenorについては諸説がある。
トロイアTroyを再興したとする説、メネラオスMenelausとともにアフリカAfricaに渡りキュレネCylleneに落ち着いたとする説、トロイア戦争the Trojan Warでピュライメネス王をなくしたパプラゴニアのエネトイ、あるいはウェネティ人を率いて小アジアAsia Minorからアドリア海the Adriatic Seaを北上し、そこに落ち着いてウェネティ人の祖となったとする説など。
なお、その地は、彼らの名をとってヴェネティアVeniceと呼ばれ、アンテノルAntenorがそこに建設したパタウィウムPataviumが現在のパドヴァPaduaの町である。
トロイア戦争the Trojan Warのとき、アイネイアスAeneasとともにダルダニア軍the Dardanian armyを率いて戦ったアルケロコスArchelochusとアカマスAcamasは、アンテノルAntenorとアテナ女神the goddess Athenaに仕えた妻wife・テアノTheanoとの間に生まれた幾人かの息子sonsたちのうちの2人である。
アルゴスArgos
ナウプリオスNauplius
「航海者Voyager」の意。
アミュモネAmymoneの息子sonのナウプリオスNaupliusの子孫descendantsで、古典ではしばしば彼と混同されている。
アルゴスArgos近くのナウプリアの王King of Nauplia・クリュトネオスClytoneusの息子son。
アルゴナウタイthe Argonautsの1人で、のちにナウプリアの王King of Naupliaとなり、積極的に奴隷売買Slave traffickingを行った。
アルカディアArcadiaのテゲア市the
city of Tegeaの王King・アレオスAleusの娘daughter・アウゲAugeがヘラクレスHeraclesによってテレポスTelephusを身ごもった時、アレオスAleusは娘daughterを溺死させるか売るかするようにと指示を与えて、娘daughterをナウプリオスNaupliusに託した。
アウゲAugeはテウトラスTeuthras王Kingに売られた。
Achilles (right) scapes rust from his spear on
the wound of the seated Telephus
ミノスMinos王Kingの息子son・カトレウスCatreusは、子供childrenの1人が自分を殺すだろうとの神託oracleがあったので、娘daughtersたち・アエロペAeropeとクリュメネClymeneをナウプリオスNaupliusに与えた。
ナウプリオスNaupliusはアエロペAeropeをアトレウスAtreusに売り、自分はクリュメネClymeneと結婚marriageした。
クリュメネClymeneはパラメデスPalamedes、オイアクスOeax、ナウシメドンNausimedonの3人の息子sonsを産んだ。
パラメデスPalamedesはその後トロイアTroyでギリシア人the Greeksによって石で打たれて死に、オデュッセウスOdysseusの復讐revengeの犠牲Sacrificeとなった。
ナウプリオスNaupliusは我が子の償いcompensationを要求しにトロイアTroyに船Shipで渡った。
アガメムノンAgamemnon
ギリシア人たちthe GreeksがナウプリオスNaupliusに対する援助を拒むと、彼はギリシアGreekの指揮官Commandersたちの家々をまわり、妻wivesたちに夫husbandsを裏切って姦通adulteryするようにと促した。
さらにギリシアの艦隊Greek
fleetが故郷Hometownに向かっているとき、ナウプリオスNaupliusはカペレウス岬に偽りのかがり火False
bonfireを焚き、これによって嵐が起きたとき、多くの者が岩にぶつかって死ぬようにしむけた。
この行為の結果、ナウプリオスNaupliusは自国を離れざるを得なくなり、カルキディケに逃れたと言われる。
一説によれば彼は他の者を死なせたと同じように、偽りのかがり火False
bonfireに騙されて死んだという。
アガメムノンAgamemnon
パラメデスPalamedes
ナウプリオスNaupliusとカトレウスCatreusの娘daughter・クリュメネClymeneとの息子son。
その名は「便利な」ないしは「器用な」を意味する。
彼はギリシア語のアルファベットthe
Greek alphabetのうち数文字supplementary lettersのほか、チェッカーcheckerや賽ころ遊びDice
playの発明者Inventorであると考えられている。
アガメムノンAgamemnonの有能な召使いCompetent servantで、トロイア戦争the Trojan Warに従軍ServeさせるためヘレネHelenのかつての求婚者suitorsたちを集めるよう、メネラオスMenelausとともに派遣Dispatchされた。
求婚者suitorsたちは、ヘレネHelenの夫husbandが誰になろうとも彼に万一のことがあった場合は彼を助けるという誓いを立てていたのである。
その誓いを提案したのはオデュッセウスOdysseusであったが、彼は従軍Serviceを避けようとして策略を使った。
だが、パラメデスPalamedesにそれを見抜かれ、オデュッセウスOdysseusは無理やり従軍Serviceさせられた。
このためオデュッセウスOdysseusはパラメデスPalamedesを恨み続け、一行がトロイアTroyに着いたとき、十分な仕返しをした。
まずオデュッセウスOdysseusはパラメデスPalamedesのテントtentの下に一定量の金goldを注意深く隠した。
あるいは1日だけギリシア陣営Greek
campを動かさなくてはならない夢を見たと総大将・アガメムノンAgamemnonに話し、パラメデスPalamedesのテントtentがあった所に金goldを隠した。
それからオデュッセウスOdysseusは、パラメデスPalamedesがギリシア陣営Greek campを裏切れば、隠してある金goldと同量の金goldを与えると約束するトロイア王King of Troy・プリアモスPriamからパラメデスPalamedesに当てた手紙を偽造fake letterした。
その手紙fake letterは1人のプリュギア人Phrygianの奴隷slaveの手で横取りされるように段取りされたが、それを読んだアガメムノンAgamemnonはギリシア陣営Greek camp内の探索を命じた。
プリアモスPriam
パラメデスPalamedesのテントtent内で金goldが発見されると、アガメムノンAgamemnonは軍隊armyにパラメデスPalamedesを引き渡し、石打ちの罰Stoning punishmentによって死に至らしめた。
別の説other accountsでは、オデュッセウスOdysseusとディオメデスDiomedesがパラメデスPalamedesに井戸wellの中に金goldがあると告げ、パラメデスPalamedesが見ようと井戸wellの中へ降りたとき、彼めがけて石を投げつけたという。
さらに別の説other accountsでは、パラメデスPalamedesが魚釣りをしているときに、溺死させたdrownedという。
アキレウスAchillesとアイアスAiasは彼のために立派な埋葬をした。
パラメデスPalamedesの父father・ナウプリオスNaupliusは息子sonの死に対する賠償compensationを要求しようとトロイアTroyに来たが、何も手にしないで帰された。
しかし彼は、ギリシアGreeceの指揮官Commandersの妻wifeたちに夫husbandに背いて浮気capriciousnessをさせ、さらに艦隊fleetが故国Homelandに向かったときには多くの船Shipsを難破Wreckさせて復讐revengeを遂げた。
Diomedes and Athena
attacking Ares
ディオメデスDiomedes
テュデウスTydeusとデイピュレDeipyleの息子son。
アルゴスの王King of Argos。
『イリアスIliad』では、彼はトロイア戦争the Trojan Warでのギリシア側Greek sideの偉大な武将warriorで、オデュッセウスOdysseusの友人ということになっている。
ホメロスHomerの叙事詩epicに語られている冒険adventureの他に、彼はたくさんの冒険adventureをしたと信じられていた。
彼の父father・テュデウスTydeusはポリュネイケスPolynicesの七将the seven captainsの1人としてテバイThebesを襲った際に戦死death in battleした。
母mother・デイピュレDeipyleはテバイに向かう七将the Seven Against Thebesを導いたアルゴスの王King of Argos・アドラストスAdrastusの娘daughterだった。
ディオメデスDiomedesは七将the seven captainsの息子sonsたち(エピゴノイEpigoniあるいは「第2世代second generation」として知られる)の1人で、彼らは成長してから父fatherたちの復讐revengeをするためにテバイThebesへ進軍した。
父fatherたちは不運だったが、息子sonsたちは大成功を収め、アドラストスAdrastusの息子son・アイギアレウスAegialeusただ1人を失っただけだった。
アドラストスAdrastusは悲しみに打ちひしがれ、帰国の途中メガラMegaraで死んだ。
The Combat of Diomedes
ディオメデスDiomedesはアドラストスAdrastusの娘daughterの子childとしてアルゴスArgosの摂政regent(あるいは王King)になり、エウリュアロスEuryalusとともにアイギアレウスAegialeusの息子son・キュアニッポスCyanippusの後見人Guardianになった。
彼はアドラストスAdrastusの孫娘granddaughter、つまり彼の従姉妹CousinにあたるアイギアレイアAegialeiaと結婚marriageした。
テバイ陥落the fall of Thebesののち、ディオメデスDiomedesはアグリオスAgriusの息子sonsたちを罰するためにアルクマイオンAlcmaeonとともにカリュドンCalydonへ行った。
アグリオスAgriusの息子sonsたちは、不当にもオイネウスOeneus(テュデウスTydeusの父father、つまりディオメデスDiomedesの祖父grandfather)の老年につけこんでその王座throneを奪ったのだった。
ディオメデスDiomedesはアグリオスAgriusとその息子sonsたちを追い払い、その多くを殺し、オイネウスOeneusを復位させた。
オイネウスOeneusが年を取りすぎて統治できなくなったとき、ディオメデスDiomedesはオイネウスOeneusの義理の息子son-in-law・アンドライモンAndraemonに跡を継がせ、祖父grandfather・オイネウスOeneusをアルゴスArgosに連れてきたが、祖父grandfatherはやがてその地で死んだ。
彼はオイネウスOeneusに因んで命名された町city・オイノネOenoeに葬られた。
ディオメデスDiomedes
ディオメデスDiomedesはヘレネHelenの求婚者suitorsの1人であり、また、トロイア戦争Trojan WarでメネラオスMenelausが彼女を奪い返すのを助けた。
彼はアルゴスArgos、ティリュンスTyrins、トロイゼンTroezen、エピダウロスEpidaurus、アイギナAeginaから80隻の船shipsを指揮した。
彼の部下にステネロスSthenelus、エウリュアロスEuryalusがいた。
ある説によれば、彼はオデュッセウスOdysseusがイピゲネイアIphigeneiaをアウリスAulisに連れて来るのを助け、またオデュッセウスOdysseusが策を用いてパラメデスPalamedesを死に至らしめるのを助けたという。
オデュッセウスOdysseusと同じく、ディオメデスDiomedesもアテナAthenaから特別の庇護protectionを受けた。
Diomedes
attacking Aeneas-Aphrodite stands behind him
彼女の援助によって、彼はわずか1日のうちに、トロイアTroyの貴族・パンダロスPandarusを殺し、アイネイアスAeneasに傷を負わせ、神々と戦ってアレスAresを敗走させ、アプロディテAphroditeを槍で突いて傷つけた。
リュキアLyciaの指揮官・グラウコスGlaucusと対峙したとき、2人は決闘に及ぶ代わりに、父祖以来の両家の親しい関係を知って鎧を交換した。
この交換によって、ディオメデスDiomedesの方が得をした。
なぜなら、彼の鎧が青銅製であったのに対し、グラウコスGlaucusの鎧は黄金製だったからである。
ネストルNestor
彼はネストルNestorの馬Horseが殺されたときにネストルNestorを救い、彼とともにヘクトルHectorを追跡した。
またディオメデスDiomedesはオデュッセウスOdysseusとともにトロイア陣営Trojan campに夜襲Night attackをかけてドロンDolonを討ち、トラキアの王King of Thrace・レソスRhesusとその部下Subordinates 12人とを殺した。
さらにオデュッセウスOdysseusとともにピロクテテスPhiloctetesをレムノス島the island of LemnosからトロイアTroyに連れ帰った。
というのは、オデュッセウスOdysseusに捕えられた予言者Prophet・ヘレノスHelenusが、ピロクテテスPhiloctetesの存在なしにはギリシアGreeceの勝利victoryはあり得ないと予言Prophecyしたからである。
Ajax the
Lesser drags Cassandra from the Palladium.
またディオメデスDiomedesは、アテナの神像the statue of
Athena・パラディオンPalladiumを所有する側が勝利victoryを占めるとヘレノスHelenusが予言Prophecyしたので、女神像the statue of the goddessをトロイアの砦Trojan fortから盗むためにオデュッセウスOdysseusに同行したと言われる。
アテナAthenaに助けられて、ディオメデスDiomedesはトロイア戦争Trojan War後、無事に早く帰還した数少ないギリシア人Greeksの1人となった。
しかしその間にアプロディテAphroditeはディオメデスDiomedesの槍で傷つけられた復讐として、彼の妻wife・アイギアレイアAegialeiaがステネロスSthenelusの息子son・コメテスCometesの愛人となるように仕向けた。
これはある説では、ナウプリオスNaupliusの仕業ということになっていて、彼は息子son・パラメデスPalamedesをディオメデスDiomedesに殺された仕返しに、アイギアレイアAegialeiaをそそのかしてこの情事に走らせたのだという。
毛皮をまとって偵察に向かうドロンDolon
Dolon crawling on all fours in his wolf skin
ドロンDolon
トロイアTroyの伝令官herald・エウメデスEumedesの一人息子only son。
トロイア戦争the Trojan War中、ギリシア軍the Greek armyは、浜に乗り上げた船shipを防護するために要塞Fortressを建設したが、たまたまアキレウスAchillesが戦場battlefieldに出なくなってしまったために、ヘクトルHectorの率いるトロイア軍the Trojan armyを恐れたギリシア軍the Greek armyはその要塞Fortressから出られず、内部に閉じ込められる形となった。
そんな時、ヘクトルHectorは要塞Fortress内部の様子を探ろうとしてスパイspyを募ったが、そのとき彼は報酬prizeとしてアキレウスAchillesの戦車chariot(二輪戦車、チャリオット)を引く馬horsesを与えると約束した。
そのスパイspyの役目を引き受けたのがドロンDolonだった。
ドロンDolonは風采の上がらない男だったが、白イタチwhite weaselの皮skinの帽子capを被り、狼の皮wolf skinで覆った弓を持って、城市から離れてあったトロイアの陣Trojan campをあとにした。
アキレウスAchilles
ギリシア陣営Greek campに近づいたとき、彼は、暗闇の中で、トロイア陣地Trojan campを偵察reconnaissanceに行く途中のオデュッセウスOdysseusとディオメデスDiomedesに見つけられてしまった。
彼らはドロンDolonをわざと行き過ごさせてから、そのあとを追い、彼を捕えて、トロイア陣営Trojan campと、到着したばかりのトラキアの王the King of Thrace・レソスRhesusの軍隊armyとに関して、彼が知っていることのすべてを白状させた。
そのあとで、ドロンDolonが巨額の身代金を申し出たにもかかわらず、ディオメデスDiomedesは彼を殺し、奪った彼の武具は近くの繁みに隠し、トロイア陣Trojan camp内のレソスRhesusの軍隊armyの寝込みを襲って一暴れしたのち、それをギリシアの船陣Fleetへ持ち帰った。
皮肉なことに、ドロンDolonにアキレウスAchillesの馬horsesの1組を与えると約束したヘクトルHectorは、死後アキレウスAchillesにその死体を戦車chariotに結びつけられ、その馬horsesたちに引きずられていく運命にあった。
エウリピデスEuripidesは『レソスRhesus』の中で、ドロンDolonを、ホメロスHomerが描いたよりは好意的に描いている。
上方に眠っているレソスRhesusを討つディオメデスDiomedes、
下方にレソスRhesusの白馬を奪うオデュッセウスOdysseusが描かれている。
レソスRhesus
トラキアの王the King of Thraceで、トロイアTroyのプリアモスPriamの味方。
ホメロスHomerは彼をエイオネウスEioneusの息子sonと述べているが、エウリピデスEuripidesの作と伝えられる劇『レソスRhesus』では、父fatherはストリュモン河神the
river god Strymon、母motherはムーサイMousai(ミューズたちthe Muses)の1人・エウテルペEuterpeである。
ホメロスHomerは言及していないが、レソスRhesusの神話に関する後世の言い伝えによると、もしポセイドンPoseidonの贈り物であった彼の名馬fine horseがトロイアTroyの牧草を食み、スカマンドロス川the
river Scamanderの水を飲むならば、トロイアTroyは決してギリシア軍the Greek armyの手に落ちることはなかろうという予言があったと言われる。
レソスRhesusはトロイア戦争the Trojan Warの10年目、つまりヘクトルHectorがギリシアの船Greek shipに大襲撃をかけた前の日になって、やっとトロイアTroyに到着した。
一説によれば、彼が遅れたのはトラキアThraceに侵入したスキュティア軍Scythiaのためであったと言われる。
Water, or the Fight of
Achilles against Scamander and Simoeis
トロイアTroyに向かう途中、レソスRhesusはキオスChiosを訪れ、その地で自分と同じように狩猟を楽しむアルガントエArganthoneと結婚marriageした。
トロイアTroy近辺に上陸すると、彼はトロイア市郊外にいたトロイア軍the Trojan armyのすぐ近くで野営した。
その夜オデュッセウスOdysseusとディオメデスDiomedesは、トロイア軍the Trojan armyに敵情偵察のために奇襲を仕掛けた。
アテナ女神the goddess Athenaと捕虜にしたトロイアTroyの密偵ドロンDolonとに助けられてレソスRhesusの分遣隊を不意打ちにし、眠っているレソスRhesusと12人の部下Subordinatesを殺し、彼の馬horsesたちを追い払った。
レソスRhesusの遺体は母motherのエウテルペEuterpeに引き取られてトラキアThraceに運ばれた。
彼の魂はロドペ山の洞窟に落ち着き、そこで神託oracleを与えたと言われる。
またアルガントエArganthoneは、彼の死を聞くとトロイアTroyに赴き、夫husbandの亡骸にすがりながら悲しみのあまり死んでしまったという。
Sorrowful Ajax
アイアスAjax 大アイアスAjax the great
サラミスの王king of Salamis・テラモンTelamonとペリボイアPeriboeaの息子sonで、テウクロスTeucerの異母兄the elder half-brother。
アイアスAjaxという名は「鷲eagle」にあたるギリシア語Greek・アイエトスに由来し、彼の生まれる前にヘラクレスHeraclesが、友人のテラモンTelamonに強い子が生まれるようにゼウスZeusに祈ったとき、父father・テラモンTelamonが鷲eagleを目にしたことに因むという。
『イリアスthe
Iliad』におけるアイアスAjaxは、アキレウスAchillesに次いで2番目に偉大な武将で、大きな楯を持って戦場に望む姿は塔のように見えた。
口数は少なくゆっくり話したが、優しい心とたいへんな勇気の持ち主であった。
しばしば異母弟the younger half-brother・テウクロスTeucerと並んで戦ったが、そんなとき優れた射手のテウクロスTeucerは兄elder brotherの楯に隠れて弓を射た。
また、もう1人のアイアスAjax the lesserとともに戦うこともあった。
彼はギリシア軍the Greek armyの防壁のようなもので、しばしば危険な戦況にあって味方の背後を守った。
アイアスAjaxもヘレネHelenの求婚者suitorsの1人であったが、彼らは誰がヘレネHelenの夫husbandになろうとも、その者を守るという誓いを立てていた。
アイアスAjaxはサラミスSalamisから12隻の船を引き連れてギリシア軍the Greek armyに加勢しただけであったが、彼個人の武力は彼の部隊のそれとは比較にならないくらい強かった。
ヘクトルHectorと一騎討ちをして、大きな岩でもう少しで相手を倒すところだったが、日没のため引き分けとなった。
それから2人は飾り物を交換し、ヘクトルHectorは剣a
sharp swordを、アイアスAjaxは紫色の剣帯a
purple sashを相手に贈った。
Ajax battling Hector
ギリシア軍the Greek armyがアキレウスAchillesのもとに使節団を送ってアキレウスAchillesの戦場battlefieldへの復帰を促したとき、アイアスAjaxも親友の1人として使節団に加わったが、談合はオデュッセウスOdysseusにまかせた。
次の日、オデュッセウスOdysseusが苦境に陥って傷を負ったとき、アイアスAjaxがこれを助けた。
浜に引き揚げてあるギリシア軍the Greek armyの艦船shipを守る防壁のそばまでトロイア軍the Trojan armyが押し寄せたとき、アイアスAjaxはもう1人のアイアスAjax the lesserとともに目覚ましい働きをして、メネステウスMenestheusを救い、トロイア軍the Trojan armyの攻撃を食い止めた。
しかし、トロイア軍the Trojan armyが艦隊fleetを襲ったとき、アイアスAjaxは、大きな棍棒を振り回して甲板を歩き、多くの矢の目標となりながらギリシア軍the Greek armyの抗戦を指揮していたが、敵が船shipに火を放つのを防ぐことはできなかった。
パトロクロスPatroclus
折よくパトロクロスPatroclusと彼が率いるミュルミドンthe Myrmidones軍がかけつけて、この難局を切り抜けることができた。
パトロクロスPatroclusが討たれ、ヘクトルHectorに鎧armorを剥ぎ取られたとき、アイアスAjaxは自分の楯をその遺骸dead bodyにかけた。
パトロクロスPatroclusの葬礼競技the funeral gamesにおいてアイアスAjaxはいくつかの競技に参加した。
レスリングwrestlingではオデュッセウスOdysseusと引き分けになり、槍の試合Spear matchではディオメデスDiomedesに敗れた。
のちに、アキレウスAchillesがパリスParisの矢arrowに当たって死んだとき、オデュッセウスOdysseusが敵の攻撃を食い止めている間にアイアスAjaxがアキレウスAchillesの遺体dead bodyをギリシア陣Greek camp内に運んで鎧armorを守った。
アイアスAjaxの死に関しては幾つかの説がある。
その中で最も重要な説は『オデュッセイアthe Odyssey』の中に少し出ていて、ソフォクレスSophoclesの『アイアスAjax』で詳しく述べられているものである。
アイアスの自害The suicide of Ajax.
この話によれば、アキレウスAchillesの死後だれが彼の鎧armorを受け継ぐかについて論争があり、アイアスAjaxもオデュッセウスOdysseusもともにこれを要求した。
ギリシア軍the Greek armyの指揮官たちはそれを投票で決めたとも言うし、また別の説によれば、彼らは、捕えたトロイアTroyの預言者・ヘレノスHelenusに決定を委せたとも言う。
いずれにしても鎧armorはオデュッセウスOdysseusの手に渡った。
そこでアイアスAjaxは味方の軍隊に夜討ちを仕掛けようとしたが、アテナ女神the goddess Athenaが彼の気を狂わせたので、味方の兵士たちの代わりに羊の群れを殺した。
正気にかえったあと、恥ずかしさと後悔の念にさいなまれたアイアスAjaxは、ヘクトルHectorから贈られた剣で自害した。
その血が地面に染み込んだとき(場所は彼の故国・サラミス島Salamisであるとも言う)、そこからアイリスirisの花が咲き出たが、その花びらにAIの文字の形が記されていた。
それは、彼の名の最初の2文字でもあり、ギリシア語Greekで「悲しいかな!」という意味でもある。
アヤメ(菖蒲、文目、綾目)Iris sanguinea
また、オデュッセウスOdysseusの船shipが放浪中に難破したとき、アキレウスAchillesの鎧armorがトロアスTroad(トロイアTroy)にあるアイアスAjaxの墓の近くの海岸に打ち上げられ、神の裁きによって、アイアスAjaxは争っていた品をついに手に入れた、という説もある。
アイアスAjaxの死後、アガメムノンAgamemnonとメネラオスMenelausは、はじめ、アイアスAjaxが発狂したときに犯した行為を理由にして、彼の死体を葬ることを許そうとしなかったが、オデュッセウスOdysseusが彼らを説得して譲歩させた。
しかし、また別の説によれば、彼はアキレウスAchillesと同じように、パリスParisの矢arrowに射られたが、彼が幼いころヘラクレスHeraclesがその体をライオンの皮lion's skinで包んで不死身Immortalにしていたために、トロイア人the Trojansは彼を粘土の下に生き埋めにしたとも言われている。
もう1つの説では、彼はオデュッセウスOdysseusに殺されたことになっている。
アイアスAjaxには、愛妾favourite concubineのテクメッサTecmessaとの間に息子son・エウリュサケスEurysaces(「幅広の楯」)がいて、アイアスAjaxは彼をプリュギア人the
Phrygiansとの戦に連れて行った。
この息子sonはテラモンTelamonの跡を継いでサラミスSalamisの王Kingとなった。
木馬wooden horseを建造するエペイオスEpeius。
エペイオスEpeius
パノペウスPanopeusの息子son。
パトロクロスPatroclusの葬礼競技the funeral gamesで、輪投げではしくじったが、拳闘boxingではエウリュアロスEuryalusを打ち負かした。
彼はアテナ女神the goddess Athenaの助けを得て、トロイアの木馬the Trojan wooden horseを建造した。
ウェルギリウスVergilius(バージルVergil)は、トロイアの木馬the Trojan wooden horseの中に潜んだギリシアの戦士たちthe Greek warriorsの中に、彼をも含めている。
のちの言い伝え(おそらくそれは『トロイアの劫掠(こうりゃく)Sack of Troy』で、エペイオスEpeiusをアトレイダイAtridae(アガメムノンAgamemnonとメネラオスMenelausとを指す)の水運搬人Water carrierとして描いた叙情詩人Lyric poet・ステシコロスStesichorusに基づいているのであろうが)では、彼は臆病者Cowardということになっている。
Sinon is brought to Priam
シノンSinon
ギリシア人たちthe Greeksがトロイアの木馬the Trojan wooden horseをトロイア門前の野Field in front of Trojan Gateに置き去りにしたとき、そのうちの1人シノンSinonはあとに残り、わざとトロイア兵Trojan soldiersに捕えられた。
彼はオデュッセウスOdysseusの親戚Relatives(アウトリュコスAutolycusが2人の祖父grandfatherにあたる)だったが、オデュッセウスOdysseusに裏切られて殺されたパラメデスPalamedesの従者だとトロイア人the Trojansに偽った。
彼はオデュッセウスOdysseusが自分を嫌っていると言い、ギリシア人the GreeksはアポロンApolloの神託oracleに従って、順調に帰国の途につけるように自分を人身御供human sacrificeに選んだのだと述べて、トロイア人the Trojansの慈悲にすがった。
トロイアの木馬Trojan Horse
また彼はトロイア人the Trojansに木馬wooden horseの目的を偽って説明し、木馬wooden horseはオデュッセウスOdysseusとディオメデスDiomedesがトロイアTroyの要塞Fortressからアテナの神像the statue of Athena・パラディオンPalladiumを盗んだため、その喪失を悲しむアテナ女神the goddess Athenaを慰めるために捧げた物であると言って彼らを安心させた。
シノンSinonはさらに、予言者Prophet・カルカスCalchasが、もしトロイア人the Trojansが木馬wooden horseを燃やせば彼らは破滅するだろう、だがもし彼らが木馬wooden horseを城内に入れればトロイアTroyは難攻不落になるだろうと告げた、と説明した。
このような偽りを信じたトロイア人the Trojansは城壁を壊し、あるいは城門を広くして木馬wooden horseを城内に入れ、同時にシノンSinonを安全に匿った。
その夜遅く彼はテネドス島the
island of Tenedosにいるギリシア人the Greeksに烽火Signal
fireで合図を送り、木馬wooden horseを開けて中に隠れていた勇士たちを連れ出した。
こうしてトロイアTroyはギリシア人the Greeksの手に落ちた。
Laocoön and His Sons
ラオコオンLaocoon
アコイテスAcoetesの息子son。
カピュスCapysの息子sonでアンキセスAnchisesの兄弟brother。
ポセイドンPoseidonに仕えたトロイアの神官the Trojan priest。
ギリシア人the Greeksから贈られた木馬wooden horseを信じるなとトロイア人the Trojansに警告を発し、自らの槍spearを木馬wooden horseの脇腹sideに投じたが、そのすぐあとで、テネドス島the island of Tenedosから泳ぎ渡って来た2匹の大蛇two giant serpentsによって、2人の若い息子sonsたちとともに殺された。
ラオコオンLaocoonの死は、木馬wooden horseに働いた乱暴のためにポセイドンPoseidonないしはアテナAthenaから罰が下ったのだと人々は信じ、人々は木馬wooden horseを当初あった平原から市内へと引っ張って行った。
彼らのそのような決断は、ギリシア側のスパイthe undercover Greek soldierであるシノンSinonが語った偽りの話を信じたためであった。
彼は木馬wooden horseはアテナAthenaに対する捧げ物で、もしトロイア人the Trojansが木馬wooden horseを壊せばトロイアTroyはアテナAthenaによって陥落fallさせられるが、木馬wooden horseを城壁の中に入れればアテナAthenaが市の安全を保証しよう、と語ったのである。
ラオコオンLaocoonと息子sonsたちの非業の死unnatural
deathに対して2つの説明がなされた。
まずウェルギリウスVergilius(バージルVergil)の支持する説によれば、アテナAthenaが、トロイア人たちthe
TrojansにシノンSinonの話は本当なのだと思い込ませ、それによってトロイア人たちthe
Trojansが木馬wooden horseに騙され、自ら運命を決してしまうようにしたいと思ったからだという。
しかし、ヒュギヌスHyginusは別の理由を考えている。
すなわちラオコオンLaocoonはアポロンApolloに仕える神官priestで、彼の罰は戦争Warとは何の関係もなく、彼が仕えていた神の命に背いて結婚marriageしたからなのであった。
後者の説に従えば、蛇giant
serpentsはラオコオンLaocoonを殺したあと、アポロンの神殿the temple of
Apolloに隠れたが、ウェルギリウスVergilius(バージルVergil)の説によれば、蛇giant
serpentsはアテナの神殿the temple of
Athenaに向かい、アテナ像the statue of
Athenaが捧げ持っていた楯の背後に隠れたことになっている。
トロイアの木馬the Trojan Horse
トロイアの木馬the Trojan Horseは、ギリシア神話Greek mythologyのトロイア戦争the Trojan Warにおいて、トロイアTroy(イリオスIlium)を陥落fallさせる決め手となったとされる装置である。
トロイの木馬the Trojan Horseとも言われる。
木でできており、中に人が隠れることができるようになっていた。
転じて、内通者や巧妙に相手を陥れる罠を指して「トロイの木馬the Trojan Horse」と呼ぶことがある。
トロイア戦争the Trojan Warにおいて、ギリシア勢Greeksの攻撃が手詰まりになってきたとき、オデュッセウスOdysseusが木馬wooden horseを作って人を潜ませ、それをトロイアTroy(イリオスIlium)市内に運び込ませることを提案した。
参加して日の浅いネオプトレモスNeoptolemusとピロクテテスPhiloctetesは戦いに飢えていたので反対したが、戦いに倦(う)んでいた他の諸将は賛成した。
これはトロイア戦争the Trojan Warの始まる前、3つの神託oracleがギリシア勢Greeksに下された為である。
Ajax the
Lesser drags Cassandra from the Palladium.
その神託oracleとは、ネオプトレモスNeoptolemusの戦争Warへの参加、トロイアTroy(イリオスIlium)にあるアテナの神殿the Temple of Athenaにある神像statue(パラディオンPalladium)がトロイアTroyの外に持ち出されること、トロイアTroy(イリオスIlium)城正門の鴨居が壊されることで、この3つが果たされなければトロイアTroy(イリオスIlium)城が陥落fallすることは無いとのものであった。
この時点でネオプトレモスNeoptolemusは戦争Warに参加していたため、オデュッセウスOdysseusとディオメデスDiomedesがパラディオンPalladiumを盗み出し、巨大な木馬giant wooden horseを製作して、トロイア人the Trojansがこれを城内に入れる際、自ら進んで門を破壊するよう仕向ける事にしたのである。
このため、強くはなくとも大工の技Carpenter's skillに長けていたエペイオスEpeiusが木馬wooden horseの製作を指揮することとなった。
エペイオスEpeiusはイデ山Mount Idaから木を切り出させ(自軍の船の木材を転用したとも)それを材料に木馬wooden horseを組み立てた。
木馬wooden horse作成の過程は、トリピオドーロスの『トロイア落城Fall of Troy Castle』に最も詳しく書かれている。
ネオプトレモスNeoptolemus
木馬wooden horseが完成すると、ネオプトレモスNeoptolemus、メネラオスMenelaus、オデュッセウスOdysseus、ディオメデスDiomedes、ピロクテテスPhiloctetes、小アイアスAjax the lesserらが乗り込み、最後にエペイオスEpeiusが乗り込んで扉を閉じた。
木馬wooden horseをトロイアTroy(イリオスIlium)市内に運び込ませるためには、トロイア人the Trojansに顔を知られていない者が1人で残り、敵を欺く必要があった。
この役にはシノンSinonが立候補した。
残りのギリシア勢Greeksは寝泊りしていた小屋を焼き払い、船shipで近くのテネドス島the island of Tenedosに移動した。
夜が明けると、トロイア人the Trojansは、ギリシア人the Greeksが消えうせ、後に木馬wooden horseが残されていることに気がついた。
ギリシア人the Greeksが去って勝利victoryがもたらされたと信じたトロイア人the Trojansは、市内から出てきて木馬wooden horseの周りに集まり、シノンSinonを発見した。
Sinon is brought to Priam
トロイア人たちthe TrojansはシノンSinonを拷問tortureし、ギリシア人the Greeksの行方や木馬wooden horseの作られたいきさつを問いただしたが、シノンSinonは正しいことを言わず、
「ギリシア人the Greeksは逃げ去った。
木馬wooden horseはアテナAthenaの怒りを鎮めるために作ったものだ。
そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬wooden horseがトロイアTroy(イリオスIlium)城内に入ると、この戦争Warにギリシア人the Greeksが負けると予言者Prophet・カルカスCalchasに予言Prophecyされたためである」
としてトロイア人the Trojansを欺き通した。
欺かれたトロイア人the Trojansたちは木馬wooden horseを引いて市内に運び込んだ。
ラオコオンLaocoonとカッサンドラCassandraが市民たちをいさめ、木馬wooden horseに槍spearを投げつけた。
その直後、海seaから2匹の大蛇two
giant serpentsが現れ、ラオコオンLaocoonとその二人の息子sonsをくびり殺したため、市民たちは考えを変えた。
門は木馬wooden horseを通すには狭かったので、壊して通した。
そして、アテナの神殿the Temple of Athenaに奉納した。
トロイア人the Trojansはその後、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。
守衛さえも手薄になっていた。
市民たちが寝静まった夜、木馬wooden horseからオデュッセウスOdysseusたちが出てきた。
そして計画どおり松明Torchでテネドス島the island of Tenedosのギリシア勢Greeksに合図を送り、彼らを引き入れた。
その後ギリシア勢GreeksはトロイアTroy(イリオスIlium)市内をあばれまわった。
酔って眠りこけていたトロイア人たちthe Trojansは反撃することができず、アイネイアスAeneasなどの例外を除いて討たれてしまった。
トロイアTroyの王King・プリアモスPriamもネオプトレモスNeoptolemusに殺され、ここにトロイアTroyは滅亡fallした。
Astyanax, in
Andromache's lap, reaches to touch his father's helmet before his duel with
Achilles
アステュアナクスAstyanax
ヘクトルHectorとアンドロマケAndromacheの幼くして死んだ息子son。
『イリアスthe Iliad』では、父father・ヘクトルHectorの兜に翻る馬の尻尾の飾りを見て驚く、あどけない姿が描かれる。
そのときヘクトルHectorは、息子sonが立派な勇者になれるように神々に祈る。
スカマンドリオスScamandriusが本名であるが、父father・ヘクトルHectorがトロイアTroyを守る防壁the city's great defenderであったため、トロイアの人々the people of Troyはその幼な子を「都市の長」という意味のアステュアナクスAstyanaxの名で呼んだ。
オデュッセウスOdysseusに塔から突き落とされかかっているアステュアナクスAstyanax。
アンドロマケAndromacheが情けを乞う。
トロイアTroyが陥落fallすると、オデュッセウスOdysseusが、プリアモスPriamの血を引く男子は1人も生かしてはならぬと言ったため、メネラオスMenelausあるいはネオプトレモスNeoptolemusによって城壁the wallsから落とされて死んだ。
ヘクトルHectorの遺品の楯がアステュアナクスAstyanaxの柩に使われた。
アステュアナクスAstyanaxは捕虜としてギリシアGreeceに連れて行かれ、のちにトロイアTroyを再建した、とする説もある。
Ajax the
Lesser drags Cassandra from the Palladium.
アイアスAjax 小アイアスAjax the lesser
ロクリスのアイアスLocrian
Ajax。
ロクリスLocrisのオプスOpusの王King・オイレウスOileusの息子son。
ヘレネHelenの求婚者suitors suitorsの1人として『イリアスthe Iliad』中の重要人物である。
たぶんテラモンTelamonの息子sonのアイアスAjax the greatと同名のため、しばしば並んで戦ったが、2人は際立って対照的であった。
オイレウスOileusの息子sonのアイアスAjaxは背は低いが足が速く、槍投げの名手であった。
布袋の胴着をつけていた。
性格的にもテラモンTelamonの息子sonのアイアスAjax the greatとは際立った対照をなしていて、傲慢不遜で、神々、特にアテナ女神the goddess Athenaを憎んでいた。
パトロクロスPatroclusの葬礼競技the funeral gamesでは、戦車競争chariot racingの際イドメネウスIdomeneusに余計な侮辱insultを与えた。
徒競走the footraceでは勝つはずであったのに、アテナ女神the goddess Athenaがその勝利victoryを奪ってオデュッセウスOdysseusに与え、オイレウスOileusの息子sonのアイアスAjaxは牛の糞Cow dungですべって敗北defeatした。
そのため彼はアテナ女神the goddess Athenaを呪った。
Ajax and Cassandra
トロイア略奪the Sack of Troyののち、アイアスAjaxは自分自身およびギリシア人the Greeksに大きな禍をもたらすようなことをした。
すなわち、アテナ女神の神像the statue of
Athenaのもとに逃れていたカッサンドラCassandraを女神像the statue of the goddessから引き離して犯したのである。
その際に女神像the statue of
the goddessも倒してしまったが、女神像the statue of the goddessはその暴行を見ないように目を空に向けたまま横たわっていた。
他のギリシア人たちthe Greeksは、恐ろしい罪を犯したアイアスAjaxを殺そうとしたが、彼は自分が倒した女神像the statue of the goddessにしがみついたので、ギリシア人たちthe
Greeksも恐れて手を触れなかった。
岩礁上で神を蔑(なみ)Despiseする小アイアスAjax the lesser
アテナ女神the goddess Athenaはこの罪を犯したアイアスAjaxと、それを罰することができなかった他のギリシア人たちthe Greeksに罰を与えることを決意した。
ギリシアの艦隊Greek fleetが帰郷の途についたとき、アテナAthenaはゼウスZeusに願って暴風雨stormを起こさせ、艦隊fleetはエウボイアEuboea南部のカペレウス岬the
Capharean Rocksの沖で難破shipwreckした。
アテナAthenaはアイアスAjaxの船shipに雷Thunderを落としてこれを沈めたが、彼は岸に泳ぎ着き、神々の怒りに勝って無事生き延びたと自慢した。
しかしギュラエという岩山に登ったところポセイドンPoseidonに雷Thunderを落とされ、溺死Drowningした。
Poseidon killing Ajax the Lesser
言い伝えによれば、死後after deathアイアスAjaxはテティスThetisによってミュコノス島Myconosに葬られたが、まだ彼を許そうとしないアテナAthenaは、彼の祖国・ロクリスLocrisに厄病をはやらせたので、ロクリス人the
Opuntian Locriansは、デルポイの神託the Delphic oracleに従って、毎年2人の処女virginをトロイアTroyのアテナの神殿the temple of
Athenaに送って仕えさせることに同意した。
2人の処女virginは、トロイアTroyの住民の目に触れると殺されるので、見つからないように到着しなければならなかった。
この習慣は千年続いたと歴史時代以後のロクリス人the Opuntian Locriansは言っている。
パレス・シネマ Palace Cinema 豪華な映画館 2013年(平成25年)
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