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2020年7月16日木曜日

重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)三(み)隈(くま) Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
1935年(昭和10年) 同型(どうけい)艦(かん) 最上(もがみ) 鈴谷(すずや) 熊野(くまの) 大分県(おおいたけん)の三(み)隈川(くまがわ)(筑後(ちくご)川(がわ)の一部(いちぶ))
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)三(み)隈(くま) Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)三(み)隈(くま) Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)三(み)隈(くま) Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)三(み)隈(くま) Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)三(み)隈(くま) Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)最上(もがみ) Japanese heavy cruiser Mogami 12,200トン 200.6m
1935年(昭和10年) 最上型(もがみがた)重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)の1番(ばん)艦(かん) 三(み)隈(くま) 鈴谷(すずや) 熊野(くまの)
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)最上(もがみ) Japanese heavy cruiser Mogami 12,200トン 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)最上(もがみ) Japanese heavy cruiser Mogami 12,200トン 200.6m
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)筑摩(ちくま) Japanese heavy cruiser Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
1939年(昭和14年) 同型(どうけい)艦(かん) 利根(とね) 筑摩(ちくま)川(がわ)(千曲(ちくま)川(がわ))(信濃(しなの)川(がわ)の上流部(じょうりゅうぶ))
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)筑摩(ちくま) Japanese heavy cruiser Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)筑摩(ちくま) Japanese heavy cruiser Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)筑摩(ちくま) Japanese heavy cruiser Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)筑摩(ちくま) Japanese heavy cruiser Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)筑摩(ちくま) Japanese heavy cruiser Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
戦艦(せんかん)伊勢(いせ) Japanese battleship Ise 38,662t 220m 1917年(大正6年)
同型(どうけい)艦(かん) 日向(ひゅうが) 太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)後半(こうはん)に航(こう)空(くう)戦艦(せんかん)Aircraft cruiserへと改装(かいそう)
戦艦(せんかん)伊勢(いせ) Japanese battleship Ise 38,662t 220m 1917年(大正6年)

三(み)隈(くま)Japanese heavy cruiser Mikuma

最上型(もがみがた)重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)Mogami-class heavy cruiserの2番(ばん)艦(かん)

同型(どうけい)艦(かん) 最上(もがみ) 鈴谷(すずや) 熊野(くまの)

1935年(昭和10年) 200.6m 11,200t

大分県(おおいたけん)の三(み)隈川(くまがわ)(筑後(ちくご)川(がわ)の一部(いちぶ))

ロンドン軍縮(ぐんしゅく)条約(じょうやく)の制限下(せいげんか)に、15.5cm 3連装砲(れんそうほう)5基(き)を備(そな)える

基準(きじゅん)排水量(はいすいりょう)8,500トン級(きゅう)の軽巡洋艦(けいじゅんようかん)として計画(けいかく)された日本(にほん)海軍(かいぐん)の最上型(もがみがた)巡洋艦(じゅんようかん)。

4隻(せき)が建造(けんぞう)された最上型(もがみがた)の中でも、1番(ばん)艦(かん)の最上(もがみ)に続(つづ)く2番(ばん)艦(かん)として

1935年(昭和10年)8月に竣工(しゅんこう)したのが三(み)隈(くま)。

フレアーの付(つ)いた艦首(かんしゅ)やコンパクトにまとめられた艦橋(かんきょう)構造物(こうぞうぶつ)、

独特(どくとく)な誘導(ゆうどう)煙突(えんとつ)など最上型(もがみがた)特有(とくゆう)のスタイルを備(そな)えながら、

最上(もがみ)とは後部(こうぶ)マストやクレーンなど細部(さいぶ)で微妙(びみょう)な違(ちが)いが見(み)られた。

その後(ご)、ロンドン軍縮(ぐんしゅく)条約(じょうやく)脱退後(だったいご)の1939年(昭和14年)に

主砲(しゅほう)を20.3cm連装(れんそう)砲塔(ほうとう)に換(かん)装(そう)し、重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)に生(う)まれ変(か)わったのである。

同型(どうけい)艦(かん)の最上(もがみ)、鈴谷(すずや)、熊野(くまの)とともに第(だい)2艦隊(かんたい)第(だい)7戦隊(せんたい)を編制(へんせい)し、

1941年(昭和16年)12月の太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)開戦(かいせん)を迎(むか)えた三(み)隈(くま)は、

マレー上陸(じょうりく)作戦(さくせん)やバタビア沖(おき)海戦(かいせん)で奮戦(ふんせん)。

しかし1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で、

アメリカ潜水艦(せんすいかん)の攻撃(こうげき)を避(さ)けるための夜間(やかん)一斉(いっせい)回頭中(かいとうちゅう)に後続(こうぞく)する最上(もがみ)と衝突(しょうとつ)し、

さらに延(の)べ100機(き)以上(いじょう)の艦載機(かんさいき)による波状(はじょう)攻撃(こうげき)を受(う)けて大破(たいは)炎上(えんじょう)、

ミッドウェー沖(おき)に姿(すがた)を消(け)したのである。

 

最上(もがみ)Japanese heavy cruiser Mogami

最上型(もがみがた)重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)Mogami-class heavy cruiserの1番(ばん)艦(かん)

同型(どうけい)艦(かん) 三(み)隈(くま) 鈴谷(すずや) 熊野(くまの)

就役(しゅうえき) 1935年(昭和10年)7月28日

沈没(ちんぼつ) 1944年(昭和19年)10月25日

排水量(はいすいりょう) 12,200トン 全長(ぜんちょう) 200.6m

速力(そくりょく) 34.735ノット(64.3km/h)

山形県(やまがたけん)の最上(もがみ)川(がわ)

15.5cm 3連装砲(れんそうほう)5基(き)を備(そな)える基準(きじゅん)排水量(はいすいりょう)8,500トン級(きゅう)の軽巡洋艦(けいじゅんようかん)として

1931年(昭和6年)に計画(けいかく)された日本(にほん)海軍(かいぐん)の最上型(もがみがた)巡洋艦(じゅんようかん)。

建造(けんぞう)された4隻(せき)の中で、1935年(昭和10年)7月に竣工(しゅんこう)した1番(ばん)艦(かん)が最上(もがみ)。

1939年(昭和14年)には主砲(しゅほう)を15.5cm 3連装砲(れんそうほう)から20.3cm連装砲(れんそうほう)へ換(かん)装(そう)し、

重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)として太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)の開戦(かいせん)を迎(むか)えた。

最上(もがみ)は同型(どうけい)艦(かん)3隻(せき)とともに第(だい)2艦隊(かんたい)第(だい)7戦隊(せんたい)に配(はい)属(ぞく)され、

マレー上陸(じょうりく)部隊(ぶたい)の護衛(ごえい)部隊(ぶたい)として上陸(じょうりく)作戦(さくせん)を支援(しえん)。

翌(よく)1942年(昭和17年)3月のバタビア沖(おき)海戦(かいせん)では姉妹(しまい)艦(かん)の三(み)隈(くま)とともに、

アメリカ重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)ヒューストン、オーストラリア軽巡洋艦(けいじゅんようかん)パースを撃沈(げきちん)する戦果(せんか)をあげた。

その後(ご)、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦(かいせん)で受(う)けた損傷(そんしょう)の修(しゅう)復(ふく)工事(こうじ)を機(き)に、

索敵(さくてき)能力(のうりょく)を強化(きょうか)した航空(こうくう)巡洋艦(じゅんようかん)に改装(かいそう)されることとなった。

大(おお)きな改修(かいしゅう)を受(う)けた最上(もがみ)は第(だい)2艦隊(かんたい)に編入(へんにゅう)され、

1944年(昭和19年)10月のレイテ沖(おき)海戦(かいせん)に参加(さんか)。

日米(にちべい)最後(さいご)の大海戦(だいかいせん)となったこの戦(たたか)いで最上(もがみ)も敵(てき)艦載機(かんさいき)の攻撃(こうげき)を受(う)けて大破(たいは)炎上(えんじょう)、

味方(みかた)艦(かん)の雷撃(らいげき)によりその姿(すがた)を没(ぼっ)したのである。

 

筑摩(ちくま)Japanese heavy cruiser Chikuma

重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)Heavy cruiser

利根型(とねがた)重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)Tone-class Heavy cruiserの2番(ばん)艦(かん)

同型(どうけい)艦(かん) 利根(とね)

筑摩(ちくま)川(がわ)(千曲(ちくま)川(がわ))(信濃(しなの)川(がわ)の上流部(じょうりゅうぶ))

11,213トン 201.6m 869名(めい)

日本(にほん)海軍(かいぐん)が最後(さいご)に建造(けんぞう)した重巡洋艦が筑摩である。

2隻(せき)が建造(けんぞう)された利根型(とねがた)重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)の2番(ばん)艦(かん)として、

太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)が勃(ぼっ)発(ぱつ)する直前(ちょくぜん)の1939年(昭和14年)5月に竣工(しゅんこう)。

主砲(しゅほう)の20.3cm連装砲(れんそうほう)4基(き)をすべて艦(かん)の前部(ぜんぶ)に集中(しゅうちゅう)配置(はいち)し、

後部(こうぶ)には水上(すいじょう)偵察機(ていさつき)を最大(さいだい)6機(き)搭載(とうさい)できる設備(せつび)を持(も)つという、

砲戦(ほうせん)能力(のうりょく)と索敵(さくてき)能力(のうりょく)を両立(りょうりつ)させた、

当時(とうじ)としては画期的(かっきてき)なレイアウトが特徴(とくちょう)であった。

しかも合理的(ごうりてき)な船体(せんたい)設計(せっけい)により最大(さいだい)35ノットの高速力(こうそくりょく)と長大(ちょうだい)な航続(こうぞく)距離(きょり)を実現(じつげん)。

優(すぐ)れた索敵(さくてき)能力(のうりょく)と機動性(きどうせい)が着目(ちゃくもく)され、

姉妹(しまい)艦(かん)の利根(とね)とともに空母(くうぼ)機動(きどう)部隊(ぶたい)に編入(へんにゅう)された。

1941年(昭和16年)12月の真珠(しんじゅ)湾(わん)攻撃(こうげき)では、筑摩(ちくま)の搭載(とうさい)水上(すいじょう)偵察機(ていさつき)が

攻撃隊(こうげきたい)に先行(せんこう)して真珠(しんじゅ)湾(わん)を詳細(しょうさい)に偵察(ていさつ)、作戦(さくせん)を成功(せいこう)に導(みちび)いた。

それに続(つづ)くミッドウェー海戦(かいせん)やマリアナ沖(おき)海戦(かいせん)などでも艦隊(かんたい)の眼(め)として奮戦(ふんせん)。

そして1944年(昭和19年)10月のレイテ沖(おき)海戦(かいせん)では、

栗田(くりた)艦隊(かんたい)の先鋒(せんぽう)としてアメリカ護衛(ごえい)空母(くうぼ)ガンビア・ベイの撃沈(げきちん)に貢献(こうけん)したものの、

撃沈作(げきちんさく)戦中(せんちゅう)に米(べい)艦載機(かんさいき)の雷撃(らいげき)を受(う)けてサマール島(とう)沖(おき)で失(うしな)われた。

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