重巡洋艦三隈 Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
1935年(昭和10年) 同型艦 最上 鈴谷 熊野 大分県の三隈川(筑後川の一部)
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重巡洋艦三隈 Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
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重巡洋艦三隈 Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
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重巡洋艦三隈 Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
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重巡洋艦三隈 Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
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重巡洋艦三隈 Japanese heavy cruiser Mikuma 11,200t 200.6m
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重巡洋艦最上 Japanese heavy cruiser Mogami 12,200トン 200.6m
1935年(昭和10年) 最上型重巡洋艦の1番艦 三隈 鈴谷 熊野
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重巡洋艦最上 Japanese heavy cruiser Mogami 12,200トン 200.6m
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重巡洋艦最上 Japanese heavy cruiser Mogami 12,200トン 200.6m
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重巡洋艦筑摩 Japanese heavy cruiser
Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
1939年(昭和14年) 同型艦 利根 筑摩川(千曲川)(信濃川の上流部)
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重巡洋艦筑摩 Japanese heavy cruiser
Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
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重巡洋艦筑摩 Japanese heavy cruiser
Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
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重巡洋艦筑摩 Japanese heavy cruiser
Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
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重巡洋艦筑摩 Japanese heavy cruiser
Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
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重巡洋艦筑摩 Japanese heavy cruiser
Chikuma 11,213トン 201.6m 869名
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戦艦伊勢 Japanese battleship Ise 38,662t 220m 1917年(大正6年)
同型艦 日向 太平洋戦争後半に航空戦艦Aircraft cruiserへと改装
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戦艦伊勢 Japanese battleship Ise 38,662t 220m 1917年(大正6年)
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三隈Japanese heavy cruiser Mikuma
最上型重巡洋艦Mogami-class heavy cruiserの2番艦
同型艦 最上 鈴谷 熊野
1935年(昭和10年) 200.6m 11,200t
大分県の三隈川(筑後川の一部)
ロンドン軍縮条約の制限下に、15.5cm 3連装砲5基を備える
基準排水量8,500トン級の軽巡洋艦として計画された日本海軍の最上型巡洋艦。
4隻が建造された最上型の中でも、1番艦の最上に続く2番艦として
1935年(昭和10年)8月に竣工したのが三隈。
フレアーの付いた艦首やコンパクトにまとめられた艦橋構造物、
独特な誘導煙突など最上型特有のスタイルを備えながら、
最上とは後部マストやクレーンなど細部で微妙な違いが見られた。
その後、ロンドン軍縮条約脱退後の1939年(昭和14年)に
主砲を20.3cm連装砲塔に換装し、重巡洋艦に生まれ変わったのである。
同型艦の最上、鈴谷、熊野とともに第2艦隊第7戦隊を編制し、
1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦を迎えた三隈は、
マレー上陸作戦やバタビア沖海戦で奮戦。
しかし1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で、
アメリカ潜水艦の攻撃を避けるための夜間一斉回頭中に後続する最上と衝突し、
さらに延べ100機以上の艦載機による波状攻撃を受けて大破炎上、
ミッドウェー沖に姿を消したのである。
最上Japanese heavy cruiser Mogami
最上型重巡洋艦Mogami-class heavy cruiserの1番艦
同型艦 三隈 鈴谷 熊野
就役 1935年(昭和10年)7月28日
沈没 1944年(昭和19年)10月25日
排水量 12,200トン 全長 200.6m
速力 34.735ノット(64.3km/h)
山形県の最上川
15.5cm 3連装砲5基を備える基準排水量8,500トン級の軽巡洋艦として
1931年(昭和6年)に計画された日本海軍の最上型巡洋艦。
建造された4隻の中で、1935年(昭和10年)7月に竣工した1番艦が最上。
1939年(昭和14年)には主砲を15.5cm 3連装砲から20.3cm連装砲へ換装し、
重巡洋艦として太平洋戦争の開戦を迎えた。
最上は同型艦3隻とともに第2艦隊第7戦隊に配属され、
マレー上陸部隊の護衛部隊として上陸作戦を支援。
翌1942年(昭和17年)3月のバタビア沖海戦では姉妹艦の三隈とともに、
アメリカ重巡洋艦ヒューストン、オーストラリア軽巡洋艦パースを撃沈する戦果をあげた。
その後、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で受けた損傷の修復工事を機に、
索敵能力を強化した航空巡洋艦に改装されることとなった。
大きな改修を受けた最上は第2艦隊に編入され、
1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦に参加。
日米最後の大海戦となったこの戦いで最上も敵艦載機の攻撃を受けて大破炎上、
味方艦の雷撃によりその姿を没したのである。
筑摩Japanese heavy cruiser Chikuma
重巡洋艦Heavy cruiser
利根型重巡洋艦Tone-class Heavy cruiserの2番艦
同型艦 利根
筑摩川(千曲川)(信濃川の上流部)
11,213トン 201.6m 869名
日本海軍が最後に建造した重巡洋艦が筑摩である。
2隻が建造された利根型重巡洋艦の2番艦として、
太平洋戦争が勃発する直前の1939年(昭和14年)5月に竣工。
主砲の20.3cm連装砲4基をすべて艦の前部に集中配置し、
後部には水上偵察機を最大6機搭載できる設備を持つという、
砲戦能力と索敵能力を両立させた、
当時としては画期的なレイアウトが特徴であった。
しかも合理的な船体設計により最大35ノットの高速力と長大な航続距離を実現。
優れた索敵能力と機動性が着目され、
姉妹艦の利根とともに空母機動部隊に編入された。
1941年(昭和16年)12月の真珠湾攻撃では、筑摩の搭載水上偵察機が
攻撃隊に先行して真珠湾を詳細に偵察、作戦を成功に導いた。
それに続くミッドウェー海戦やマリアナ沖海戦などでも艦隊の眼として奮戦。
そして1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦では、
栗田艦隊の先鋒としてアメリカ護衛空母ガンビア・ベイの撃沈に貢献したものの、
撃沈作戦中に米艦載機の雷撃を受けてサマール島沖で失われた。