零式水上観測機 Type
Zero Observation Seaplane 1940年(昭和15年)
海軍 水上偵察機Reconnaissance floatplane 戦艦大和の搭載機
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零式水上観測機 Type
Zero Observation Seaplane 1940年(昭和15年)
海軍 水上偵察機Reconnaissance floatplane 戦艦大和の搭載機
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400 1944年(昭和19年)
特型潜水艦Special Type Submarine 3,530トン 122m 特殊攻撃機「晴嵐」3機搭載
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400 1944年(昭和19年)
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400 1944年(昭和19年)
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400 1944年(昭和19年)
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400 1944年(昭和19年)
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400 1944年(昭和19年)
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晴嵐 Aichi M6A Seiran (Clear Sky Storm) 1944年(昭和19年)
潜水艦搭載用の水上攻撃機Submarine-launched Attack
Floatplane
伊号第四百潜水艦の搭載機 小型軽量の急降下爆撃が可能
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晴嵐 Aichi M6A Seiran (Clear Sky Storm) 1944年(昭和19年)
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伊号第四百潜水艦 Japanese submarine I-400
伊四百型潜水艦I-400-class submarineの一番艦 伊401 伊402
特型潜水艦Special Type Submarine
隠密行動が可能な潜水艦から特殊攻撃機「晴嵐」を3機発進させるという、
史上類を見ない潜水空母Submarine aircraft carrierとして建造された。
全長122m、全幅12m、水中排水量6,560トンという威容は駆逐艦に匹敵し、
当時としては世界最大を誇った。
また、無寄港で地球を一周半できる長大な航続性能を備え、
アメリカ東海岸や連合軍の要衝パナマ運河に
奇襲攻撃をかけることも決して夢ではなかった。
1番艦の伊-400は太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)12月に竣工。
2番艦の伊-401と共に
ウルシー環礁のアメリカ機動部隊を攻撃に向かう途中で終戦を迎え、
ついに一度も実戦を経験することはなかった。
しかし、その性能は日本海軍の優れた技術力を世界に示し、
後の戦略ミサイル原潜の構想に繋がったとも言われている。
晴嵐 Aichi M6A Seiran (Clear Sky Storm)
制式採用 1944年(昭和19年)(皇紀2604年)
製造者 愛知航空機 生産数 28機
乗員2 最大速度474 km/h 航続距離1,540 km
潜水艦搭載用の水上攻撃機Submarine-launched Attack
Floatplane
伊四百型潜水艦による戦略爆撃の目的で開発
小型軽量の急降下爆撃が可能
潜水艦を母艦として海中ひそかに接近、カタパルトから発進して
パナマ運河などの重要目標を奇襲攻撃。
太平洋戦争中、航空機と潜水艦の組み合わせによる
世界に例を見ない構想に基づいて日本海軍が開発した特殊攻撃機。