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2020年7月16日木曜日

戦艦(せんかん)大和(やまと) Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
同型(どうけい)艦(かん) 武蔵(むさし) 信濃(しなの) 艦名(かんめい)は、奈良県(ならけん)の旧国名(きゅうこくめい)の大和国(やまとのくに)に由来(ゆらい)
零戦(ぜろせん)五二型(ごーにーがた) Zero fighter Model 52 1943年(昭和18年)
零式(れいしき)艦上(かんじょう)戦闘機(せんとうき)五二型(ごーにーがた) Type 0 carrier fighter Model 52
M4A3シャーマン M4A3 Sherman
米(べい)陸軍(りくぐん)U.S. Army 中戦車(ちゅうせんしゃ)Medium Tank 30t
平田(ひらた)弘史(ひろし)さんの模倣(もほう) 小学(しょうがく)五年生(ごねんせい)?
平田(ひらた)弘史(ひろし)さんの模倣(もほう) 小学(しょうがく)五年生(ごねんせい)?
「さいとう・たかを」さんの模倣(もほう) 小学(しょうがく)五年生(ごねんせい)?
宍戸(ししど)錠(じょう)さんの当時(とうじ)の月刊誌(げっかんし)の写真(しゃしん)より模倣(もほう) 小学(しょうがく)五年生(ごねんせい)?
「ビートルズ物語(ものがたり)?」の挿絵(さしえ)より模倣(もほう) 中学(ちゅうがく)二年生(にねんせい)?
中学(ちゅうがく)二年生(にねんせい)時(じ)の美術(びじゅつ)の授業(じゅぎょう)での版画(はんが)

Norimaki Sembeeの四(よ)方(も)山(やま)話(ばなし)

私(わたくし)こと、Norimaki Sembeeは、現在(げんざい)、満(まん)68歳(さい)のオッサンです。

あえて、ジイサンとは言(い)わない。

3、4歳(さい)の男(おとこ)の孫(まご)が仮面(かめん)ライダーの武器(ぶき)やベルト、仮面(かめん)で遊(あそ)ぶのを見(み)て、

自分(じぶん)もその年(とし)の頃(ころ)、玩具(おもちゃ)のサングラスと、風呂敷(ふろしき)をマント代(が)わりにして、

「月光(げっこう)仮面(かめん)」の真似事(まねごと)をして遊(あそ)んでいたことを思(おも)い出(だ)しました。

Norimaki Sembeeは小学(しょうがく)一年生(いちねんせい)から中学(ちゅうがく)一年生(いちねんせい)の春(はる)まで、「プラモ少年(しょうねん)」でした。

進学(しんがく)のための勉強(べんきょう)をするため、その後(ご)はやめてしまいました。

64歳(さい)の5月(がつ)に、当時(とうじ)2歳(さい)だった、先(さき)ほどの男(おとこ)の孫(まご)に、作(つく)って見(み)せるために、

プラモ造(づく)りを再開(さいかい)しました。

プラモ少年(しょうねん)にとって、「戦艦(せんかん)大和(やまと)」と「零戦(ぜろせん)」は最大(さいだい)のテーマでした。

が、小遣(こづか)いの乏(とぼ)しい少年(しょうねん)にとって、容易(ようい)に作(つく)れる代物(しろもの)ではなかった。

1959年(ねん)(昭和(しょうわ)34年(ねん))4月(がつ)に、小学(しょうがく)一年生(いちねんせい)になったNorimaki Sembee。

この年(とし)に、『週刊(しゅうかん)少年(しょうねん)マガジン』、『週刊(しゅうかん)少年(しょうねん)サンデー』が創刊(そうかん)される。

一部(いちぶ)30~40円(えん)だったように思(おも)う。

表紙(ひょうし)やグラビアは、小松崎(こまつざき)茂(しげる)氏(し)などのイラストレイターによる、

軍艦(ぐんかん)・戦闘機(せんとうき)・戦車(せんしゃ)などであった。

戦記(せんき)ブームの到来(とうらい)である。

同時(どうじ)にプラモデル・ブームの到来(とうらい)でもあった。

そしてNorimaki Sembeeのような「プラモ少年(しょうねん)」が多(おお)く生(う)まれた。

当時(とうじ)のプラモ・キットには粗悪品(そあくひん)も多かった。

1キット30~40円(えん)で、3~4パーツしかない代物(しろもの)もあった。

現在(げんざい)のガシャポンの景品(けいひん)みたいなものである。

小学(しょうがく)三年生(さんねんせい)(だったように思(おも)う)の時(とき)に、

350円(えん)もの大枚(たいまい)をはたいて、本格的(ほんかくてき)なキットを買(か)った。

某社(ぼうしゃ)の「走(はし)る零戦(ぜろせん)」である。

プロペラと尾(び)輪(りん)がモーターで駆動(くどう)し、

増加(ぞうか)タンクに単(たん)3乾電池(かんでんち)を入(い)れるという発想(はっそう)はよかった。

しかし、個々(ここ)の部品(ぶひん)が粗悪(そあく)で、当時(とうじ)のNorimaki Sembeeには完成(かんせい)できなかった。

また、当時(とうじ)のNorimaki Sembeeは小松崎(こまつざき)茂(しげる)氏(し)などを模倣(もほう)した

軍艦(ぐんかん)・戦闘機(せんとうき)・戦車(せんしゃ)などの絵(え)も描(か)いていた。

またその頃(ころ)、貸(かし)本屋(ほんや)ブームでもあった。

Norimaki Sembeeは「水木(みずき)しげる」さん、「さいとう・たかを」さん、

「平田(ひらた)弘史(ひろしし)」さんなどの漫画(まんが)をコピーしていた。

しかし、コピーは上手(じょうず)にできるけども、オリジナルな絵(え)を描(か)くことができないと悟(さと)って、

漫画家(まんがか)になることは断念(だんねん)しました。

中学(ちゅうがく)一年生(いちねんせい)の春(はる)に、「田宮(たみや)模型(もけい)」の「シャーマン戦車(せんしゃ)」と出会(であ)う。

電動式(でんどうしき)のキットである。

清水(きよみず)の舞台(ぶたい)から飛(と)び降(お)りる思(おも)いで、大枚(たいまい)1,300円(えん)をはたいて買(か)いました。

他社(たしゃ)のとは違(ちが)う、非常(ひじょう)に優良(ゆうりょう)なキットであった。

作製中(さくせいちゅう)は、期待(きたい)と不安(ふあん)で、ワクワクしていたのを、覚(おぼ)えています。

完成(かんせい)したときには、大(おお)いに感動(かんどう)したことを、覚(おぼ)えています。

数万(すうまん)円(えん)のキットも、無理(むり)なく買(か)える現在(げんざい)の境遇(きょうぐう)では、その感動(かんどう)は、もう味(あじ)わえません。

何故(なぜ)でしょうか?

小学校(しょうがっこう)の何年生(なにねんせい)頃(ころ)だったか、忘(わす)れてしまいましたが、

学校帰(がっこうがえ)りの途中(とちゅう)で、プラモ屋(や)さんに立(た)ち寄(よ)って、ショウ・ウィンドウに展示(てんじ)された

プラモ(おそらく、プラモのプロの製(せい)作者(さくしゃ)の手(て)によるものと思(おも)われる)を、

1時間(じかん)近(ちか)く、羨望(せんぼう)の眼差(まなざ)しで観(み)ていたことを、覚(おぼ)えています。

64歳(さい)の5月(がつ)に、プラモ造(づく)りを再開(さいかい)。

2年(ねん)8か月(げつ)で、普通(ふつう)のプラモ造(づく)りを終(お)える。

以後(いご)、10か月(げつ)で、レゴも終(お)えました。

せっかく造(つく)ったので、多(おお)くの方々(かたがた)に観(み)ていただきたく、このブログを投稿(とうこう)しました。

短時間(たんじかん)で撮(と)り、狭(せま)い場所(ばしょ)に沢山(たくさん)のプラモを並(なら)べていたために、

ピントを合(あ)わせるスペースもなく、ピンボケ写真(しゃしん)が多(おお)くなったことは、

大目(おおめ)に見(み)てください。

なお、1つのプラモを数(すう)か月(げつ)もかけて作(つく)るのは、性(しょう)に合(あ)わないので、

ほとんどが、手抜(てぬ)き作製(さくせい)ですので、そこんとこ、宜(よろ)しくお願(ねが)い致(いた)します。

今後(こんご)、個別(こべつ)に撮(と)った写真(しゃしん)を投稿(とうこう)したいと、思(おも)っています。

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