1節 日本の戦車 Japanese Tank
小松崎茂(こまつざき・しげる) 1959年(昭和34年)(6<7歳)~
戦艦大和(やまと) Battleship Yamato
宇宙戦艦ヤマト Space Battleship Yamato 松本零士(まつもと・れいじ)
1974年(昭和49年)
宇宙戦艦ヤマト Space Battleship Yamato 松本零士(まつもと・れいじ)
1974年(昭和49年)
北の界王 ドラゴンボール 鳥山明(とりやま・あきら) 1984年(昭和59年)
鬼滅の刃(きめつの・やいば) Demon Slayer 2016年(平成28年)~2020年(令和2年) 吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)
たま Tama she-cat
ぴょん Pyon she-cat
子猫物語(こねこ・ものがたり) 畑正憲(はた・まさのり) 1986年(昭和61年)
八九式中戦車 Type 89 medium tank (11.9t) 日本陸軍Imperial Japanese
Army
八九式中戦車 Type 89 medium tank
1929年(昭和4年)(皇紀2589年)制式採用
1928年(昭和3年)に開発Development・採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Armyの中戦車medium tank(11.9t)。
日本初first in Japanの国産domestic production制式戦車Formal
tankとして開発Development・量産Mass productionされた。
八九式中戦車Type 89 medium tankは1931年(昭和6年)の満州事変Manchurian Incidentで初陣one’s first battleを経験した。
1932年(昭和7年)に勃発した第一次上海事変First Shanghai incidentでは、八九式中戦車Type 89 medium tank 5輛が配備deploymentされた。
1933年(昭和8年)に発動された熱河作戦(ねっかさくせん)に於ける承徳(しょうとく)攻略戦Battleで、八九式中戦車Type 89 medium tankは悪路に起因する足回りの故障が多発し、活躍の主役はより高速な九二式重装甲車Type 92 Heavy Armoured Carに奪われた。
八九式中戦車 Type 89 medium tank (11.9t) 日本陸軍Imperial Japanese
Army
BT戦車(ベーテー・せんしゃ) BT tank ソ連軍Soviet Army
BT-5戦車 BT-7戦車 BT-2戦車 BT-5A戦車
1939年(昭和14年)のノモンハン事件Nomonhan Incidentにおいては、九五式軽戦車Type 95 light tankと少数の九七式中戦車Type 97 medium tankとともに中戦車medium tankの主力main forceとして投入された。
この戦いBattleでは、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankの対戦車戦闘Anti-tank combatにおける攻撃・防御両面Both attack and defense能力不足Insufficient abilityが露見Exposedした。
太平洋戦争Pacific War開戦時には、九五式軽戦車Type 95 light tank・九七式中戦車Type 97 medium tankへの更新updateが進んでいたが、南方作戦Southern Operationのフィリピン攻略戦Philippines campaignにおいて少数の八九式中戦車Type 89 medium tankが投入された。
また、末期のルソン島防衛戦Battle of Luzonの際には、戦車tank不足のため、既に引退retireしていた八九式中戦車Type 89 medium tankまでもかき集められ戦闘Battleに参加Participationしている。
1945年(昭和20年)、沖縄戦Battle of Okinawaに八九式中戦車Type 89 medium tankが参加Participation。
九二式重装甲車 Type 92 Heavy Armoured Car
日本Imperial Japanで開発Developmentされ、1932年(昭和7年)(皇紀2592年)に正式採用された装甲車Armored Car (3.5t)である。
“装甲車Armored Car”の制式名称official nameだが、実質的には豆戦車Tankette (軽戦車Light tankよりも更に小型の戦車tank)であり、戦車tankの区分では騎兵戦車Cavalry tankとも分類classificationされる車種で、騎兵部隊Cavalry unitや戦車部隊Tank unitで使用された。
九二式重装甲車 Type 92 Heavy Armoured Car (3.5t) 日本陸軍Japanese Army
1931年(昭和6年)の満州事変Manchurian Incidentに参加。
1933年(昭和8年)に発動された熱河作戦(ねっか・さくせん)Operation Nekkaに参加。
1939年(昭和14年)のノモンハン事件Nomonhan Incidentに参加。
その後、新型New modelの九四式軽装甲車Type 94 Light
armored carや九七式軽装甲車Type 97 Light
armored carへと更新updateされていったため、太平洋戦争Pacific War時は中国方面Chinese areaなどの第二線での使用が中心となった。
九四式軽装甲車 Type 94 Light armored car
1932年(昭和7年)に日本陸軍Imperial Japanese Armyが牽引車Tractorとして開発Developmentした装甲車Armored Car (3.45t)。
日中戦争Second Sino-Japanese Warで実戦actual warfareに投入され、いわゆる豆戦車Tanketteとして歩兵直協Infantry direct cooperationの役割も果たした。
前述のように九四式軽装甲車Type 94 Light
armored carは主に日中戦争Second Sino-Japanese Warにおいて活躍した。
九四式軽装甲車Type 94 Light armored carの生産productionは1940年(昭和15年)をもって終了したが、不要になったわけではなく、九七式軽装甲車Type 97 Light armored carが配備deploymentされるまでの繋ぎ、あるいは後方の治安部隊Security forcesの警備車輌Security vehicleなどとして使われ続け、師団Divisionの捜索連隊Reconnaissance
regimentsなどに配備Deployedされた。
武漢作戦Battle of Wuhanにおける九四式軽装甲車Type 94 Light armored car
機甲戦力armored forcesの不足していた日本軍Imperial Japanese Forcesでは貴重な車輌であり、海軍陸戦隊Imperial Japanese
Navy Land Forcesにも供与されている。
クェゼリンの戦いBattle of Kwajaleinで撃破destroyされ、M4中戦車シャーマンMedium Tank M4 Shermanの背中に乗せられた九四式軽装甲車Type 94 Light armored car
上陸用舟艇Landing craft
太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia
War)後期のレイテ島の戦いBattle of Leyte(1944年(昭和19年)10月20日~)では、アメリカ軍US Armed Forcesの上陸用舟艇Landing craftに対し、偶然浜辺を走っていた2輌の九四式軽装甲車Type 94 Light armored carが銃撃Shootingを加えた記録が残っている。
太平洋戦争Pacific War最末期の1945年(昭和20年)においても、沖縄戦Battle of Okinawaに参加した写真があり、本土決戦Mainland decisive battle用の戦力fighting powerとしても依然存在していた。
九五式重戦車 Type 95 Heavy Tank
多砲塔戦車 multi-turreted tank
日本陸軍Imperial Japanese Armyが1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に制式化した重戦車Heavy tank (26.0t)である。
九五式軽戦車 Type 95 light tank
1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に日本Imperial Japanで開発Development・採用Introductionされた軽戦車Light tank (6.7t)。
日本戦車Japanese Tankとしては最多の2,378輛が生産productionされ、九七式中戦車Type 97 medium tankとともに第二次世界大戦World War IIで活躍activeし、日本軍Imperial Japanese Forcesの代表的な軽戦車Light tankとして知られている。
T-26軽戦車T-26 Light tank ソ連軍Soviet Army
BT戦車(ベーテー・せんしゃ) BT tank ソ連軍Soviet Army
BT-5戦車 BT-7戦車 BT-2戦車 BT-5A戦車
BT-5戦車 BT-5 tank ソ連軍Soviet Army
初めて九五式軽戦車Type 95 light tankが本格的に投入throw inされたノモンハン事件Nomonhan Incident(1939年(昭和14年)5月~9月)では、3輌一組のフォーメーションを組んだ上で、ソ連軍Soviet Armed forcesのT-26軽戦車T-26 Light tankやBT-5戦車BT-5
tankと戦闘Battleし、撃破Defeatに成功した事例も存在する。
日本Imperial Japanと友好関係Friendly relationsにあったタイThailandにも40輌から50輌が輸出され、太平洋戦争Pacific Warの開戦前に仏領インドシナFrench Indochinaとの間に起こった国境紛争Border disputeで活躍activeした。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3
Stuart 12.9 metric tons 米陸軍US Army
太平洋戦争Pacific War(大東亜戦争Greater East Asia
War)緒戦Beginning battleである一連の南方作戦Southern Operationの内、フィリピン攻略戦Philippines
campaignにおいてM3軽戦車スチュアートLight Tank M3
Stuartと遭遇Encounterした事例Case example(1941年(昭和16年)12月22日)では、九五式軽戦車Type 95 light tankがM3軽戦車スチュアートLight Tank M3
Stuart小隊5両を撃退Repelすることに成功したものの、ビルマ攻略戦Burma Campaignにてイギリス・インド軍British Indian Armed ForcesのM3軽戦車スチュアートLight Tank M3
Stuartと遭遇Encounterした事例Case example(1942年(昭和17年)3月5日)では、九五式軽戦車Type 95 light tankが次々と命中弾hitをあたえたにも関わらず、全て跳ね返bounce offされた。
M2軽戦車 M2 Light Tank 11.6t アメリカ陸軍US Army
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3
Stuartはフランス戦Battle of Franceの戦訓combat lessonからM2軽戦車M2 Light Tankを元に開発Developmentされ、九五式軽戦車Type 95 light tankの約2倍の重量weightがあった(12.7tと八九式中戦車 Type 89 medium tankよりも重い)。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3
Stuartの戦車砲Tank gun・対戦車砲Anti-tank gunの中では最も高性能であり、有効射程内のどの距離でも九五式軽戦車Type 95 light tankの装甲Armorを正面から貫通penetrateできる性能を持っていた。
九五式軽戦車Type 95 light tankは、最終的にはM3軽戦車スチュアート Light
Tank M3 Stuartに体当りsuicide attackまでして応戦fight backする羽目に陥った。
九五式軽戦車 Type 95 light tank マレー作戦Malayan campaign
一方でエンジンの故障は少なく長距離走破Long-distance runningにもよく耐え、特にマレー作戦Malayan campaign(1941年(昭和16年)12月8日~1942年(昭和17年)2月15日)においては九七式中戦車Type 97 medium tankとともに電撃戦Lightning warを行い活躍activeした。
中にはマレー半島Malay Peninsulaからスマトラ島Sumatraへ転戦し、2,000km以上の走行travelingに耐えた車輛もあった。
太平洋戦争Pacific War後半の防御主体の作戦operationsにおいても、後継車両Successor vehicleの不足と貴重な機甲戦力armored forcesのため、タラワの戦いBattle of Tarawa(1943年(昭和18年)11月21日~11月23日)、ペリリューの戦いBattle of Peleliu、サイパンの戦いBattle of Saipan、硫黄島の戦いBattle of Iwo Jima、沖縄戦Battle of Okinawa、占守島の戦い(しゅむしゅとう・の・たたかい)Battle of Shumshu(千島列島東端)など終戦に至るまで様々な戦線battlefrontへと投入された。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman アメリカ陸軍US Army
タラワの戦いBattle of Tarawa(1943年(昭和18年)11月21日~11月23日)においては九五式軽戦車Type 95 light tank及び九四式三十七粍(みり)砲Type 94 37 mm anti-tank gunによってアメリカ海兵隊US Marine CorpsのM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを撃破Defeatした可能性possibilityのある事例Case exampleが存在する。
この他にも、M4中戦車シャーマン Medium
Tank M4 Shermanを撃破Defeatした事例Case
exampleが存在し、ペリリューの戦いBattle of Peleliuでは、上陸してきたM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanと交戦し、九五式軽戦車Type 95 light tankの放った砲弾が、M4中戦車シャーマン Medium
Tank M4 Shermanの砲塔と車体の間に食い込み、砲塔の旋回を不能にして撃破Defeatした。
フィリピンPhilippinesへの帰還Returnを果たしたマッカーサー元帥Marshal MacArthur(1944年(昭和19年)10月20日)
フィリピンの戦いBattle of the Philippinesでは、ルソン島LuzonバギオBaguio付近の峠で九五式軽戦車Type 95 light tankとM4中戦車シャーマン Medium
Tank M4 Shermanが至近距離Close
rangeで遭遇Encounterし、驚いたM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの乗員が運転を誤り谷に転落Fall into the
valleyした。
これは撃破Defeatというより交通事故Traffic accidentである。
硫黄島Iwo Jimaには九五式軽戦車Type 95 light tank 12両と九七式中戦車Type 97 medium tank(新砲塔)11両が配備deploymentされていたが、移動ないし固定トーチカPillboxとして待伏攻撃Ambush attackに使われることになった。
ラビの戦い Battle of Rabi
ラビRabi近くの日本の九五式軽戦車Type 95 light tank、泥の中にはまり込みbogged
in the mud、放棄abandonedされている
A Japanese Type 95 Ha-Go tank near Rabi,
bogged in the mud and abandoned
ラビの戦い Battle of Rabi
占守島(しゅむしゅとう)Shumshu(千島列島東端)には九五式軽戦車Type 95 light tank 25両、九七式中戦車Type 97 medium tank(新砲塔)39両を擁する精鋭部隊elite forceが展開しており、ソ連軍Soviet Armed forcesを後退させている。
また、九五式軽戦車Type 95 light tankは海軍陸戦隊Imperial Japanese Navy Land Forcesでも使用されており、1942年(昭和17年)8月~9月に行われたニューギニア戦線New Guinea Campaign・ラビの戦いBattle of Rabiでは呉第五特別陸戦隊戦車隊が九五式軽戦車Type 95 light tank 2両を装備Equipmentしている。
九七式軽装甲車Type 97 Light armored car
1937年(昭和12年)に開発Development・採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Armyの装甲車armored car (4.7t)。
九七式中戦車 Type 97 medium tank
日本陸軍Imperial Japanese Army
1937年(昭和12年)(皇紀2597年)制式採用
全長Length 5.55m
重量Mass 14.8metric tons
最大速度Maximum speed 38km/h
乗員数Crew 4
九七式中戦車Type 97 medium tankは、1937年(昭和12年)に開発Development・採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Armyの主力中戦車Main Medium tankである。
1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて総計2,123輌が生産productionされ、九五式軽戦車Type 95 light tankとともに第二次世界大戦World War IIにおける日本軍Imperial Japanese Forcesの主力戦車Main battle tankとして使用された。
九七式中戦車 Type 97 medium tank 14.8metric tons 日本陸軍Japanese Army
ノモンハン事件 Nomonhan Incident
ノモンハン事件 Nomonhan Incident
1939年(昭和14年)5月のノモンハン事件Nomonhan Incidentでは、日本建軍the creation of the
Japanese army以来初めてとなる、大規模な戦車戦力Tank strengthが投入throw intoされた。
八九式中戦車Type 89 medium tank、九七式中戦車Type 97 medium tank、九四式軽装甲車Type 94 Light armored car、九七式軽装甲車Type 97 Light
armored car、九五式軽戦車Type 95 light tankが投入throw intoされた。
BT-2戦車 BT-2 tank ソ連軍Soviet Army
ノモンハン事件Nomonhan Incidentに投入throw intoされたソ連軍Soviet Armed forcesの戦車tankは、速度は速いが装甲armorが薄いBT-7やBT-5といった戦車tankが主力main forceであり、両軍のなかでもっとも重装甲Heavy armorの戦車tankは最大装甲厚25 mmの九七式中戦車Type 97 medium tankであった。
BT-5戦車 BT-5 tank ソ連軍Soviet Army
しかし、実際に交戦してみると、日本軍Imperial Japanese Forces側の予想以上にソ連軍Soviet Armed forcesの戦車tankの性能がよくて、ソ連軍Soviet Armed forcesの戦車砲Tank gunの射程が長く、また遠距離から日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankの砲塔Gun Turretの装甲板Armor plateを易々と貫通Penetrationすることに衝撃を受けている。
BT-7戦車 BT-7 tank ソ連軍Soviet Army
その後も戦闘Battleによって日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankの消耗consumptionは続き、1939年(昭和14年)7月9日には戦車tankの完全喪失Complete lossが29輌に達したことを知った関東軍Kwantung Armyが、このままでは虎の子treasureの戦車部隊Tank unitが壊滅annihilationすると懸念し、戦車部隊Tank unitの引き揚げを命じた。
九七式中戦車Type 97 medium tankは、1942年(昭和17年)2月8日からの、マレー作戦Malayan campaignに参加Participation。
M3軽戦車スチュアート Light Tank M3
Stuart アメリカ陸軍US Army
太平洋戦争Pacific Warの開戦初期において、フィリピンPhilippinesやビルマBurma方面には米英軍U.S. and British ArmyのM3軽戦車スチュアートLight Tank M3
Stuart合計220両以上が配備deploymentされていた。
M3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuartはカタログcatalog上の総合性能では九七式中戦車Type 97 medium tankを含む日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankを優越するものであったが、日本軍Imperial Japanese Forcesの攻勢offensiveによりこれらのM3軽戦車スチュアートLight Tank M3 Stuartの大半を失うことになった。
サイパンの戦い Battle of Saipan
1944年(昭和19年)6月15日サイパンの戦いBattle of Saipanではサイパン島Saipanに配置disposeされていた九七式中戦車Type 97 medium tank、九五式軽戦車Type 95 light tankが上陸landingしてきたアメリカ軍海兵隊US Marine Corpsを攻撃。
アムタンク AMTANKS
まだM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanが揚陸unloading未済で、装甲Armorの薄いアムトラックAmtrakに戦車砲Tank gunを搭載したアムタンクAMTANKSとの戦車戦Tank battleとなったがこれを撃破Defeatして、海兵隊Marine Corpsの幕僚staffが搭乗していたアムトラックAmtrakも撃破Defeat、アメリカ海兵隊US Marine Corpsの連隊指揮所まで突入する活躍を見せたが、艦砲射撃naval bombardmentも含めたアメリカ軍US Armed Forcesの反撃Counterattackで全滅annihilationしている。
タンクデサント Tank desant (戦車跨乗)(せんしゃ・こじょう)
1944年(昭和19年)6月16日夜には、九七式中戦車Type 97 medium tank、九五式軽戦車Type 95 light tankがタンクデサントTank desant(戦車跨乗)で夜襲Night attackをかけた。
M3 75mm対戦車自走砲 75 mm Gun Motor Carriage M3 アメリカUSA
アメリカ軍海兵隊US Marine Corpsにとっては、開戦以来、初めて受ける大規模な日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankからの攻撃となったが、この時点ではM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanと大量のM3 37mm砲37 mm
gun M3と新兵器New weaponバズーカBazookaと対戦車砲Anti-tank gunを搭載したM3 75mm対戦車自走砲75 mm Gun Motor
Carriage M3を揚陸unloading済みであり、十分に態勢を整えていた。
バズーカ Bazooka
日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankはアメリカ軍US Armed Forcesが築いていた陣地Positionに突入したが、そこで待ち受けていたのが海兵隊員Marinesが装備Equipmentしていた新兵器New weaponのバズーカBazookaであった。
装甲Armorの薄い日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankにバズーカBazookaが命中すると、ほぼ同時に装甲Armorを貫通して内部で炸裂し擱座(かくざ)stallする戦車tankが続出した。
M3 37mm砲37 mm gun M3も威力を発揮して次々と日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankは撃破Defeatされていった。
M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Sherman アメリカ陸軍US Army
空には無数の照明弾Flareが打ち上げられ白昼broad daylightのような明るさの中で、M4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanも戦場battlefieldに到着して、九七式中戦車Type 97 medium tankとの戦車戦Tank battleが行われたが、砲撃artillery
bombardmentの練度は日本軍Imperial Japanese Forcesが勝り次々と命中弾Hitを与えるが、全てM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanの厚い装甲Armorにはね返されるのに対し、M4中戦車シャーマン Medium
Tank M4 Shermanの砲弾shellは易々と九七式中戦車Type 97 medium tankや九五式軽戦車Type 95 light tankを撃破Defeatしていった。
ビルマ戦線 Burma Campaign
ビルマ戦線Burma Campaignでは、九七式中戦車Type 97 medium tankが、エジョウ集落の周辺で待ち伏せambushを行い、現れたアメリカ軍US Armed Forces戦車部隊Tank
unitに対し約400mの至近距離Close rangeにて、側面を晒したM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanを撃破Defeatした。
ルソン島 Luzon
ルソン島の戦い Battle of Luzon
フィリピン戦Battle of the Philippinesのルソン島の戦いBattle of Luzon(1945年(昭和20年)1月6日~8月15日)においては、日本軍Imperial Japanese Forces戦車tankがリンガエン湾Lingayen Gulfに上陸landingしてきたアメリカ軍US Armed Forcesを迎撃Interceptionし、太平洋戦争Pacific War最大の戦車戦Tank battleが戦われている。
九七式中戦車Type 97 medium tankや九五式軽戦車Type 95 light tankの戦車砲Tank gunはM4中戦車シャーマン Medium Tank M4 Shermanに命中しても、まるでボールのように跳ね返され、日本軍Imperial Japanese Forcesの戦車tankが一方的に撃破Defeatされることが多く、日本軍Imperial Japanese Forcesの戦車兵Tank soldierはそのようなM4中戦車シャーマン Medium
Tank M4 Shermanを「動く要塞Moving fortress」と称して恐れたが。
九七式中戦車Type 97 medium tankがしばしばM4中戦車シャーマン Medium
Tank M4 Shermanを待ち伏せ攻撃Ambush attackで撃破Defeatしている。
刺突爆雷(しとつ・ばくらい) Lunge mine
ルソン島の戦いBattle of Luzon末期の1945年(昭和20年)4月12日、わずかに残っていた九七式中戦車Type 97 medium tank 1輌と九五式軽戦車Type 95 light tank 1輌の車体前部に、先端に20kgの爆薬を装着した長さ1mの突出し棒を取付け敵戦車Enemy tankに体当たりする特攻Special attackを敢行した(刺突爆雷(しとつ・ばくらい) Lunge mine)。
砲塔Gun Turret トーチカPillbox
硫黄島の戦いBattle of Iwo Jimaでは同島に九七式中戦車Type 97 medium tank 11輌と九五式軽戦車Type 95 light tank 12輌を装備Equipmentする戦車隊Tank corpsが配備deploymentされていたが、移動トーチカMobile pillboxないし固定トーチカFixed pillboxとして待伏攻撃Ambush attackに使われることになった。
移動トーチカMobile pillboxとしては事前に構築した複数の戦車壕Tank pitに車体をダグインさせ運用し、固定トーチカFixed pillboxとしては車体を地面に埋没させるか砲塔Gun Turretのみに分解し、ともに上空や地上からわからないよう巧みに隠蔽・擬装し丸万集落周辺で防御陣地を構築して米軍US Armed Forcesと激戦を交えた。
沖縄戦 Battle of Okinawa
沖縄戦Battle of Okinawaでは、九七式中戦車Type 97 medium tankが14両実戦actual warfare投入throw inされた。
1945年(昭和20年)5月4日の日本軍Imperial Japanese Forces総攻撃All-out
attackの際に出撃したが、砲弾幕Cannonball curtainに前進を阻まれ大損害を受けたのちに後退し、残った6輌の戦車tankの車体を埋め、トーチカPillboxとしてアメリカ軍US Armed Forcesを迎え撃った。
占守島の戦い(しゅむしゅとう・の・たたかい) Battle of Shumshu (千島列島東端)
最末期の占守島の戦い(しゅむしゅとう・の・たたかい)Battle of Shumshu(千島列島東端)では、同島に展開した九七式中戦車Type 97 medium tank 39輌、九五式軽戦車Type 95 light tank 25輌を装備Equipmentする精鋭部隊elite corpsたる戦車隊Tank corpsが、上陸landingしたソ連軍Soviet Armed forcesと交戦Engagement。
一式砲戦車 Type 1 Gun tank
一式自走砲 Type 1 Self-propelled artillery
1941年(昭和16年)(皇紀2601年)制式採用 14.7t
一式自走砲Type 1 Self-propelled artilleryは、第二次世界大戦World War II時の日本陸軍Imperial Japanese Armyの自走砲Self-propelled artilleryである。
第二次世界大戦World War II後期になると対戦車自走砲Anti-tank
self-propelled gunとして使用されることになり、砲戦車Gun tankの代用Substituteとしても配備deploymentされる場合もあった。
一般的には一式砲戦車Type 1 Gun tankと呼ばれるが、これは一式自走砲 Type 1 Self-propelled artilleryが開発Development段階に於いて機甲兵Armored soldierが使用する砲戦車Gun tankとして運用する構想の名残であるとされ、正式的には「一式自走砲Type 1 Self-propelled
artillery」であり、あくまで砲兵artilleryが掌握する装備Equipmentであった。
ルソン島の戦い Battle of Luzon
1945年(昭和20年)1月8日、アメリカ軍US Armed ForcesはフィリピンPhilippinesのルソン島Luzonリンガエン湾Lingayen Gulfに上陸landingした。
一式砲戦車Type 1 Gun tankは、この上陸landingしてきた米軍US Armed Forcesを迎撃Interceptionした。
二式砲戦車 Type 2 Gun tank
1942年(昭和17年)(皇紀2602年)制式採用 16.1t
二式砲戦車Type 2 Gun tankは、第二次世界大戦World War II時の日本陸軍Imperial Japanese Armyの砲戦車Gun tank。
各戦車連隊Tank regimentにおいて、中戦車Medium tankの火力Firepower支援supportを目的に開発Developmentされた。
砲戦車Gun tankとは、二式砲戦車Type 2 Gun tankのような大口径砲heavy caliber gunを旋回砲塔Swivel gun turret式に搭載した中戦車Medium tankのことであったが、一時自走砲Self-propelled
artilleryを改造して砲戦車Gun tankの代用品Substituteにする構想により、二式砲戦車Type 2 Gun tankの興味が失われていったことで、砲戦車Gun tankは自走砲Self-propelled artilleryと同一兵器であるかのような誤った情報が広まったとされる。
三式中戦車 Type 3 Medium Tank
1943年(昭和18年)(皇紀2603年)制式採用 19t
三式中戦車Type 3 Medium Tankは、第二次世界大戦World War II後期に登場した日本陸軍Imperial Japanese Armyの中戦車Medium tank。
三式中戦車Type 3 Medium Tankは戦争中during the warに戦闘combatを見なかった。
The Chi-Nu did not see combat during the
war.
連合国の侵攻Allied invasionを見越してin anticipation、全ての生産部隊All produced unitsは日本国Japanese Homelandの防衛defenseのために保持retainedされた。
All produced units were retained for the
defense of the Japanese Homeland in anticipation of an Allied invasion.
四式軽戦車 Type 4 Light tank
四式軽戦車Type 4 Light tankとは、1944年(昭和19年)(皇紀2604年)に開発Developmentされた日本陸軍Imperial Japanese
Armyの軽戦車Light tank (8.4t)。
試作車輌Prototype vehicleが製作された他、本土決戦Decisive last
battle at Japan proper用に少数が配備されたのみで実戦Actual battleには参加していない。
四式中戦車 Type 4 Medium tank
四式中戦車Type 4 Medium tankは、1944年(昭和19年)(皇紀2604年)に開発Developmentされた日本陸軍Imperial Japanese
Armyの中戦車Medium tank (30t)。
四式中戦車Type 4 Medium tankは戦争中during the warに戦闘combatを見なかった。
三八式野砲 Type 38 75 mm field gun
三八式野砲(さんはち・しき・やほう) Type 38 75 mm field gunは、1905年(明治38年)に開発Development・採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Armyの野砲(やほう) Field gun。
シベリア出兵 Siberian intervention
シベリア出兵Siberian interventionを描いた戦争画Military art
左下で射撃中が三八式野砲Type 38 75 mm field
gun
改造三八式野砲 Improved Type 38 75 mm field gun
改造三八式野砲(かいぞう・さんはち・しき・やほう) Improved Type 38 75 mm
field gunは、三八式野砲(さんはち・しき・やほう) Type 38 75 mm field gunの改良型Improved typeである。
九〇式野砲 Type 90 75 mm field gun
九〇式野砲(きゅうまる・しき・やほう) Type 90 75 mm field gunは、1930年(昭和5年)(皇紀2590年)に開発Development・採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Armyの野砲(やほう) Field gun。
第二次世界大戦World War IIでは改造三八式野砲Improved Type 38 75
mm field gun・九五式野砲Type 95 75 mm field gunとともに日本陸軍Imperial Japanese
Armyの主力野砲Main field gunとして運用された。
機動九〇式野砲 Mobile Type 90 field gun 日本陸軍Imperial
Japanese Army
機動九〇式野砲 Mobile Type 90 field gun
九〇式野砲(きゅうまる・しき・やほう) Type 90 75 mm field gunの機械化牽引Mechanized tractionを目的とした派生型Variants。
九五式野砲 Type 95 75 mm field gun
九五式野砲(きゅうご・しき・やほう) Type 95 75 mm field gunは、1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に開発Development・採用Introductionされた日本陸軍Imperial Japanese Armyの野砲Field gun。
第二次世界大戦World War IIでは改造三八式野砲Improved Type 38 75
mm field gun・機動九〇式野砲Mobile Type 90
field gunとともに日本陸軍Imperial Japanese
Armyの主力野砲Main field gunとして運用された。
概観 general view
概観 general view
61式戦車 Type 61 tank
61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ) Type 61 tank (35t)
日本の陸上自衛隊Japan Ground
Self-Defense Forceが運用していた戦後Postwar第1世代First generation戦車tankに分類Classificationされる戦後初の国産戦車new Japanese tanksである。
第二次世界大戦World War II後、初めて開発Developmentされた国産戦車new Japanese tanksであり、第1世代First
generation主力戦車Main battle tankに分類Classificationされる。
開発Development・生産Productionは三菱日本重工業(1964年(昭和39年)から三菱重工業Mitsubishi Heavy Industries)が担当し、それまで供与されていたアメリカ製戦車American style tankとの共用、もしくは置き換えにより全国の部隊military unitに配備deploymentされた。
1955年(昭和30年)に開発Developmentが開始され、1961年(昭和36年)4月に制式採用official adoptionされた。
採用adoptionされた西暦Common Eraの下二桁の年をとり、61式戦車Type 61 tankと命名された。
主砲Main gunに「61式52口径90mmライフル砲」として制式化された52口径90mmライフル砲を装備し、鉄道輸送Rail transportを考慮して当時の国鉄Japanese National
Railways貨車Freight Carに搭載できるよう車体が小型化されている。
1974年(昭和49年)に74式戦車(ななよんしき・せんしゃ)Type 74 tankが採用adoptionされるまで560輌が生産productionされ、2000年(平成12年)に全車が退役した。
M41軽戦車ウォーカー・ブルドッグ Light Tank M41
Walker Bulldog
主砲Main gun先端部のハンマーヘッド型Hammer head type(T字型T-shaped)マズルブレーキMuzzle brake(砲口制退器)や後部へ張り出した砲塔Gun Turret、履帯Continuous trackのたるみを支える3個の上部転輪Upper wheelなど、全体的な印象はアメリカUSAのM41ウォーカー・ブルドッグM41 Walker Bulldog軽戦車Light tankに近い。
また、ヘッドライトHeadlightは左右フェンダーfenderの先端上方に、排気管Exhaust pipeは左右フェンダーfenderの後部上方に取り付けられているが、こうしたレイアウトは同時代の西側各国の戦車tankにはほとんど見られない外見的特徴である。
74式戦車 Type 74 tank
74式戦車(ななよん・しき・せんしゃ) Type 74 tank (38t)
1974年(昭和49年)
陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceが61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ)Type 61 tankの後継Successorとして開発Development、配備deploymentされた国産二代目Second Japanese tanksの主力戦車Main battle tankである。
部隊内での愛称Nicknameは「ナナヨン」。
第2.5世代Second intermediate generation主力戦車main battle tankに分類Classificationされる戦車tank。
三菱重工業Mitsubishi Heavy Industriesが開発Developmentを担当した。
後継Successor車輌として第3世代Third
generation主力戦車Main battle tankである90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ)Type 90 tankが開発Development・生産Productionされたが、こちらは北部方面隊JGSDF Northern Army以外では富士教導団JGSDF Fuji School (Combined Training) Brigadeなど教育部隊Training Unitにしか配備deploymentされていないため、全国的に配備deploymentされた74式戦車Type 74
tankが数の上では主力Mainであった。
それでも年40輌程度の早さで退役が進んでおり、74式戦車Type 74 tankの更新をも考慮した10式戦車(ひとまる・しき・せんしゃ)Type 10 tankの採用adoptionや、同じ口径の砲をもつ16式機動戦闘車(ひとろく・しき・きどう・せんとうしゃ)Type 16 mobile combat vehicleの採用adoptionなど代替がすすんでいる。
90式戦車 Type 90 tank
90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ) Type 90 tank (50.2t)
1990年(平成2年)
第二次世界大戦World War II後に日本国内Japanese domesticで開発Development・生産Productionされた主力戦車Main battle tankとしては61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ)Type 61 tank、74式戦車(ななよん・しき・せんしゃ)Type 74 tankに続く三代目Third generationにあたり、第3世代Third generation主力戦車Main battle tankに分類Classificationされる。
製造Manufacturingは、車体Bodyと砲塔Gun Turretを三菱重工業Mitsubishi Heavy
Industries、120mm滑腔砲Rheinmetall Rh-120を日本製鋼所Japan Steel Worksが担当し、1990年(平成2年)度から2009年(平成21年)度までに61式戦車Type 61
tankの全てと74式戦車Type 74
tankの一部を更新するために341輌が調達された。
価格は1輌あたり約8億円である。
10式戦車 Type 10 tank
10式戦車(ひとまる・しき・せんしゃ) Type 10 tank (44t)
2010年(平成22年)
日本の主力戦車Japanese Main battle tank。
陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceが運用する国産戦車Japanese tankとしては4代目となり、第3.5世代Third intermediate generation (next generation)主力戦車Main battle tankに分類Classificationされる。
10式戦車Type 10 tankは陸上自衛隊Japan Ground
Self-Defense Forceの61式戦車(ろくいち・しき・せんしゃ)Type 61 tank・74式戦車(ななよん・しき・せんしゃ)Type 74 tank・90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ)Type 90 tankに次ぐ4代目Fourth generationとなる最新latest国産主力戦車Japanese Main battle tankである。
10式戦車Type 10 tankの開発Developmentは防衛省Ministry of Defense技術研究本部Technical Research
and Development Institute、試作Trial production・生産Productionは三菱重工業Mitsubishi Heavy
Industriesが担当した。
87式自走高射機関砲
Type 87
self-propelled anti-aircraft gun
87式自走高射機関砲 Type 87
self-propelled anti-aircraft gun (38t)
陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force 1987年(昭和62年)
自走式対空砲self-propelled anti-aircraft gun コスト15億円超
89式装甲戦闘車 Type 89 armored combat vehicle
89式装甲戦闘車 Type 89 armored combat vehicle (26.5t)
陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Force 1989年(平成元年)
歩兵戦闘車 (IFV) Infantry Fighting Vehicle コスト6億~7億円弱
16式機動戦闘車 Type 16 mobile combat vehicle
16式機動戦闘車(ひとろくしき・きどう・せんとうしゃ)Type 16 mobile
combat vehicleは、防衛省Ministry of Defenseが開発Developmentした装輪装甲車wheeled armored vehicle。
略称abbreviationは16MCV・MCV・キドセン。
16式機動戦闘車Type 16 mobile combat vehicleは、開発事業名「機動戦闘車mobile combat vehicle」として2007年(平成19年)度に開発Developmentが開始され、2016年(平成28年)度の防衛予算Defense budgetから調達が開始された装輪装甲車wheeled armored vehicleであり、積極的に戦闘combatに参加させる点から「戦闘車combat vehicle」に分類Classificationされている。
試作Trial production・生産Productionは三菱重工業Mitsubishi Heavy Industriesが担当する。
軽装甲機動車 (LAV) Light Armoured Vehicle
軽装甲機動車 (LAV) Light Armoured Vehicleは、陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceと航空自衛隊Japan Air Self-Defense Forceに配備dispositionされている装輪装甲車wheeled armored
vehicleである。
製造Manufacturingは小松製作所Komatsu Limited。
防衛省Ministry of Defenseは、略称abbreviationをLAV (Light Armoured
Vehicle)、愛称Nicknameを「ライトアーマー」としており、保有する部隊Unit内では略称abbreviationをもとに「ラヴ」とも呼ばれている。
普通科Infantryなどの隊員Memberの防御力Defense powerと移動力moving forceを向上させるのが目的の装甲車Armored Carであり、性能や想定する任務は、歩兵機動車Infantry mobility vehicle (IMV)に類する。
部隊Unitでは、汎用車General-purpose carである1/2tトラックType 73 Light Truck(通称ジープJeep)の代わりとしても使用されている。
コマツ・ブルドーザーG40 Komatsu G40 Bulldozer
コマツ・ブルドーザーG40 (小松1型均土機) 1943年(昭和18年)
60式装甲車 Type 60 Armoured Personnel Carrier
1960年(昭和35年)~2006年(平成18年)
第二次世界大戦World War II後に開発Developmentされた日本初first in Japanの装甲人員輸送車Armored Personnel
Carrierである。
陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceで運用され、雲仙普賢岳(うんぜん・ふげん・だけ)での災害派遣disaster relief
mission(1991年(平成3年))やPKO派遣PKO
dispatchに使用された。
重装輪回収車 Heavy Wheeled Recovery Vehicle
2002年(平成14年)
陸上自衛隊Japan Ground Self-Defense Forceが装輪装甲車wheeled armored vehicleの回収Recovery及び整備repair支援をするために導入Introductionした車両である。
高機動車 High Mobility Vehicle
高機動車(こうきどうしゃ)High Mobility Vehicleは、陸上自衛隊Japan Ground
Self-Defense Forceが装備equipmentしている人員輸送用車両Personnel Carrierである。
アメリカ軍US Armed Forcesのハンヴィー HMMWV (Humvee)を捩(もじ)り「ジャンビー」や「ジャパニーズハマー」と呼ばれた時期もある。
ハンヴィー HMMWV (Humvee)
高機動多用途装輪車両 High Mobility Multipurpose
Wheeled Vehicle
アメリカ軍US Armed Forces向けにAMゼネラルAM Generalが製造Manufacturingした汎用General purpose四輪駆動車Four-wheel drive vehicle・M998、及びその発展型軍用車両Military vehicleの総称Generic term。
ジープJeep系四輪駆動車Four-wheel drive vehicleの更新用車両Vehicle for renewalとして1985年(昭和60年)から配備dispositionが始まった。