戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
同型艦 武蔵 信濃 艦名は、奈良県の旧国名の大和国に由来
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato 72,809トン 263.0m 1941年(昭和16年)
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零戦五二型 Zero fighter Model 52 1943年(昭和18年)
零式艦上戦闘機五二型 Type 0 carrier fighter Model
52
栄二一型エンジン 従来の集合排気管を推力式単排気管に改装
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零戦五二型 Zero fighter Model 52 1943年(昭和18年)
零式艦上戦闘機五二型 Type 0 carrier fighter Model
52
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九七式艦上攻撃機 Type 97 Carrier Attack Bomber 1937年(昭和12年)(皇紀2597年)
略称は九七式艦攻または九七艦攻 真珠湾攻撃では三号143機が出撃
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戦艦大和 Japanese battleship Yamato
大和型戦艦Yamato-class battleshipの1番艦。
2番艦武蔵。
3番艦信濃は設計変更され航空母艦として竣工した。
呉海軍工廠で建造。
就役 1941年(昭和16年)12月16日
沈没 1945年(昭和20年)4月7日
排水量 72,809トン 全長 263.0m
最大速力 27.46ノット(50.1km/h)
日本海軍が建造した史上最大の戦艦。
1942年(昭和17年)2月12日、大和は連合艦隊旗艦となった。
建造費は、当時の価格でおよそ1億4000万円、
現在の価値にすると約3兆円弱になるそうです。
大和の艦名は、奈良県の旧国名の大和国に由来する。
軍艦の命名基準。
戦艦は、旧国名。
例外として日本の異称である扶桑も艦名に使われた。
航空母艦の命名に関する明確な規定は無かった。
一等巡洋艦(重巡洋艦)、巡洋戦艦は、山の名前。
二等巡洋艦(軽巡洋艦)は、河川の名前。
駆逐艦は、天象、気象、海洋、季節に関係のある名、および植物名。
戦艦大和は、大艦巨砲主義の象徴であった。
が、航空機と航空母艦が主戦力の時代に移行していた。
そのため、目覚ましい活躍もせずに終わった。
1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった、
坊ノ岬沖海戦で、沈没した。
九七式艦上攻撃機 Type 97 Carrier Attack Bomber
略称は九七式艦攻または九七艦攻
海軍では、急降下爆撃を行える機体を爆撃機
水平爆撃および雷撃のみを行えるのを
攻撃機(艦上攻撃機および陸上攻撃機)と呼んだ。
1937年(昭和12年)(皇紀2597年)制式採用
日本海軍としては、初の全金属製の低翼単葉機であり、
国産単発機初の引込脚を採用。
乗員は3名。
制式採用後間もなく中国大陸方面の作戦に投入された。
真珠湾攻撃Attack on Pearl Harborでは三号143機が出撃し、
雷撃隊はアメリカ海軍太平洋艦隊の戦艦4隻を含む6隻の艦艇を雷撃、
魚雷36発を命中(米側資料では23本)させている。
なお淵田美津雄海軍中佐が放った
「トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」はこの機体から打電された。
太平洋戦争Pacific War中期ごろまでは空母で運用され、
後継機の天山が登場してからは主に陸上基地などから運用されたり、
レーダーを追加装備して対潜哨戒や輸送船団護衛にも就いた。
そして、太平洋戦争Pacific War末期には一部が特攻に出撃している。